The Time is Now
一緒に寝ていた大ちゃんがベッドを抜け出す気配に、目を覚ました。
「…ごめん、今はちょっと……」
ドアの向こうで、小声で誰かと話している。
その相手が大ちゃんのアイスダンスのパートナーであることに気付いて、俺は2人の会話が聞こえないように、上掛けを引っ被った。
大ちゃんがグランプリシリーズの試合に出場するために泊まっているホテル。
俺も一緒に出る予定だったのに、足首の怪我でダメになった。
悔しくて情けなくて、わざと大ちゃんには連絡を取らなかった。
競技も見ないつもりだったけど、大ちゃんの出番が近づいてきて、気が付いたらテレビを付けていた。
披露前から話題になっていたリズムダンスのプログラム。
音楽が始まった途端、俺は大ちゃんに釘付けになった。
ジャンプを跳ばなくなっても、隣で滑っている誰かがいても、大ちゃんのスケートは変わらない。
ううん、正確に言うと、技術的には同じフィギュアスケートとは思えないほど違うことをしているのに、やっぱり大ちゃんなんだ。
本当は、大ちゃんが俺以外の誰かと手を取り合って滑るのなんて、嫌だ。
けど、新しいチャレンジに大きな瞳をキラキラさせている大ちゃんに、さすがの俺もワガママは言えなかった。
俺と一緒に北京に行きたいって、そう思ってくれているのが分かったから。
昨年は夢物語に思えたけど、大ちゃんの本気度が伝わってくるフリーダンスを見終わったとき、俺は考える間もなくタクシーを呼んでいた。
仙台からタクシーで乗り付けた俺を、大ちゃんは驚きつつも、他の選手に見つからないように部屋に入れてくれた。
明日はエキシビションを残すだけとはいえ、ずいぶん無茶なことをしてしまった。
ホテルの部屋で大ちゃんと向かい合い、穴があったら入りたいような気持ちになった俺を、大ちゃんは優しく抱きしめてくれた。
用が済んだのか、大ちゃんが部屋に戻ってきた。
寝たふりをしている俺を起こさないように、そうっとベッドに入ってくる。
久しぶりの大ちゃんの匂い。
俺は、ぎゅっと大ちゃんにしがみついた。
「…起こしてしもた?」
大ちゃんが心底すまなそうに謝る。
どちらかと言うと、迷惑をかけているのは俺の方だと思うけど。
「でもほんま、嬉しいな。ゆづが会いにきてくれるやなんて。」
もう何度目かになる甘い言葉を囁く。
……この人たらし。
「……ん?」
俺の心の中の悪態が聞こえたのか、大ちゃんが小首を傾げる。
本当なら、俺だって当然に選手としてこの場にいた。
こんなふうにこそこそしなくても、大ちゃんに会えたのに。
怪我のせいか、なんでもネガティブに考えてしまう自分が嫌だった。
「ゆづが会いに来てくれへんかったら、またしばらく会えへんかったもんなぁ。」
大ちゃんは、嬉しそうに俺の頭を撫でた。
「……お返しだよ。」
昨年のNHK杯の後は、大ちゃんが時間を作って仙台まで来てくれた。
だけど今年の大ちゃんは、すぐに次の試合に向けて発たなくちゃいけない。
「ありがとな、ゆづ。」
言葉足らずの俺の気持ちは、大ちゃんに伝わったらしかった。
大ちゃんは、全日本で会おうとは言わなかった。
俺の怪我についても聞かない。
怪我から回復すること大変さも、勝利のプレッシャーの重さも、大ちゃんは俺より分かりすぎるほど分かっている。
大ちゃんの手が俺の頬に回って、そっと引き寄せられる。
近づいてくる唇に、さっきまで大ちゃんを受け入れていた部分がずくんと疼いて、それが癪で、俺はつんとそっぽを向いた。
「ゆ、ゆづ…?」
気遣うような大ちゃんの声。
ほんと、悔しいったら。
俺は、大ちゃんを睨みつけた。
「NHK杯、6位入賞おめでとうっ。」
本当は、会って一番最初に言いたかった言葉。
ようやく言えた俺に、大ちゃんは、一瞬目を丸くしたけど、すぐににこっとした。
「ありがと。…でも、まだスタートラインに立っただけやから。」
まだまだこんなもんじゃない。
いつものほんわかした口ぶりだけど、言外にそう言って、大ちゃんは今度こそ俺にキスをした。
終わり