リュクスな時間



「……え?」

大ちゃんからその話を聞いた時、俺は文字通り目が点になった。

「やっぱり、競技もあるし、負担大きいかなぁ。けーじは他のアイスショーも出るもんな…」

大ちゃんは自信なさげに肩を落とした。

「そ、そうじゃなくて…っっ」

俺でいいんですかっていう方なんですけどっ。

大ちゃんが座長を務める大掛かりなアイスショー。

出演者は、スケーターだけじゃなく、各エンタメ界の一人者ばかりが揃う豪華な布陣だ。

一昨年に第二弾が開催されたときは、ものすごい人気だった。

…まさか、そのショーに誘われるとは。

俺は、スーハーと深呼吸を繰り返した。

……あっ、そうか。コロナのおかげで、ユリアやステファンを呼べないのか。

それにそれに、試合本番でもいつも肝心なときにパッとしなくて、同期のゆづや後輩の昌磨から大きく水を開けられた三番手のまま、その地位も危うくなっている俺。

兄弟子の大ちゃんが気にかけてくれたのかも。

「…残念やけど、無理せんで……」

「やりますっ!! やらせてくださいっっ!!」

同期のスーパースターの顔がちらりと脳裏をよぎったが、俺は勢いよくそう答えていた。

こんなチャンス、二度とない!



俺の出演がプレスリリースされた日、ゆづから電話がかかってきた。

……きたっ。

ワールド直前だっていうのに、ゆづには関係ないらしい。

予想していた俺は、できるだけ何気ないふりで電話に出る。

『けーじ、久しぶり。調子どう?』

「おー、元気、元気。」

ゆづの声は明るくて、他愛のない話を続ける。

こんなふうに電話がかかってくるようになったのは、いつからだろう。

最初はあまり気にしてなかったけど。

いつものように、お互いの近況報告をし合う。

俺は、さりげなく大ちゃんの話題を出した。

大ちゃんとは、大ちゃんが現役復帰してから、同じリンクで一緒に練習する機会も多かった。

『へーぇ。新しいリフトに挑戦するんだ。』

途端にゆづの声が嬉しそうになる。

「そうそう。すっごい身体作りもしてて。もうムキムキ。カッコいいぜ?」

『ふふふ。』

ゆづは、俺から大ちゃんの近況を聞くまでは、電話を切らない。

それに気付いてから、俺は知らないフリで、俺の近況と大ちゃんの近況を織り交ぜてゆづに教えてあげている。

『そういや、大ちゃんのショー、けーじも出るんでしょ?』

……キタキタっ!

俺は、ゆづに分からないように深呼吸した。

「うん。今からもう、ドキドキ。」

『…どんな役なの?』

「あー…、まだよく分からないんだ。」

これはホント。

その時の俺は、まさか数ヶ月後に抜き差しならない事態に陥るとは、予想もしていなかった。



ゆづと大ちゃんがもしかして…、なんて思うようになったのは、大ちゃんがシングルを引退した全日本のときからだ。

上手く言えないけど、それより前にも、あれっと思うことはあった。

思い返せば、ゆづは小さい時から、大ちゃんが大好きだった。

ただ、ゆづの成長と共に、大ちゃんのライバル認定されて、ファン同士の苛烈なバトルに巻き込まれ、公の場で一緒になることは少なくなっていたけど。

…まぁ、ゆづも大ちゃんも、タイプは異なるものの、どっちも稀有な才能の持ち主だからなぁ。

平昌くらいまでは、ゆづの口からも、大ちゃんのことはほとんど話題にのぼらなくなっていたのに。

カメラの前で堂々と手繋ぎ周回なんていう荒技をやってのけ、観客だけでなくその場にいた俺たちの度肝を抜いた2人。

いや、練習のときもカメラが回ってないところで楽しそうに手を繋いでたけど、まさか本番でやるとは思わないでしょ!?

俺は、いちおうエキシも含め、すべてが終わった後に、大ちゃんにお疲れさまを言おうと思っていたんだけど(尊敬する先輩だし同門だし)、2人の作り出す雰囲気にノックアウトされて、声をかけるどころじゃなかった。

それでも、着替えて最後に挨拶くらいはしておこうと、大ちゃんの姿を探していたとき。

似た人影が見えた気がして、後を追おうとすると、ぐいとジャージを引っ張られた。

「…あれ、昌磨。」

小柄な身体に似合わず、大きな目を瞬かせて、迫力満点で俺を見上げる後輩。

「……そっちは、今ダメ。」

短く答えて、俺を反対方向に引っ張って行く。

「……もしかして、ゆづと一緒?」

「…………」

思わず口に出してしまったけど、昌磨は黙ったまま、俺の手首を掴んで、ぐんぐん歩いて行く。

俺もそれ以上は聞かなかった。

聞いちゃいけない気がしたんだ。



そんなこんなで、ワールドに続き、国別も補欠のまま迎えた俺は、相変わらずパッとしないまま今季を終えることはほぼ確定だった。

けど、このまま終わることなんかできない。

何より、目の前に30歳を超えてから4年のブランクをものともせずに現役復帰して、なおかつ新しいことにチャレンジしている大先輩がいる。

その大先輩は、本番に放つオーラを見事に封印して、柔和な顔でショーの打ち合わせをしている。

リモートだけど、オンの時もオフの時も、相変わらずめちゃくちゃ格好いい。

「じゃ、次、ミラーいくね。」

「は、はいっ。」

俺と大ちゃんのパート。

俺としては、群舞でも充分やりがいのあるショーなんだけど、なんと、今回は大ちゃんとのデュエットパートがある。

男同士のペアで、かつその相手は大ちゃん。

俺は添え物確定だけど(それに何の文句もないけど)、大ちゃんの足を引っ張ることだけはあってはならない。

俺は、居住まいを正した。



「けーじ、大丈夫か?」

全力での打ち合わせの後、茫然自失で脱力している俺に、大ちゃんが心配そうに話しかけた。

……いやいや、心配しないといけないのはアンタでしょーがっ!

俺は、思わず心の中で叫んだ。

ミラーのコンセプトは、俺の想像を遥かに超えていた。

世の中の大ちゃんファンを敵に回したくない。

けど、それより怖いのが、ゆづだ。

「……あのう……大ちゃん。」

「ん?」

「このコンセプトって、まだ秘密ですよね?」

「うん。」

大ちゃんは、にっこりした。

おそるおそる尋ねた俺が、何を心配しているのか、まったく分かっていない顔だった。

「誰か…その、仲のいい人とかに、言ってます?」

「あぁ、あかんあかん。直前のプレスリリースまで内緒やで、けーじ。」

……いやいや、俺じゃなくてっっ。

ゆづにちゃんと断りを入れてるのかって聞いてるんだーっ!!

俺の心の叫びは、当然ながら大ちゃんにはまったく伝わらず、俺もそれ以上は何も言えずで、そのまま通信が切れてしまった。

…はぁ、俺ってわりと気が小さいのに、身体はこんなにでかくて、かつ表情に出ないんだよね。

どうすればいいんだろう。

俺は、ゆづからの電話がかかってこないことを一心に祈った。



俺の祈りが神に通じたのか、ゆづからの電話はなかったけれど、ある日リンクに行ったら、ゆづがいた。←なんでだ(泣)

けーじ、と嬉しそうに滑ってきたゆづは、ほっぺたがピンク色で、にこにこしている。

「わっ、ゆ、ゆづ。びっくり!」

「えへへ。大ちゃんに連れてきてもらったんだ。」

ゆづは、なんだかとっても嬉しそうだった。

「あ、あ、そうか…、国別で大阪来てたもんな。お疲れさま。」

「うん。」

ゆづは、かなちゃんと練習している大ちゃんをなんともいえない甘い表情で見つめている。

…な、何があったんだろう。

大ちゃんも、時折俺と話しているゆづの方に視線を投げている。

一瞬だけ見つめ合う2人。

ピンク色のハートビームが出たような気がして、俺は目をパチパチした。

……今の、なに?

「そうだ、けーじ、スターズよろしくね。氷艶もあるから大変だと思うけど。」

ゆづの声に相槌を打ちながら、俺はなるべく俺と大ちゃんのデュエットパートの詳細がゆづに伝わるのが遅くなることを願った。

こんなこと、俺の口からはとても言えないっ。



戦々恐々としながらスターズ出演のために上京した俺は、本番のゆづのフィナーレ衣装を見て絶句した。

「おっしゃ、けーじ、最後まで盛り上げていこう!」

座長を務めるゆづの存在感は抜群で。

そのテクニックも人気の凄さも文句のつけようがないんだけど。

「ゆ、ゆづ…っ、ゆづ…っっ」

出待ちの間、俺はどう言えばいいのかも分からないまま、ゆづを呼んだ。

「そ、その衣装…、その…、その……」

「あぁ。」

ゆづは、照れたように笑った。

「俺、衣装合わせの時間、あんまり取れなくてさ。昨年のサイズを基に作ってもらったんだけど、思ったより筋肉ついてたみたい。…ヘンかな?」

「い、いや、いや、カッコいい。」

カッコいいけど…、いいけど、ち、ち、チク○が……

「す、透けてる……」

「……え?」

首を傾げたゆづに、スタッフがスタンバイの合図を出す。

ゆづは、にっこりして俺に拳をぶつけると、出入りの幕の方に滑っていった。

……大ちゃんが見たらどうなることか。

あ〰︎っ、もう、知らんっ!!



なんとか平常心で(?)スターズの出演を終えた俺は、引き続いて氷艶の練習に参加した。

荒川さんから聞いてはいたけど、これまでとはまったく異なるアイスショーだということが骨身に染みる。

覚えないといけないこと、練習しないといけないことが山積みだ。

その中でも主演の大ちゃんがこなす量は半端なくて。

……ほんとにこんなこと、1年おきにやってたのか?!

俺の最大の見せ場は、やっぱり大ちゃんとのデュエットだ。

稽古中の俺は、必死に大ちゃんについて行った。

「ええねぇ。…あ、そや、キスシーン、入れよか。」

なんですと?!

「もー、賢二せんせ、言うと思ってたわ。」

振り付けの賢二先生の言葉に絶句している俺とは対照的に、大ちゃんはノリノリだ。

「大丈夫や、けーじ。フリだけやから。……こんな感じかな?」

…わ、わーっ、わーっ(大汗)

突然ドアップになった超絶イケメンに、俺は焦って思わず仰け反り、バランスを崩して尻餅をついてしまった。

「おいおい、大丈夫か?」

大ちゃんが笑いながら、手を差し出してくれる。

賢二先生も笑っているけど、笑い事じゃないからっ!!

……ゆづが知ったらどうなることか。

大ちゃん命なゆづが、面と向かって大ちゃんに文句言うわけないし、矛先は俺に向かうに決まってるだろ!?

俺は、無駄と知りつつ、ゆづになるべくバレませんように、と祈るしかなかった。

バレるとしても、できるだけ遅くしてください。(泣)



ミラーの衣装合わせは、大ちゃんと一緒にやった。

「なぁ、けーじ。」

衣装さんに聞こえないように、大ちゃんが声をひそめる。

「スターズのフィナーレの衣装さぁ。」

…き、きたっ。

俺は思わず息を止めた。

「…なんかちょっと、スケスケやなかった? 気になったん、俺だけ?」

「…い、いやぁ……」

冷たい汗が背中を流れていく。

「しかも、なんか、ピッチピチの奴とかおったやん。」

……ハイ、それはゆづです。

「誰も言うてやらへんのか?」

「あー…、今回は時間がなくて…色々バタバタだったんで……」

「…まぁな。コロナのおかげで、ギリギリまで予定が組めへんもんなぁ。」

大ちゃんは、それ以上は何も言わなかったけど。

……もしかして、キスシーンはその仕返しですか?

そう思ったものの、俺はとてもじゃないけど、それを大ちゃんに確かめることはできなかった。




リュクス開幕まで2週間を切った頃。

俺の願いが通じたのか、ゆづからの音沙汰はなく。

俺は、ちょっぴり後ろめたさも感じつつ、今まで経験したことのない刺激的な毎日に、夢中でやるべきことをこなしていた。

このカンパニーの一員になれたことは奇跡だと思う。

コロナのおかげで、規模は小さくしているらしいけど、リュクスの番宣も多くなってきて、ネットをチェックするのが日課になっていた俺は、ある記事を読んで固まった。

大ちゃんのリュクス開幕に向けたインタビュー記事。

『ちょっとBLちっくなシーンもありますし。』

……大ちゃぁあん(泣)

せめて本番までは平穏に過ごしたいという、俺のささやかな願いをぶち壊したのは、あろうことか尊敬する大ちゃんだった。

俺は、がっくりとうなだれた。

ブルブルとスマホが震える。

ディスプレイには、これまた尊敬する俺の同期の名前が。

ついに来てしまった。

「も、もしもし、ゆづ?」

『けーじ、元気? 今、邪魔じゃない?』

「だ、大丈夫。」

俺の心臓はどきどきと脈打ち、額には脂汗が滲み始めたけれど。

俺は努めてにこやかに応じる。



(はっきり言われてないけど)ただならぬ仲のスーパースター2人の間で心の休まる暇もないオフシーズン。

でも、こんなふうに2人の天才と同じ時間を過ごせるのは、すっごく贅沢なことなんではないかと。


いつか笑って思い返せる日が来ることを祈りつつ。



終わり


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