Put on Your War Paint
……やば。
ショートを終えたゆづの顔をテレビ画面で見たとき、俺は背筋がぞくっとした。
……これ、なんかやばいやつや。
ぱっと見、爽やかな笑顔やけど、目が笑ってへん。
俺のゆづセンサーがピコピコと赤ランプを点滅させている。
試合前に送ったメールに返信はなくて、でもゆづのことやから試合に集中してるんやろうと、あまり気にしてなかった。
ほとんど完璧に近い演技やのに、なんでこんな怒っとるん?
俺、何かやらかした?
情けないことに、こういうときに頼れるのはノブしかおらんかった。
ノブ自身も今色々大変なんは分かってるんやけど。
アワアワして電話をかけた俺に、ノブは嫌な顔ひとつせず、うんうんと話を聞いてくれた。
「…それでな、ゆづが何に怒ってるんか、心配になってしもて……」
「…………」
電話口の向こうで、一気にどよんと重くなった空気に、俺は口をつぐんだ。
「……ごめん、それ、俺のせいかも……」
「え?!…え??」
頭の中がハテナだらけにらなってしまった俺に、ノブは申し訳なさそうに謝った。
「…俺がモラハラ受けてた女性コーチ、歌子先生って噂があって……」
「…………」
そのことは俺も知っていた。
けど、ただの根も葉もない噂や。
気にすることなんかあらへんのに。
「…大ちゃんの大事なシーズンに歌子先生に濡れ衣着せてしもたんを、怒ってるんやないかなって、俺……。ゆづ、こっちで会っても目合わしてくれへんし……」
「いやいや、そんなん……」
正直言って、俺はホームリンクで起こっているあれこれに、まったく関与できていない。
現役復帰してから、仕事は減らしたものの、そのぶん練習とショーの準備と宣伝のためのテレビ出演やら何やらに追いまくられ、自分のことで精一杯やった。
ノブが苦しい思いをしてたことにも全く気付いてやれんで。
「ノブ、自分を責めんなよ。ゆづはそんなことで怒らへんって。」
「でも……」
ノブはぐすんと鼻をすすった。
「大ちゃん…、俺、いっぱい考えて、悩んで…。今でもどうしたらええか分からへんねんけど、…俺がこれから何をしても許してくれる?」
「…え? あ、もちろんや。俺はいつでもノブの味方やで。」
そのときの俺は、ゆづの怒りの原因を探すのに必死で、ノブが何を言おうとしているのか、よく分からないままに返事をしてしまった。
ゆづは、翌日のフリーも神がかった演技で周りを圧倒した。
本来なら喜ばしいことなんやけど。
以前、何回尋ねても教えてくれへんかったエキシナンバーを知ったとき、俺はまた血の気が引いた。
俺とゆづが一緒に出た最後の大きな試合。
ソチオリンピックのショートプログラム。
これはゆづの宣戦布告だ。
…誰に?
……お、俺?!
怒ったゆづを放置しておくと、大変なことになる。
俺は、決死の覚悟でゆづに電話した。
『あ、大ちゃん。…見た?』
「み、見た、見た。」
『どうだった?』
「す、すごかった!ええと…なんて言うか、と、とにかく、すごかった!」
『ふん、ざまぁみろっ。』
「??!?」
『俺はな、五輪金メダリストなんだよ!しかも、ソチと平昌、2回獲ってんの。分かる?』
「あ、あぁ…、そや、そや。」
『ソチで影も形もなかったくせに、平昌出たからって、調子に乗るなっての。メダリストと4位以下は、天と地の差があるんだかんなっ。俺と大ちゃんはメダリスト!んでもってライバルなんだからっ。」
「…………」
ん?
まったく話が見えないながら、ゆづの剣幕に口を差し挟むこともできず、俺は目を白黒させていた。
誰のこと言うてるんや?
『俺、ぜぇっったい、負けないから!大ちゃんとペアになることはできなくても、大ちゃんの隣にいてもいいのは俺!!俺だけなんだからなっ?』
一方的にまくしたてられ、がちゃんと勢いよく切れた電話に呆然としていると、またすぐに電話がかかってきた。
『言い忘れてたけど、一緒に出かけたら必ずインスタに写真上げろよ。俺に黙って会ったりしたら、許さないからっ!』
アホな俺は、そこまで言われてようやく気が付いた。
ゆづの怒りの原因。
俺のアイスダンスのパートナー。
……ゆづを怒らせたんは、やっぱり俺や。
俺は、慌てて弁解のためにゆづに電話をかけたけど、コール音が虚しく鳴るだけだった。
ゆづ。
俺のわがままを黙って受け入れてくれた。
不安にさせてごめんな。
けど、不安になる必要なんか、これっぽっちもないのに。
俺は、ゆづにメールを送った。
大好きやで、という普段は恥ずかしくてあまり使わない言葉を添えて。
俺にできるのは、ゆづとの約束を守ることだけだ。
嫉妬されて、ちょっぴり(ほんのちょっぴり)嬉しかったことは黙っとこ。
終わり