光る君
褥に温かな身体がそっと潜り込んでくるのに気付いて、結弦は目を覚ました。
寝返りを打つ素ぶりで、その人の胸元に顔を寄せる。
「…起きていたのか。」
言葉少なに声をかけたその人は、普段よりも一層物憂げだった。
「たった今、起きたのです。」
そう囁いて、緩く合わせられた夜着から覗く鎖骨に頬を擦り付ける。
「どうしたのだ、怖い夢でも見たのか?」
かすかに笑う気配がして、温かな腕が力強く結弦を包む。
結弦は、ほうっと満足げに息を吐いた。
「光る君……」
都でも宮中でも、まみえた者が皆憧れを込めてその人を呼ぶ様を真似て、唇を寄せると、その人は苦笑して、優しく唇を啄ばんでくれた。
「その呼び方はよせ。…紫。」
「……大輔さま。」
仕返しのように、かりそめの名を呼ばれて、結弦は白い頬を膨らませた。
くつくつとその人が笑う。
「……結弦……」
膨れたままの頬を指先で撫でて、大輔は結弦の華奢な身体を抱きしめた。
この身体つきと、色白のあまりに麗しい容貌のせいで、出会った時は女子だと思い込んでしまったのだ。
なぜか結弦も何も言わずに、大輔が名付けた紫という名を受け入れたため、誤解に気づいたのは、随分経ってからだった。
以来、結弦は表向きは女性として、大輔に育てられている。
「そなたのおかげで幾分気が晴れた。」
「今日は中将さまと、青海波を舞われたのでしょう?」
屋敷中の誰も彼もが、その日光る君が披露したこの世のものとは思えないほど美しい舞について、口々に褒めそやしていた。
「私も見たかった……」
「…………」
しかし、当の本人は、華やかな顔に再び鬱々とした影を宿して、不機嫌そうに黙り込んだ。
どうやら取り上げる話題を間違えたらしいことに気付いて、結弦はこっそりとため息をついた。
今日の催しに藤壺宮がいらしていたことを失念していた。
今生の帝の寵愛を一身に受ける妃。
光る君が叶わぬ想いを寄せるお方だ。
「今度、青海波を教えてくださいませんか。私も大輔さまと舞ってみたいです。」
無邪気を装って大輔に甘える。
「そなた、男に戻るのか?」
大輔は、驚いたように目を見張った。
「ふふふ。」
結弦はいたずらっぽく笑うと、さぁ?と小首を傾げて見せた。
「どういたしましょう。」
「……おいおい。」
今までのように側には置いておけないのかもしれない。
そんな考えがふと頭をよぎって、大輔は形の良い眉をしかめた。
いつの間にか、結弦の存在はなくてはならないものになっていた。
「…どこにも行くな。結弦……」
思わず結弦を抱く腕に力がこもる。
結弦は、にっこりと微笑んだ。
「行きませんよ。」
大輔の頬に両手を添えて、顔を近づける。
「ずっと、貴方の側に……」
「結弦……」
先ほどよりもしっとりと合わせられる唇に、身体の内が熱く熱を持つのを感じて、大輔は身じろいだ。
……いつか、すべて奪ってしまうかもしれない。
「いつまでも子ども扱いしないでください。」
大輔の考えを読んだように、結弦の涼やかな瞳が妖しい光を宿す。
「……そなたには敵わぬ。」
大輔は、苦く笑って、結弦の身体を注意深く離した。
「もう寝なさい。」
「…………」
大輔にはぐらかされたことに気付いたが、結弦は黙って目を閉じた。
『そなたも独りなのか。』
初めて出会ったとき、遠慮がちにかけられた声が蘇る。
その美しい姿に滲む深い孤独に、どうしようもなく惹かれたのだ。
『ならば、私と来い。』
差し出された手を取ったときから、全てを捨てても側にいたいと願った。
大輔の心が他にあると知っても、その気持ちは変わらない。
たとえこの先、どれほど苦しくなろうとも。
もの想うに 立ち舞うべくも あらぬ身の
袖打ち振りし 心知りきや
交差するのは、互いの想う心。
向かう先が違っても、想いはそこに在り続けるから。
大輔の指が優しく結弦の髪を梳く。
今宵は、結弦だけに向けられるその優しさを、結弦は嬉しいと思った。
終わり
※素敵なアイデアを使わせてくださったぴぴまま様に感謝いたししますm(_ _)m。