月光かりの如く
『もー、なんで言ってくれないんだよ。ネットニュースで驚く俺の身にもなってよね。』
仮にも俺、コイビトなのにさ。
ぶちぶちと小言を言う可愛い唇がとんがっているのが目に見えるようで、俺は思わず微笑んだ。
『聞いてんの?大ちゃん!』
「聞いとる聞いとる。」
『もぉ、大ちゃん、いっつもそうなんだから。引退のときも現役復帰のときもさ、いつも何にも言わないで決めちゃってさぁ…』
深夜に電話をかけてくるから、何事かと思ったら。
今日日本でプレスリリースした、俺が出演する夏のアイスショーの内容を、俺の口から直接伝えなかったことがいたくお気に召さなかったらしい。
「お前、ワールド前やん。あんま煩わせたくなかったからさ。」
『そういうことじゃないんだよ!』
「……はいはい。」
『ハイは一回!』
余計に怒らせてしまったらしい。
『ノブくんもカナコも、最近メールしたばっかりなのに、なんにも言ってくれないんだよ?』
ひどくない?
結弦の怒りは俺以外の出演者にも飛び火していった。
「…そらお前、初演の時に散々文句言うたしちゃうん?」
『文句じゃないもん。羨ましいって言ったの!』
「あー…、まぁ、そうとも言うね……」
今回のショーは再演だ。
初演のとき、結弦はそのショーをとても気に入って、共演したスケート仲間の顔を見れば俺も出たかったとか、俺ならこうするとか、あれこれ言って困らせていたのだ。
…まぁ、スケジュール的に現役選手の結弦には無理やったんやけど。
そこまで思い返して、俺は遅ればせながらハッとした。
「ゆづ…、もしかして、お前も出たかったり、する?」
『…………』
結弦は、しばらく黙った。
やがて、でも無理だもん、と小さな声で呟くのが聞こえて、思わず頬が緩んだ。
可愛いやつ。
どれだけ結弦がきゃんきゃん吠えても、俺には可愛い睦言にしか聞こえないときがある。
まさしく、今がそうだ。
「じゃあさ、ゆづ、もし出るとしたら何の役がええん?」
『……え…』
スマホを片手にきょとんと目を丸くしているのが見えるようだ。
「やっぱ光源氏かなぁ。お前の狩衣姿、サイコーやったもんな。」
『ええー、俺、主役とか絶対イヤだ!!』
「……何を言うとんのや。」
結弦のキャリアと人気で、主役以外の何をするというのか。
『どうしてもっていうなら、大ちゃんとW主演みたいなのがいい!』
結弦は少し興が乗ってきたようだった。
「…ふーん、ほな。朱雀帝か?」
『ええー、大ちゃんのライバルとか、ぜぇっったいっ、い、やっっ!!!』
鼓膜がキーンとなるほどの大声に、思わずスマホから耳を離す。
「わ、分かった…。ほな、頭中将にするか?親友やで?」
『…………』
結弦は、また黙った。
やがて、小さな小さな声で告げられた役名に、俺は少し驚く。
「ゆづ…、それって……」
『いいじゃん、夢なんだからっ。どうせ無理なんだから、ほんとの気持ち、口に出すくらいいいでしょ?!』
「あ、あぁ……」
『それにそれに、松浦は、実は男なんだけど光源氏に恋して…って話でも不自然じゃないじゃん。紫の上だって、年齢差はばっちりだしさ!俺、女装もがんばればまだイケるもん!』
「そやな、うんうん…」
このキャストなら、松浦か紫の上——。
一生懸命言い募る結弦に、愛しさが溢れる。
「いつか、ほんまに一緒にできたらええな。」
『…ほんと?』
「ワールド終わったら、練習相手してぇな。」
『…うんっ!』
結弦の声が弾む。
ほんまに、可愛いやつや。
先ほどまでとは打って変わって、ご機嫌に話し始めた結弦に相槌をうちながら、ベッドに仰向けになると、窓から半分になった月が見えた。
今はまだ、夢物語だけれど。
いつか。
たとえこの恋が、太陽の下に出ることはなくても。
今宵この夜、静かな光に照らされて、想いは確かにここに在るから。
「…なぁ、ゆづ。俺な、いま月が見えるねん。」
『…大ちゃん?』
「半月やけどな。半分は見えへんけど、確かにある。…俺の気持ち、信じてな?」
結弦の声が、震えながら俺の名前を呼ぶ。
俺は、微笑んでそっと目を閉じた。
終わり