無印編
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「今日は何してあそぼうか。おにごっこ?それとも、かくれんぼ?」
この城に来てから、何日が経っただろう。
カミサマと戦った三蔵たちだけど敵わず、逃走した。
初めての敗北。
身体以上にきっと心が、プライドが、切り裂かれた。
そして、経文だけでなく、いまだ私もこの城に囚われている。
一人で勝手に悟浄を追いかけて、敵に捕まって、傷付いたみんなのそばにいる事さえ出来ない。
自分の不甲斐なさに、涙が込み上げてくる。
泣いてる場合なんかじゃ、ないのに。
「え!ママ、泣いてるの?どうしよう……僕、女の子の慰め方なんて先生から教えてもらってないよ……」
「……ここから出してくれたら、泣き止むかも」
「うーん、それは出来ないなぁ」
カミサマが私の正面にしゃがみ込んで、頭を捻る。
目に入ったのは光明様とも三蔵とも違う、薄い金の髪。
ぬるりとした感触に気がつけば、目元の涙を赤い舌で拭い取られていた。
「しょっぱい」
「な、涙は舐めるもんじゃありません!」
「あはは!ママに怒られちゃった。でも、ホラ止まったでしょ?ナミダ」
カミサマの言う通り、驚きで涙は引っ込んでいた。
まるで悪戯が成功した子供のように、無邪気に笑う。
カミサマは敵だ。
彼が金閣銀閣に、三蔵たちにした事を忘れたわけではない。
それでも、私は無下に扱う事など出来なかった。
「貴方、本当の名前はなんて言うの?」
「ママは質問が好きだね。それもヒミツ。でも、なんで?」
「貴方の事が、もっと知りたいの」
カミサマは目を丸くして、瞬きする。
突然、がばりと抱きつかれて、勢いに耐えきれずうしろへ倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっと、」
「俺、そんな事言われたの初めてだよ」
うれしそうに目を細めて、またぎゅうぎゅうと抱きつかれる。
こんな事思うのは変かもしれないけど、まるで大型犬に懐かれた気分だ。
それじゃあ教えてあげる、とカミサマは内緒話でもするように耳元でささやく。
「これはね、先生とのゲームなんだ」
「ゲーム?」
「そ。俺が勝ち続ける限りずっと続く、ゲームなんだ」
「そんなのって、」
「ねえ、ママ。ここにずっといてよ。ママと先生がいれば、俺は他に何もいらないよ」
表裏のないカミサマの言葉に、眉を落とす。
カミサマにとって、その先生の存在は絶対的だ。
ゲームと称して、人の命を奪う事さえも簡単に出来てしまうほど。
ふと、カミサマが起き上がり扉の方を見つめて笑った。
「へぇ、懲りずにまた来たんだ。あきらめの悪いお兄さんたち」
三蔵たちが来た。
必ず来ると、信じていた。
取り戻しに来たのは、経文や私だけじゃない。
カミサマは私の手をぎゅっと握って、顔をほころばせた。
「大丈夫。ママの事は、僕が守ってあげるから」
◇
天井が開いて、勢いよく落ちてきた人影に目を向ける。
「三蔵!みんな……!」
山積みのおもちゃの上にいるのは三蔵、悟空、八戒、悟浄の四人。
ちゃんと四人、そろっている。
「名前!無事か!?」
「みんなこそ、」
駆け寄ろうとしたところ、カミサマの腕により阻まれる。
カミサマの笑い声が、部屋中に響き渡った。
「あはははは!すごいすごい!こんな早さで、ここにたどり着いた人たち初めてだよ!……それで?経文を取り戻しにきたの?それともママ?」
「あらま、名前ちゃん。いつの間にそんな大きな子供産んじゃって」
「んなもん、決まってんだろ!」
「奪い返しに来ましたよ」
「両方をな」
銃声が鳴り響き、戦闘が始まった。
繰り広げられるのは、今まで見た事のない四人の連携プレー。
「名前」
真っ直ぐとした声に名前を呼ばれて、三蔵と視線が交わる。
紫暗の瞳には、強い光が宿っていた。
「今度は勝つ。必ず取り戻す。だから、見ててくれ」
「……うん、見てるよ。ずっと」
祈るように、胸の前で両手を握りしめた。
「〜!何度やったって同じだよ!どうせ僕に……ママにすら指一本触れられないクセに!」
カミサマの数珠の攻撃に幾度となく血を流すも、何度も、何度も立ち上がる。
誰一人、あきらめていない。
「いい加減にしなよっ、もー!しつこいと女の子に嫌われるって、先生が言ってたぞ!ねえ、そうでしょママ!」
「うこく、だったな」
三蔵の口から出た名前に、胸が詰まり、息が止まる。
烏哭、様。
「ようやく思い出したぜ。金山寺に来る度、名前にちょっかいかけてたあの野郎……ムカつく事は忘れる性分なんで、ずいぶん手間取ったがな。憶えてないのか?こんな風に遊び相手を探していただろう」
三蔵とカミサマが出会ったのは、十年前。
その時、カミサマと一緒にいた先生が、烏哭。
「わざとらしい軽口、含みを込めた耳に残る声、深い闇のような漆黒の髪と瞳。そして、天地開元経文のひとつ、無天経文の所有者……烏哭三蔵法師」
懐かしくて、哀しくて、うれしくて、苦しくて。
いろんな感情があふれて、握る両手の指先に力が入る。
どうしてだろう。
三蔵法師と聞いて、烏哭の事を思わなかったのは。
きっとどこかで、否定したかったのだ。
こんな非道な事をさせているのは、烏哭ではないと。
本物の三蔵法師でない事を指摘されたカミサマが怒り叫んで、オモチャの兵隊たちが動き出す。
カミサマ曰く、それは魂を物質に変えたもの。
つまり、今まで奪ってきた人の命。
「ねぇ?すごいでしょ、先生は。こんな事まで、僕に残してくれたんだ。全ての生命は神様の玩具なんだって」
今ここに烏哭がいたら、そんな事はないと伝える事が出来たのに。
オモチャたちにねじ伏せられながらも唱えた魔戒天浄により、命を浄化しながら経文が三蔵の元へ返っていく。
「来い!名前!」
見えたのは、太陽のひかり。
無我夢中で駆け出して、三蔵の差し伸べられたその手をつかんだ。
その勢いのまま、腕の中へと力強く抱き止められる。
三蔵がしぼりだすような声で、口を開いた。
「この俺が、何十年この人を追い求めてきたと思ってやがる……幼子の頃から姉や母のように育ててくれたからとか、そんなちっぽけなモンじゃねえ。名前が、名前だからだ。これは俺の意志。おもちゃが何だって?てめぇにくれてやるモンは、ねぇんだよ。何ひとつな」
「っ!返せよ!ママは僕のだっ!」
悟浄、悟空が相打ち覚悟で立ち向かい、最後に数珠を直に受けた八戒の陰から、私を抱えたまま三蔵がカミサマを撃ち抜く。
「う、あっ、あ、あぁああぁあッ」
悲痛な叫び声を上げて、バラけた数珠とともにカミサマは崩れ落ちる。
戦いが、終わった。
「無一物、という言葉がある」
それは、かつて私も光明様から説かれた言葉。
何よりも捕らわれていたのは、無一物の言葉そのものだと三蔵は語る。
「迷いはない。俺には俺の生き方が、玄奘三蔵の称える無一物がある」
血を流して倒れたカミサマの、泣き出す姿が目に映った。
「……わかんない、わかんないよそんなの。俺にはなんにもないのにッ、君は色んな物持ってるじゃんか!ママだけじゃなく、あんなにたくさんっ!ズルいよそんなの……ねぇ、俺に頂戴?」
宙へ腕を伸ばすカミサマに、三蔵が近づいてかすかに笑う。
「やらねぇよ」
「……ケチ」
私は膝をついて、カミサマのその手をつかんで握りしめた。
「ママ?」
「あんなに一緒にいたのに、自己紹介まだだったね。私は名前」
「名前……そうか、思い出した。お姉さんが名前か」
首を傾げるも、カミサマはただ一人小さく笑う。
地鳴りがして、パラパラと天井から破片が崩れ始めた。
「地震!?」
「違うよ。ぜんぶ壊れて消えちゃうんだ……ゲームはもう、終わったんだから。先生と俺との約束。俺が負けるまでのゲーム……先生の遊んでる、ゲームなんだ。早く逃げないと、お城ごとペシャンコだよ」
私はカミサマの身体を起こそうと、背中に腕をまわす。
「名前……?」
「一緒に行こう、外へ」
「なんで?」
「なんで、じゃねぇ!それじゃあ、金閣銀閣となんも変わんねぇだろうが!振り回されたこっちはいい迷惑なんだよ、行くぞオラッ」
悟浄も来て、肩の下へと腕をまわして立ち上がらせる。
そんな私と悟浄を、カミサマは突き放した。
「ごめん、いいんだよ俺……ここで待ってるんだ」
「でも!」
「危ない!二人共!」
八戒の言葉に、悟浄とともに避けると瓦礫が落下してきた。
それはまるで、カミサマと私たちを遮断するように。
「……名前だけじゃなくて、紅髪のお兄さんも優しーじゃん」
「ケッ、言ってろよ」
「おい行くぞ!時間がないっ」
今にも崩壊しそうな中、四人が走って扉へ向かう。
私はみんなに気づかれないように、踵を返した。
また近くで瓦礫が落ちる中、カミサマを立ち上がらせようとするが、静かに首を横に振られる。
「もういいんだ、名前」
「よくない!ゲームは終わっても、人生は終わらないの!」
声を荒げる私を見て、カミサマは驚いたあと力なく笑う。
「はは、最後まで優しいんだね、名前は。先生の言う通りだ……ねえ、俺わかってたんだ。先生が俺にくれるものは、ぜんぶ先生がいらなくなったものだって」
「……ごめん、ごめんね」
「なんで、名前が謝るの?」
「だって、」
「先生」
カミサマの言葉に、時が止まった。
ゆっくりと顔を上げると、いつの間にかステンドグラスを背景に佇む人影。
ネクタイに白衣、うしろへ流した髪、出立ちこそ違うものの、その漆黒の瞳は。
「烏哭、様」
「ただいま、名前さん。会いたかったよ」
会いたかった。
会いたくなかった。
なぜ、とかどうして、とか。
聞きたい事、言いたい事はたくさんあった。
「いやホント、ちょー久しぶり。それにしてもすごいなぁ、本当にあの時の姿そのままだ。さすが、異界のウサギちゃん?」
乾いた音が鳴り響く。
私を見下ろして笑うその頬を、引っ叩いた。
口の端を上げる烏哭だが、視界がにじんでぼやける。
「……月へ還ってる間、忘れちゃった?ひどいなぁ、僕の下であんなに気持ち良くよがってたのに」
「先生」
「ん?」
「ごめん先生、負けちゃった。俺……死ぬの?」
「うん。もってあと三十分くらいかな。ここが崩れる方が早いだろうね」
煙草をくわえたまま、何の気なしに烏哭は答える。
「先生、神様っているの?」
「いないんじゃ、ないかな」
「……よかった。じゃあね、名前。会えてよかったよ、バイバイ」
最期に見たのは、純真なカミサマのきれいな笑顔。
轟音とともに、ステンドグラスが割れて粉々に砕け散った。
突如、音のない暗闇に包まれる。
先ほどまでいた部屋の光景が、地鳴りが、嘘のように消えた。
身体を抱かれている感触に顔を上げると、烏哭が微笑んでいた。
「消えたのは僕らの方さ。それよりも名前さんはさ、どうしてまたこの世界に、桃源郷へ戻って来れたと思う?」
真っ暗闇の中、烏哭の声だけが耳元に響く。
「僕が呼んだんだよ。無天経文を使って。ま、途中で誰かに邪魔されちゃったのは、想定外だったけどね」
あの日の記憶が蘇る。
たしかに、私はずっと誰かに呼ばれていた。
ふいに、近くなる煙草のにおい。
唇にふれる感触と、ぬるりと侵入してきた熱に、逃げようとするも後頭部に手をまわされる。
烏哭との口付けに、頭のどこかで懐かしさを感じる自分がいた。
「んっ、……や、……!」
「……いいね。やっぱり変わらないなぁ、名前さんは」
唇が離れて乱れた息を整える中、舌なめずりする烏哭に頬から首筋をなでられる。
急なまぶしさに閉じた目を開けると、いつの間にか青空の下にいて、居城は跡形もなく瓦礫の山と化していた。
烏哭は私を降ろして、転がり落ちていた金冠を拾う。
救えなかった、あの子を。
「光明も、おもしろいものを残してくれたよね」
「光明様……」
愛する人の名前を口にして、胸が張り裂けそうになる。
わかっていた事なのに。
烏哭を前にして、あの幸せな日々はもう戻って来ないのだと、改めて思い知らされた。
「やっぱり賭けはまだ続いてるね」
「……賭け?」
「そ。ふたつとも。あー、またそんな顔して。今すぐ連れ帰ってシたいのは山々なんだけど、僕まだ你博士だし。まあ何もしなくても、名前さんの方から来てくれるし、ね?」
「一体何を、」
「近いうちまた会えるって事。だから、それまで預けておくよ。……ああそういえば、神様はいないって言ったけどアレ、間違いだったなぁ。だってキミは、」
僕の女神様だから。
また一度ふれるだけの口付けを残して、烏哭は闇の中へと消えていった。
苦い、煙草の味だけが残る。
「あ、名前いたッ!おーい!」
「は〜まったく、肝が冷えたぜ」
「本当ですよ……」
悟空たちの呼び声に我に返り、勢いよく振り返る。
血塗れで傷だらけでボロボロだが、みんな生きている。
生きて、四人がそろっている。
「あー、名前が無事ってわかったら、なんかもう……」
「「「腹減った」」」
悟空以外の三人の言葉が重なる。
さて、行きましょうかと何気ない顔で八戒が促す。
「俺のセリフ取んなよ!おーい!って、名前?」
「どうかしました?どこか怪我でも……カミサマに、何かされました?」
顔を険しくする八戒に、勢いよく首を横に振る。
違うの。
「やっぱり四人は一緒じゃないと、ってうれしくて」
「違うだろ!」
一歩前に出た悟空に思いっきり否定されて、目を丸くする。
「五人、だろ!」
「悟空……」
「行くぞ、名前」
三蔵に呼ばれた瞬間、強引に腕を取られてぐいぐいと進んでいく。
再び経文を取り戻した、その背中を見上げる。
「……三蔵、怒ってる?」
「今度一人で勝手にいなくなったら、タダじゃおかねぇからな」
「タダじゃおかないって、お仕置きとか言ってナニする気?三蔵サマったら、ヤッラシー」
「元々てめぇのせいだろうが。殺すぞ、クソ河童」
「まあまあ、悟浄。名前がいないと使い物にならないんですから、生暖かい目で見守りましょう」
「八戒、貴様……」
「とか言って名前がいないとダメダメだったのは、八戒も悟浄も同じじゃん?」
「お前もだろ、チビ猿」
「へへッ、たしかに!」
「という訳で、名前。貴方がいないと僕ら壊滅的なチームなので、これからもよろしくお願いしますね」
「……はい!」
みんながいないとダメなのは、私も同じ。
やっと、三蔵一行の元に帰って来れたんだ。
繋がれた傷だらけの硬い手を、ぎゅっと握り返す。
足早に進んでいた三蔵の動きが、少しずつゆっくりになり山を降りた。
ジープの後部座席に乗せられて、運転席へ真っ先に座ったのは珍しい事に三蔵だった。
「地図、入ります?」
「いらん。進む方角はひとつだからな」
荒運転で騒がしく、私たち五人は再び西へと向かった。
この城に来てから、何日が経っただろう。
カミサマと戦った三蔵たちだけど敵わず、逃走した。
初めての敗北。
身体以上にきっと心が、プライドが、切り裂かれた。
そして、経文だけでなく、いまだ私もこの城に囚われている。
一人で勝手に悟浄を追いかけて、敵に捕まって、傷付いたみんなのそばにいる事さえ出来ない。
自分の不甲斐なさに、涙が込み上げてくる。
泣いてる場合なんかじゃ、ないのに。
「え!ママ、泣いてるの?どうしよう……僕、女の子の慰め方なんて先生から教えてもらってないよ……」
「……ここから出してくれたら、泣き止むかも」
「うーん、それは出来ないなぁ」
カミサマが私の正面にしゃがみ込んで、頭を捻る。
目に入ったのは光明様とも三蔵とも違う、薄い金の髪。
ぬるりとした感触に気がつけば、目元の涙を赤い舌で拭い取られていた。
「しょっぱい」
「な、涙は舐めるもんじゃありません!」
「あはは!ママに怒られちゃった。でも、ホラ止まったでしょ?ナミダ」
カミサマの言う通り、驚きで涙は引っ込んでいた。
まるで悪戯が成功した子供のように、無邪気に笑う。
カミサマは敵だ。
彼が金閣銀閣に、三蔵たちにした事を忘れたわけではない。
それでも、私は無下に扱う事など出来なかった。
「貴方、本当の名前はなんて言うの?」
「ママは質問が好きだね。それもヒミツ。でも、なんで?」
「貴方の事が、もっと知りたいの」
カミサマは目を丸くして、瞬きする。
突然、がばりと抱きつかれて、勢いに耐えきれずうしろへ倒れ込んだ。
「ちょ、ちょっと、」
「俺、そんな事言われたの初めてだよ」
うれしそうに目を細めて、またぎゅうぎゅうと抱きつかれる。
こんな事思うのは変かもしれないけど、まるで大型犬に懐かれた気分だ。
それじゃあ教えてあげる、とカミサマは内緒話でもするように耳元でささやく。
「これはね、先生とのゲームなんだ」
「ゲーム?」
「そ。俺が勝ち続ける限りずっと続く、ゲームなんだ」
「そんなのって、」
「ねえ、ママ。ここにずっといてよ。ママと先生がいれば、俺は他に何もいらないよ」
表裏のないカミサマの言葉に、眉を落とす。
カミサマにとって、その先生の存在は絶対的だ。
ゲームと称して、人の命を奪う事さえも簡単に出来てしまうほど。
ふと、カミサマが起き上がり扉の方を見つめて笑った。
「へぇ、懲りずにまた来たんだ。あきらめの悪いお兄さんたち」
三蔵たちが来た。
必ず来ると、信じていた。
取り戻しに来たのは、経文や私だけじゃない。
カミサマは私の手をぎゅっと握って、顔をほころばせた。
「大丈夫。ママの事は、僕が守ってあげるから」
◇
天井が開いて、勢いよく落ちてきた人影に目を向ける。
「三蔵!みんな……!」
山積みのおもちゃの上にいるのは三蔵、悟空、八戒、悟浄の四人。
ちゃんと四人、そろっている。
「名前!無事か!?」
「みんなこそ、」
駆け寄ろうとしたところ、カミサマの腕により阻まれる。
カミサマの笑い声が、部屋中に響き渡った。
「あはははは!すごいすごい!こんな早さで、ここにたどり着いた人たち初めてだよ!……それで?経文を取り戻しにきたの?それともママ?」
「あらま、名前ちゃん。いつの間にそんな大きな子供産んじゃって」
「んなもん、決まってんだろ!」
「奪い返しに来ましたよ」
「両方をな」
銃声が鳴り響き、戦闘が始まった。
繰り広げられるのは、今まで見た事のない四人の連携プレー。
「名前」
真っ直ぐとした声に名前を呼ばれて、三蔵と視線が交わる。
紫暗の瞳には、強い光が宿っていた。
「今度は勝つ。必ず取り戻す。だから、見ててくれ」
「……うん、見てるよ。ずっと」
祈るように、胸の前で両手を握りしめた。
「〜!何度やったって同じだよ!どうせ僕に……ママにすら指一本触れられないクセに!」
カミサマの数珠の攻撃に幾度となく血を流すも、何度も、何度も立ち上がる。
誰一人、あきらめていない。
「いい加減にしなよっ、もー!しつこいと女の子に嫌われるって、先生が言ってたぞ!ねえ、そうでしょママ!」
「うこく、だったな」
三蔵の口から出た名前に、胸が詰まり、息が止まる。
烏哭、様。
「ようやく思い出したぜ。金山寺に来る度、名前にちょっかいかけてたあの野郎……ムカつく事は忘れる性分なんで、ずいぶん手間取ったがな。憶えてないのか?こんな風に遊び相手を探していただろう」
三蔵とカミサマが出会ったのは、十年前。
その時、カミサマと一緒にいた先生が、烏哭。
「わざとらしい軽口、含みを込めた耳に残る声、深い闇のような漆黒の髪と瞳。そして、天地開元経文のひとつ、無天経文の所有者……烏哭三蔵法師」
懐かしくて、哀しくて、うれしくて、苦しくて。
いろんな感情があふれて、握る両手の指先に力が入る。
どうしてだろう。
三蔵法師と聞いて、烏哭の事を思わなかったのは。
きっとどこかで、否定したかったのだ。
こんな非道な事をさせているのは、烏哭ではないと。
本物の三蔵法師でない事を指摘されたカミサマが怒り叫んで、オモチャの兵隊たちが動き出す。
カミサマ曰く、それは魂を物質に変えたもの。
つまり、今まで奪ってきた人の命。
「ねぇ?すごいでしょ、先生は。こんな事まで、僕に残してくれたんだ。全ての生命は神様の玩具なんだって」
今ここに烏哭がいたら、そんな事はないと伝える事が出来たのに。
オモチャたちにねじ伏せられながらも唱えた魔戒天浄により、命を浄化しながら経文が三蔵の元へ返っていく。
「来い!名前!」
見えたのは、太陽のひかり。
無我夢中で駆け出して、三蔵の差し伸べられたその手をつかんだ。
その勢いのまま、腕の中へと力強く抱き止められる。
三蔵がしぼりだすような声で、口を開いた。
「この俺が、何十年この人を追い求めてきたと思ってやがる……幼子の頃から姉や母のように育ててくれたからとか、そんなちっぽけなモンじゃねえ。名前が、名前だからだ。これは俺の意志。おもちゃが何だって?てめぇにくれてやるモンは、ねぇんだよ。何ひとつな」
「っ!返せよ!ママは僕のだっ!」
悟浄、悟空が相打ち覚悟で立ち向かい、最後に数珠を直に受けた八戒の陰から、私を抱えたまま三蔵がカミサマを撃ち抜く。
「う、あっ、あ、あぁああぁあッ」
悲痛な叫び声を上げて、バラけた数珠とともにカミサマは崩れ落ちる。
戦いが、終わった。
「無一物、という言葉がある」
それは、かつて私も光明様から説かれた言葉。
何よりも捕らわれていたのは、無一物の言葉そのものだと三蔵は語る。
「迷いはない。俺には俺の生き方が、玄奘三蔵の称える無一物がある」
血を流して倒れたカミサマの、泣き出す姿が目に映った。
「……わかんない、わかんないよそんなの。俺にはなんにもないのにッ、君は色んな物持ってるじゃんか!ママだけじゃなく、あんなにたくさんっ!ズルいよそんなの……ねぇ、俺に頂戴?」
宙へ腕を伸ばすカミサマに、三蔵が近づいてかすかに笑う。
「やらねぇよ」
「……ケチ」
私は膝をついて、カミサマのその手をつかんで握りしめた。
「ママ?」
「あんなに一緒にいたのに、自己紹介まだだったね。私は名前」
「名前……そうか、思い出した。お姉さんが名前か」
首を傾げるも、カミサマはただ一人小さく笑う。
地鳴りがして、パラパラと天井から破片が崩れ始めた。
「地震!?」
「違うよ。ぜんぶ壊れて消えちゃうんだ……ゲームはもう、終わったんだから。先生と俺との約束。俺が負けるまでのゲーム……先生の遊んでる、ゲームなんだ。早く逃げないと、お城ごとペシャンコだよ」
私はカミサマの身体を起こそうと、背中に腕をまわす。
「名前……?」
「一緒に行こう、外へ」
「なんで?」
「なんで、じゃねぇ!それじゃあ、金閣銀閣となんも変わんねぇだろうが!振り回されたこっちはいい迷惑なんだよ、行くぞオラッ」
悟浄も来て、肩の下へと腕をまわして立ち上がらせる。
そんな私と悟浄を、カミサマは突き放した。
「ごめん、いいんだよ俺……ここで待ってるんだ」
「でも!」
「危ない!二人共!」
八戒の言葉に、悟浄とともに避けると瓦礫が落下してきた。
それはまるで、カミサマと私たちを遮断するように。
「……名前だけじゃなくて、紅髪のお兄さんも優しーじゃん」
「ケッ、言ってろよ」
「おい行くぞ!時間がないっ」
今にも崩壊しそうな中、四人が走って扉へ向かう。
私はみんなに気づかれないように、踵を返した。
また近くで瓦礫が落ちる中、カミサマを立ち上がらせようとするが、静かに首を横に振られる。
「もういいんだ、名前」
「よくない!ゲームは終わっても、人生は終わらないの!」
声を荒げる私を見て、カミサマは驚いたあと力なく笑う。
「はは、最後まで優しいんだね、名前は。先生の言う通りだ……ねえ、俺わかってたんだ。先生が俺にくれるものは、ぜんぶ先生がいらなくなったものだって」
「……ごめん、ごめんね」
「なんで、名前が謝るの?」
「だって、」
「先生」
カミサマの言葉に、時が止まった。
ゆっくりと顔を上げると、いつの間にかステンドグラスを背景に佇む人影。
ネクタイに白衣、うしろへ流した髪、出立ちこそ違うものの、その漆黒の瞳は。
「烏哭、様」
「ただいま、名前さん。会いたかったよ」
会いたかった。
会いたくなかった。
なぜ、とかどうして、とか。
聞きたい事、言いたい事はたくさんあった。
「いやホント、ちょー久しぶり。それにしてもすごいなぁ、本当にあの時の姿そのままだ。さすが、異界のウサギちゃん?」
乾いた音が鳴り響く。
私を見下ろして笑うその頬を、引っ叩いた。
口の端を上げる烏哭だが、視界がにじんでぼやける。
「……月へ還ってる間、忘れちゃった?ひどいなぁ、僕の下であんなに気持ち良くよがってたのに」
「先生」
「ん?」
「ごめん先生、負けちゃった。俺……死ぬの?」
「うん。もってあと三十分くらいかな。ここが崩れる方が早いだろうね」
煙草をくわえたまま、何の気なしに烏哭は答える。
「先生、神様っているの?」
「いないんじゃ、ないかな」
「……よかった。じゃあね、名前。会えてよかったよ、バイバイ」
最期に見たのは、純真なカミサマのきれいな笑顔。
轟音とともに、ステンドグラスが割れて粉々に砕け散った。
突如、音のない暗闇に包まれる。
先ほどまでいた部屋の光景が、地鳴りが、嘘のように消えた。
身体を抱かれている感触に顔を上げると、烏哭が微笑んでいた。
「消えたのは僕らの方さ。それよりも名前さんはさ、どうしてまたこの世界に、桃源郷へ戻って来れたと思う?」
真っ暗闇の中、烏哭の声だけが耳元に響く。
「僕が呼んだんだよ。無天経文を使って。ま、途中で誰かに邪魔されちゃったのは、想定外だったけどね」
あの日の記憶が蘇る。
たしかに、私はずっと誰かに呼ばれていた。
ふいに、近くなる煙草のにおい。
唇にふれる感触と、ぬるりと侵入してきた熱に、逃げようとするも後頭部に手をまわされる。
烏哭との口付けに、頭のどこかで懐かしさを感じる自分がいた。
「んっ、……や、……!」
「……いいね。やっぱり変わらないなぁ、名前さんは」
唇が離れて乱れた息を整える中、舌なめずりする烏哭に頬から首筋をなでられる。
急なまぶしさに閉じた目を開けると、いつの間にか青空の下にいて、居城は跡形もなく瓦礫の山と化していた。
烏哭は私を降ろして、転がり落ちていた金冠を拾う。
救えなかった、あの子を。
「光明も、おもしろいものを残してくれたよね」
「光明様……」
愛する人の名前を口にして、胸が張り裂けそうになる。
わかっていた事なのに。
烏哭を前にして、あの幸せな日々はもう戻って来ないのだと、改めて思い知らされた。
「やっぱり賭けはまだ続いてるね」
「……賭け?」
「そ。ふたつとも。あー、またそんな顔して。今すぐ連れ帰ってシたいのは山々なんだけど、僕まだ你博士だし。まあ何もしなくても、名前さんの方から来てくれるし、ね?」
「一体何を、」
「近いうちまた会えるって事。だから、それまで預けておくよ。……ああそういえば、神様はいないって言ったけどアレ、間違いだったなぁ。だってキミは、」
僕の女神様だから。
また一度ふれるだけの口付けを残して、烏哭は闇の中へと消えていった。
苦い、煙草の味だけが残る。
「あ、名前いたッ!おーい!」
「は〜まったく、肝が冷えたぜ」
「本当ですよ……」
悟空たちの呼び声に我に返り、勢いよく振り返る。
血塗れで傷だらけでボロボロだが、みんな生きている。
生きて、四人がそろっている。
「あー、名前が無事ってわかったら、なんかもう……」
「「「腹減った」」」
悟空以外の三人の言葉が重なる。
さて、行きましょうかと何気ない顔で八戒が促す。
「俺のセリフ取んなよ!おーい!って、名前?」
「どうかしました?どこか怪我でも……カミサマに、何かされました?」
顔を険しくする八戒に、勢いよく首を横に振る。
違うの。
「やっぱり四人は一緒じゃないと、ってうれしくて」
「違うだろ!」
一歩前に出た悟空に思いっきり否定されて、目を丸くする。
「五人、だろ!」
「悟空……」
「行くぞ、名前」
三蔵に呼ばれた瞬間、強引に腕を取られてぐいぐいと進んでいく。
再び経文を取り戻した、その背中を見上げる。
「……三蔵、怒ってる?」
「今度一人で勝手にいなくなったら、タダじゃおかねぇからな」
「タダじゃおかないって、お仕置きとか言ってナニする気?三蔵サマったら、ヤッラシー」
「元々てめぇのせいだろうが。殺すぞ、クソ河童」
「まあまあ、悟浄。名前がいないと使い物にならないんですから、生暖かい目で見守りましょう」
「八戒、貴様……」
「とか言って名前がいないとダメダメだったのは、八戒も悟浄も同じじゃん?」
「お前もだろ、チビ猿」
「へへッ、たしかに!」
「という訳で、名前。貴方がいないと僕ら壊滅的なチームなので、これからもよろしくお願いしますね」
「……はい!」
みんながいないとダメなのは、私も同じ。
やっと、三蔵一行の元に帰って来れたんだ。
繋がれた傷だらけの硬い手を、ぎゅっと握り返す。
足早に進んでいた三蔵の動きが、少しずつゆっくりになり山を降りた。
ジープの後部座席に乗せられて、運転席へ真っ先に座ったのは珍しい事に三蔵だった。
「地図、入ります?」
「いらん。進む方角はひとつだからな」
荒運転で騒がしく、私たち五人は再び西へと向かった。