無印編

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天界での名前

夢を見ていた。
桜が舞い散り、私によく似た女性が紫苑と呼ばれている夢を。
それは私であり、私ではない物語。

「観世音菩薩様」
紫苑か」

天上界、水面に浮かぶ蓮華。
私は五大菩薩が一人である、観世音菩薩様の身の回りの世話をする下女だった。

「菩薩様はまた……服を着てください!」
「フンッ、同じ事を飽きもせずよく言うな」
「もちろんです。透明な服以外をお召しになるまで、何年も何百年でも言い続けますからね!」
紫苑殿も粘り強いですなぁ」

敬愛する観世音菩薩様と、朗らかな笑顔の二郎神様の元で働く日々。

「金蝉童子様、こちら観世音菩薩様によりお届けの書類です」
「ああ」

長い睫毛に、輝きを放つ長く細い金糸の髪。
机に向かう眉目秀麗なその姿を、息を呑んで見つめる。

「……まだ何か?」
「い、いえ!失礼しました!」

羞恥に頬を染めて、あわてて金蝉様の執務室から出て行く。
金蝉様との会話はいつも二言三言、それも事務的な内容ばかり。
金蝉様と私では、あまりに身分が違いすぎる。
枯れる事のない桜の樹の下で、膝を抱えるように座り込んだ。

「また泣いているんですか?」
「天蓬様」

ふわりと香る煙草の匂い。
顔を上げると、いつもの眼鏡に白衣を着た天蓬元帥が立っていた。

「泣いてません」
「泣いてたじゃないですか、初めて会った時は」
「……よく憶えていますね。忘れてください」
「忘れませんよ、あんなひどい顔」
「ひどい顔って!ひどいです!」
「ははは」

天蓬様はすぐ隣の桜の木にもたれかかり、煙草の煙を吐く。
はい、と手のひらサイズの何かを差し出された。
いつもの、下界から拾ってきたお土産だ。

「ウサギの木彫りですか。かわいい……」
「僕の部屋には似合わないので」
「というか、天蓬様は何でもかんでも拾いすぎです。ただでさえ、本や巻物で埋もれた部屋なのに」
「前回、紫苑が来てからどれくらい経ちましたかねぇ」

たしか、まだ一週間も経っていないはず。
片付けたのに、また散らかして荒れ放題になってる予感しかしない。
折り曲げていた膝を伸ばして、天蓬様を近くで見上げる。

「そんな熱烈な視線を向けられると、僕も照れるんですが」
「……お風呂、またしばらく入ってませんね?」
「いやー、最近いそがしくて」
「私としゃべってる暇があったら、入ってきてください。その間、部屋の片付けしておきますので」
「仕方ありませんねぇ」

やれやれと、煙草をくわえる白衣の背中を押して、私は一人天蓬様の自室へ向かう。
大量の本が、物が、ありとあらゆる場所に散乱して、以前片付けたのが嘘のように元に戻ってる。

「読んだ本は、元の場所に戻すよう言ったのに……」
「おーい、天蓬元帥はいらっしゃいますかーっと」

ガチャリと扉を開けて、誰かが入って来た。
本と書類の山で、ここからはその姿は見えない。
おそらく、部下の方だろう。

「天蓬様は今、外出中です。すみません、もし手が空いてるようでたら部屋の片付け手伝ってくださいませんか?私一人じゃ、手に負えないので」
「おう、いいぜ」

気さくな人でよかったと、ほっと胸をなで下ろす。

「アンタ、名前は?天蓬元帥の彼女?」
紫苑と申します。私はただのお節介焼きでして、ほら天蓬様、私生活があまりにも破綻しているので」
「ハハッ、言えてる」

会話をしながらの片付けが何だか楽しくて、あっという間に進み本の山がなくなる。
あらかた片付いたので、もう大丈夫だと部下の方へと振り返る。

「手伝っていただき、ありがとうございましたって、え」
「おう、これくらいイイって事よ」
「け、捲簾大将!?」

思いもしない人物に目を丸くして、わなわなと震える。
そして、勢いよく頭を下げた。

「おっ、色男っぷりに驚いたか?」
「た、大変失礼しました!まさか捲簾様とは思わず、厚かましいお願いを……!」
「捲簾、来てたんですね」
「おう、って風呂上がりか?珍しいな」
「そこのお嫁さんに叱られてしまいまして」
「なーんだ、やっぱりそうだったか」
「て、天蓬様!」

なんで天蓬様は、また笑顔で誤解を生むような発言をするのだろうか。
おしゃべり楽しかったぜと、捲簾様より髪の毛をかき回すようになでられた。



書類を持ち廊下を歩いていると、曲がり角で走って来た誰かにぶつかる。

「わっ!」
「ごめん!姉ちゃん、大丈夫?」

こちらも謝りつつ目を開けると、額に金鈷、両手足に枷をつけた小さな少年がいた。
観世音菩薩様より聞いていた、人間とも妖怪ともつかぬ大地の精霊。
ぐう、と目の前から大きな腹の虫が鳴る音が聞こえて、思わず顔をほころばせる。
凶事の象徴とされる金晴眼の双眸に、じっと見つめられた。

「姉ちゃん、花みたいだな」
「え?」
「笑うと、花みたいにきれいだ」

そう笑った少年は、まるで太陽の輝きのようにまぶしくて。

「どこに行きやがった、あのチビ猿!」
「姉ちゃん!隠れて!」

いきなり手を掴まれて、少年と一緒に物陰に隠れる。
あのお声は、金蝉様。
足音が遠のき、少年は胸をなで下ろして一息つく。

「きれいなのにすぐ怒るんだよな、あいつ」
「金蝉様が?」
「よくぶつしさ」

そんな金蝉様、今まで見た事がない。
いつも退屈そうに書類と向き合って、観世音菩薩様と以外あまりしゃべろうともしなくて。
……ああ、そうか。

「私は紫苑。貴方、お名前は?」
「俺、まだ名前ないんだ……つけてくれる人とか、いなかったしさ」

うつむいて、自分が岩から生まれた異端児だと話す少年。

「それなら、金蝉様につけてもらいましょう」
「……え?」
「きっと素敵なお名前を授かりますよ」
「ホント?」
「はい」

そう言うと、少年は何だかむずかゆそうに笑う。

紫苑姉ちゃん!俺、金蝉に名前もらうからさ!今度会ったら俺の名前、呼んでくれよな!」
「はい、もちろん」

それから私は、金蝉様により名付けられた少年を、悟空と呼ぶ事となった。



天帝の生誕祭。
下では、大勢の天界人が集まっている。
大きなあくびをした観世音菩薩様を、二郎神様がたしなめた。

「なんであんな曾々じじいのお誕生日会に、出なきゃなんねぇんだよ」
「それを聞いたら、天帝様お泣きになりますよ」
「勝手に泣かせとけ」

足を組み頬杖をつく観世音菩薩様に、苦笑いする。
そういえば、近くにいるはずの金蝉様のお姿が見当たらない。

「そんなに気になるなら探しに行ってこい」
「ですが、」
「いいから行け。今年は、おもしろい出し物が拝めそうだしな」
「いたっ」

なぜかにやりと笑う観世音菩薩様に、額を軽く突かれた。
下へ降りて、がやがやと賑わう人混みの中を歩き周りを見渡す。
金蝉様は、一体どこだろう。

紫苑姉ちゃん!」
「悟空!今日は、金蝉様とご一緒ではないのですか?」
「それが……うわっ!」

うしろへ倒れて尻餅をついた悟空に、あわてて駆けよる。

「なんだァ?この汚ねぇガキ。うるちょろしてんじゃねぇよ」
「おい、このガキ……金晴眼だぜ?」
「じゃあ、こいつが例の?」

悟空を見下ろす男たちの目つきに、私は眉をつり上げる。
男二人と悟空の間に割り込んで、立ちはだかった。

「失礼します。そちらから先にぶつかったの、見ていましたよ。子供相手に何て態度ですか」
「んだと?たかが下女のくせに、なめた口聞いてんじゃねぇよ!」
紫苑姉ちゃん!」

襲いかかってくる男の手に目をつぶるが、衝撃は来ない。

「女性への暴力とは、これまた無粋な趣味をお持ちですねぇ」
「あ、天ちゃんだぁ!」

うしろから男の腕を握り止める、天蓬様がそこにいた。
にこりと笑う天蓬様と目が合ったかと思えば、捕まえた男を思いっきり殴り飛ばす。
……止めてくださるだけで、よかったのに。

「西方軍の天蓬元帥?軍人風情が……」
「何事だ!天帝の御前だぞ!」
「なんだよ、おもしろそうな事になってんじゃん。俺も混ぜろよ」
「ケン兄ちゃん!」
「あーあ、事を荒立てる人が登場しちゃいましたね」
「先に殴り飛ばしたお方のセリフですか……」

悟空を捕まえようとする男を蹴り飛ばす、捲簾様も現れた。
捲簾様が周りを煽り、乱闘騒ぎが始まったのを呆然と眺める。
……これはきっと、観世音菩薩様も笑っていらっしゃるに違いない。

「……悟空!何やってんだ、てめぇ!」
「金蝉!」
「おや、飼い主さんのお出ましですか」

美しい金の髪を揺らし、怒りながら現れた金蝉様。
悟空を叱る金蝉様、その二人の距離の近さを目の当たりにする。
金蝉様から鋭い視線を向けられて、私は息を呑んだ。

「そこの女官。名は」
紫苑と、申します」
「話はこいつから聞いた。悟空をかばってくれた事、礼を言う」
「い、いえ!そんな……」

金蝉様のお言葉にうつむき、眉を落とす。
ああ、やっぱり。
肩にかかる手に振り返ると、天蓬様が静かに微笑んでいた。

「金蝉様!このような場所に……すぐにお席にお戻りください」
「いや、彼らは私の連れだ。騒ぎの責任を取り、退席させていただく」

サボる口実が出来ただけだと薄く笑い、その場から四人が離れる。

「って何してるんですか、紫苑。行きますよ」

その場に立ち尽くしていた私の手を、天蓬様につかまれ歩き出す。

「……私もいいんですか?」
「当たり前でしょう?ねえ、金蝉」
「なぜ俺に振る。まあ、いい……行くぞ」
「退屈な祭りの脱出が出来てよかったじゃねえか、紫苑ちゃん」
「わーい!紫苑、あそぼうぜ!みんなと一緒に!」
「悟空……はい!」

悟空の笑顔につられて、私も笑う。
それから金蝉様の部屋まで五人で一緒に行き、野球などして遊び、叱られ、楽しく騒ぎ合った。
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