無印編
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光明様は、もうこの世にいない。
江流が三蔵法師を継承した後、金山寺で妖怪に襲われて亡くなった。
経文と当時13歳だった江流を守って。
そう、本人の口より告げられた。
「……光明様より、授かったお名前を教えてくださいますか?」
乾いた口から、初めに出た言葉はそれだった。
生きていた光明様が、江流に与えた名前を。
「第三十一代唐亜玄奘三蔵法師にございます」
「遅ればせながらご継承、おめでとうございます。玄奘三蔵様」
正座のままそろえた指先を床について、首を垂れる。
顔を上げると、拳を強く握り、顔を歪めている三蔵の姿が目に入った。
「俺は、守れなかった……!」
「江流……いえ、三蔵様」
膝を寄せて近づき、冷たい三蔵の頬に手を添える。
金糸の髪に、紫暗の瞳、幼い少年の面影。
「つらい事、話させてしまいましたね。生きてくれてありがとう。貴方を守る事、それが光明様のご遺志だったのです」
三蔵の瞳が揺れる。
腕が伸ばされて、大きな身体に頭から覆われるように抱きしめられた。
悔しさを噛みしめるように、背中にまわされた手が強くなる。
守れなかったのは、私も同じ。
もしもその時、私がいたらなどと取り止めもない事を考えてしまう。
たとえ、何も出来なかったとしても。
「つらい時、そばにいれなくてごめんなさい」
震える背中の法衣を、強く握りしめる。
たしかに感じるぬくもりの中、お互い落ち着くまでずっとそうしていた。
「私の身に何があったか、聞いてくださいますか」
「……はい」
再び桃源郷へ訪れる事の出来た経緯を、簡潔に話す。
三蔵は神妙な面持ちで、でも疑う事もせずに聞いてくれた。
光明様にも伝えたかった、すべてを。
「……光明様は、何か言ってませんでしたか?私の事、不幸者などと、」
「いえ……きっと月に還ったんでしょうね、などと冗談めいておっしゃってました」
「そう、ですか」
震える唇を結び、両手を固く握りしめる。
「すみません。少しだけ、一人にしてくださいますか」
「……わかりました。何かありましたら、すぐに呼んでください」
「ありがとうございます」
足音と静かに障子が閉まる音を耳にして、床へ崩れ落ちる。
空白の16年間。
江流は少年から青年へと成長して、玄奘三蔵となった。
光明様は、還らぬ人となりどこにもいない。
もう、どこにも。
じわり、じわりと侵食する胸の傷。
江流の前では見せまいと、せき止めていたものが一気に押し寄せる。
「……光明、様……光明様っ!」
あの日、桃源郷で妖怪に襲われているところを助けてくださった。
孤独と寂しさの中から、救い出してくださった。
こんな私をずっとそばに置いてくださって、愛し、愛された。
ぽたぽたと、今はひとり床に雫がこぼれ落ちるだけ。
両手で自身を抱えて、子供のように背中を丸める。
もう二度と会えない。
受け取めきれない事実に、嗚咽する声を堪えきれずに泣いた。
◇
どれくらい泣き続けただろうか。
涙はいつか枯れるもの。
そう思っていたが、目からあふれる涙はいつになっても止まらない。
濡れた服の袖で再び目元を拭い、窓の外を見る。
日は落ちて、もうすっかりと暗くなっていた。
ふと物陰に気付いて障子を開けると、床に置かれた食膳を見つけた。
食欲はないが、食べ物を粗末にしたらいけない。
お茶碗を手に取るが箸が進まず、一人ため息を吐く。
パタパタと、どこからか軽い足音が聞こえてきた。
「姉ちゃんいる?入っていい?」
「はい、どうぞ」
昼間出会った茶髪の少年が、そこにいた。
部屋に入ると、視線をぐっと下げて、まったく減っていない料理を目にする。
「メシ、まだ食ってなかったの?今から?」
「いえ、ちょっと食欲なくて」
「マジ……?どっか具合、悪い?あ、目が赤い……」
首を傾げて、不安げにこちらをのぞきこむ少年。
私は目元を押さえて何でもないと、力なく笑い視線をそらす。
「じゃあさ、はい!これなら食べられる?」
そう言って差し出されたものを、勢いのまま受け取る。
中庭に実っていた、淡く色付いたきれいな桃だ。
「なんか知んねーけど、姉ちゃんに食べてほしくて!」
無邪気に、まるで太陽のように笑いかけられる。
修行僧でもなさそうな彼が、なぜこの寺院にいるかわからない。
けれど、純真無垢でとてもやさしい子だ。
「ありがとうございます、悟空」
「へ?なんで俺の名前、知ってんの?」
「昼間、三蔵様が呼んでたでしょう?」
「そっか!姉ちゃんの名前は……なんだっけ?」
「苗字名前です。名前でいいですよ」
「名前な!」
ぐう〜と、目の前から大きな腹の虫が聞こえて瞬きする。
「えっと、よかったらこれ食べます?ほとんど、手をつけてないので、」
「マジ!?いいの!?食う食う!全部食う!」
勢いよく食膳の前に座り、箸を手に悟空はうれしそうに食べ始めた。
私は手にしていた桃の皮を剥く。
水々しい桃は、いい匂いがして、ほんのりと甘くて。
ぽたり、とまた雫がこぼれ落ちた。
「名前!?急にどうした!?どっか痛いのか?それともまさか、泣くほどまずかった……?」
「ううん、違うの。とっても美味しくて……」
頬に伝う涙を拭って、戸惑う悟空に大丈夫だと伝える。
「悟空が来てくれて、本当によかったです」
「そうか?へへっ……三蔵にはしばらく一人にしておけって言われたけど、でもさ!一人ってやっぱ寂しいじゃん?」
太陽にようにあたたかくて、ひまわりみたいに笑う悟空がまぶしくて。
私は腕を伸ばして、その身体をぎゅっと抱きしめた。
「おわっ!ちょ、ちょっと!名前!?」
「本当に、ありがとう」
「……うん」
気恥ずかしそうに耳まで顔を赤くした悟空に、自然と笑みがこぼれた。
じっと、きれいな金眼に見つめられて、瞬きする。
「名前は花みたいだな!笑うと、周りに花が咲いたみたいだ」
「……すごい口説き文句ですね」
「文句?文句じゃねーって!褒めてんの!」
「ふふ、そうですね。ありがとう」
「名前様」
障子の外から三蔵の声が聞こえて、どうぞと声をかける。
部屋に入るや否や、ハリセンを取り出して悟空の頭を軽快に叩いた。
「ッて〜!何すんだよ、三蔵!」
「しばらく一人にして差し上げろと言っただろうが!」
「そういう三蔵だって、気になってたじゃん!ずっとそわそわしてたじゃん!」
「うるせぇ、猿!」
「……ふふっ、仲いいんですね」
「聞いてくれよ、名前!三蔵ってば、すぐにぶつんだぜ!?」
「ぶたれるような事をするお前が悪い」
「んだよソレ〜!?」
二人の喧騒を耳に、ふと鳴き声が聞こえて顔を向ける。
カァカァと、どこか遠くから烏の鳴き声が。
窓から、暗闇に覆われた夜空を眺める。
「烏哭、様……」
生きてるとしたら、今どこで何をしているだろう。
烏哭には元々、数年に一度しか会う事がなかった。
私の事は過去として、きっともう忘れているに違いない。
それほどの月日が、烏哭には、桃源郷には流れた。
私は同じ三蔵法師である江流に、烏哭の所在を聞く事はついぞなかった。
江流が三蔵法師を継承した後、金山寺で妖怪に襲われて亡くなった。
経文と当時13歳だった江流を守って。
そう、本人の口より告げられた。
「……光明様より、授かったお名前を教えてくださいますか?」
乾いた口から、初めに出た言葉はそれだった。
生きていた光明様が、江流に与えた名前を。
「第三十一代唐亜玄奘三蔵法師にございます」
「遅ればせながらご継承、おめでとうございます。玄奘三蔵様」
正座のままそろえた指先を床について、首を垂れる。
顔を上げると、拳を強く握り、顔を歪めている三蔵の姿が目に入った。
「俺は、守れなかった……!」
「江流……いえ、三蔵様」
膝を寄せて近づき、冷たい三蔵の頬に手を添える。
金糸の髪に、紫暗の瞳、幼い少年の面影。
「つらい事、話させてしまいましたね。生きてくれてありがとう。貴方を守る事、それが光明様のご遺志だったのです」
三蔵の瞳が揺れる。
腕が伸ばされて、大きな身体に頭から覆われるように抱きしめられた。
悔しさを噛みしめるように、背中にまわされた手が強くなる。
守れなかったのは、私も同じ。
もしもその時、私がいたらなどと取り止めもない事を考えてしまう。
たとえ、何も出来なかったとしても。
「つらい時、そばにいれなくてごめんなさい」
震える背中の法衣を、強く握りしめる。
たしかに感じるぬくもりの中、お互い落ち着くまでずっとそうしていた。
「私の身に何があったか、聞いてくださいますか」
「……はい」
再び桃源郷へ訪れる事の出来た経緯を、簡潔に話す。
三蔵は神妙な面持ちで、でも疑う事もせずに聞いてくれた。
光明様にも伝えたかった、すべてを。
「……光明様は、何か言ってませんでしたか?私の事、不幸者などと、」
「いえ……きっと月に還ったんでしょうね、などと冗談めいておっしゃってました」
「そう、ですか」
震える唇を結び、両手を固く握りしめる。
「すみません。少しだけ、一人にしてくださいますか」
「……わかりました。何かありましたら、すぐに呼んでください」
「ありがとうございます」
足音と静かに障子が閉まる音を耳にして、床へ崩れ落ちる。
空白の16年間。
江流は少年から青年へと成長して、玄奘三蔵となった。
光明様は、還らぬ人となりどこにもいない。
もう、どこにも。
じわり、じわりと侵食する胸の傷。
江流の前では見せまいと、せき止めていたものが一気に押し寄せる。
「……光明、様……光明様っ!」
あの日、桃源郷で妖怪に襲われているところを助けてくださった。
孤独と寂しさの中から、救い出してくださった。
こんな私をずっとそばに置いてくださって、愛し、愛された。
ぽたぽたと、今はひとり床に雫がこぼれ落ちるだけ。
両手で自身を抱えて、子供のように背中を丸める。
もう二度と会えない。
受け取めきれない事実に、嗚咽する声を堪えきれずに泣いた。
◇
どれくらい泣き続けただろうか。
涙はいつか枯れるもの。
そう思っていたが、目からあふれる涙はいつになっても止まらない。
濡れた服の袖で再び目元を拭い、窓の外を見る。
日は落ちて、もうすっかりと暗くなっていた。
ふと物陰に気付いて障子を開けると、床に置かれた食膳を見つけた。
食欲はないが、食べ物を粗末にしたらいけない。
お茶碗を手に取るが箸が進まず、一人ため息を吐く。
パタパタと、どこからか軽い足音が聞こえてきた。
「姉ちゃんいる?入っていい?」
「はい、どうぞ」
昼間出会った茶髪の少年が、そこにいた。
部屋に入ると、視線をぐっと下げて、まったく減っていない料理を目にする。
「メシ、まだ食ってなかったの?今から?」
「いえ、ちょっと食欲なくて」
「マジ……?どっか具合、悪い?あ、目が赤い……」
首を傾げて、不安げにこちらをのぞきこむ少年。
私は目元を押さえて何でもないと、力なく笑い視線をそらす。
「じゃあさ、はい!これなら食べられる?」
そう言って差し出されたものを、勢いのまま受け取る。
中庭に実っていた、淡く色付いたきれいな桃だ。
「なんか知んねーけど、姉ちゃんに食べてほしくて!」
無邪気に、まるで太陽のように笑いかけられる。
修行僧でもなさそうな彼が、なぜこの寺院にいるかわからない。
けれど、純真無垢でとてもやさしい子だ。
「ありがとうございます、悟空」
「へ?なんで俺の名前、知ってんの?」
「昼間、三蔵様が呼んでたでしょう?」
「そっか!姉ちゃんの名前は……なんだっけ?」
「苗字名前です。名前でいいですよ」
「名前な!」
ぐう〜と、目の前から大きな腹の虫が聞こえて瞬きする。
「えっと、よかったらこれ食べます?ほとんど、手をつけてないので、」
「マジ!?いいの!?食う食う!全部食う!」
勢いよく食膳の前に座り、箸を手に悟空はうれしそうに食べ始めた。
私は手にしていた桃の皮を剥く。
水々しい桃は、いい匂いがして、ほんのりと甘くて。
ぽたり、とまた雫がこぼれ落ちた。
「名前!?急にどうした!?どっか痛いのか?それともまさか、泣くほどまずかった……?」
「ううん、違うの。とっても美味しくて……」
頬に伝う涙を拭って、戸惑う悟空に大丈夫だと伝える。
「悟空が来てくれて、本当によかったです」
「そうか?へへっ……三蔵にはしばらく一人にしておけって言われたけど、でもさ!一人ってやっぱ寂しいじゃん?」
太陽にようにあたたかくて、ひまわりみたいに笑う悟空がまぶしくて。
私は腕を伸ばして、その身体をぎゅっと抱きしめた。
「おわっ!ちょ、ちょっと!名前!?」
「本当に、ありがとう」
「……うん」
気恥ずかしそうに耳まで顔を赤くした悟空に、自然と笑みがこぼれた。
じっと、きれいな金眼に見つめられて、瞬きする。
「名前は花みたいだな!笑うと、周りに花が咲いたみたいだ」
「……すごい口説き文句ですね」
「文句?文句じゃねーって!褒めてんの!」
「ふふ、そうですね。ありがとう」
「名前様」
障子の外から三蔵の声が聞こえて、どうぞと声をかける。
部屋に入るや否や、ハリセンを取り出して悟空の頭を軽快に叩いた。
「ッて〜!何すんだよ、三蔵!」
「しばらく一人にして差し上げろと言っただろうが!」
「そういう三蔵だって、気になってたじゃん!ずっとそわそわしてたじゃん!」
「うるせぇ、猿!」
「……ふふっ、仲いいんですね」
「聞いてくれよ、名前!三蔵ってば、すぐにぶつんだぜ!?」
「ぶたれるような事をするお前が悪い」
「んだよソレ〜!?」
二人の喧騒を耳に、ふと鳴き声が聞こえて顔を向ける。
カァカァと、どこか遠くから烏の鳴き声が。
窓から、暗闇に覆われた夜空を眺める。
「烏哭、様……」
生きてるとしたら、今どこで何をしているだろう。
烏哭には元々、数年に一度しか会う事がなかった。
私の事は過去として、きっともう忘れているに違いない。
それほどの月日が、烏哭には、桃源郷には流れた。
私は同じ三蔵法師である江流に、烏哭の所在を聞く事はついぞなかった。