バタフライエフェクト
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
マンションの組合の書記なんて、面倒なことを任されたなと郵便受けに入っていたチラシを見て思った。
チラシに書かれてあった場所を目掛けて少し早い時間に向かえば、年配の人や自分より年上の男女がいる中で、唯一自分と同じくらいの年の女の人が座っていた。
自分と同じマンションに住んでいるとは思えないくらい庶民的な服装で、化粧っ気のない地味な人だった。
目が合うと愛想良く微笑まれ、その人が近づいてきた。
「初めまして、4001号室の名字です。もしかして…書記ご担当される方ですか?」
「あ、はい…初めまして。南雲と言います」
明るくてハキハキしているが口調は丁寧な挨拶だった。
彼女が立ち上がって自分の前に来て思った。
カジュアルな服装に似合わないくらい、頭からつま先まで、立ち姿がもの凄く綺麗だった。
このマンションに住んでいるということは、それなりの収入がある人なはずだが一体何をしている人なんだろう。
見た目からは何をやっている人なのかが一切想像がつかなかった。
打ち合わせが終わった後で、早速議事録の作成とチラシの作成をするように任され、場所を変えてカフェで名字さんと作業をした。
名字さんがチラシの方をやりたいといったので、僕が議事録を作ることになった。
でも少しして名字さんは頭を抱えていた。
「名字さん、大丈夫ですか?」
「すいません、私こういうの一切やったことなくて…」
向かいに座る名字さんの方に移動して彼女のパソコンを見れば、文字の設定からキーボードの設定まで全部わからないみたいだった。
文字を打つのもお年寄りなみに遅かった。
むしろ、お年寄りの方ができてるんじゃないかと思うくらいだ。
各々の設定の仕方を教えれば、名字さんはすぐにメモを取り出して書き込んでいた。
こんなカジュアルな場でもメモを持ち歩いてるなんてすごく真面目な人なんだろう。
そして、僕の方が議事録の作成が早く終わり名字さんの隣に移動して一緒に話しながらチラシを作った。
「あっ、この素材とか使うのどうですかね…」
「いいと思います」
「よし!えー面白い…こんなマニアックなのもあるんですね。仕事に使えるかも」
素材サイトを見て話したり、画像や書式の設定がおかしくなって直したりしながらやっとチラシは完成した。
「で、できたー!」
名字さんは嬉しそうに両腕を伸ばして僕の方を見た。
「やー手伝ってくださってありがとうございます。私本当こういうのダメで…SNSとかもすんごい疎いんですよね…」
「わかります、僕もそんなに得意じゃないですよ」
「えー絶対そんなことないですよ、お若いじゃないですか!」
「あはは、名字さんだってお若いじゃないですか」
そんな会話の流れでお互いの年齢を聞き合えば、名字さんと僕は同い年ということがわかった。
タメだとお互いにわかった瞬間どちらからともなく自然に敬語が外れた。
「…あ、私このあと予定あるんだ。また書記の仕事で会うだろうからLINE交換しとこうか」
「そうだねーQRコード出すね」
名字さんがQRコードを読み込んで、メッセージを送ってきた。
名字さんのLINEの名前は絵文字だけで、本名がわからないようになっていた。
本名がわからないようにしないといけない職業って、僕みたいな職業以外に何かあっただろうかと考えながら、その日は彼女と解散した。
それから次に彼女と会ったのは、組合の打ち合わせでもなく、近所のスーパーだった。
その日の僕は、普段スーパーなんて行かないのにちょっとの好奇心で立ち寄って買い物をした。
適当に色々カゴに入れて、レジで会計をしている最中に現金が足りないことに気がついた。
カードも家に置きっぱなしだ。
店員に謝ってレジの列を抜けて、どの商品を抜いたら手持ちのお金で足りるだろうかと考えている時だった。
「南雲さんだ、お金足りないの?」
後ろから声が聞こえて振り返れば、前のようにラフな服装をした名字さんが立っていた。
「やあ名字さん。そうなんだよね〜どれ抜けば足りるかなって考えてたんだ」
「そうなんだー!いいよ私払うからちょうだい」
「えっ」
そう言って名前さんは僕のカゴに入ったものを取ってレジまで持って行き、本当に払ってくれた。
「名字さんごめんね、ありがとう。家に現金あるから戻ったら返すよ」
「ううん、わかったよーじゃあ一回帰ろ」
そして僕は名字さんとマンションに戻り、現金を財布に入れて彼女とロビーで待ち合わせた。
何故名字さんの部屋のある階ではないかというと、そこで会おうと僕が提案したら名字さんがロビーがいいと言い出したからだ。
名字さんがロビーに降りてきて、僕を見つけて手を振ってやってきた。
そして現金を返そうとすれば待ってと止められる。
「このあと用事ある?」
「ううん、ないよ」
「じゃあちょっと付き合ってよ」
いたずらっ子のように笑って言う名字さん。
この人の笑顔は地味な顔なのにどこか引き込まれるな、と僕は思いながら彼女についていった。
楽しそうに歩く名字さんは一軒の焼き鳥屋を振り返って指差した。
「ここ入ってもいい?」
「うん」
「やったー2名でーす」
名字さんは僕の返事を聞いて、明るい声でお店の中に入っていった。
そして2人並んでカウンターに座った。
一緒にご飯を食べてお酒を飲んでも思ったが、やっぱり名字さんは所作が美しかった。
お酒もかなり飲むし、朗らかに笑うし声も大きいけど、食べ方も飲み方も、姿勢も綺麗だった。
そしてお酒もめちゃくちゃ強い。
こっちが連れてきてよかったなって思えるくらい、楽しそうに笑うし美味しそうに食べるのに、全部綺麗だ。
綺麗な所作に、本名がわからないLINEの名前、地味な服装に似合わない綺麗なネイル。
僕は一つの可能性を思いついた。
でも、違ったら気まずいからそのときは言わなかった。
その思いつきが正解であるとわかったのは、僕が気分の乗らない飲み会から帰ってきた日のことだった。
上層部の人間に付き合わされて行った飲み会で、酒の弱い僕は自分のキャパを超えて無理やり飲まされた。
タクシーから降りた瞬間に吐き気と目眩が襲い僕はロビーの椅子から動けなかった。
視界が白黒に点滅して急に体温が下がる感覚がして、結構やばいかもしれないと異常に脈打つ頭の片隅で考えた。
動けない、動きたくない。そんなふうに思っていると、誰かがマンションに入ってくる音がした。
女の人か、とヒールの音を聞いて思った。
ヒールの音がどんどん近くに感じて閉じていた目を開ければ、芸能人かと思うくらい洗練された身なりに、ものすごく整った顔立ちの女の人が僕を心配そうな顔で見ていた。
「南雲さん、大丈夫?」
顔も、雰囲気も全然違う。
でも聞いたことのある声に、もしかしてと思った。
「名字さん…?」
「…うん!そうだよ!ねえ大丈夫?」
やっぱり、名字さんだ。
と思った瞬間に僕の意識は途切れた。
重たい頭のまま目が覚めれば、僕は自分の家ではないベッドの中にいた。
ギリギリ記憶はある。
確か名字さんに連れてこられて寝かされたんだ。
普段から敵意も悪意も下心も感じない彼女にそのまま甘えてしまったんだった。
そういう名字さんはパソコンを操作して、何個もタブを出して作業をしていた。
ちょっと前まで超初心者だったとは思えないくらいの使いこなし方だった。
僕の視線に気がついたのか、名字さんは振り返った。
さっき僕が意識を失う前の芸能人みたいな彼女とはまるで別人で、よく見慣れてるラフな服装に薄い顔の名字さんだった。
「あ、起きた。大丈夫ー?」
「…うん、おかげさまで。ごめんねベッド貸してもらっちゃって。寝れなかったでしょ」
「よかったー!あーそれね、店の子たち来た時用だから大丈夫だよ」
「飲み屋さんなの?」
店の子、と聞いて思っていたことを聞いてみれば名字さんは特に嫌がる様子もなく頷いた。
「そ!ずっと飲み屋。だからパソコンもまともに使えなくてさーごめんねあのときは」
「そっか。ううん、さっきすごい使いこなしてたじゃん」
「勉強したからね〜」
そう言って名字さんが振り返った先には本棚があり、パソコンの操作方法やワード、エクセルの本が並んでいた。
あんな組合だけのためにここまでやるのか。
もしかしてこの人すごく努力家なんじゃないか。
先ほどの名字さんの身につけている物の総額から言って、お店の中どころか東京の中でも相当な売れっ子なのは間違いない。
でも、そもそもの名字さんの顔は素朴で、そういった仕事をしているようにも、そこまで売れているようにも一見見えない。
今の顔からさっきの別人のような顔に変身するのにも相当な技術が必要だろう。
それだけでも大変なことなのに、さらにこのマンションに住めるまでに功績を残して、お店の子たちの面倒を見れるレベルまで行くのにはきっと大変なことだったに違いない。
「あ、お腹空かない?なんか作るよ」
「いいの?」
「うん、私もすいたから」
大の男が酔っ払って家に居座ってるのに嫌な顔ひとつせず、名字さんはそう言ってキッチンに向かった。
目覚めたなら帰れって言えばいいのに。
面倒見のいい人だな。
努力してきたのは絶対だと思うけど
明るくて人当たりのいいところとか、一緒にいるときにすごい楽しそうにしてくれるところとか、当たり前のようにお世話してくれるところとか。
他の人が名字さんに会いたくなる理由がわかる気がした。
けど僕はお店に行ったこともない。
それなのに、売れっ子のキャバ嬢がお客さんでもないのに手厚くここまでする?
危うく都合のいい方に勘違いしそうだが
相手は売れっ子のキャバ嬢、もしかしたら僕を育てようとしている可能性もある。
そんなふうに考えていたら、名字さんがいい匂いをさせてご飯を持ってきた。
「はい二日酔い防止セット」
「ありがとう…て、これから飲むの?」
向かいに座る名字さんは缶ビールを自分のところに置いて開けて飲み始めた。
「明日私も店休だからね。飲ませはしないから話そうぜ」
「いいけど…なんでここまで優しくしてくれるの?」
僕は思っていたことを聞いてみた。
すると名字さんは考える素振りをした。
「なんで、かー」
「僕何も返せないよ」
育てようとしてもお店には行かないよという意味で僕がそう言えば、名字さんは驚いた顔をした。
「あははやだなー、返すって商売じゃないんだから」
「え、違うの?」
笑いながら言う名字さんに僕は聞き返す。
「当たり前じゃん。仕事以外で友達になってくれた人お客様にしたくないよ」
僕友達だと思われてたんだ。
でも確かに、一緒に飲みに行ったりしたしもう友達かもしれないな。
「この仕事してたらさ、仕事以外でできる友達ってあんまりいないからさ。そんななかで偶然出会えた南雲さんは私の貴重な友達だよ。友達だからさ、返すとかないんだよ。話したい時に話して会いたい時会えばいいの」
本当にそれだけで僕のために色々やってくれたの?
介抱して、寝かせてくれて、ご飯も作ってくれたの?
ずるくない?
どんだけ優しいのこの人。
「さーわかったならね、お姉さんに付き合ってもらうよ」
そう言う名字さんは朗らかに笑って自分の話からし出した。
多分僕の警戒心を解くためだろう。
僕も話し返せば名字さんは楽しそうに笑って聞いていた。
この人、僕といて本当に楽しいんだ。
僕に向ける優しさも、楽しそうな笑顔も全部本当なんだ。
それがわかって営業じゃなくて嬉しいと思ってしまう。
その笑顔に一緒にいてよかったって、僕も楽しくなってしまう。
名字さんと解散して、僕はベッドに傾れ込んだ。
冷たいシーツが体を冷やして、自分だけしかいない静かな空間が少し寂しくて、あの子といてだいぶ楽しかったんだなと気づく。
友達なだけでもこんなにぽかぽかした気持ちになるのに、もっと特別な関係になったら、どうなるんだろう。
もうこんなことを想像してしまうくらいに、名字さんに惹かれてることに気づいて僕はシーツに顔を埋めた。
チラシに書かれてあった場所を目掛けて少し早い時間に向かえば、年配の人や自分より年上の男女がいる中で、唯一自分と同じくらいの年の女の人が座っていた。
自分と同じマンションに住んでいるとは思えないくらい庶民的な服装で、化粧っ気のない地味な人だった。
目が合うと愛想良く微笑まれ、その人が近づいてきた。
「初めまして、4001号室の名字です。もしかして…書記ご担当される方ですか?」
「あ、はい…初めまして。南雲と言います」
明るくてハキハキしているが口調は丁寧な挨拶だった。
彼女が立ち上がって自分の前に来て思った。
カジュアルな服装に似合わないくらい、頭からつま先まで、立ち姿がもの凄く綺麗だった。
このマンションに住んでいるということは、それなりの収入がある人なはずだが一体何をしている人なんだろう。
見た目からは何をやっている人なのかが一切想像がつかなかった。
打ち合わせが終わった後で、早速議事録の作成とチラシの作成をするように任され、場所を変えてカフェで名字さんと作業をした。
名字さんがチラシの方をやりたいといったので、僕が議事録を作ることになった。
でも少しして名字さんは頭を抱えていた。
「名字さん、大丈夫ですか?」
「すいません、私こういうの一切やったことなくて…」
向かいに座る名字さんの方に移動して彼女のパソコンを見れば、文字の設定からキーボードの設定まで全部わからないみたいだった。
文字を打つのもお年寄りなみに遅かった。
むしろ、お年寄りの方ができてるんじゃないかと思うくらいだ。
各々の設定の仕方を教えれば、名字さんはすぐにメモを取り出して書き込んでいた。
こんなカジュアルな場でもメモを持ち歩いてるなんてすごく真面目な人なんだろう。
そして、僕の方が議事録の作成が早く終わり名字さんの隣に移動して一緒に話しながらチラシを作った。
「あっ、この素材とか使うのどうですかね…」
「いいと思います」
「よし!えー面白い…こんなマニアックなのもあるんですね。仕事に使えるかも」
素材サイトを見て話したり、画像や書式の設定がおかしくなって直したりしながらやっとチラシは完成した。
「で、できたー!」
名字さんは嬉しそうに両腕を伸ばして僕の方を見た。
「やー手伝ってくださってありがとうございます。私本当こういうのダメで…SNSとかもすんごい疎いんですよね…」
「わかります、僕もそんなに得意じゃないですよ」
「えー絶対そんなことないですよ、お若いじゃないですか!」
「あはは、名字さんだってお若いじゃないですか」
そんな会話の流れでお互いの年齢を聞き合えば、名字さんと僕は同い年ということがわかった。
タメだとお互いにわかった瞬間どちらからともなく自然に敬語が外れた。
「…あ、私このあと予定あるんだ。また書記の仕事で会うだろうからLINE交換しとこうか」
「そうだねーQRコード出すね」
名字さんがQRコードを読み込んで、メッセージを送ってきた。
名字さんのLINEの名前は絵文字だけで、本名がわからないようになっていた。
本名がわからないようにしないといけない職業って、僕みたいな職業以外に何かあっただろうかと考えながら、その日は彼女と解散した。
それから次に彼女と会ったのは、組合の打ち合わせでもなく、近所のスーパーだった。
その日の僕は、普段スーパーなんて行かないのにちょっとの好奇心で立ち寄って買い物をした。
適当に色々カゴに入れて、レジで会計をしている最中に現金が足りないことに気がついた。
カードも家に置きっぱなしだ。
店員に謝ってレジの列を抜けて、どの商品を抜いたら手持ちのお金で足りるだろうかと考えている時だった。
「南雲さんだ、お金足りないの?」
後ろから声が聞こえて振り返れば、前のようにラフな服装をした名字さんが立っていた。
「やあ名字さん。そうなんだよね〜どれ抜けば足りるかなって考えてたんだ」
「そうなんだー!いいよ私払うからちょうだい」
「えっ」
そう言って名前さんは僕のカゴに入ったものを取ってレジまで持って行き、本当に払ってくれた。
「名字さんごめんね、ありがとう。家に現金あるから戻ったら返すよ」
「ううん、わかったよーじゃあ一回帰ろ」
そして僕は名字さんとマンションに戻り、現金を財布に入れて彼女とロビーで待ち合わせた。
何故名字さんの部屋のある階ではないかというと、そこで会おうと僕が提案したら名字さんがロビーがいいと言い出したからだ。
名字さんがロビーに降りてきて、僕を見つけて手を振ってやってきた。
そして現金を返そうとすれば待ってと止められる。
「このあと用事ある?」
「ううん、ないよ」
「じゃあちょっと付き合ってよ」
いたずらっ子のように笑って言う名字さん。
この人の笑顔は地味な顔なのにどこか引き込まれるな、と僕は思いながら彼女についていった。
楽しそうに歩く名字さんは一軒の焼き鳥屋を振り返って指差した。
「ここ入ってもいい?」
「うん」
「やったー2名でーす」
名字さんは僕の返事を聞いて、明るい声でお店の中に入っていった。
そして2人並んでカウンターに座った。
一緒にご飯を食べてお酒を飲んでも思ったが、やっぱり名字さんは所作が美しかった。
お酒もかなり飲むし、朗らかに笑うし声も大きいけど、食べ方も飲み方も、姿勢も綺麗だった。
そしてお酒もめちゃくちゃ強い。
こっちが連れてきてよかったなって思えるくらい、楽しそうに笑うし美味しそうに食べるのに、全部綺麗だ。
綺麗な所作に、本名がわからないLINEの名前、地味な服装に似合わない綺麗なネイル。
僕は一つの可能性を思いついた。
でも、違ったら気まずいからそのときは言わなかった。
その思いつきが正解であるとわかったのは、僕が気分の乗らない飲み会から帰ってきた日のことだった。
上層部の人間に付き合わされて行った飲み会で、酒の弱い僕は自分のキャパを超えて無理やり飲まされた。
タクシーから降りた瞬間に吐き気と目眩が襲い僕はロビーの椅子から動けなかった。
視界が白黒に点滅して急に体温が下がる感覚がして、結構やばいかもしれないと異常に脈打つ頭の片隅で考えた。
動けない、動きたくない。そんなふうに思っていると、誰かがマンションに入ってくる音がした。
女の人か、とヒールの音を聞いて思った。
ヒールの音がどんどん近くに感じて閉じていた目を開ければ、芸能人かと思うくらい洗練された身なりに、ものすごく整った顔立ちの女の人が僕を心配そうな顔で見ていた。
「南雲さん、大丈夫?」
顔も、雰囲気も全然違う。
でも聞いたことのある声に、もしかしてと思った。
「名字さん…?」
「…うん!そうだよ!ねえ大丈夫?」
やっぱり、名字さんだ。
と思った瞬間に僕の意識は途切れた。
重たい頭のまま目が覚めれば、僕は自分の家ではないベッドの中にいた。
ギリギリ記憶はある。
確か名字さんに連れてこられて寝かされたんだ。
普段から敵意も悪意も下心も感じない彼女にそのまま甘えてしまったんだった。
そういう名字さんはパソコンを操作して、何個もタブを出して作業をしていた。
ちょっと前まで超初心者だったとは思えないくらいの使いこなし方だった。
僕の視線に気がついたのか、名字さんは振り返った。
さっき僕が意識を失う前の芸能人みたいな彼女とはまるで別人で、よく見慣れてるラフな服装に薄い顔の名字さんだった。
「あ、起きた。大丈夫ー?」
「…うん、おかげさまで。ごめんねベッド貸してもらっちゃって。寝れなかったでしょ」
「よかったー!あーそれね、店の子たち来た時用だから大丈夫だよ」
「飲み屋さんなの?」
店の子、と聞いて思っていたことを聞いてみれば名字さんは特に嫌がる様子もなく頷いた。
「そ!ずっと飲み屋。だからパソコンもまともに使えなくてさーごめんねあのときは」
「そっか。ううん、さっきすごい使いこなしてたじゃん」
「勉強したからね〜」
そう言って名字さんが振り返った先には本棚があり、パソコンの操作方法やワード、エクセルの本が並んでいた。
あんな組合だけのためにここまでやるのか。
もしかしてこの人すごく努力家なんじゃないか。
先ほどの名字さんの身につけている物の総額から言って、お店の中どころか東京の中でも相当な売れっ子なのは間違いない。
でも、そもそもの名字さんの顔は素朴で、そういった仕事をしているようにも、そこまで売れているようにも一見見えない。
今の顔からさっきの別人のような顔に変身するのにも相当な技術が必要だろう。
それだけでも大変なことなのに、さらにこのマンションに住めるまでに功績を残して、お店の子たちの面倒を見れるレベルまで行くのにはきっと大変なことだったに違いない。
「あ、お腹空かない?なんか作るよ」
「いいの?」
「うん、私もすいたから」
大の男が酔っ払って家に居座ってるのに嫌な顔ひとつせず、名字さんはそう言ってキッチンに向かった。
目覚めたなら帰れって言えばいいのに。
面倒見のいい人だな。
努力してきたのは絶対だと思うけど
明るくて人当たりのいいところとか、一緒にいるときにすごい楽しそうにしてくれるところとか、当たり前のようにお世話してくれるところとか。
他の人が名字さんに会いたくなる理由がわかる気がした。
けど僕はお店に行ったこともない。
それなのに、売れっ子のキャバ嬢がお客さんでもないのに手厚くここまでする?
危うく都合のいい方に勘違いしそうだが
相手は売れっ子のキャバ嬢、もしかしたら僕を育てようとしている可能性もある。
そんなふうに考えていたら、名字さんがいい匂いをさせてご飯を持ってきた。
「はい二日酔い防止セット」
「ありがとう…て、これから飲むの?」
向かいに座る名字さんは缶ビールを自分のところに置いて開けて飲み始めた。
「明日私も店休だからね。飲ませはしないから話そうぜ」
「いいけど…なんでここまで優しくしてくれるの?」
僕は思っていたことを聞いてみた。
すると名字さんは考える素振りをした。
「なんで、かー」
「僕何も返せないよ」
育てようとしてもお店には行かないよという意味で僕がそう言えば、名字さんは驚いた顔をした。
「あははやだなー、返すって商売じゃないんだから」
「え、違うの?」
笑いながら言う名字さんに僕は聞き返す。
「当たり前じゃん。仕事以外で友達になってくれた人お客様にしたくないよ」
僕友達だと思われてたんだ。
でも確かに、一緒に飲みに行ったりしたしもう友達かもしれないな。
「この仕事してたらさ、仕事以外でできる友達ってあんまりいないからさ。そんななかで偶然出会えた南雲さんは私の貴重な友達だよ。友達だからさ、返すとかないんだよ。話したい時に話して会いたい時会えばいいの」
本当にそれだけで僕のために色々やってくれたの?
介抱して、寝かせてくれて、ご飯も作ってくれたの?
ずるくない?
どんだけ優しいのこの人。
「さーわかったならね、お姉さんに付き合ってもらうよ」
そう言う名字さんは朗らかに笑って自分の話からし出した。
多分僕の警戒心を解くためだろう。
僕も話し返せば名字さんは楽しそうに笑って聞いていた。
この人、僕といて本当に楽しいんだ。
僕に向ける優しさも、楽しそうな笑顔も全部本当なんだ。
それがわかって営業じゃなくて嬉しいと思ってしまう。
その笑顔に一緒にいてよかったって、僕も楽しくなってしまう。
名字さんと解散して、僕はベッドに傾れ込んだ。
冷たいシーツが体を冷やして、自分だけしかいない静かな空間が少し寂しくて、あの子といてだいぶ楽しかったんだなと気づく。
友達なだけでもこんなにぽかぽかした気持ちになるのに、もっと特別な関係になったら、どうなるんだろう。
もうこんなことを想像してしまうくらいに、名字さんに惹かれてることに気づいて僕はシーツに顔を埋めた。