とある本丸の日常生活
金木犀の花の薫る昼下がりに、燭台切光忠は日の当たる廊下を歩いていた。
その手には今が旬の栗を使った栗きんとんとほうじ茶を乗せた盆があり、向かっているのは客間だった。近づくにつれ楽しそうな話し声が聞こえてくる。
燭台切が覗いてみると、そこには本丸の主である赤羽とその友人であり審神者の緑里の姿があった。
と言っても明るい声を上げているのは緑里のみで、赤羽は静かにその話しを聞いて頷いているだけだ。
けれど、主も楽しそうだと燭台切は思う。
客間の出入り口傍には緑里の護衛が控えていて、燭台切に顔を向けると「騒がしくてすまない」と頭を下げた。
それに燭台切は首を横に振る。
「騒がしいなんてとんでもない。彼女が来ると主も嬉しいみたいだから、遠慮なく遊びに来てほしいよ」
「…それは本人に言わないでくれ。本当に遠慮しないからな」
主に苦労している顔をして、護衛の山姥切国広は緑里をチラッと見た。こちらの会話は聞こえていない様子に明らかに安堵している。
それに、ふっと笑みを浮かべながら燭台切は廊下側から赤羽に声を掛けた。
「主、歓談中失礼するよ。茶菓子を持って来たから、ちょっと用意させてほしいな」
その声に、深淵のように暗い赤の瞳と、輝かんばかりの明るい緑の瞳が同時にこちらを見た。
見た目も性格も対照的な二人の審神者だが、不思議と緑里が赤羽に懐いたことで本丸同士での交友関係は続いている。
こうして主と仲良くしてくれることにありがたいなとつい親心で見てしまった。
「燭台切、ありがとう…」
「ふふっ…ううん。栗きんとんは、僕の手作りなんだけど口に合うといいなぁ。じゃあ並べさせてもらうよ」
室内に足を踏み入れて座卓の、赤羽と緑里の前に茶菓子を置いていく。急須から入れたほうじ茶もその横に並べた。
「わぁ〜美味しそ〜!」
「そうだね」
目を輝かせる緑里と頷く赤羽の反応は良さそうだ。それを確認してから燭台切は横を向いて、日当たりの良い客間でその黄金色の髪を輝かせている護衛に笑いかけた。
「山姥切君の分もあるから、遠慮なく食べていって」
「俺の分もあるのか?ありがたいが、でもいいのか?あんたの分がないようだが…」
ことりと置かれた茶菓子に目を揺らしながら山姥切は遠慮がちに眉を顰めた。
「味見と称して多めに摘めるのが作り手の特権だよね。あぁ、これは内緒にしてほしいな」
「…ふ。そうか。では遠慮なくいただこう」
冗談めかして言えば山姥切も納得したようで、護衛として控えていた腰を上げて、ただの友として座卓に着いたのだった。
「うーん!美味しー!和菓子ってこの繊細な甘みがいいよね。お茶に合うなぁ」
「うん。美味しいね」
さっそく一口味わい、体を左右似揺らすのは美味しさを表現しているのだろうか。緑里はゆらゆらしながらほうじ茶も口にしていた。
栗きんとんと言えば正月のお節にあるものを想像しやすいが、今回燭台切が出したものは栗のみを使用した茶巾絞りのような菓子で、地域や家庭によってはこちらを思い浮かべるところもあるかもしれない。
かく言うこの本丸でも栗きんとんと言えばこの形状が通常となっていた。
「そう言えばあか姉のとこ遊び行くとよく和菓子出るよね。あか姉和菓子派?」
「…どうかな。あんまり、気にしたことなかった」
首を傾げる赤羽に代わり、「主はね」と燭台切は説明することにした。
「主は甘い物よりお酒好きの辛党だからね。和菓子派か以前にそんなに甘い物食べないんだよ」
「そうだったかな…」
「そうだよ」
「そうなんだ!えー、すごいね。お菓子ガマン出来るとかわたしにはムリだよ」
「太っただなんだと喚くことになるんだから、あんたも我慢を覚えてくれ」
無類の菓子好きの主に山姥切が口を挟むが、緑里は首を横に振る。
「美味しいものを前にそれは出来ないよね!」
「はは、本当に甘い物が好きだね」
「うん!でも意外にみんなもお菓子作るの好きだよね。それでさ、食堂行くとクッキーとかケーキとかタルトとか魅力的なスイーツがあって、食べていいよって言われたらそれは食べちゃうよね。断われないよね」
「あんたの好物だからな。作りたくなるんだろう。あと記録役もよく食べるしな」
「ドキっちも甘いの好きだよねー」
緑里の記録役である土岐も食べる方なら、それはきっと作り甲斐がありそうだと燭台切は思う。
包丁藤四郎を筆頭に菓子類を食べるのが好きな刀剣男士が居れば、作るのが好きな刀剣男士もいる。
本丸にいる人間が喜ぶのならと用意してしまうのだろう。
「だが食べ過ぎてあとで困るのは自分だと言うことを忘れないことだな。俺は忠告したぞ」
「甘い罠が過ぎるよー!」
山姥切の冷ややかな忠告に緑里は頭を抱える。
それでも菓子に向かう手は止まらない。
「燭台切は、そういうお菓子…作らないね」
「あぁ…まぁ、そうだね。主が辛党って言うのと、それに…あの子が甘すぎるの苦手みたいだから」
赤羽に問われて燭台切は困ったように笑う。
緑里の本丸と違い人間側があまり食べないからだろうか。
昔馴染や菓子好きのもの達の為に洋菓子の類を作ってみたこともあるが、いつの間にかやめていたことに気付いた。
「あの子って?」
「藤代君」
「あ、しーちゃんか。えー?甘いのダメなんだ。まぁ得意なイメージもないけどさ」
「ダメと言うか素朴な方が好きなのかな?だからお菓子を作ろうかなって思うと自然と和菓子を作りがちなんだけど…君が来るときは洋菓子を用意しておこうか」
「え!ううん!和菓子がいいな。いつも食べられないから和菓子の方が嬉しいよ」
気を使った風でもなく緑里はそのままでと言う。
「少しは遠慮しろ」と護衛に釘を刺されても「わたしから糖分を奪わないで!」とついに開き直っていた。
そして話していて思い出したのだろう。
「あ、そう言えば!」と緑里は赤羽に顔を向けた。
「しーちゃん、頭大丈夫?」
「…主、もっと言葉を選ぶべきだと思うが」
「うん。わたしも聞き方間違えたなって思った」
山姥切に睨まれて緑里は目を逸らす。
「えっと、その〜…脳、かな?なんかその辺に異常が出たとかで、先月からあか姉が預かってるじゃない?」
しどろもどろとなりながら緑里。それに赤羽は頷いた。
「…療養のためにね」
「そうそうリョーヨー。それでしーちゃん帰ってきたって聞いて、すぐドキっちと会いに行ったけど意外と元気そうだったよね。今はどうなの?元気?」
「うん。記録役として再雇用したから、今は巡回に行ってるよ」
「記録役やってるの!?しかも巡回行くの??そーゆーのってさすがにメ、メンジョ…?になるもんじゃないんだ」
緑里の疑問は尤もだ、と燭台切は思う。
先月から病気療養の為に急遽本丸で預かることとなった元記録役だが、本丸に置く理由として「療養の為」では事務申請が通らないとのことで赤羽は記録役として再雇用の形を取った。
病気治癒なら設備の整った本部で診てもらうべきで、赤羽もそれを望んだのだが本部がそれを拒否した。拒否はするが本部から人員を連れて行くなら事務手続きは必要で、だから仕方なくという判断だったらしい。
「そうだね…。私も、せめて今年は行かなくていいように、掛け合ったんだけど」
「ダメだったんだ。本部ってホントさ〜…」
「人の心がないな」
当事者ではない他所の本丸にまでここまで言わせるほどに本部という場所はなかなかに融通が利かず、そして冷淡な印象しか持てない。
軍事を回している総本山であるから、判断をする部署の違いであちこち面倒な手続きなどが発生するのは仕方ない部分もあるのは分かるが、がちがちの規約遵守な対応ではなく臨機応変さを求めたくなってしまう。
「主が交渉して何かあったらすぐに巡回は中止するように取り計らってはいるようだけどね。でも心配だから、姫鶴さんが付いていってるよ」
燭台切は説明するが、これが最大限譲歩した結果だった。
何かあったらの何かとはとても曖昧で、危険だと判断して中止を求めてもそれが通るまで時間も掛かりそうだ。
だから「危険を判断出来る」姫鶴一文字が付いていった。
「お〜う。巡回受け入れた本丸もビックリだね。記録役に保護者が付いてくるなんて聞いてないもんねえ」
「一応体調不良ってことにして事前に説明はしてあるみたいだけど、でもその状態で記録役の仕事をアピール出来るのかどうか」
「巡回って記録役の売り込み期間だからねー。まぁ帰ってきてないってことは今のところ問題ないってことなのかな。でも脳ってデリケートだからムリさせたくないよね」
心配の言葉を口にする緑里の言う通り、脳は運動や言語、思考の他、内臓や内分泌系等…生命活動に重要な役割を持っている臓器だ。現代に於いて未だ未知の領域とされている。
燭台切も詳細は知らないがそこに異常が出ることは、程度にも寄るだろうが、最悪肉体の破損よりも深刻なのではと想像出来る。
「…うん。そうだね。ただ、脳に異常が出るのは、審神者の職業病みたいなもの。多かれ少なかれ、みんな何かあるもの」
「そうなの?!わたしも!?」
「あんたの頭の悪さは元からだ」
「まんばちゃん、言葉選んで!」
赤羽の言葉に衝撃を受けて緑里は自分の頭を疑うが山姥切から遠慮のないツッコミを入れられてしまう。
毎度の事ながら自分の主にここまで言える主従関係にはいつも驚かされる。だが、それよりも燭台切は主が口にした内容に驚き何も言えずにいた。
「個人差はあると思う。里子ちゃんみたいに、変化に気付かない軽度の子もいる」
「…あか姉もあるの?」
おずおずとしながらも聞きたいことは何でも口に出来る緑里が燭台切の聞きたかったことを聞いてくれる。
この屈託のなさが今はすごく羨ましい。
「あるよ。…感情が出せなかったり、うまく話せなかったり、色々」
「え、そのクールビューティーなところが?!脳の異常と言うよりあか姉の魅力でしかないじゃん!」
目を大きくして驚く緑里は本当にそう思っていたのだろう。
感情もなく言葉も少ない人形のようなその人を異常と思わず、個性として素直に受け入れている。しかも姉のように慕ってくれている。
「私のこと、そう思ってくれるのは…里子ちゃんくらいかな」
そんな緑里だから赤羽もいつもより優しい顔を見せていた。
「わたしだけじゃないよ。ドキっちもミステリアスなあか姉に憧れてるし、しーちゃんなんか神様扱いだよ」
「そう…。私は、人に恵まれているね」
今にも笑いそうで笑うことの出来ない主に複雑な気持ちを抱きながら、燭台切はようやく疑問を口にする決心をした。
「審神者の職業病って、どうして…?僕らの存在は君達を傷つけるってこと…?」
「…燭台切。君達の責任ではない。本来、君達と繋がりを持つ力は、人間には過ぎたるものなんだよ」
燭台切の疑問に静かな声で答えるそれは、疑問への肯定を意味していた。
「…審神者の力は、脳に負荷をかける。長い歴史の中で、人類は進化して、この力はあるんだろうね。でも、発展途上。不可思議な力の処理に、まだ人類の脳は追いついていない。だから、何処かに、不具合が出る」
ぽつりぽつりと語られる内容は人類の不完全さであり、刀剣男士が気にすることではないと赤羽は言いたいのだろう。
重篤な症例は稀だ、と付け足されるも主こそがその稀な症例なのではないかと考えてしまう。それに、もう一人。
「藤代君は…」
「しーちゃんの場合は、脳の機能そのものには問題は見られない。だから、普通に生活は出来ている」
そう。相変わらず細く弱々しい印象ではあるが生活に困っている様子はなかった。一つの大きな問題を除いては。
「問題は、しーちゃんの意識しない思考の部分。所謂「夢」の中が、侵食されること」
これが藤代の抱える脳の異常であり、この治療の為に赤羽は半年以上前から本部に掛け合い、精密検査をするよう打診し続けていた。しかし発現も稀な重篤な状態には前例がなく、本部は受け入れを拒否した。そして偶然とは言え応急処置のような対処を見つけたここに丸投げした。
今現在では姫鶴のみが対処出来るその症例は…
「夢の化け物の復活だよ…」
「…本当に夢の化け物は悪なんだろうか」
緑里を表門まで送り本丸まで戻る途中で燭台切はふと思い、それを口にしていた。ぽつりと溢れた言葉が聞こえたのか、赤羽がこちらを見るのが分かった。
「あ…」
口に出すつもりはなかったから気まずく思う。
砂利や落ち葉を踏む音で内容まで聞こえていないことを一瞬期待したが、
「燭台切は、そう思う…?」
ちゃんと聞かれていた。
しかも意見を聞こうとしているから燭台切は腹をくくる。
「その…さ、藤代君を本丸まで連れてきたのはその化け物なんだろう?殆ど憑依状態で体を動かして、ここまでやって来た。それって主に助けを求めてるみたいだなぁ…って思ったんだ」
先月、長曽祢虎徹と堀川国広を共に連れ本部へと赴いた赤羽は藤代を連れて帰ってきた。
それは誰も予想していなかった結果で、燭台切もひどく驚いた。ひと月経ち少し落ち着いた時にこうして主と共にこの道を歩いてみて、夢の化け物はどんな気持ちで本丸まで来たのだろうという考えがふと浮かんだ。
意趣返しのつもりならもっと上手くやるだろう。
最初に斬った化け物と同個体なのかまず分からないが、化け物に対処した本丸にわざわざ自ら訪れる理由はないはずだ。
「藤代君の中にいるのは、化け物も望んでいないことなのかもしれない…」
自ら殺してくれと言っているように思えたのは、都合が良すぎる解釈だろうか。
「どうだろうね…。何であれ、状態が表面化した。それが問題」
夢の中だけでなく、本人の意識を奪い体を動かすまでになっていたことは大きな問題で、その時も姫鶴が対処したらしく藤代は意識を取り戻すことが出来た。
「姫鶴が、夢の中でソレを斬っても、数日経てば湧いてくる…。善意があろうと関係ないよ。最悪、しーちゃんを、引きずり込もうとする相手だからね」
主は感傷に浸ることはなく淡々と現状と向き合っていた。
化け物の善悪の有無は関係なく、存在するだけで危険であることと今出来る唯一の対処も根本的解決に至らないことも理解していた。
「最初に、桑名が斬った時は、数年保っていた。でも今は…数日保たない。悪化している…」
「どうして…主はそこまでしてあげられるのかな」
見放すわけではないが燭台切には確認したいことがあった。
だからそう尋ねれば、赤羽は首を傾げた。
「だってそうだろう?自分の意思で本丸を出ていった相手のその後の行動や様子を気にかける…のは、まぁあるかもしれないけど、わざわざ調査してまで知ろうとするなんて…そこまでするかな」
本丸を出た後の行動や状態など、遠い場所にいる主に分かるはずもない。それを調査してまで知ろうとする行為は、少し異常と言うと言い方は悪いが、どんな理由があったのだろうかと気にかかった。
しかし、主からの回答は淡々としたもので、
「調査をしたのは、あの子の先生から連絡があったから。連絡がなかったら、私もここまで出来なかったよ」
「先生?」
「学校の先生、みたいなもの。本部には、未就学の子供もいる。そういう子達に、教育の機会を与えた人。本部では最高峰の審神者だけど、元々教育者だったから…親元を離れた子供達が気になるみたい」
それを聞いて本部も冷たい人間ばかりがいる場所ではないんだと燭台切は思った。
本部にいる最高位の審神者が立場の弱い子供達を保護者的な目で見守っていることを知って少しだけ安心した。
「そうなんだ。その人が気にしてくれて、様子がおかしいことを主に知らせてくれたってことなんだね。…それはそれでどうして」
記録役として雇っていたとは言え一時的に関わりがあったから赤羽に連絡をしたのだろうか。
そこから赤羽は夢の化け物の可能性を考えて調査をし、姫鶴を送り込んだのだろうか。
何から聞いてみようか口を閉ざすと、
「さいごまで面倒見ろ…ってことかな」
「え?」
ぽつりと静かな声でそう聞こえたから燭台切は横を歩く小さな主を見下ろした。
「手を差し出したのは私だからね。責任を持って、出来る限りの対処は、しなければならない」
「なんの話しかな」
「私は、罪悪感を紛らわせる為に、人助けをした。その責任の話だよ。…しーちゃんは、私に恩義を感じているようだけど、私はそう思われるような、人間じゃない」
顔を上げて語るその顔に悲壮感はない。
元々表情はないのだが、それでも覚悟のようなものが窺えた。
かつて二人の間に何があって、藤代は赤羽に恩義…それ以上に赤羽を崇拝する勢いで敬うようになったのか燭台切は知らない。尋ねたこともあったがこれに関しては藤代は答えてくれないからだ。
「主は何か…罪を背負ってるということ?」
「時間遡行軍を大勢手に掛けた。今も君達に討伐させている。その罪だよ」
「それは…この戦に関わる者すべてが背負う罪だよね」
大なり小なり歴史修正主義者との戦いに関わる人間はこの戦が終わればすべて罪人となるだろう。
例えこの戦に勝利し現世で英雄となろうとも、地獄ではどんな判決が下されるか分かったものではない。
歴史を守るという偉業を成し遂げられたとしても、正義の為だとしても、呵責は免れないはずだ。まして時間遡行軍と対峙してきた主だ。余計に罪の意識が強いのだろうか。
「長く戦っていると、時々、罪悪感に苛まれる。君達も、そういうことはない?」
「ないことは、ない…かな。気が滅入った時は軍事 と関係ないことをして気を晴らしてるかな」
料理とかお菓子作りとかね、と燭台切は笑ってみせる。
戦国の世でも常に軍事のことばかり考えては気がおかしくなってしまう。そうならないように茶を嗜んだり、花を愛でたりする者も少なくなかった。
気を張り詰めるような状況の時こそ息抜きが必要で、冷静で気を取り乱すことのない主もそれを必要とするんだと分かると、なぜだか少し安心した。
「主の場合は人助けってわけなんだ」
「そう。だから、しーちゃんが特別というわけじゃない。私は、自分の為に、多くの子に手を貸してきた。それだけだよ」
自分が苦しいから誰かを助けることで苦しさを軽くしようとしてきた。それは偽善的で優しさと呼べないと主は考えているようだが、救われた子には大きな支えとなっただろう。藤代のように。燭台切はそう思った。
「ただ、しーちゃんの問題は根深い。あの子の一生の内に、解決出来るか分からないね」
今のところ解決策は浮かばない。
手をこまねいている間にタイムリミットを迎えてしまうかもしれない。それは寿命とも限らない。事故や病気、災害等予期せぬことで人の命は失われる。
ただ、それは主も同じことだと燭台切は気がつく。
「主って、今いくつなの」
そう口にしてから、しまったと思う。
緑里ではないが聞き方を間違えたと後悔する。
「…あ、不躾にごめん。主の時間がどのくらいあるのか分からなかったから」
だからと言って直接聞くのはどうかしていたと反省する。
「審神者の個人情報は秘匿」
「だよね…ごめん」
当然の返答に頭が上がらない。
本丸に常駐しているとは言えここも安全な場所とも限らない。時間遡行軍に襲撃される恐れもある審神者はいつ命を脅かされるか分からない立場なのだ。
そのため審神者は極力個人情報を開示しない。
過去の自分が狙われる危険を少しでも減らす為だ。
「一つ話せるとしたら、しーちゃんが先生の元で勉学に励んでいた頃には、私はとっくに成人していたよ」
「…。それってさ、年上だってことしか分からないね」
「そうだね」
勉学に励んでいたのが幼少期のことなのか、もっと成長してからなのか。その幅は広くどこに合わせた話か判断出来ない以上、年上だと言うことしか情報はない。年上なのは大体分かっていたから実質情報は増えていないことになる。
「主はあの子より長生きする気満々なんだ」
「そうだね。しーちゃんより、長く生きるよ」
「まぁ、確かに。主の方が長生きしそうな気はするよ」
と言うより、寿命まで生きたとしても藤代の方が短命そうだと思った。今度は口には出さないよう注意した。
「夢の化け物が、今後どんな影響を見せるか、分からない。今は普通に、生活出来ているように見える。でももし、寝ても脳が休まらない状態なら、それは深刻なこと」
「あ…それは、そうだね。脳が働き続けているなんて身体に毒すぎる!」
「だから気付いたことは、どんなことでもいい。報告して」
「分かった」
頷きながら、仮に脳が休まらない状態が続いたら人はどうなるのだろうかと考える。一睡もしないことと同じであれば今日まで無事でいられることはないだろう。
とは言え何が起こるか分からない以上観察は必要だ。
ここには百振り以上の刀がいるからと慢心はせず、しっかり見守ろうと燭台切は心に決めた。
「あ、今一つ気付いたことがあるんだけど言っていいかな」
「いいよ。何?」
「損得勘定で動くことを認めてる主が、ちゃんと人間らしくて安心したよ」
「…私?」
まさか自分の話しが出るとは思わなかったのだろう。
目をパチパチとさせる主の仕草に、これは驚いているんだろうなと燭台切は愉快な気持ちになる。
鶴さんではないけど主の意表を突くのは案外楽しいかもしれない、と。
「あの子のことも勿論心配だけど、それと同じくらい主のことも心配なんだ。審神者の力のせいかもしれないけど、時々主は人間よりも僕ら寄りな感じがしてね…」
言葉や感情以上に、人としてあって当たり前のものが足りないような、それが何なのか分からないけれど、そこが心配なのは本心だった。
「そう…。ありがとう」
燭台切の曖昧な心配に赤羽は頭を下げた。
「でも、私のことはあまり気にしない方がいい」
顔を上げた赤い瞳はどこか寒々しく、立ち入り無用と語っているようで…これも個人情報に関わることだったのかなと燭台切はそれ以上は言わないでおくことにした。
後に燭台切はその言葉の意味を知ることになるのだが、今はまた新たに主のことを知ることが出来たことに満足して、末枯れる道を歩いていくのだった。
その手には今が旬の栗を使った栗きんとんとほうじ茶を乗せた盆があり、向かっているのは客間だった。近づくにつれ楽しそうな話し声が聞こえてくる。
燭台切が覗いてみると、そこには本丸の主である赤羽とその友人であり審神者の緑里の姿があった。
と言っても明るい声を上げているのは緑里のみで、赤羽は静かにその話しを聞いて頷いているだけだ。
けれど、主も楽しそうだと燭台切は思う。
客間の出入り口傍には緑里の護衛が控えていて、燭台切に顔を向けると「騒がしくてすまない」と頭を下げた。
それに燭台切は首を横に振る。
「騒がしいなんてとんでもない。彼女が来ると主も嬉しいみたいだから、遠慮なく遊びに来てほしいよ」
「…それは本人に言わないでくれ。本当に遠慮しないからな」
主に苦労している顔をして、護衛の山姥切国広は緑里をチラッと見た。こちらの会話は聞こえていない様子に明らかに安堵している。
それに、ふっと笑みを浮かべながら燭台切は廊下側から赤羽に声を掛けた。
「主、歓談中失礼するよ。茶菓子を持って来たから、ちょっと用意させてほしいな」
その声に、深淵のように暗い赤の瞳と、輝かんばかりの明るい緑の瞳が同時にこちらを見た。
見た目も性格も対照的な二人の審神者だが、不思議と緑里が赤羽に懐いたことで本丸同士での交友関係は続いている。
こうして主と仲良くしてくれることにありがたいなとつい親心で見てしまった。
「燭台切、ありがとう…」
「ふふっ…ううん。栗きんとんは、僕の手作りなんだけど口に合うといいなぁ。じゃあ並べさせてもらうよ」
室内に足を踏み入れて座卓の、赤羽と緑里の前に茶菓子を置いていく。急須から入れたほうじ茶もその横に並べた。
「わぁ〜美味しそ〜!」
「そうだね」
目を輝かせる緑里と頷く赤羽の反応は良さそうだ。それを確認してから燭台切は横を向いて、日当たりの良い客間でその黄金色の髪を輝かせている護衛に笑いかけた。
「山姥切君の分もあるから、遠慮なく食べていって」
「俺の分もあるのか?ありがたいが、でもいいのか?あんたの分がないようだが…」
ことりと置かれた茶菓子に目を揺らしながら山姥切は遠慮がちに眉を顰めた。
「味見と称して多めに摘めるのが作り手の特権だよね。あぁ、これは内緒にしてほしいな」
「…ふ。そうか。では遠慮なくいただこう」
冗談めかして言えば山姥切も納得したようで、護衛として控えていた腰を上げて、ただの友として座卓に着いたのだった。
「うーん!美味しー!和菓子ってこの繊細な甘みがいいよね。お茶に合うなぁ」
「うん。美味しいね」
さっそく一口味わい、体を左右似揺らすのは美味しさを表現しているのだろうか。緑里はゆらゆらしながらほうじ茶も口にしていた。
栗きんとんと言えば正月のお節にあるものを想像しやすいが、今回燭台切が出したものは栗のみを使用した茶巾絞りのような菓子で、地域や家庭によってはこちらを思い浮かべるところもあるかもしれない。
かく言うこの本丸でも栗きんとんと言えばこの形状が通常となっていた。
「そう言えばあか姉のとこ遊び行くとよく和菓子出るよね。あか姉和菓子派?」
「…どうかな。あんまり、気にしたことなかった」
首を傾げる赤羽に代わり、「主はね」と燭台切は説明することにした。
「主は甘い物よりお酒好きの辛党だからね。和菓子派か以前にそんなに甘い物食べないんだよ」
「そうだったかな…」
「そうだよ」
「そうなんだ!えー、すごいね。お菓子ガマン出来るとかわたしにはムリだよ」
「太っただなんだと喚くことになるんだから、あんたも我慢を覚えてくれ」
無類の菓子好きの主に山姥切が口を挟むが、緑里は首を横に振る。
「美味しいものを前にそれは出来ないよね!」
「はは、本当に甘い物が好きだね」
「うん!でも意外にみんなもお菓子作るの好きだよね。それでさ、食堂行くとクッキーとかケーキとかタルトとか魅力的なスイーツがあって、食べていいよって言われたらそれは食べちゃうよね。断われないよね」
「あんたの好物だからな。作りたくなるんだろう。あと記録役もよく食べるしな」
「ドキっちも甘いの好きだよねー」
緑里の記録役である土岐も食べる方なら、それはきっと作り甲斐がありそうだと燭台切は思う。
包丁藤四郎を筆頭に菓子類を食べるのが好きな刀剣男士が居れば、作るのが好きな刀剣男士もいる。
本丸にいる人間が喜ぶのならと用意してしまうのだろう。
「だが食べ過ぎてあとで困るのは自分だと言うことを忘れないことだな。俺は忠告したぞ」
「甘い罠が過ぎるよー!」
山姥切の冷ややかな忠告に緑里は頭を抱える。
それでも菓子に向かう手は止まらない。
「燭台切は、そういうお菓子…作らないね」
「あぁ…まぁ、そうだね。主が辛党って言うのと、それに…あの子が甘すぎるの苦手みたいだから」
赤羽に問われて燭台切は困ったように笑う。
緑里の本丸と違い人間側があまり食べないからだろうか。
昔馴染や菓子好きのもの達の為に洋菓子の類を作ってみたこともあるが、いつの間にかやめていたことに気付いた。
「あの子って?」
「藤代君」
「あ、しーちゃんか。えー?甘いのダメなんだ。まぁ得意なイメージもないけどさ」
「ダメと言うか素朴な方が好きなのかな?だからお菓子を作ろうかなって思うと自然と和菓子を作りがちなんだけど…君が来るときは洋菓子を用意しておこうか」
「え!ううん!和菓子がいいな。いつも食べられないから和菓子の方が嬉しいよ」
気を使った風でもなく緑里はそのままでと言う。
「少しは遠慮しろ」と護衛に釘を刺されても「わたしから糖分を奪わないで!」とついに開き直っていた。
そして話していて思い出したのだろう。
「あ、そう言えば!」と緑里は赤羽に顔を向けた。
「しーちゃん、頭大丈夫?」
「…主、もっと言葉を選ぶべきだと思うが」
「うん。わたしも聞き方間違えたなって思った」
山姥切に睨まれて緑里は目を逸らす。
「えっと、その〜…脳、かな?なんかその辺に異常が出たとかで、先月からあか姉が預かってるじゃない?」
しどろもどろとなりながら緑里。それに赤羽は頷いた。
「…療養のためにね」
「そうそうリョーヨー。それでしーちゃん帰ってきたって聞いて、すぐドキっちと会いに行ったけど意外と元気そうだったよね。今はどうなの?元気?」
「うん。記録役として再雇用したから、今は巡回に行ってるよ」
「記録役やってるの!?しかも巡回行くの??そーゆーのってさすがにメ、メンジョ…?になるもんじゃないんだ」
緑里の疑問は尤もだ、と燭台切は思う。
先月から病気療養の為に急遽本丸で預かることとなった元記録役だが、本丸に置く理由として「療養の為」では事務申請が通らないとのことで赤羽は記録役として再雇用の形を取った。
病気治癒なら設備の整った本部で診てもらうべきで、赤羽もそれを望んだのだが本部がそれを拒否した。拒否はするが本部から人員を連れて行くなら事務手続きは必要で、だから仕方なくという判断だったらしい。
「そうだね…。私も、せめて今年は行かなくていいように、掛け合ったんだけど」
「ダメだったんだ。本部ってホントさ〜…」
「人の心がないな」
当事者ではない他所の本丸にまでここまで言わせるほどに本部という場所はなかなかに融通が利かず、そして冷淡な印象しか持てない。
軍事を回している総本山であるから、判断をする部署の違いであちこち面倒な手続きなどが発生するのは仕方ない部分もあるのは分かるが、がちがちの規約遵守な対応ではなく臨機応変さを求めたくなってしまう。
「主が交渉して何かあったらすぐに巡回は中止するように取り計らってはいるようだけどね。でも心配だから、姫鶴さんが付いていってるよ」
燭台切は説明するが、これが最大限譲歩した結果だった。
何かあったらの何かとはとても曖昧で、危険だと判断して中止を求めてもそれが通るまで時間も掛かりそうだ。
だから「危険を判断出来る」姫鶴一文字が付いていった。
「お〜う。巡回受け入れた本丸もビックリだね。記録役に保護者が付いてくるなんて聞いてないもんねえ」
「一応体調不良ってことにして事前に説明はしてあるみたいだけど、でもその状態で記録役の仕事をアピール出来るのかどうか」
「巡回って記録役の売り込み期間だからねー。まぁ帰ってきてないってことは今のところ問題ないってことなのかな。でも脳ってデリケートだからムリさせたくないよね」
心配の言葉を口にする緑里の言う通り、脳は運動や言語、思考の他、内臓や内分泌系等…生命活動に重要な役割を持っている臓器だ。現代に於いて未だ未知の領域とされている。
燭台切も詳細は知らないがそこに異常が出ることは、程度にも寄るだろうが、最悪肉体の破損よりも深刻なのではと想像出来る。
「…うん。そうだね。ただ、脳に異常が出るのは、審神者の職業病みたいなもの。多かれ少なかれ、みんな何かあるもの」
「そうなの?!わたしも!?」
「あんたの頭の悪さは元からだ」
「まんばちゃん、言葉選んで!」
赤羽の言葉に衝撃を受けて緑里は自分の頭を疑うが山姥切から遠慮のないツッコミを入れられてしまう。
毎度の事ながら自分の主にここまで言える主従関係にはいつも驚かされる。だが、それよりも燭台切は主が口にした内容に驚き何も言えずにいた。
「個人差はあると思う。里子ちゃんみたいに、変化に気付かない軽度の子もいる」
「…あか姉もあるの?」
おずおずとしながらも聞きたいことは何でも口に出来る緑里が燭台切の聞きたかったことを聞いてくれる。
この屈託のなさが今はすごく羨ましい。
「あるよ。…感情が出せなかったり、うまく話せなかったり、色々」
「え、そのクールビューティーなところが?!脳の異常と言うよりあか姉の魅力でしかないじゃん!」
目を大きくして驚く緑里は本当にそう思っていたのだろう。
感情もなく言葉も少ない人形のようなその人を異常と思わず、個性として素直に受け入れている。しかも姉のように慕ってくれている。
「私のこと、そう思ってくれるのは…里子ちゃんくらいかな」
そんな緑里だから赤羽もいつもより優しい顔を見せていた。
「わたしだけじゃないよ。ドキっちもミステリアスなあか姉に憧れてるし、しーちゃんなんか神様扱いだよ」
「そう…。私は、人に恵まれているね」
今にも笑いそうで笑うことの出来ない主に複雑な気持ちを抱きながら、燭台切はようやく疑問を口にする決心をした。
「審神者の職業病って、どうして…?僕らの存在は君達を傷つけるってこと…?」
「…燭台切。君達の責任ではない。本来、君達と繋がりを持つ力は、人間には過ぎたるものなんだよ」
燭台切の疑問に静かな声で答えるそれは、疑問への肯定を意味していた。
「…審神者の力は、脳に負荷をかける。長い歴史の中で、人類は進化して、この力はあるんだろうね。でも、発展途上。不可思議な力の処理に、まだ人類の脳は追いついていない。だから、何処かに、不具合が出る」
ぽつりぽつりと語られる内容は人類の不完全さであり、刀剣男士が気にすることではないと赤羽は言いたいのだろう。
重篤な症例は稀だ、と付け足されるも主こそがその稀な症例なのではないかと考えてしまう。それに、もう一人。
「藤代君は…」
「しーちゃんの場合は、脳の機能そのものには問題は見られない。だから、普通に生活は出来ている」
そう。相変わらず細く弱々しい印象ではあるが生活に困っている様子はなかった。一つの大きな問題を除いては。
「問題は、しーちゃんの意識しない思考の部分。所謂「夢」の中が、侵食されること」
これが藤代の抱える脳の異常であり、この治療の為に赤羽は半年以上前から本部に掛け合い、精密検査をするよう打診し続けていた。しかし発現も稀な重篤な状態には前例がなく、本部は受け入れを拒否した。そして偶然とは言え応急処置のような対処を見つけたここに丸投げした。
今現在では姫鶴のみが対処出来るその症例は…
「夢の化け物の復活だよ…」
「…本当に夢の化け物は悪なんだろうか」
緑里を表門まで送り本丸まで戻る途中で燭台切はふと思い、それを口にしていた。ぽつりと溢れた言葉が聞こえたのか、赤羽がこちらを見るのが分かった。
「あ…」
口に出すつもりはなかったから気まずく思う。
砂利や落ち葉を踏む音で内容まで聞こえていないことを一瞬期待したが、
「燭台切は、そう思う…?」
ちゃんと聞かれていた。
しかも意見を聞こうとしているから燭台切は腹をくくる。
「その…さ、藤代君を本丸まで連れてきたのはその化け物なんだろう?殆ど憑依状態で体を動かして、ここまでやって来た。それって主に助けを求めてるみたいだなぁ…って思ったんだ」
先月、長曽祢虎徹と堀川国広を共に連れ本部へと赴いた赤羽は藤代を連れて帰ってきた。
それは誰も予想していなかった結果で、燭台切もひどく驚いた。ひと月経ち少し落ち着いた時にこうして主と共にこの道を歩いてみて、夢の化け物はどんな気持ちで本丸まで来たのだろうという考えがふと浮かんだ。
意趣返しのつもりならもっと上手くやるだろう。
最初に斬った化け物と同個体なのかまず分からないが、化け物に対処した本丸にわざわざ自ら訪れる理由はないはずだ。
「藤代君の中にいるのは、化け物も望んでいないことなのかもしれない…」
自ら殺してくれと言っているように思えたのは、都合が良すぎる解釈だろうか。
「どうだろうね…。何であれ、状態が表面化した。それが問題」
夢の中だけでなく、本人の意識を奪い体を動かすまでになっていたことは大きな問題で、その時も姫鶴が対処したらしく藤代は意識を取り戻すことが出来た。
「姫鶴が、夢の中でソレを斬っても、数日経てば湧いてくる…。善意があろうと関係ないよ。最悪、しーちゃんを、引きずり込もうとする相手だからね」
主は感傷に浸ることはなく淡々と現状と向き合っていた。
化け物の善悪の有無は関係なく、存在するだけで危険であることと今出来る唯一の対処も根本的解決に至らないことも理解していた。
「最初に、桑名が斬った時は、数年保っていた。でも今は…数日保たない。悪化している…」
「どうして…主はそこまでしてあげられるのかな」
見放すわけではないが燭台切には確認したいことがあった。
だからそう尋ねれば、赤羽は首を傾げた。
「だってそうだろう?自分の意思で本丸を出ていった相手のその後の行動や様子を気にかける…のは、まぁあるかもしれないけど、わざわざ調査してまで知ろうとするなんて…そこまでするかな」
本丸を出た後の行動や状態など、遠い場所にいる主に分かるはずもない。それを調査してまで知ろうとする行為は、少し異常と言うと言い方は悪いが、どんな理由があったのだろうかと気にかかった。
しかし、主からの回答は淡々としたもので、
「調査をしたのは、あの子の先生から連絡があったから。連絡がなかったら、私もここまで出来なかったよ」
「先生?」
「学校の先生、みたいなもの。本部には、未就学の子供もいる。そういう子達に、教育の機会を与えた人。本部では最高峰の審神者だけど、元々教育者だったから…親元を離れた子供達が気になるみたい」
それを聞いて本部も冷たい人間ばかりがいる場所ではないんだと燭台切は思った。
本部にいる最高位の審神者が立場の弱い子供達を保護者的な目で見守っていることを知って少しだけ安心した。
「そうなんだ。その人が気にしてくれて、様子がおかしいことを主に知らせてくれたってことなんだね。…それはそれでどうして」
記録役として雇っていたとは言え一時的に関わりがあったから赤羽に連絡をしたのだろうか。
そこから赤羽は夢の化け物の可能性を考えて調査をし、姫鶴を送り込んだのだろうか。
何から聞いてみようか口を閉ざすと、
「さいごまで面倒見ろ…ってことかな」
「え?」
ぽつりと静かな声でそう聞こえたから燭台切は横を歩く小さな主を見下ろした。
「手を差し出したのは私だからね。責任を持って、出来る限りの対処は、しなければならない」
「なんの話しかな」
「私は、罪悪感を紛らわせる為に、人助けをした。その責任の話だよ。…しーちゃんは、私に恩義を感じているようだけど、私はそう思われるような、人間じゃない」
顔を上げて語るその顔に悲壮感はない。
元々表情はないのだが、それでも覚悟のようなものが窺えた。
かつて二人の間に何があって、藤代は赤羽に恩義…それ以上に赤羽を崇拝する勢いで敬うようになったのか燭台切は知らない。尋ねたこともあったがこれに関しては藤代は答えてくれないからだ。
「主は何か…罪を背負ってるということ?」
「時間遡行軍を大勢手に掛けた。今も君達に討伐させている。その罪だよ」
「それは…この戦に関わる者すべてが背負う罪だよね」
大なり小なり歴史修正主義者との戦いに関わる人間はこの戦が終わればすべて罪人となるだろう。
例えこの戦に勝利し現世で英雄となろうとも、地獄ではどんな判決が下されるか分かったものではない。
歴史を守るという偉業を成し遂げられたとしても、正義の為だとしても、呵責は免れないはずだ。まして時間遡行軍と対峙してきた主だ。余計に罪の意識が強いのだろうか。
「長く戦っていると、時々、罪悪感に苛まれる。君達も、そういうことはない?」
「ないことは、ない…かな。気が滅入った時は
料理とかお菓子作りとかね、と燭台切は笑ってみせる。
戦国の世でも常に軍事のことばかり考えては気がおかしくなってしまう。そうならないように茶を嗜んだり、花を愛でたりする者も少なくなかった。
気を張り詰めるような状況の時こそ息抜きが必要で、冷静で気を取り乱すことのない主もそれを必要とするんだと分かると、なぜだか少し安心した。
「主の場合は人助けってわけなんだ」
「そう。だから、しーちゃんが特別というわけじゃない。私は、自分の為に、多くの子に手を貸してきた。それだけだよ」
自分が苦しいから誰かを助けることで苦しさを軽くしようとしてきた。それは偽善的で優しさと呼べないと主は考えているようだが、救われた子には大きな支えとなっただろう。藤代のように。燭台切はそう思った。
「ただ、しーちゃんの問題は根深い。あの子の一生の内に、解決出来るか分からないね」
今のところ解決策は浮かばない。
手をこまねいている間にタイムリミットを迎えてしまうかもしれない。それは寿命とも限らない。事故や病気、災害等予期せぬことで人の命は失われる。
ただ、それは主も同じことだと燭台切は気がつく。
「主って、今いくつなの」
そう口にしてから、しまったと思う。
緑里ではないが聞き方を間違えたと後悔する。
「…あ、不躾にごめん。主の時間がどのくらいあるのか分からなかったから」
だからと言って直接聞くのはどうかしていたと反省する。
「審神者の個人情報は秘匿」
「だよね…ごめん」
当然の返答に頭が上がらない。
本丸に常駐しているとは言えここも安全な場所とも限らない。時間遡行軍に襲撃される恐れもある審神者はいつ命を脅かされるか分からない立場なのだ。
そのため審神者は極力個人情報を開示しない。
過去の自分が狙われる危険を少しでも減らす為だ。
「一つ話せるとしたら、しーちゃんが先生の元で勉学に励んでいた頃には、私はとっくに成人していたよ」
「…。それってさ、年上だってことしか分からないね」
「そうだね」
勉学に励んでいたのが幼少期のことなのか、もっと成長してからなのか。その幅は広くどこに合わせた話か判断出来ない以上、年上だと言うことしか情報はない。年上なのは大体分かっていたから実質情報は増えていないことになる。
「主はあの子より長生きする気満々なんだ」
「そうだね。しーちゃんより、長く生きるよ」
「まぁ、確かに。主の方が長生きしそうな気はするよ」
と言うより、寿命まで生きたとしても藤代の方が短命そうだと思った。今度は口には出さないよう注意した。
「夢の化け物が、今後どんな影響を見せるか、分からない。今は普通に、生活出来ているように見える。でももし、寝ても脳が休まらない状態なら、それは深刻なこと」
「あ…それは、そうだね。脳が働き続けているなんて身体に毒すぎる!」
「だから気付いたことは、どんなことでもいい。報告して」
「分かった」
頷きながら、仮に脳が休まらない状態が続いたら人はどうなるのだろうかと考える。一睡もしないことと同じであれば今日まで無事でいられることはないだろう。
とは言え何が起こるか分からない以上観察は必要だ。
ここには百振り以上の刀がいるからと慢心はせず、しっかり見守ろうと燭台切は心に決めた。
「あ、今一つ気付いたことがあるんだけど言っていいかな」
「いいよ。何?」
「損得勘定で動くことを認めてる主が、ちゃんと人間らしくて安心したよ」
「…私?」
まさか自分の話しが出るとは思わなかったのだろう。
目をパチパチとさせる主の仕草に、これは驚いているんだろうなと燭台切は愉快な気持ちになる。
鶴さんではないけど主の意表を突くのは案外楽しいかもしれない、と。
「あの子のことも勿論心配だけど、それと同じくらい主のことも心配なんだ。審神者の力のせいかもしれないけど、時々主は人間よりも僕ら寄りな感じがしてね…」
言葉や感情以上に、人としてあって当たり前のものが足りないような、それが何なのか分からないけれど、そこが心配なのは本心だった。
「そう…。ありがとう」
燭台切の曖昧な心配に赤羽は頭を下げた。
「でも、私のことはあまり気にしない方がいい」
顔を上げた赤い瞳はどこか寒々しく、立ち入り無用と語っているようで…これも個人情報に関わることだったのかなと燭台切はそれ以上は言わないでおくことにした。
後に燭台切はその言葉の意味を知ることになるのだが、今はまた新たに主のことを知ることが出来たことに満足して、末枯れる道を歩いていくのだった。
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