とある本丸の日常生活

いつまでも汗ばむ暑さが続いていたかと思えば朝晩が少し肌寒くなるのを感じて、秋めいてきたなと堀川国広は思う。

それは急に来たように思えてすでに変化を始めた自然の中では、山野の緑は黄みを帯び、茜空に流れる雲は高く、高天の月の輝きは増していた。
わずかに、けれど確実に秋は深まる。
その変化にいつも遅れて気付くのだけど、その発見を堀川はいつも楽しんでいた。

しかし今、そのように物思いに耽っているのはただの現実逃避であり一一一

暮れてゆく外の空気を吸って本丸に帰ってきた堀川は、本丸の主である赤羽に先行して玄関の戸を開けると、気まずい気持ちを押し殺して、いつも通りに中へと声を掛けた。

「ただいま帰りましたー」

「はいはい。おかえりぃ」

「えっ。早っ…」

予想していたよりも早い返事に驚く堀川の前に現れたのは、太刀の刀剣男士の姫鶴一文字だった。
すぐ左の廊下からゆっくりと出てきたかと思えば上がり框から見下ろしてくる。

「長旅ごくろーさん」

「ただいま。…留守の間、何かあった?」

堀川に促されて赤羽は中へと足を踏み入れると、出迎えた姫鶴を見上げながらそう尋ねる。

「んっと、まぁ、大ごとにはなってない…かな?」

「なるほど。何かあったわけか」

赤羽に続いて中へと入るのは堀川と共に主の護衛をしていた長曽祢虎徹で、姫鶴の言葉に何かを察して呆れ顔をする。

「何かあったわけですねー…」

「何かあんのはいつものことじゃない?」

いつも何処かでらんちき騒ぎが起こる本丸で何もないわけもなく、ある意味いつも通りだったことに安心していいのかどうか。堀川には悩ましいところだった。

「むしろそっちが無事で良かった」

「そうだね…二人共、ありがとう」

「いや、護衛と言ってもおれは荷物持ちくらいしか出来なかったからなぁ。それに滅多にない現代遠征はさすがに疲れた。なぁ、堀川」

「そうですね。東京があんなにも建物の多い所とは…知ってはいたけど実際に見るとやっぱ驚いちゃいます」

夜明け前に本丸を出て堀川達が向かったのは、東京にある政府軍の総本山。通称「本部」と呼んでいる政府軍の最高防衛基地である堅牢の城へと、わけあって赤羽が向かうこととなり、その護衛として選ばれたのが堀川と長曽祢だった。

「見た目はいっぱしのエスピーって感じだけど」

「えすぴい?」

「んー…国の偉い人間、護衛してる奴ら?」

「あぁ、何となく分かりました。長曽祢さんのスーツ姿がそれっぽいですよね」

「おれか?」

首を傾げる長曽祢に堀川は笑いながらうなずく。

今の長曽祢の服装は上下黒のスーツ姿でいつも無造作に結んでいる髪も見栄え良くしていた。
何故こんな恰好なのか。
それは説明するまでもなく長曽祢の戦闘服は目立ちすぎたからだ。だからと言って遠出をするのに内番着もいただけない。そんなわけで何処へ出るにもまあまあ不自然ではないはずだ、と間に合わせのスーツとなったわけである。
体格がいいためそれと見えるのも仕方ないはなしだった。

「つか朝出て暮れに帰るとかダルすぎ…転送門使えばパッと行けんのにね」

「それ刀剣男士ぼくらしか使えない移動手段ですから」

「ん。分かってる。こーゆー時、主は人間なんだなって思うわ」

そう言いながら姫鶴がおもむろに赤羽に右手を差し出すため、堀川は首を傾げてそれを眺める。

「主、手」

あまり説明になってないそれに長曽祢も不思議そうにしているのが分かった。

姫鶴に手を差し出された赤羽だけがすっと動くと、その手のひらに左手を乗せる。そして履き物を脱いで上へと上がる時に姫鶴はその手を軽く握りながら引き、着物の主でも上がりやすいように手伝っていた。

「うっわぁ…!」

流れるようなその所作に堀川は感嘆の声を洩らした。

「姫鶴さん。何だかんだ言って一文字ですね!」

「…え、どゆこと。堀川くんから見て一文字ってなに」

「紳士の集い…ですかね!」

「…うっそ。ないわぁ」

堀川の返答に心底あり得ないと言いたげな顔をする姫鶴は腕を組みながら、

「ま…姫扱いは慣れてっからね、おれ」

そう言って眉間に皺を寄せるのは誰に対する不満だろうか。

「んで…そっちは手ぇ引いてやんないと中にも入れねーの…?」

眠そうな目で姫鶴がじぃっと見つめる視線は、未だ玄関先に立つ堀川の、その隣へ。
そこには真っ黒いフードを被った狐面の人物が堀川に手を引かれる形で静かに佇んでいる。

「・・・」

(反応なし、かぁ…)

本丸に入れば何か反応するかな、と堀川は少し期待していたけれど、狐面は姫鶴の声にも返答をせず下を向いていた。

彼は堀川達と一緒に本部から本丸へとやって来たわけだが、黙りを決め込むその人の、そんな姿を見たことがなかった堀川は帰還中どう接していいか分からずじまいで、ずっと気まずい思いをしていた。

「ふうん…」

その様子に何か思うところがあるようで姫鶴が主を見れば、赤羽がうなずく。

「姫鶴、頼んだよ…」

「ん。任された。堀川くん、その子…中に入れたげて」

「あ、はい…」

手招きする姫鶴に言われて、堀川は振り返るとその手を引いて中へと招き入れた。
油の切れたブリキの人形のようにぎこちない動きをしながら玄関へと上がるその人を姫鶴に引き渡すと、姫鶴はその腕を自分の首へと回して空いた手で背中を支えてやりながら歩行の助けをする。

「んじゃ…堀川くん、長曽祢くん」

「はい?」

ぼんやりとその動きを見ていた堀川は、首だけで振り返る姫鶴の流し目を向けられて首を傾げた。

「執務室までおれと主のエスピーよろしくー」

それだけ言って歩き出してしまう姫鶴と彼に先行する赤羽に置いていかれて、理解が追いついていない堀川が隣を見上げれば、長曽祢が疲労感漂う苦笑いを浮かべているのが見えた。





「それじゃ、どういうことか説明してよね」

説教でもするように凄みを効かせているのは、堀川や長曽祢と同じ新撰組の刀である加州清光だった。

執務室までの道中、赤羽が帰ってきたことに気がついた男士達が狐面の同行者を見て大騒ぎしてしまい、堀川達は揉みくちゃにされながらどうにか部屋に逃げ込んだ。
姫鶴に言われた通り、堀川と長曽祢はSPさながら周囲を押し止める活躍をして疲労困憊だったが、そんなもん関係ねぇとばかりに加州が取り調べを始めようとしている。

「ばんちょ。お手柔らかにー」

「は?なに?番長?」

「そ、加州くんのこと」

「はぁ?!そんな可愛くない呼び方しないでほしいんだけど」

マイペースな姫鶴に加州は嫌そうな顔をする。

「まぁお前は本丸のまとめ役だからな。あながち間違いでもないだろう」

「可愛くないのは間違い!」

姫鶴に同意するように言う長曽祢に加州は反論するが、こうして本丸内の刀剣男士を代表して赤羽の前に立つのだから、番長とはいい得て妙だと堀川も心中でうなずいてしまう。

「まぁ…落ち着きなって。加州くんも座んなよ」

「どの口が言うかな~…」

文句の言い足らなそうな加州は空いている赤羽の隣に座ると深い溜め息をついた。

今堀川達が腰をおろしているのは執務室に設置された客人用のソファで、客人と対面で話すためにローテーブルを挟んで一脚ずつある。
片方には加州、赤羽、堀川と座り、もう片方には長曽祢、姫鶴、同行者と三人ずつ座ってもゆとりのある広さだ。

「てかやっぱ長曽祢さんのスーツ姿って見慣れなすぎて笑えんね」

「笑うな」

真面目な顔をしていたはずの加州だったが正面の長曽祢を見ると、にやにやと笑ってしまっている。
姫鶴のマイペースさに毒気を抜かれた様子だ。

「でも普段と違う恰好っていいですよね。僕なんて普段着てるものから防具と上着脱いだだけで問題なしでしたから…長曽祢さんがちょっと羨ましいです」

「そういうものか…?着なれてる方がいざという時動けていいと思うが」

「有事の際はそうですけど、余所行きの主さんの隣に立つならビシッと決めたいじゃないですか」

「堀川それ分かる~。長曽祢さんも護衛の座を勝ち取ったんだから文句言わないでほしいんですけど~」

「おれが文句を言いたいのはこの恰好を笑うお前だ」

やれやれと呆れたようにため息をつく長曽祢とケラケラ笑う加州を見て堀川は本丸に帰ってきたんだとようやく人心地ついた気分になった。
現代に於いて本丸しか知らない堀川は、本部の想定以上に広大な敷地や巨大な施設の数々、人員の多さに圧倒された。街一個分はありそうな土地面積の中で今日自分達が通されたのはその一割もないだろう。

「…堀川、大丈夫?」

「え!あ、すみません。今になって緊張が解けてきたみたいで」

いつの間にかぼんやりとしていたところを赤羽に心配されて堀川は慌てて笑顔を返した。

「そう…。帰ってきたばかりで、休みたいね。加州、手短にお願いするよ」

「もう主。それ取り調べ受ける側の態度じゃないよね。…まぁいいや。単刀直入に聞くよ?」

無駄話をしてる場合じゃないと背筋を伸ばした加州は赤羽ではなく斜め向かいの狐面に顔を向ける。

「なんで藤代がここにいんの」

宣言どおり率直に加州は聞いてくる。
狐の面で顔は分からないが、フードを外した薄紫色の長い髪や痩せた体型の青年が、以前この本丸にいた記録役だと彼を知るものは一目見て分かった。
だから、あれだけの騒ぎとなったのだ。

「いや、いるのがダメなわけじゃないけどね?また記録役として雇ったとかさ、あらかじめ理由を言っといてくれたら俺らもこいつを歓迎するよ?でもさ、主今日出掛ける時ひと言も言ってなかったよね。本部のお偉いさんと話をつけてくるとしか言ってなかったよね」

捲し立てるわけではないが、加州は一言一言赤羽に言い聞かせるように問いかける。

「藤代もなんか様子変だし…。弱った猫の子見捨てられなくて、連れてきちゃったわけじゃないよね?これ大丈夫なの?」

どうやら予定にない赤羽の行動に心配しているらしい加州は、様子のおかしい藤代を主が突発的に本部から連れ出してきてしまったのではと考えてるようだ。

主がそんな考えなしな行動をするわけがない。
と、思いながらも堀川は加州の心配事に理解を示す。

「まあ、心配になりますよね。今回本部に行ったのも藤代くんの精密検査の約束を取り付けるためで、彼のことは本部で診てもらうのが主さんの希望でしたし」

「そうそう。本部の方が医療設備しっかりしてるし、審神者の研究に力入れてるわけだからさ、絶対診てもらったほうがいいじゃん」

堀川に返しながら加州はちらっと赤羽を見る。
赤羽は尋ねる加州ではなく藤代を見ていた。

「無断で連れてきてないよ。上からの指示で、しーちゃんは、ここで預かることになった」

「はぁ~…説得失敗かぁ。本部はこいつの世話をするつもりはないのね」

「そうなるね…。その決定を、先に本丸に連絡してなかったのは、ごめんね」

「うん。主らしくないね」

感情のこもらない声で謝る赤羽に、加州はソファに背を預けながら笑いかけていた。

「主らしくないよ。どんな時でも冷静なのがあんただろ?本丸離れた奴のことで動揺してどうすんの」

なるほど、と堀川は目を大きくする。
加州の目には主のことがそう見えるのか、と。

堀川から見た赤羽は、感情を失くしたように何が起きてもその心が揺さぶられることはなく、冷静で、淡々と物事を処理していく。そんな人だ。
今回希望と違う結果となったことを静かに受け入れ、帰途に着く間ずっと藤代の今後の生活について思案していた。
それは本丸に連絡することを忘れるほど、必死だったんだ、と堀川は加州の言葉に気づかされた。

「…みんな、はなしてるとこ悪いけど」

ぽつりと話しに割り込む形で、ずっと黙っていた姫鶴が口を開いたのはその時だった。

「シロくん、目覚ましそ」

その言葉にその場に居合わせた全員の視線が狐面に注がれた。

「え?目ぇ覚ますって…藤代歩いてたよね?」

加州の当然の疑問に誰も答えられず、ただ俯いていた顔がぴくりと動いた時に誰かの口から「あ…」と洩れたのが聞こえた。
ゆっくりと顔を上げた藤代は覚醒の途中なのか少しの間ぼんやりとして、おもむろに周囲を見渡すようにしていた。そして、赤羽を見た。

「赤羽様っ???!!!」

瞬間、悲鳴にも似た声を上げながら彼が飛び上がったのを見て、堀川はようやく心から安堵した。
おそらく他の者も同じ気持ちだったに違いない。

「ど、どどどうして!?どうして赤羽様が…って、あ!そうか。確か赤羽様が来てるから第七会議室に行けって言われて向かって…いたんだけど、あれ?でも会議室に入った記憶がない。ないよな?でも赤羽様はいるし、てかここどこですかぁっ?!」

「うるさ」

困惑しながら記憶を辿るも最終的に混乱して叫ぶ藤代に一番近い姫鶴が顔をしかめた。

「しーちゃん、落ち着いて」

「はい!」

そんな状態でも最早反射のように赤羽の声に反応する。

「ここは、本丸だよ」

「ほん…はい?」

狐面が斜めに傾く。
本部にいたはずが本丸にいると言われて思考停止しているのが見てとれた。
当然だろう。本部から本丸まで交通機関を使っても何時間もかかるのだ。その時間分の記憶がごっそりと抜け落ちている藤代にとって瞬間移動でもした感覚なのかもしれない。
それは自分達が転送装置を使ったときの感覚に似ているのかな、と堀川は想像する。

「あ、確かに…本丸ですね。赤羽様の。…って!あああああ、すみません!失礼しました!あまりのことに混乱して…その、お久しぶりです!赤羽様!お変わりないでしょうかっ」

「うん。私も、みんなも、変わりないよ…」

落ち着かない藤代と動じない赤羽とのやり取りに、堀川は懐かしさを思いながら眺めていると、

「ちょっとー?俺らもいんのスルーすんなよ」

加州がつまらなそうに口を挟み始めた。

「すみません。皆さんいたんですね。赤羽様しか見えてませんでした」

「はは…シロくん、正直もん」

その不躾な物言いに姫鶴は不機嫌になるどころか笑っている。

「でもそういうところ、藤代くんらしいですね」

「あぁ、そうだな。喋らない時は心配したが、口の減らないところは変わりなくて安心した」

「!…誰かと思ったら、長曽祢さん?なんでスーツ。イメチェン?」

「違う。主の護衛のためだ」

「なんか…なんだろ。笑えますね」

「お前もか。…笑うな」

加州と同じやり取りをしたばかりで、長曽祢はガシガシと頭を掻いて整えた髪をほどいてしまう。
生意気なところが安心材料となるのもどうかと思われそうなところだが、このくらいの減らず口でないと調子を狂わされてしまう。

「しーちゃん。君には、これから、本丸で過ごしてもらう。着の身着のまま、連れてきてしまったから…荷物はまとめて、届けてもらうよ。突然の決定で、驚くと思う…ごめんね」

「い、いえ…!赤羽様が言うのでしたから、その決定に従います。ところで、俺…じゃない。私には本部から移動した記憶が全くないのですが…一体何が起きてるんでしょうか」

「あ、それ俺も疑問。こいつ変だったけど歩いてたよね?」

「俺歩いてたの?!」

移動の際の記憶も一切ないらしい藤代は加州の言葉に驚きの声を上げる。
加州が見た時には姫鶴が肩を貸している状態だったが、堀川が手を引いて連れてきた時にも足元は危うくなりながらもゆっくりと自分の足で歩いていた。
それは、まるで誰かに操られているように…。

「うん…。それは、落ち着いてから話すよ。今は、ゆっくり体を休めてほしい…。お腹、空いてる?」

しかし赤羽はその疑問には答えず、帰還したばかりの体を気遣う。その質問は自分にされたわけではなかったが、堀川は空腹を思い出していた。

「それと…しーちゃん」

赤羽は立ち上がるとその赤い瞳をまっすぐに藤代に向けて、珍しく、本当に珍しく少しだけ微笑んだ。

「おかえり」

それを見て堀川も素早く立ち上がると満面の笑みを藤代に向ける。

「お帰りなさい!」

それに続くように加州、長曽祢、姫鶴も立ち上がり挨拶をすると、

「た、ただいま…?」

その圧に藤代はたじろいでいた。
が、すぐに何事か気が付いて「ちょっと待ってください」と頭を下げると、付けていた狐面を外したのだった。

面の下からは相変わらず生っ白く、記憶よりもちょっとだけ大人びた青年の顔が現れて、その淡緑の瞳が少し遠慮がちに笑っている。

「失礼しました。ご迷惑お掛けしますが、今日からまたよろしくお願いします」

頭を下げる藤代の帰還を堀川は心から嬉しく思った。
彼が本丸を離れてから色々なことがあった。
新たな刀剣男士も何口か増えた。
話すことは多いし、話してもらうことも多い。それを楽しみにする一方で、

「・・・」

執務室の外からヒシヒシと感じる気配達への説明には苦労しそうで、まだしばらく主達のSPで休めなそうだ、と堀川は心中で苦笑いを浮かべた。
16/17ページ