とある本丸の日常生活


朝、広縁の戸を開け放ち雨の音を聴く。
この時間、この場所は静かなもので、打刀の刀剣男士である鳴狐の気に入りの場所となっていた。

毎年新たな刀剣男士を迎える本丸は戦力も十分。古参勢は修行に行き、過去の自分と向き合い、己の力を極める者も増えた。鳴狐も強くなった。
ただ人数が増えればそれだけ広い本丸も狭く感じ、何処にいてもヒトの目があることに鳴狐の心は休まらず、時々はこうして一人の時間を過ごしていた。

一人と言ってもお供のキツネは隣にいる。キツネは朝から元気でそしてうるさい。そのキツネも、今は山沿いの紫陽花に目を奪われ口を閉ざしていた。

静かだ、と鳴狐は思う。

ザアザアと雨が降り、木の葉を揺らす風か吹く。湿った風が入り込み鳴狐の耳飾りを揺らす。
その音だけが聞こえていた。

しばらくそうしていると遠くの方で、どこかの戸が開閉する音が聞こえた気がした。あちこちの廊下には気配が少しずつ増え、ゆっくりと本丸が活動を始めるのが分かった。

「キツネ…そろそろ行こう」

一人の時間はおしまい。
キツネに声を掛けて、鳴狐は朝餉の用意の手伝いに向かおうとした。

「おや」

離れる前に広縁の戸を閉めていると後ろから声がした。振り返れば背後の障子戸を開けて佇む大太刀がいる。

「これはこれは石切丸どの!おはようございます」

「おはよう」

足元でちょこまかと動きながらキツネが石切丸を見上げて挨拶をするのに鳴狐も続いた。

「おはよう。二人とも早起きだね。紫陽花でも見ていたのかな?」

朝の祈祷でも済ませてきたのだろうか。
穏やかなその顔は起きたばかりという様ではなかった。

「その通りで御座います!山肌に沿うように植えられた紫陽花は今年も見事に咲き誇っております。あまりの美しさに、わたくし見惚れてしまいました!」

「ははっ確かに。見惚れるほど美しいね」

「見てる間は、キツネも静かで良かった…」

「鳴狐!わたくしだって静かな時はありますよぅ。皆様が眠られる時間帯は極力口を閉ざしておりますぞ!」

「今も、静かにして」

「鳴狐ぇ」

大きな声を指摘されて、キツネは声を落として訴えるように鳴狐を見る。

「反抗期なのでしょうかねぇ。近頃はわたくしの声が大きいやら話し過ぎるなど、鳴狐から注意を受けることが多くなりました…」

しょんぼりとしながらもキツネはトンと跳ねて鳴狐の肩に乗る。本当に反抗期ならばそれも嫌がるはずなのだがキツネは気が付かない。

鳴狐としてもキツネが煩わしいわけではない。本丸で過ごす内に仲間の影響か、思ったことを口に出来るようになったためで、それは心の変容、一種の成長でもあった。

「遠慮のない関係は貴重なものだ。言いたいことが言えるくらいが丁度いいんだよ」

「そうだね。これからも、キツネに言いたいことはちゃんと言う」

「そ、それは、それは~…喜ばしいことなのでしょうがわたくしの心中は複雑でございますぅぅ…」

そう嘆くキツネは落ち着きなく鳴狐の肩で足踏みをして、その動きに合わせてキツネの三本の尾もふらふらと揺れる。

「…キツネ、当たってる」

頭や首にその尾っぽが当たってくすぐったい。

「もふもふ…いいな」

鳴狐が指摘するのとほとんど同時に、それを羨ましがるような静かな女の声が聞こえた。キツネもそれに気づいたようで落ち着きのない挙動を止め、その場で居ずまいを正し始める。

声は後ろから。
石切丸からは右手になり、鳴狐がそちらに振り返ればいつからそこにいたのだろう、本丸の主である赤羽が数歩後ろに立っていた。

「これはこれはあるじどのぉ!おはようございます!」

誰よりも先に口を開いたのはお供のキツネで、鳴狐と石切丸がそれに続く。

「おはよう。みんな、早いね…」

二人と一匹に挨拶を返す赤羽も身支度をすっかり整えて、起床からしばらく経っているような様子だった。

「鳴狐とわたくしはここから紫陽花を眺めておりました。ここは鳴狐の憩いの場なのですよ。石切丸どのとは先ほどお会いしましたなぁ」

「そうだね。私は本丸の息災安穏を願って祈祷を行ってきたところだ。主は早朝から何をしてきたのかな」

「私は…」

尋ねる石切丸に目を向けて答えようとする赤羽に、一瞬躊躇いが生まれた。
…ように鳴狐には見えた。
いつもと変わらない、感情の読めない表情であるのに。

「数珠丸に瞑想に誘われて、行っていたよ」

「ほほぉ、瞑想でございますか~。それは素晴らしいですが、朝早くからではわたくし居眠りをしてしまいそうです」

「…そうだな。早朝はつらい」

キツネの冗談に鳴狐も共感するように頷いた。赤羽が来た先には講堂へと続く廊下がある。数珠丸はいつもそこで瞑想をし、仏に祈りを捧げている。その時間に赤羽も付き合ったらしい。

「…うん。私も居眠りをして、さっきまで数珠丸に叱られていたよ」

キツネの言葉に赤羽も頷いてそんなことを言うから、鳴狐は耳を疑った。

「あるじが…居眠り?」

「本当に…?」

思わずこぼれた呟きを石切丸が驚いた顔をしながら拾う。

「いや…珍しいこともあるものだ。主はいつもそつがないからね、そんな失態をするなんて思いもしなかった」

「そんなことはない…。瞑想は耐えるけど、法話を始められると耐えられないよ」

「瞑想に続いて法話とは、いやはや「だぶるぱんち」と言うやつですなぁ~…」

赤羽に同情するようにキツネが頷く。

「数珠丸の声は、眠りを誘う」

「あるじどのの意外な弱点ですなぁ」

「はは、そうだね。でも主のことも意外だけど、あの数珠丸さんが居眠りをしただけで叱るのも意外だ」

「なるほどなるほど。それも確かに」

僧として自己を見つめ、己と向き合い続けている数珠丸は戦場でも常に落ち着いていて、感情を乱すことはない。
そんな数珠丸に叱られる主、という図が全く浮かばなかった。

「仏の顔も三度まで…という言葉もある」

「つまりあるじどのは居眠りの常習犯というわけですか?」

「そう。そして、敵前逃亡の常習者…」

「つまり数珠丸どのの法話が嫌で避け続けてきたというわけですね…」

物わかりよくキツネが赤羽の言葉を解説していく。さすが長く鳴狐の感情を察して言葉にしてきただけあり、相手の心を読むように共感することに長けている。
これで声量や話しすぎるクセをどうにかしてくれたらいいのにと鳴狐は思う。

「なるほどね。瞑想の誘いを何度も断られ居眠りもされる。流石の数珠丸さんも灸を据えなければと思ったわけか」

「・・・」

「ん?主、どうかしたのかな」

「石切丸は、先に断わっておくよ」

「え…!」

虚を突かれたように石切丸が驚きの声を上げた。

「あ、あー…はは。バレていたんだね。あわよくば私も神仏の有難い話を主に聞いてほしいと思っていたんだけどな」

「石切丸の声でも…眠れる自信がある」

「その自信はないほうがいいかな」

石切丸が呆れたように笑うのを見て、鳴狐は「あぁ、それで」と思う。
先程、主が彼を見て一瞬躊躇したように見えたのは石切丸と数珠丸を重ねて見たからだろう。
神仏の有難い話を聞くということは、主にとってこの上ない苦行なのだ。
聞けば聞くほど主から意外な一面ばかりが出てきて、鳴狐は驚きながらも愉快な気持ちになった。

「やっぱり…あるじは、面白い人だな」

「やや…!あるじどのぉ!鳴狐が笑っておりますぞ。やはりあるじどのには心開いているようですな~」

「キツネ。黙って」

自然と緩んでしまった顔を、茶化されたわけではないのは分かるが、わざわざ報告されたことに鳴狐は恥ずかしくなる。

「私が、面白い…?」

一方で赤羽は鳴狐の言葉にきょとんとしていた。面白いなどとこれまで言われたことがなかったからだろう。

いつも言葉少なで、感情の表現も殆どない赤羽は物静かだ。溌剌と動き回るより泰然自若として、その無感情な目で鳴狐達刀剣男士を見守っている。
そう感じていた。
当人もそんな自身が面白みのある人間だとは考えもしなかっただろう。

「うん。…あるじは、面白いと鳴狐は思うぞ。居眠りのこともそうだけど、キツネのようなふさふさした動物が好きだったり、鶴丸のイタズラに律儀にお返ししていたり…」

他にも少ない言葉の端々に冗談を含ませることも増えたこと、誰かが笑い話をすればひそかに微笑んでいること。
鳴狐から見た主は物静かだが、愉快な気持ちにさせてくれる人でもあった。

「時々、あるじはこどものようだ」

「!?」

素直な気持ちを口にした瞬間、キツネの身体がブルッと震えるのが肩越しに伝わった。反射的に鳴狐は耳に手を当てる。

「なっ、鳴狐ぇ??!!」

直後、声量の調整が狂ったキツネの叫び声が廊下に響き渡る。

「キツネ。うるさい」

「鳴狐!あるじどのに何という無礼をおっしゃるのですか!」

吠えるキツネに迷惑そうに鳴狐は顔を背ける。キツネは鳴狐の感情の多くを代弁してくれるが、時々は自分で喋る鳴狐の言葉選びによってはこうして口うるさく指導を入れることがあった。
鳴狐は慣れたものだが、背けた顔の先に見えた石切丸は突然の大声に驚き唖然としていた。

「あ…キツネがうるさくて、ごめん」

「あ、いえ。私は大丈夫だよ」

頭を下げれば石切丸は穏やかに微笑んで答えてくれる。

「鳴狐!聞いているのですか?!」

テシテシと前足で肩を叩きながら吠え続けているキツネを宥めながら、続けて鳴狐は赤羽に頭を下げた。

「…あるじ、気に触ったのなら申し訳なかった」

「気にしていないよ」

赤羽はいつもの無感情な瞳で鳴狐を真っ直ぐに見ていた。暗い血の色をした瞳は宝石のように美しく、それを見て鳴狐は一つうなずく。

鳴狐より小さなこの主の、感情の乏しい白い顔と瞳と同じ色をした髪はまるで造られたように美しく、その人間らしさを失わせてしまう。
だけど確かに彼女は人間で、刀剣の付喪神より遥かに幼い年齢で百を越える刀剣の主をしている。
それを「こどものよう」に愛おしくも尊いと思うのはおかしなことなのだろうか。

「あるじ。一つ提案がある」

「?」

「講堂へ行くのが苦手なら、鳴狐と一緒にいよう」

首を傾げる赤羽に鳴狐は思い付いた提案を口にした。

「鳴狐は時々だが、今の時間ここにいる。ここでただ外を眺めているだけ。誰もいない静かな時間は、とても落ち着く」

数珠丸が何を思って主に声をかけるのか。それはきっと、この戦いで心落ち着く時間を持てない主を思ってのことだろうと鳴狐は考える。
だが、それが逆に主の為になっていないのであれば断る理由が必要だと思った。
これはその提案だった。

「ううん。君の憩いの時間を、奪うわけにはいかない。気を使わせて、ごめん」

「それは違う。これは鳴狐の望んだこと。…いや、わがまま?」

赤羽はここが鳴狐の憩いの場であるとキツネが話したことを聞き逃さずにいてくれたらしい。
そのため鳴狐の提案を断るが、鳴狐はそれを否定した。

「鳴狐は、あるじの近くにいるととても落ち着く。だから、側にいてほしい」

純粋なわがままを鳴狐が主に向ければ、肩越しにキツネが息を飲むのが分かった。
どうして驚いているのか。
不思議に思ってそちらへ少し顔を向けたのと同時に、

「鳴狐。それでは愛の告白のようですぞぉ」

「・・・。・・・え?」

思いもよらないキツネの指摘に鳴狐の思考が固まる。

「ははは…普段おとなしい者ほど、発言が大胆になる傾向にあるよね」

「特に鳴狐はあるじどのには心を許しておりますからなぁ」

お供も石切丸も好き勝手言うが、今鳴狐には反論する言葉が浮かばなかった。

主を守る刀剣の付喪神としての本分、側に置いてほしい刀としての本心からそう提案したわけなのだが、どうやら言葉選びを間違えたらしい。
それに気付いて鳴狐は押し黙り、煩悶する。主の顔が見れなかった。主は何も言わないがいつもの無感情な目でこちらを見ていることは分かる。

「あ…るじ、その…」

しどろもどろとなりながら鳴狐は自分の左肩を指差した。

「鳴狐?どうしてわたくしを指差すのですか…」

「…あるじ。キツネも、一緒にいる。キツネの毛並み、堪能するか?」

「やややっ!鳴狐ぇ!?わたくしをダシに使うのはおやめなさいっ。わたくしはぬいぐるみでは」

「わかった」

「あるじどのぉ!?」

鳴狐の提案に赤羽が快諾すれば、一際高いキツネの声が廊下に響き渡った。
叫ぶキツネに鳴狐は申し訳なく思う。
困り果てた末とは言え、全幅の信頼を置くお供を緩衝材にしたのだから。

「キツネ。ごめん…」

その謝罪はキツネの耳には入っていないようだった。




・・・・・・・・・



「…でも、なんだかんだキツネも満更でもないよね」

「?…鳴狐、何か言いましたかぁ?」

鳴狐の呟きに、傍らで丸くなっていたキツネが耳を動かして反応するが、鳴狐は雨音で聞こえないふりをした。

鳴狐は広縁の戸を開け放ち雨の音を聴いている。早朝の本丸は静かなもので、その耳は雨と風の音しか拾わない。

山沿いの紫陽花はすっかり色褪せ、梅雨の終わりを知らせるようだった。

「おはよう…」

やがて雨音に消えそうな静かな女の声が聞こえてくる。
遠耳の利くキツネがいち早く身体を起こして声の方へと振り返ると、にっこり笑うように大きく口を開けた。

鳴狐もそちらを見ると、幼子に向けるような優しい眼差しで微笑んだ。
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