とある本丸の日常生活
閉ざされた窓がカタカタと揺れる。
随分風が強く吹いているらしい。
窓硝子に映る暮れの空は黄みを帯びた紅色で、その美しさに手を伸ばすように山並みから紫色の夕闇が迫り来ていた。
薄墨を滲ませたようなどこか不気味なその景色に、廊下に立ち止まるにっかり青江は口角を上げた。
「どうかした…?」
足を止めて外を見やるにっかりに気が付いて 先を行く本丸の主、赤羽が振り返る。
表情の乏しいその人は美しいが生気のない白い顔をしていて、こうして薄暗い廊下に立つとこの世の者ではないようで…
これは怪奇に慣れていない者は肝を冷やしかねないなとにっかりは苦笑する。
「?」
「いやぁ…朝から激しかったなぁと思ってね。雨のことだよ?」
「そう言えば、降っていたね」
促されるように赤羽も窓に目を向ける。軒下にも関わらず窓硝子には打ち付けたような雨の雫が残り、雨風の強さを物語っていた。
「ようやく雨雲が立ち去ってくれたみたいだ」
「うん…」
赤羽が手近な硝子戸の鍵を開けてゆっくりと戸を開けば、湿り気のある空気と共に草花の強い匂いが本丸へと流れ込んだ。
新緑の頃より色の深い葉を繁らせた山々が初夏を連れてきた大風に波打てば、中腹にある本丸も風に呑まれ、清風は主とにっかりの髪を揺らした。
「心地のいい風だ…」
朝から降り続いた雨がやみ、鼻腔をくすぐる香りと共に本丸は夜を迎えようとしている。
「…にっかり。行こう」
「そうだね。主の大事な子が届いたんだ。早くここから出してあげないとね」
愉快そうに言いながらにっかりは抱えている桐の箱を見下ろした。
赤羽宛に届いたそれは赤子ほどの大きさでありながらずっしりと重い。
本日、近侍を任されているにっかりはその内容を教えてもらっており、だからだろうか表面上は微笑をたたえているが少し緊張していた。
「…おや?」
鍵を締めて先を行く赤羽に続いてにっかりも歩きだすと、すぐ先の曲がり角から1つの人影が出てくるのが分かった。
あちらも気づいたようだが何故か歩きだすような不自然な体勢のまま微動だにしない。
「どうしたんだろうねぇ」
にっかりは小首を傾げて赤羽に話しかける。薄暗い廊下ですぐには分からなかったが近づく内にそれが打刀の刀剣男士、石田正宗であると分かった。
「石田…どうしたの」
「…ハッ!あ、主と…にっかり青江か。よ、良かった…良かった。本当に…ハァ…」
近くまで来て赤羽が話しかければ、呼吸も忘れたように固まっていた石田はハッと我に返り、胸を撫で下ろして良かった良かったと繰り返していた。
「随分緊張しているねぇ。大丈夫かい?ほら力を抜いて…」
「す、すまない。本丸に来て早ひと月…私もとうとう見てしまったものかと」
「見てしまった…?あぁ、なるほど…ふふっ」
石田の言葉を理解したにっかりは隣の主を見遣り、先程の心配がこんなにすぐに的中したことに笑ってしまう。
「僕らを幽霊とでも思ったのかい?」
「…明かりというのは偉大だね」
主の執務室に入りソファに座らせてもらうと石田の緊張も解れてきたらしい。
天井の明かりを見ながらそう呟くのが聞こえ、にっかりの口が笑みの形になる。
「ふふ…そうだねぇ。でも意外だな。君、怖がりには見えないからさ」
石田が本丸に来てからおよそひと月。
にっかりの中での彼の印象は一言で言うと冷静沈着。何が起きても表情一つ変えなそうだと勝手ながら思っていた。
「そんなことはないよ。廊下から見た空の色は不気味だと思ったし、それに急に生温い風が流れてきたから警戒したよ。…雰囲気が有りすぎる」
「あぁ…空の色はさっきまで降っていた雨の影響だね。風が流れたのは僕らが窓を開けたからなんだ。知らなかったとは言え、これはごめんね」
「謝ることはないよ。むしろ理屈が分かって安心した」
話している内にいつもの冷静さを取り戻したらしく、石田は少し微笑んでいるように見えた。
「…実際のところ、幽霊というのはいるのかな」
「それを僕に聞くのかい?」
「私の中で霊や鬼などは創作のものだと思っていたからね」
「おやおや。付喪神 がそれを言うのかい」
石田の意見ににっかりは首を傾ぐ。
刀剣の付喪神である刀剣男士は審神者の技で現し世へと顕現している。審神者がいなければ「創作の存在」でしかないのだろう。
他にもこんのすけやくろのすけなどのクダギツネ達も使役する者がいるから姿が見える。
つまり条件が揃えば、誰でも霊や鬼の姿を見ることが出来る。
「幽鬼は存在するよ」
「そうか…」
「怖いかい?」
「そうだね…万が一に出会ってしまい、かつ危害を加えられそうになったら私には対抗出来る術がない。それは怖いと思う」
「あぁ。現実主義の怖がり方だねぇ。まぁ…そうだね。見えたとしてもさっきみたいに固まるのは良くないかな」
見えるもの代表として、にっかりは一つ重要なアドバイスをすることにした。
「気付いている、と気付かれたら絡まれるよ。それはもう…しつこくね」
それは経験豊富なにっかりの体験談なのだろうか。その遠い目から何かを察したようで、石田も「肝に銘じよう」と深く頷いていた。
「ところで、主は何をしているんだろう」
執務室に着いてから赤羽は桐箱を受け取ると机の上に置き、それをじっくりと眺めていた。
時折、何の装飾もないそれにこつりと軽く拳を当てているようだが、何の説明もないその行動はどこか不気味だった。
「あぁ。あれはね…」
にっかりが説明をしようとした瞬間に、キンッ…と耳鳴りのような高い音が聞こえた気がした。
「今のは…」
片耳を押さえる石田に赤羽は視線を向けて静かに口を開く。
「結界を、解除した」
「結界を…?」
おうむ返しで呟くが、赤羽はそれには答えず桐箱の蓋を外し始めた。そして箱に手を差し入れ取り出したのは一対の小太刀で、その鮮やかな朱塗りの鞘に納められた二振りをゴトゴトと無造作に机に置いていく。
「おやおや…随分、雑に扱うんだね」
「…そうかな」
「そうだよ。かつて君が命を預けていた物だって聞いたから、大事に運んできたと言うのに」
その小太刀はかつて赤羽が"兵士"として活躍していた時に使用していた物らしい。
脇差程の太刀で、小柄な赤羽でも扱える実戦刀はどれ程多くの時間遡行軍の血を吸ってきたのか。本丸での主しか知らないにっかりには推し測ることも出来ない。
「それは、本部からの支給品。君達に比べたら、価値はない」
「悲しいことを言うね」
国宝、重文、その他今世まで語り継がれる逸話持ち達が集まる本丸内ではそれの価値が霞むのは理解出来るが、主の得物と聞けば臣下の身としては羨望の念が湧くのも仕方ないこと。
そして少々の嫉妬心も。
「でもどうして今更その子を?僕達がいながらまた手元に置きたがるなんて…妬いてしまうね」
本部から本丸へと移る際に、赤羽はこの小太刀を信頼出来る者に保管を頼み、丸腰で本丸へとやって来た。
それからおよそ七年。
今更、と疑問を持つのは自然なことだった。
「…念のためだよ」
「念のため」
「何が起こるか、分からない。だから、護身刀のような物」
「意味深だねぇ。主自らその子を振るう日が来るかもしれないのかい?」
「…どうかな。今の私は兵士じゃない。抜刀の許可はない。でも、有事にはその限りでもない。…そうならないと、いいね」
本丸は常に有事と隣り合わせだ。
だからこそ今更 「念のため」と備えるのは不自然な事なのだが、にっかりには目の前の主が何に警戒しているのかこれ以上探れないと思った。
赤羽の言う通り、何も起こらないことを願うばかりだ。
「主…少し、触れてもいいかい?」
そう微笑んで請えば、赤羽は頷いてなんの躊躇いもなく小太刀を一振り手渡した。
受け取ったそれは自身の本体より短く、軽い。けれどやはり武器としての重みがあると分かると何故か肌が粟立つのを感じた。
「・・・正直、話半分だったけどこうして実際に手に取ると、君が戦える人だったんだなって実感するよ」
刀身を抜くのは流石に躊躇いがあり、朱鞘に眠る小太刀を眺めながら感慨深く思う。
「主が、戦える人と言うのは…?」
そこで黙って二人の話を聞いていた石田が疑問を口にした。
何も知らない者からしたら、目の前の小柄な女性に刀を振るえるだけの力があるとは信じがたい話だろう。まして刀剣男士と並び立つほどの戦力が備わっているとは想像だにしないだろう。
話を聞いているにっかりとて、こうして手にするまで信じられなかったのだから仕方ないことだ。
「端的に言うと、主はとても強い人でね…本丸に入る前はこの子を使って時間遡行軍と戦っていたんだよ」
「は…?遡行軍と…?主は本当に人間なのか」
「人間だよ」
唖然とする石田に赤羽は温度のない声で答える。何が起きても表情一つ変えない人形のような主より刀剣男士の方がよっぽど人間みがある可笑しみに、にっかりは喉の奥でクツクツと笑う。
「主、この子の名前はあるのかい」
小太刀を返しながらそう尋ねれば、赤羽は静かに口を開く。
「…"真二つ"」
「まふたつ?また随分と物騒な名前だねぇ」
切れ味の良さと二振りあることを掛けた名付けだろうかと予想すると、
「落語でそう言う小噺が、あるみたいだね…。触れただけで、人の体が真っ二つになった。刀工はその切れ味を、再現したかったらしい」
「落語って時々容赦なく物騒な噺があるよねぇ」
「その小噺と言うのは、試し切りの話なのかな」
石田がそう問えば赤羽は首を横に振る。
「詳しくは、分からない。ただ、気を付けないと、自分が真っ二つになる…」
「え…。その切れ味、再現に成功してないよね」
「今のところ、私は真っ二つになってないよ」
「えぇ…」
無表情に冗談なのか本気なのか分からないことを言って、赤羽は石田をたじろがせている。
そんな切れ味の物であれば、政府からの至急品で僕らより価値がない…などとは言えない業物か、もしくは今頃妖刀扱いされているだろうなとにっかりは思った。
「あっ」
「どうしたんだい」
突然、石田が何かを思い出したように声を上げた。
「うっかりしていた。主、用事は済んだかな。夕餉の時間だから食堂へ向かってほしい」
「あぁ。君、そのためにここまで来たのかい」
何の用事もなく本丸の最奥まで来るとは思っていなかったが、執務室まで主の荷物を運ぶことが大事でそちらの確認をにっかりも失念していた。
「日向が心配していたよ。最近主は忙しいのか食事の時間を忘れる、と。だから確実に連れていくと約束したんだ」
「そう…ごめんね」
「謝るなら日向に。今日は日向の作った梅の甘味が出されるよ」
「へぇ。もしかして梅のゼリーかな。僕はあれが好きだから、そうだったら嬉しいなぁ」
「そうなのかい?それを聞いたら日向も喜ぶよ。私も少し手伝わせてもらったがあの子は手際が良くてね…。甘味にはお手製の梅酒を使っていて風味がとてもいいんだ。見た目も涼やかで…」
今が梅の実のなる時期であるから、その梅酒は去年作ったものだろうか。
日向は梅干しだけでなく、梅シロップや梅酒も手製していて、年々味が良くなっていた。それを使用した 豊かな梅の香りのするゼリーの中にはシロップ漬けの青梅も入っていて、程よく甘い味はにっかりの好みだった。
「いや。すまない脱線した」
「構わないよ。それだけ好きなんだろう?」
「好き?…うん、そうだね。私は初めて口にしたけど多分、好みの味なんだと思う」
「うんうん。好きなものが増えていくのはいいことだよ」
顔をほころばせる石田に「そっちじゃないんだけどなぁ」と思うが、わざわざ言うのも野暮かと思い、にっかりは黙っていることにした。
「石田、お待たせ…」
「うん」
「行こうか」
桐の箱に小太刀を戻して、赤羽は二人を伴って部屋を出ようと執務室の扉を開けた。外はすっかり暗くなっていて、部屋の明かりの届かない廊下の先には暗闇が広がっている。
「待った。このまま行くのかい?」
赤羽が執務室の明かりを消そうとしているのを見て、石田が慌てた声で主を引き留める。
「?」
「暗すぎる。明かりはないのかな」
部屋の明かりがなくなれば、周囲は暗闇に包まれる。このまま廊下を行くのは足元が危ないと思ったのだろうが、
「ないよ」
「ない?」
「電源が近くにない。だから、このまま行くよ」
夜目が利くのか、赤羽は暗闇を前に平然としている。しかし石田は暗闇を見て難色を示していた。
「懐中電灯はあったよね。あれ使ってあげたら?」
「そうだね…持ってくるよ」
にっかりがそう提案すれば赤羽は頷いて懐中電灯を取りに向かった。
主が離れたところで石田は小声でにっかりに話しかける。
「主に怖いものってないんだろうか」
「肝が据わりすぎているからねぇ。前にイタズラ好きの怪しにちょっかい出された時も、淡々と回避していたし」
「本当に人間?」
「人間だねぇ。ただ、悪意のある幽鬼は彼女を恐れ、避けている。お調子者以外は近寄らないから、主の周りが一番安全な場所じゃないかな」
「それは頼もしいね。だけど…やはりこの本丸、いるんだな」
また少し体を強張らせた石田が恐々と暗闇に目を向けるのは、見えずともその気配を無意識に感じ取っているからか。
執務室の扉を開けた時、赤羽の前には黒い影が闇に紛れて佇んでいた。
それは彼女を恐れて散っていったが、部屋の前にいたのは審神者の力に惹かれたからだろう。
見えないものが見えるにっかりから見て、彼の主は異様で得体が知れない。
その異様さに怪異たちは恐れながらも近寄りたい。そんな矛盾した気持ちを抱いているようだった。
(その気持ちは分からないでもない…)
廊下のずっとずっと先へ、黒い影が遠ざかっていくのを見て、幽霊を斬った逸話を持つ脇差はにっかりと笑った。
随分風が強く吹いているらしい。
窓硝子に映る暮れの空は黄みを帯びた紅色で、その美しさに手を伸ばすように山並みから紫色の夕闇が迫り来ていた。
薄墨を滲ませたようなどこか不気味なその景色に、廊下に立ち止まるにっかり青江は口角を上げた。
「どうかした…?」
足を止めて外を見やるにっかりに気が付いて 先を行く本丸の主、赤羽が振り返る。
表情の乏しいその人は美しいが生気のない白い顔をしていて、こうして薄暗い廊下に立つとこの世の者ではないようで…
これは怪奇に慣れていない者は肝を冷やしかねないなとにっかりは苦笑する。
「?」
「いやぁ…朝から激しかったなぁと思ってね。雨のことだよ?」
「そう言えば、降っていたね」
促されるように赤羽も窓に目を向ける。軒下にも関わらず窓硝子には打ち付けたような雨の雫が残り、雨風の強さを物語っていた。
「ようやく雨雲が立ち去ってくれたみたいだ」
「うん…」
赤羽が手近な硝子戸の鍵を開けてゆっくりと戸を開けば、湿り気のある空気と共に草花の強い匂いが本丸へと流れ込んだ。
新緑の頃より色の深い葉を繁らせた山々が初夏を連れてきた大風に波打てば、中腹にある本丸も風に呑まれ、清風は主とにっかりの髪を揺らした。
「心地のいい風だ…」
朝から降り続いた雨がやみ、鼻腔をくすぐる香りと共に本丸は夜を迎えようとしている。
「…にっかり。行こう」
「そうだね。主の大事な子が届いたんだ。早くここから出してあげないとね」
愉快そうに言いながらにっかりは抱えている桐の箱を見下ろした。
赤羽宛に届いたそれは赤子ほどの大きさでありながらずっしりと重い。
本日、近侍を任されているにっかりはその内容を教えてもらっており、だからだろうか表面上は微笑をたたえているが少し緊張していた。
「…おや?」
鍵を締めて先を行く赤羽に続いてにっかりも歩きだすと、すぐ先の曲がり角から1つの人影が出てくるのが分かった。
あちらも気づいたようだが何故か歩きだすような不自然な体勢のまま微動だにしない。
「どうしたんだろうねぇ」
にっかりは小首を傾げて赤羽に話しかける。薄暗い廊下ですぐには分からなかったが近づく内にそれが打刀の刀剣男士、石田正宗であると分かった。
「石田…どうしたの」
「…ハッ!あ、主と…にっかり青江か。よ、良かった…良かった。本当に…ハァ…」
近くまで来て赤羽が話しかければ、呼吸も忘れたように固まっていた石田はハッと我に返り、胸を撫で下ろして良かった良かったと繰り返していた。
「随分緊張しているねぇ。大丈夫かい?ほら力を抜いて…」
「す、すまない。本丸に来て早ひと月…私もとうとう見てしまったものかと」
「見てしまった…?あぁ、なるほど…ふふっ」
石田の言葉を理解したにっかりは隣の主を見遣り、先程の心配がこんなにすぐに的中したことに笑ってしまう。
「僕らを幽霊とでも思ったのかい?」
「…明かりというのは偉大だね」
主の執務室に入りソファに座らせてもらうと石田の緊張も解れてきたらしい。
天井の明かりを見ながらそう呟くのが聞こえ、にっかりの口が笑みの形になる。
「ふふ…そうだねぇ。でも意外だな。君、怖がりには見えないからさ」
石田が本丸に来てからおよそひと月。
にっかりの中での彼の印象は一言で言うと冷静沈着。何が起きても表情一つ変えなそうだと勝手ながら思っていた。
「そんなことはないよ。廊下から見た空の色は不気味だと思ったし、それに急に生温い風が流れてきたから警戒したよ。…雰囲気が有りすぎる」
「あぁ…空の色はさっきまで降っていた雨の影響だね。風が流れたのは僕らが窓を開けたからなんだ。知らなかったとは言え、これはごめんね」
「謝ることはないよ。むしろ理屈が分かって安心した」
話している内にいつもの冷静さを取り戻したらしく、石田は少し微笑んでいるように見えた。
「…実際のところ、幽霊というのはいるのかな」
「それを僕に聞くのかい?」
「私の中で霊や鬼などは創作のものだと思っていたからね」
「おやおや。
石田の意見ににっかりは首を傾ぐ。
刀剣の付喪神である刀剣男士は審神者の技で現し世へと顕現している。審神者がいなければ「創作の存在」でしかないのだろう。
他にもこんのすけやくろのすけなどのクダギツネ達も使役する者がいるから姿が見える。
つまり条件が揃えば、誰でも霊や鬼の姿を見ることが出来る。
「幽鬼は存在するよ」
「そうか…」
「怖いかい?」
「そうだね…万が一に出会ってしまい、かつ危害を加えられそうになったら私には対抗出来る術がない。それは怖いと思う」
「あぁ。現実主義の怖がり方だねぇ。まぁ…そうだね。見えたとしてもさっきみたいに固まるのは良くないかな」
見えるもの代表として、にっかりは一つ重要なアドバイスをすることにした。
「気付いている、と気付かれたら絡まれるよ。それはもう…しつこくね」
それは経験豊富なにっかりの体験談なのだろうか。その遠い目から何かを察したようで、石田も「肝に銘じよう」と深く頷いていた。
「ところで、主は何をしているんだろう」
執務室に着いてから赤羽は桐箱を受け取ると机の上に置き、それをじっくりと眺めていた。
時折、何の装飾もないそれにこつりと軽く拳を当てているようだが、何の説明もないその行動はどこか不気味だった。
「あぁ。あれはね…」
にっかりが説明をしようとした瞬間に、キンッ…と耳鳴りのような高い音が聞こえた気がした。
「今のは…」
片耳を押さえる石田に赤羽は視線を向けて静かに口を開く。
「結界を、解除した」
「結界を…?」
おうむ返しで呟くが、赤羽はそれには答えず桐箱の蓋を外し始めた。そして箱に手を差し入れ取り出したのは一対の小太刀で、その鮮やかな朱塗りの鞘に納められた二振りをゴトゴトと無造作に机に置いていく。
「おやおや…随分、雑に扱うんだね」
「…そうかな」
「そうだよ。かつて君が命を預けていた物だって聞いたから、大事に運んできたと言うのに」
その小太刀はかつて赤羽が"兵士"として活躍していた時に使用していた物らしい。
脇差程の太刀で、小柄な赤羽でも扱える実戦刀はどれ程多くの時間遡行軍の血を吸ってきたのか。本丸での主しか知らないにっかりには推し測ることも出来ない。
「それは、本部からの支給品。君達に比べたら、価値はない」
「悲しいことを言うね」
国宝、重文、その他今世まで語り継がれる逸話持ち達が集まる本丸内ではそれの価値が霞むのは理解出来るが、主の得物と聞けば臣下の身としては羨望の念が湧くのも仕方ないこと。
そして少々の嫉妬心も。
「でもどうして今更その子を?僕達がいながらまた手元に置きたがるなんて…妬いてしまうね」
本部から本丸へと移る際に、赤羽はこの小太刀を信頼出来る者に保管を頼み、丸腰で本丸へとやって来た。
それからおよそ七年。
今更、と疑問を持つのは自然なことだった。
「…念のためだよ」
「念のため」
「何が起こるか、分からない。だから、護身刀のような物」
「意味深だねぇ。主自らその子を振るう日が来るかもしれないのかい?」
「…どうかな。今の私は兵士じゃない。抜刀の許可はない。でも、有事にはその限りでもない。…そうならないと、いいね」
本丸は常に有事と隣り合わせだ。
だからこそ今更 「念のため」と備えるのは不自然な事なのだが、にっかりには目の前の主が何に警戒しているのかこれ以上探れないと思った。
赤羽の言う通り、何も起こらないことを願うばかりだ。
「主…少し、触れてもいいかい?」
そう微笑んで請えば、赤羽は頷いてなんの躊躇いもなく小太刀を一振り手渡した。
受け取ったそれは自身の本体より短く、軽い。けれどやはり武器としての重みがあると分かると何故か肌が粟立つのを感じた。
「・・・正直、話半分だったけどこうして実際に手に取ると、君が戦える人だったんだなって実感するよ」
刀身を抜くのは流石に躊躇いがあり、朱鞘に眠る小太刀を眺めながら感慨深く思う。
「主が、戦える人と言うのは…?」
そこで黙って二人の話を聞いていた石田が疑問を口にした。
何も知らない者からしたら、目の前の小柄な女性に刀を振るえるだけの力があるとは信じがたい話だろう。まして刀剣男士と並び立つほどの戦力が備わっているとは想像だにしないだろう。
話を聞いているにっかりとて、こうして手にするまで信じられなかったのだから仕方ないことだ。
「端的に言うと、主はとても強い人でね…本丸に入る前はこの子を使って時間遡行軍と戦っていたんだよ」
「は…?遡行軍と…?主は本当に人間なのか」
「人間だよ」
唖然とする石田に赤羽は温度のない声で答える。何が起きても表情一つ変えない人形のような主より刀剣男士の方がよっぽど人間みがある可笑しみに、にっかりは喉の奥でクツクツと笑う。
「主、この子の名前はあるのかい」
小太刀を返しながらそう尋ねれば、赤羽は静かに口を開く。
「…"真二つ"」
「まふたつ?また随分と物騒な名前だねぇ」
切れ味の良さと二振りあることを掛けた名付けだろうかと予想すると、
「落語でそう言う小噺が、あるみたいだね…。触れただけで、人の体が真っ二つになった。刀工はその切れ味を、再現したかったらしい」
「落語って時々容赦なく物騒な噺があるよねぇ」
「その小噺と言うのは、試し切りの話なのかな」
石田がそう問えば赤羽は首を横に振る。
「詳しくは、分からない。ただ、気を付けないと、自分が真っ二つになる…」
「え…。その切れ味、再現に成功してないよね」
「今のところ、私は真っ二つになってないよ」
「えぇ…」
無表情に冗談なのか本気なのか分からないことを言って、赤羽は石田をたじろがせている。
そんな切れ味の物であれば、政府からの至急品で僕らより価値がない…などとは言えない業物か、もしくは今頃妖刀扱いされているだろうなとにっかりは思った。
「あっ」
「どうしたんだい」
突然、石田が何かを思い出したように声を上げた。
「うっかりしていた。主、用事は済んだかな。夕餉の時間だから食堂へ向かってほしい」
「あぁ。君、そのためにここまで来たのかい」
何の用事もなく本丸の最奥まで来るとは思っていなかったが、執務室まで主の荷物を運ぶことが大事でそちらの確認をにっかりも失念していた。
「日向が心配していたよ。最近主は忙しいのか食事の時間を忘れる、と。だから確実に連れていくと約束したんだ」
「そう…ごめんね」
「謝るなら日向に。今日は日向の作った梅の甘味が出されるよ」
「へぇ。もしかして梅のゼリーかな。僕はあれが好きだから、そうだったら嬉しいなぁ」
「そうなのかい?それを聞いたら日向も喜ぶよ。私も少し手伝わせてもらったがあの子は手際が良くてね…。甘味にはお手製の梅酒を使っていて風味がとてもいいんだ。見た目も涼やかで…」
今が梅の実のなる時期であるから、その梅酒は去年作ったものだろうか。
日向は梅干しだけでなく、梅シロップや梅酒も手製していて、年々味が良くなっていた。それを使用した 豊かな梅の香りのするゼリーの中にはシロップ漬けの青梅も入っていて、程よく甘い味はにっかりの好みだった。
「いや。すまない脱線した」
「構わないよ。それだけ好きなんだろう?」
「好き?…うん、そうだね。私は初めて口にしたけど多分、好みの味なんだと思う」
「うんうん。好きなものが増えていくのはいいことだよ」
顔をほころばせる石田に「そっちじゃないんだけどなぁ」と思うが、わざわざ言うのも野暮かと思い、にっかりは黙っていることにした。
「石田、お待たせ…」
「うん」
「行こうか」
桐の箱に小太刀を戻して、赤羽は二人を伴って部屋を出ようと執務室の扉を開けた。外はすっかり暗くなっていて、部屋の明かりの届かない廊下の先には暗闇が広がっている。
「待った。このまま行くのかい?」
赤羽が執務室の明かりを消そうとしているのを見て、石田が慌てた声で主を引き留める。
「?」
「暗すぎる。明かりはないのかな」
部屋の明かりがなくなれば、周囲は暗闇に包まれる。このまま廊下を行くのは足元が危ないと思ったのだろうが、
「ないよ」
「ない?」
「電源が近くにない。だから、このまま行くよ」
夜目が利くのか、赤羽は暗闇を前に平然としている。しかし石田は暗闇を見て難色を示していた。
「懐中電灯はあったよね。あれ使ってあげたら?」
「そうだね…持ってくるよ」
にっかりがそう提案すれば赤羽は頷いて懐中電灯を取りに向かった。
主が離れたところで石田は小声でにっかりに話しかける。
「主に怖いものってないんだろうか」
「肝が据わりすぎているからねぇ。前にイタズラ好きの怪しにちょっかい出された時も、淡々と回避していたし」
「本当に人間?」
「人間だねぇ。ただ、悪意のある幽鬼は彼女を恐れ、避けている。お調子者以外は近寄らないから、主の周りが一番安全な場所じゃないかな」
「それは頼もしいね。だけど…やはりこの本丸、いるんだな」
また少し体を強張らせた石田が恐々と暗闇に目を向けるのは、見えずともその気配を無意識に感じ取っているからか。
執務室の扉を開けた時、赤羽の前には黒い影が闇に紛れて佇んでいた。
それは彼女を恐れて散っていったが、部屋の前にいたのは審神者の力に惹かれたからだろう。
見えないものが見えるにっかりから見て、彼の主は異様で得体が知れない。
その異様さに怪異たちは恐れながらも近寄りたい。そんな矛盾した気持ちを抱いているようだった。
(その気持ちは分からないでもない…)
廊下のずっとずっと先へ、黒い影が遠ざかっていくのを見て、幽霊を斬った逸話を持つ脇差はにっかりと笑った。
