とある本丸の日常生活
東の空は明るくなり始め、山鳥もまだ目覚めぬ夜明けの本丸。その庭に歌仙兼定は佇んでいた。
身じろぎもせず薄暗い空を見上げるその顔が高揚しているのは寒さのせいばかりではない。
一一桜に雪。
彼の視線の先にはその身いっぱいに薄紅の花を付けた桜の木が何本も立ち並び、そのどれもが雪を被り枝をしならせていた。
その美しさに歌仙は心を打たれ、この光景を目の当たりに出来たことを幸運に思った。
「歌仙」
静かな声に呼ばれ歌仙ははっとする。
さくっと雪を踏みしめながら歩いてくるのは椿のような赤い髪の人。本丸の主である赤羽だった。
「おはよう、主。それに人間無骨も」
歌仙は微笑みながら二人に朝の挨拶をする。赤羽の後ろには控えるように槍の刀剣男士である人間無骨が立っており、口数少なに会釈を返していた。
「おはよう。雪…降ったんだね」
「そうだね。あまりに寒いもので目が覚めてしまってね。最近は暖かくなってきたと油断していた矢先にこの雪だよ」
夜更け過ぎに降りだしたのだろう。
満開の桜の時期に季節外れの雪が薄く積もる本丸の庭に歌仙は笑みを浮かべる。
「だがこれもまた風雅…」とうっとりと見惚れて、歌仙は はたと気が付く。
「二人はこんなに早くにどうしたんだい」
空は紺から白み始めてはいるがまだ日の出前だ。警邏の者はともかく、活動前の時間に二人揃って何をしているのか疑問に思った。
「歌仙と同じ。寒いから、起きた」
「此レは朝の鍛練に。先程、主人を見掛けた為、同行していル」
「んん…人間無骨はともかく、主は彼が見掛けるまで一人でいたということだね。まだ暗いのにどうして」
「歌仙がひとりで庭にいたから。外に出て、何をしているの」
「ああ…」
主を心配してわけを聞いたら原因が自分であると知り、歌仙は眉尻を下げる。
「すまない、主。心配させてしまったんだね。つい桜の美しさに目を奪われてしまってね…近くで眺めていたくなったんだ」
そう言って桜を見上げる歌仙につられるように赤羽と人間無骨もそちらに顔を向ける。
「明日にも見られなくなると思うと、この儚い美しさに出会えたことに心が震えてしまった。自然と歌も浮かんでね。止まらなくなってしまったんだ」
心を奪われるほど夢中になる姿を見られていたと思うと歌仙は恥ずかしくなる。
同時にこうして様子を見に来てもらえたことに嬉しさも込み上げていた。
「うム。確かに美しい景観。此レも、記録帳に記すとしよう」
「…記録?」
「此レの日課、のようなもの。日々、目にした事、思ったことを書にしたためておくと便利」
人間無骨が文字の練習も兼ねて本丸での出来事や出陣先での戦況を文字に残していることを歌仙は知っていたが、赤羽は初めて知ったらしい。
赤い瞳がじっくりと人間無骨を見ていた。
「そう…それはいいね。私も、日記に書いておくよ」
「ム。主人は字を書けルのか」
「人間無骨、失礼だろう。主は幼い子供ではないんだよ」
識字率の高いこの国で、成人した人間にそれを聞くのは顰蹙を買いかねない。
歌仙が窘めれば人間無骨は首を傾げた。
「しかし、歌仙。主人は…、あレはなんと言ったか。板状の…触レば言葉が浮かび上がル…カラクリ?」
「ああ。パソコンかい?」
「ぱそ…そんな名であったか。聞き慣レぬ言葉故、定かではないが其レだロウ。主人は其のカラクリで文字を綴ルばかリ。筆を執ル姿を此レは見たことがない」
「それは…今の世は、任務の報告書や他者との手紙のやり取りは機械に任せたほうが速いからな。主の執筆の機会も減っているのだろう。しかし…筆の必要のない社会、か」
人間無骨に指摘され歌仙はなんだか侘しい気持ちになった。
文系を自称し、世の風雅を歌にするべく常に筆を持つ歌仙にとって手ずから文字を綴ることのない文明の利器は何とも味気ないものに思えた。
「…見る?」
しんとした雪に溶け込むように赤羽が静かな声でそう言うのが聞こえ歌仙はハッとする。
見れば懐中にしまっていたのだろうかメモ帳程の大きさのノートを赤羽は手にしていた。
「字は書ける。でもこれは走り書き…読みにくいかもしれない」
よろず屋でも売っているそれは必要に応じてページを増やせるリング付きノートで、日報をまとめる為に必要な情報をメモしているらしい。端から見ても使い込まれているのが分かった。
「あぁ…いや。主が字を書けないとは思っていないよ」
字を書けるのか疑われたから証拠として差し出したのだろう。勿論、疑っていない歌仙はそれを遠慮したが、
「此レは見たい」
興味からなのか、人間無骨は遠慮しなかった。
「人間無骨?」
「なんだ歌仙。怖い顔をしていルが…?」
「そこは遠慮しないか」
「何故。主人の厚意だ」
「単にきみが興味あるだけだろう」
「うム!」
「・・・」
真面目な顔でうなずく素直さに負けて歌仙が説得をあきらめれば、人間無骨は赤羽からノートを受け取り躊躇なくめくり始めた。
「ム…主人は意外に」
無意識に溢れたものか、そこで言葉を止めるから「意外に…何なんだ!」と歌仙は聞きたい気持ちを堪えた。
普段から感情の読めない主が何を書いているのか、歌仙もそれはものすごく気になったが遠慮した手前見せてほしいとは言いづらい。
桜を見るふりをしながら人間無骨の感想を待った。
やがてぱらぱらとページをめくり終えた人間無骨がノートを返す際に、「主人も苦労さレたのだな…」と同情するように言うのが聞こえた。
「え…どうしたんだい?」
思いがけない言葉を聞いてさすがに何があったのか尋ねれば、
「歌仙。主人は悪筆だったようだ」
「はぁ?!」
本人を前に取り繕う言葉を選びもしない人間無骨に歌仙の口から素頓狂な声が出てしまう。
「主がそんなわけ」
「始めの数枚は解読困難な金釘文字であったが、その後は美しい字となった。走リ書きと言うがとても読みやすい。何れ程練習したのだロウか…」
「え…?」
続く言葉を聞いて歌仙は赤羽を見た。
歌仙は数える程度だが主の字を見たことがある。ぽつりぽつりと話す普段の物静かさとは違い、減り張りのあるしっかりとした綺麗な字だったと記憶していた。
それが始めは金釘流だったと聞いてどれ程苦労したことか、と歌仙は自身の経験から慮った。
「あ…」
その時に手元のノートに目を落としていた赤羽が、はたと気が付いたように呟いた。
「どうしたんだい?」
「最初の方は、しーちゃんの字」
「しぃ…?あぁ、あの子か」
「誰だ」
一年程前まで本丸にいた記録役のことだと歌仙は思い出すが、最近本丸に来た人間無骨はそれを知らない。
不思議そうな顔で歌仙と赤羽の二人を見ていた。
「きみが来るより前までここで働いていた人間だよ。記録役と言ってね、本丸の活動を記録して主の仕事を助けていた。…本部に帰ってしまったから今はいないけどね」
「そうか。その者の字が残さレていルのは、其レに記録を取っていたからだロウか」
「そう。元々、これはしーちゃんの物。だけど、本部に持ち帰る必要もない。だから、譲ってもらった」
そう言って赤羽はノートの表紙を優しくさするようにするのを見て、これが本丸に残っている元記録役の唯一の私物であると歌仙は気が付く。
あまり物を持つ方ではなかったから必要最低限の荷物で来て、そして帰っていった。ノートも本部に持ち帰れば処分されていただろう。
だから主は記録帳を引き継ぐことを理由にそれを譲ってもらった。そういうことではないか、と歌仙は推察する。
「しかし、記録をする者が解読不能とまで言われるような字を書くとは・・・そんなに酷いのかい?」
「癖が強いだけ。見慣れたら、問題なく読めるよ」
歌仙が赤羽に尋ねれば、そのノートは歌仙に差し出された。今度は素直に受け取ると、不思議と記録役がいた数年分の思い出が甦る気持ちになった。
少しだけ表紙を眺め、そっと息を吐いてから最初のページを開く。
「・・・ふっ」
目に飛び込んできた字はそれは酷いもので、思わず歌仙の口角が上がってしまうほどだった。
「ははは。これはまた会うことがあれば、手解きをしてやらないといけないな」
あまりにも無残な造形で書かれた文字に憐れみを覚え、歌仙は怒りすら感じていた。文字だけでなく使われた紙や筆すらも可哀想になり、これは改善してやらなければ、と使命感のようなものが湧いていた。
「私も、教えてほしい」
「此レも教授願いたい」
叶う見込みの少ない歌仙の決意を聞いて、何故か赤羽と人間無骨が揃って歌仙から習うことを願い出た。
そんな意外な申し出に歌仙は戸惑う。
「主は達筆だから、僕から教えることはないと思うけど」
之定の宿命か、人間無骨も字に関しては悩むことが多い。その宿命を身を持って知り、克服した歌仙だから人間無骨に教えることは出来そうだが、すでに問題のない赤羽に何を教えたらいいか正直分からなかった。
「なら、歌を教えてほしい。歌仙の作った歌を、書き写す」
主からのさらなる意外な申し出に歌仙は目を大きくした。
口数も表情も少なく、人形のような主から心の機微を表現する歌の指南を乞われることは歌仙としても願っても無いことである。
万感の思いでうなずく歌仙の表情も柔らかな笑みに変わる。
「・・・分かった。では、この桜隠しを詠んだものを幾つか用意しよう。それを二人には書き取ってもらう。そんな形でもいいかい?」
歌仙の提案に二人は快諾をしてくれた。
早起きは三文の得、と言うがこれは三文どころではない値も付けられぬ価値があると歌仙は桜に雪を仰ぎ見た。
気が付けば空は青く、日の出を迎えていた。
身じろぎもせず薄暗い空を見上げるその顔が高揚しているのは寒さのせいばかりではない。
一一桜に雪。
彼の視線の先にはその身いっぱいに薄紅の花を付けた桜の木が何本も立ち並び、そのどれもが雪を被り枝をしならせていた。
その美しさに歌仙は心を打たれ、この光景を目の当たりに出来たことを幸運に思った。
「歌仙」
静かな声に呼ばれ歌仙ははっとする。
さくっと雪を踏みしめながら歩いてくるのは椿のような赤い髪の人。本丸の主である赤羽だった。
「おはよう、主。それに人間無骨も」
歌仙は微笑みながら二人に朝の挨拶をする。赤羽の後ろには控えるように槍の刀剣男士である人間無骨が立っており、口数少なに会釈を返していた。
「おはよう。雪…降ったんだね」
「そうだね。あまりに寒いもので目が覚めてしまってね。最近は暖かくなってきたと油断していた矢先にこの雪だよ」
夜更け過ぎに降りだしたのだろう。
満開の桜の時期に季節外れの雪が薄く積もる本丸の庭に歌仙は笑みを浮かべる。
「だがこれもまた風雅…」とうっとりと見惚れて、歌仙は はたと気が付く。
「二人はこんなに早くにどうしたんだい」
空は紺から白み始めてはいるがまだ日の出前だ。警邏の者はともかく、活動前の時間に二人揃って何をしているのか疑問に思った。
「歌仙と同じ。寒いから、起きた」
「此レは朝の鍛練に。先程、主人を見掛けた為、同行していル」
「んん…人間無骨はともかく、主は彼が見掛けるまで一人でいたということだね。まだ暗いのにどうして」
「歌仙がひとりで庭にいたから。外に出て、何をしているの」
「ああ…」
主を心配してわけを聞いたら原因が自分であると知り、歌仙は眉尻を下げる。
「すまない、主。心配させてしまったんだね。つい桜の美しさに目を奪われてしまってね…近くで眺めていたくなったんだ」
そう言って桜を見上げる歌仙につられるように赤羽と人間無骨もそちらに顔を向ける。
「明日にも見られなくなると思うと、この儚い美しさに出会えたことに心が震えてしまった。自然と歌も浮かんでね。止まらなくなってしまったんだ」
心を奪われるほど夢中になる姿を見られていたと思うと歌仙は恥ずかしくなる。
同時にこうして様子を見に来てもらえたことに嬉しさも込み上げていた。
「うム。確かに美しい景観。此レも、記録帳に記すとしよう」
「…記録?」
「此レの日課、のようなもの。日々、目にした事、思ったことを書にしたためておくと便利」
人間無骨が文字の練習も兼ねて本丸での出来事や出陣先での戦況を文字に残していることを歌仙は知っていたが、赤羽は初めて知ったらしい。
赤い瞳がじっくりと人間無骨を見ていた。
「そう…それはいいね。私も、日記に書いておくよ」
「ム。主人は字を書けルのか」
「人間無骨、失礼だろう。主は幼い子供ではないんだよ」
識字率の高いこの国で、成人した人間にそれを聞くのは顰蹙を買いかねない。
歌仙が窘めれば人間無骨は首を傾げた。
「しかし、歌仙。主人は…、あレはなんと言ったか。板状の…触レば言葉が浮かび上がル…カラクリ?」
「ああ。パソコンかい?」
「ぱそ…そんな名であったか。聞き慣レぬ言葉故、定かではないが其レだロウ。主人は其のカラクリで文字を綴ルばかリ。筆を執ル姿を此レは見たことがない」
「それは…今の世は、任務の報告書や他者との手紙のやり取りは機械に任せたほうが速いからな。主の執筆の機会も減っているのだろう。しかし…筆の必要のない社会、か」
人間無骨に指摘され歌仙はなんだか侘しい気持ちになった。
文系を自称し、世の風雅を歌にするべく常に筆を持つ歌仙にとって手ずから文字を綴ることのない文明の利器は何とも味気ないものに思えた。
「…見る?」
しんとした雪に溶け込むように赤羽が静かな声でそう言うのが聞こえ歌仙はハッとする。
見れば懐中にしまっていたのだろうかメモ帳程の大きさのノートを赤羽は手にしていた。
「字は書ける。でもこれは走り書き…読みにくいかもしれない」
よろず屋でも売っているそれは必要に応じてページを増やせるリング付きノートで、日報をまとめる為に必要な情報をメモしているらしい。端から見ても使い込まれているのが分かった。
「あぁ…いや。主が字を書けないとは思っていないよ」
字を書けるのか疑われたから証拠として差し出したのだろう。勿論、疑っていない歌仙はそれを遠慮したが、
「此レは見たい」
興味からなのか、人間無骨は遠慮しなかった。
「人間無骨?」
「なんだ歌仙。怖い顔をしていルが…?」
「そこは遠慮しないか」
「何故。主人の厚意だ」
「単にきみが興味あるだけだろう」
「うム!」
「・・・」
真面目な顔でうなずく素直さに負けて歌仙が説得をあきらめれば、人間無骨は赤羽からノートを受け取り躊躇なくめくり始めた。
「ム…主人は意外に」
無意識に溢れたものか、そこで言葉を止めるから「意外に…何なんだ!」と歌仙は聞きたい気持ちを堪えた。
普段から感情の読めない主が何を書いているのか、歌仙もそれはものすごく気になったが遠慮した手前見せてほしいとは言いづらい。
桜を見るふりをしながら人間無骨の感想を待った。
やがてぱらぱらとページをめくり終えた人間無骨がノートを返す際に、「主人も苦労さレたのだな…」と同情するように言うのが聞こえた。
「え…どうしたんだい?」
思いがけない言葉を聞いてさすがに何があったのか尋ねれば、
「歌仙。主人は悪筆だったようだ」
「はぁ?!」
本人を前に取り繕う言葉を選びもしない人間無骨に歌仙の口から素頓狂な声が出てしまう。
「主がそんなわけ」
「始めの数枚は解読困難な金釘文字であったが、その後は美しい字となった。走リ書きと言うがとても読みやすい。何れ程練習したのだロウか…」
「え…?」
続く言葉を聞いて歌仙は赤羽を見た。
歌仙は数える程度だが主の字を見たことがある。ぽつりぽつりと話す普段の物静かさとは違い、減り張りのあるしっかりとした綺麗な字だったと記憶していた。
それが始めは金釘流だったと聞いてどれ程苦労したことか、と歌仙は自身の経験から慮った。
「あ…」
その時に手元のノートに目を落としていた赤羽が、はたと気が付いたように呟いた。
「どうしたんだい?」
「最初の方は、しーちゃんの字」
「しぃ…?あぁ、あの子か」
「誰だ」
一年程前まで本丸にいた記録役のことだと歌仙は思い出すが、最近本丸に来た人間無骨はそれを知らない。
不思議そうな顔で歌仙と赤羽の二人を見ていた。
「きみが来るより前までここで働いていた人間だよ。記録役と言ってね、本丸の活動を記録して主の仕事を助けていた。…本部に帰ってしまったから今はいないけどね」
「そうか。その者の字が残さレていルのは、其レに記録を取っていたからだロウか」
「そう。元々、これはしーちゃんの物。だけど、本部に持ち帰る必要もない。だから、譲ってもらった」
そう言って赤羽はノートの表紙を優しくさするようにするのを見て、これが本丸に残っている元記録役の唯一の私物であると歌仙は気が付く。
あまり物を持つ方ではなかったから必要最低限の荷物で来て、そして帰っていった。ノートも本部に持ち帰れば処分されていただろう。
だから主は記録帳を引き継ぐことを理由にそれを譲ってもらった。そういうことではないか、と歌仙は推察する。
「しかし、記録をする者が解読不能とまで言われるような字を書くとは・・・そんなに酷いのかい?」
「癖が強いだけ。見慣れたら、問題なく読めるよ」
歌仙が赤羽に尋ねれば、そのノートは歌仙に差し出された。今度は素直に受け取ると、不思議と記録役がいた数年分の思い出が甦る気持ちになった。
少しだけ表紙を眺め、そっと息を吐いてから最初のページを開く。
「・・・ふっ」
目に飛び込んできた字はそれは酷いもので、思わず歌仙の口角が上がってしまうほどだった。
「ははは。これはまた会うことがあれば、手解きをしてやらないといけないな」
あまりにも無残な造形で書かれた文字に憐れみを覚え、歌仙は怒りすら感じていた。文字だけでなく使われた紙や筆すらも可哀想になり、これは改善してやらなければ、と使命感のようなものが湧いていた。
「私も、教えてほしい」
「此レも教授願いたい」
叶う見込みの少ない歌仙の決意を聞いて、何故か赤羽と人間無骨が揃って歌仙から習うことを願い出た。
そんな意外な申し出に歌仙は戸惑う。
「主は達筆だから、僕から教えることはないと思うけど」
之定の宿命か、人間無骨も字に関しては悩むことが多い。その宿命を身を持って知り、克服した歌仙だから人間無骨に教えることは出来そうだが、すでに問題のない赤羽に何を教えたらいいか正直分からなかった。
「なら、歌を教えてほしい。歌仙の作った歌を、書き写す」
主からのさらなる意外な申し出に歌仙は目を大きくした。
口数も表情も少なく、人形のような主から心の機微を表現する歌の指南を乞われることは歌仙としても願っても無いことである。
万感の思いでうなずく歌仙の表情も柔らかな笑みに変わる。
「・・・分かった。では、この桜隠しを詠んだものを幾つか用意しよう。それを二人には書き取ってもらう。そんな形でもいいかい?」
歌仙の提案に二人は快諾をしてくれた。
早起きは三文の得、と言うがこれは三文どころではない値も付けられぬ価値があると歌仙は桜に雪を仰ぎ見た。
気が付けば空は青く、日の出を迎えていた。
