とある本丸の日常生活
白い空からみぞれが降り注いでいる。
雪混じりの雨が連れてきた冬の風は本丸のガラス窓をガタガタと煽り、内部を冷やそうと躍起になっているようだった。
その寒さにある者は暖房の効いた食堂に逃げ込み、ある者は自室の布団から出てこない。ある者は寒い時こそ動くべきと鍛練をしたり、掃除をしたりと思い思いに過ごしていた。
共通していることは、外に出る者がいないことだろうか。
寒さもあるが、半分凍ったような雨雪は足元を悪くし、そのくせ靴はびしゃびしゃと泥だらけにされるから面倒なのだ。だから出陣や内番のない者の多くは、本丸で大人しくしていた。
そんな朝の光景を横切り、肺を冷やすような廊下の空気の中でも背筋を伸ばして歩いているのは前田藤四郎だった。
「主君、失礼します」
執務室に赴き、いつもと変わらない穏やかな声で主である赤羽に声をかけた。
「…おかえり、前田。お疲れ様」
赤羽の労いの声と共に暖かい空気が前田の体を包み込んだ。
本丸では数少ない空調設備のある執務室は、冬は暖かく夏は涼しい審神者の仕事部屋だ。
「主君。今回の演練の戦績です」
前田はパソコンを前にしている赤羽の近くまで行き、今日の演練の結果を申し伝える。
赤羽はすでに結果を知ってはいるが、事細かな試合内容についてはその場で隊長を努めてきた前田の口から聞いた方が今後の対策や向上に繋がるためそうしていた。
ここで一つ疑問に思うだろうか。
誰もが外出を拒み、玄関すら開けていないと言うのに
前田率いる一部隊は演練を終えてきた。赤羽も執務室にいて演練場には行っていない。それでも前田は確かな成果を持ってこれたのは何故なのか。
「前田。少し、知恵を貸してほしい」
ふと赤羽は前田をパソコンの前まで呼ぶと、その内容を確認させた。そこには定型化した挨拶文が件名となっているメールが、多くの審神者の名前と共に並んでいるのが見える。
「演練相手の審神者様へのお手紙ですか?」
「そう。今日は跳躍経路を使って、演練に行ってもらったから」
外へ出ることなく演練場へと赴いた答えを赤羽は口にする。
演練場へと繋がる経路を抜けて前田達は申し込みをした本丸の刀剣男士と試合をしてきたのだ。
本丸が演練場から遠い審神者や交通事情で行けない審神者、ただただ出不精である審神者。理由は色々あるけれど、審神者が直接赴かず刀剣男士だけを送って演練を済ませることは珍しくない。
その場合、対戦相手には演練後にお礼のメッセージを送るのが礼儀となっていた。とは言えお礼状のような格式張ったものでなくていい。一言、「今日はありがとうございました」。それだけで良いのだが、
「何か問題があったのですか?」
「一人、厄介な子がいる」
「厄介…ですか」
許可を取って該当のメールを確認させてもらうと、前田は押し黙って何と言おうか悩んでしまった。
文面からしか相手の人物像は分からない。何も分からないままにこんなことを思うのは申し訳ないと感じながら前田はただ一言、「生意気だ」と率直に思った。
慇懃無礼。それを口にするのは憚られた。
「・・・」
「前田?」
「この方は・・・その、随分とお若い方なのでしょうか」
前田はかなり言葉を選んでいた。
「そうだね…若いのかな。審神者になったのはこの一年くらい、らしい」
演練相手の情報は名前と部隊構成くらいしか公開されていないがメールの内容に、書かなくても言いようなことだが、『審神者歴一年の若輩者』と自己紹介のように書かれていた。
恐らく向こうはこちらの就任歴が長いことを知っている。知っているから『先輩の胸を借りられて僕たちも自信がついた気がします』と送ってきたのだろう。
そして、送るのならここまでで良かった。ここまでなら何のわだかまりもなく返事が出来た。
だが、話しは続いた。
自分の刀剣男士達がこの時にこう動けたのが良かった。ここで対処出来て強さを実感出来た。一太刀あびせられて嬉しい等々…自分の刀剣男士達に言ってやればいい賛辞を何故か赤羽に当ててきた。
そして何より前田が押し黙ってしまったのが
『大侵寇で成果を上げた先輩の実力がこの程度で少しガッカリしました』
この一言だった。
「・・・。この方がどの演練相手の審神者か僕には分かりませんが、確かにどこも実力のある本丸だったと思います。たった一年程で僕らを相手にするほど成長したのですからそれは素晴らしい戦力だと思います」
そこは認められることだと前田は素直に口にする。
「しかし・・・」
だからと言ってこちらを軽んじる発言はいかがなものだろうか。この過信はとても危険なものではないか。
前田は思うも口にはしなかった。
相手への批判や諌めの意見を赤羽は求めていないことを知っているからだ。
「主君。こういった方はあまり相手になさらない方がいいと思います。また機会があればお手合わせお願いします、といった風に返信しておしまいとしてしまいましょう」
厄介な者は相手にしないのが一番!と前田は手を合わせてにっこりと笑う。
それに赤羽も「なるほど」と頷いて、相手のメールの熱量を一気に冷ますような簡素な返信をするのを前田は見届けた。
こちらにわだかまりは残るがこれでいいのだ。
そう、前田は思っていた。
一一一しかし、
「演練相手からのメールが止まらない、ですか?」
「そう」
赤羽から告げられた言葉に前田は眉をひそめた。
あれから執務室を出た前田は、早速今日の演練の反省点や改善点を部隊内で話し合い、道場で動きの確認をしていた。
一刻は経った頃だろうか、道場に現れた一際大きな人影に「主が呼んでいる」と言われて、前田は赤羽の元へと急いだ。
思い当たるのはメールの件で、案の定赤羽の口から出たのはその事だった。
「最初の返信以降は何もしていない」
「主君。その判断は正しいと思います」
受信したメール内容をすべて確認した前田は真剣な表情でうなずいた。
赤羽が最初から「厄介な子」と断じた通り、その審神者は厄介者だった。
こちらの簡素な返信に対する怒りや嘲りを含んだ内容に始まり、完全にこちらを下に見ている態度が透けて見える内容、何に対してか不明な突然の八つ当たり、やがて恫喝するような内容が幾つも続いた。
目的は分からないが送信先の審神者が不安がるのを楽しむ手合いだろうか、と前田は思う。
このような者には正論は通じない。
何か返せば火に油を注ぐようなものだ。
赤羽もそう判断したようで、出陣や遠征の経過報告、政府からの任務確認、その他諸々の報告書を黙々とまとめていき、受信するメールは嵐が去るのを待つように徹底的に無視していた。
しかし1時間経っても2時間経っても止まらない。
ちょうどこの本丸の担当者から連絡がきていたため嫌がらせメールの事を相談してみたが、
『君に気があるんじゃない?』
と意味不明な返答をされ赤羽は前田に相談することにしたそうだ。
前田は頭が痛くなった。
一応、担当者は赤羽の上役に当たる。その者に対し不敬だと言われかねないため口には出さなかったが、一発殴らせろ、と心中穏やかではいられなかった。
「何か問題が起こっているのか?」
ふいに掛けられた声に前田は顔を上げた。
見上げるほど大きな体躯をのっそりと曲げてパソコンを覗き込む太刀の刀剣男士。大典太光世がそこにいた。
「大典太さん」
「何か大変そうだな・・・」
「一体、いつからそこに」
「は・・・?」
前田の言葉に大典太は絶句した。
「前田。主にお前を連れてくるよう言われて、俺はお前と一緒にここまで来たはずだが・・・?」
「え。・・・。・・・あっ!そうでした!・・・あぁ~、申し訳ありません。主君のことで頭がいっぱいで、うっかり失念してしまったようです・・・」
あまりに失礼な態度を取ってしまったことに、前田はもうこれ以上下がらないほどに頭を下げた。
「それだけ真剣だったってことだ。俺は気にしていない・・・」
「しかし・・・」
呼びに来てくれた大典太に申し訳なさすぎて頭が上げられない。
「お前がそれでは主が困るだろ。話を聞いてやれ」
「あっ!は、はい!」
主君の為となれば前田は素直に顔を上げた。
それに大典太は少し笑ったような気がしたが何か言うわけでもなく、長い腕を伸ばしてマウスを操作し始める。
「演練相手から嫌がらせを受けているのか」
意外にも慣れた手付きでメール内容を把握する大典太を見て前田は目を丸くしてその顔を見上げた。
「大典太さん。パソコンを扱えるのですね」
「このくらいは誰でも出来るだろ…」
「実は、電気機器はあまり得意でなさそうと思っていたので…意外でした」
普段から強すぎる霊力を気にして人前に出ることや動物と関わることを避けている印象が強いため、精密機械の扱いなどもっての他と勝手に思っていた。
「ここにはよく入り浸っているからな…主の手伝いもたまにはするさ」
「入り浸っているんですか!?」
「!…そんなに驚くことか」
「初耳です。むしろ主君と関わることを遠慮しているものだとばかり」
「頻繁には関わりはしないさ。ただ、ここは冷暖房が効いているのに滅多に本丸の奴らも寄り付かないから静かだ。騒がなければ追い出されることもない…これほど過ごしやすい場所は他にはない」
「絶賛されてますよ、主君!」
予想外の大絶賛に驚きが隠せず赤羽を見遣れば、「そうだね…」と関心があるのかないのか分からない静かな声を返される。
「居座る代わりに、手伝ってもらってるよ。さっきも、前田を呼びに行ってもらった」
「・・・あ」
なんの疑問にも思わなかったが、大典太が主の頼みで前田を呼びに来た時点で主に近寄ることがないと言うのは思い込みだと気付けても良かった。
観察が足りないことや、先程の大典太に対する無礼を思い出して下がりかける頭を、前田はぐっと堪えた。
「まぁ、それはいいとして」
話を戻してパソコンに目をやる大典太に、前田は素早く反応する。
「あ!はい。メールのことでしたね」
「受信拒否は出来ないのか?」
大典太の言葉に、確かに特定の審神者からの受信を拒否するのが一番だ、と前田は期待して赤羽を見る。
「出来ると思う。でも、上の了承は必要」
「上の・・・」
前田の脳裏には先ほどまともに取り合わなかった担当であり上役の顔が思い浮かんだ。
「他に政府の人間で、話が通じそうな方はいらっしゃいませんか?」
「話が・・・」
前田の言葉に思い出したように、赤羽はパソコンとは別の小さな通信機を机から取り出すとそれを操作して表示された画面を前田と大典太に見せた。
そこには「青実」と審神者らしき名前が表示されている。前田の知らない名前だった。
「この方は?」
「政府にいる審神者。昔からお世話になっていて、何かあれば連絡しろと言われていた」
「政府の・・・どのような立場の方なのでしょうか」
「君達、刀剣男士の最初の契約者だよ」
「最初の・・・!」
それを聞いて前田は心が震えた。
本丸の数だけ、そこに仕える刀剣男士・前田藤四郎は存在する。刀剣としては唯一無二であるはずなのに、付喪神としては複数存在する。その事象は何とも不可思議なものだった。
唯一つ存在する刀剣またはその物語を形代に、現し世へと呼び出された原初の刀剣男士・前田藤四郎は確かに存在する。
「はじまり」の刀剣男士達と最初に対話し、歴史を守るために数ある審神者の元へと顕現することを約束させた者が、その端末の奥にいた。
「まるで雲の上の存在ですね・・・」
「信じられない?」
「・・・はい。正直言いますと」
そんな格上の相手に世話になったのは百歩譲って理解出来ても、連絡先を知っていると言うのは現実味がなかった。
「怖い人じゃないよ。気のいいおじいちゃん。相談するのは簡単。だけど、発言ひとつが強すぎて、毒になりかねない」
「まぁ、そうだろうな…。そいつが本当に原初の俺らの契約者だとしたらその発言力は凄まじいだろうさ。鶴の一声どころじゃない。おいそれとその好々爺の力を借りるのは得策じゃないな」
極端な話、赤羽が迷惑行為を受けているとその老審神者に相談をすると、若輩審神者の人生が終わる。
そのくらいの発言力がある。
「強すぎる力は…毒にも薬にもなるからな」
言葉に妙な説得力を持つ大典太は、その後ろ盾は使い所を誤らないことだと念を押した。
「そうだね」
赤羽も最初から相談することは是としていなかった。
大典太の言葉に頷くと最終兵器もとい最終手段の携帯端末を机にしまった。
しかし大きな切り札があることは心にも余裕が持てるもので、この迷惑メールに関しても小さなことのように思えた。
「・・・主君。もう一度担当の者に相談してみましょう」
そしてメールの受信拒否の許可を貰いましょう、と言おうとしたところでメールボックスに一件の新規メールが届いて口が止まる。
件の演練相手からの新たなメールが送られてきたのだ。
「ほぅ…今度はどんな戯言が飛びだすのかな」
「大典太さん。楽しんでませんか?」
くつくつと喉で笑う大典太は、本人としてはこの状況を愉快に思っているのかもしれないが、赤子が泣き出しかねない怖い笑顔をしていた。
赤羽がメールを開くと、その内容を3人で読んでいく。
相変わらずよく思い付くなと感心するほどの嘲りや憐れみを含んだ長文が続いたかと思えば、何の脈絡もなくこうすれば許してやると譲歩案が出てきた。
それは一一一
「『七星剣を譲渡しろ』?」
「どういうことだ」
どうしてその名が出るのだと首を傾げた。
送信相手の言うことを聞いてやるつもりはないが、審神者同士で刀剣男士の受け渡しは許可されていない。
「・・・あ。もしかしたらあちらの本丸には七星剣さんがいないのではないでしょうか。一年前に審神者となったと書いてありましたから、大侵寇の際には成果を残せるほどの戦力はまだなかったのかもしれません」
「となるとこいつは最初からこれが目的で絡んできたのか…?」
「どうでしょうか・・・」
ただ、ひどくプライドの高い審神者なのだと前田は思う。
始めこそ一生懸命に力を尽くしてきた。しかし大侵寇の戦果を評価されなかったことに傷つき、評価されたくてがむしゃらに力を付けてきた。その傲慢からやがて大侵寇を乗り越えた本丸を妬むようになったのかもしれない。
あくまで前田の想像でしかないが一一一
「何にせよこれは強請だな。これまでの脅迫めいたメールと併せて、担当に報告するべきだ」
そうすれば然るべき処置を受けることになるだろう。
本丸剥奪とはいかない譴責くらいは受けるだろうか。
それで反省してくれたら、と前田には願うしかなかった。
「・・・と、その前に試したいことがある。一度だけ返信してみるがいいか?」
「返信、ですか…?」
「ああ」
念には念を、と大典太はメールフォームを操作し始めた。
・・・・・・
「大典太さんのおかげで解決しましたね」
あれから数週間経ち日ごと寒さも増しているある日、前田と大典太は食堂にいた。
大典太がメールを送信してから厄介者からの返信は一度もない。演練場でも件の審神者の名前は見かけるものの関わってくることはなかった。
「前田のおかげだ」
「いえ、僕は何も・・・効果的な対処法は何も思い付きませんでしたから」
「お前が話しを聞いてくれたから対処に踏み切れた。そう言っていたぞ」
「で、でしたら!やはり大典太さんの方が」
「主の言葉だ。素直に受け取れ」
「あ、はい・・・」
それを言われると大人しくならざるを得ない。
しかし大典太の行動があったからこそ今の平穏があるわけで、前田は数週間前を思い出していた一一一・・・
『試しに俺の霊力を同封してみようと思う』
『・・・え?』
それは耳を疑うような提案だった。
『え?大典太さん今何と?霊力を、同封・・・??』
『厄除けになるが?』
『・・・えっと、その。一体どのようにして送るつもりですか?』
『これに添付するだけだ』
『もう大典太さんがどこまで本気で言っているのか僕には分からないです』
『ん?』
すべて本気だと言わんばかりにきょとんとするから前田は考えることを諦めた。
赤羽はその提案にあっさりと許可を出して、大典太が白紙のメール(霊力添付済みらしい)を送信するのを前田はただ眺めていた。
何も分からないままに。
ただぼんやりと眺めていた。
「前田?ぼんやりしてどうした」
大典太の声に現実に戻された前田ははっとする。
「あ、すみません。白紙の手紙のことを思い出していました」
「ああ、あれか」
自分が送信したメールのことだと分かったようで、温かい茶を飲みながら大典太は、にやっと笑う。
「本当に霊力の添付など、出来ると思うか?」
「は…?え??」
「案外、担当の奴の言うことは当たっていたのかもしれないな」
「担当の?」
担当が何を言っただろうか、と前田は思い返す。
まともに取り合わなかったではないか。
「やり方はアレだが随分と主に執着していたようだからな…」
「・・・本気で言ってますか?というかあれは本当に白紙だったのですか?」
「どうだろうな。だが、厄除けにはなっただろ」
大典太の返答に前田はわけが分からないという顔をする。
「どう捉えてもいい。受信拒否されて諦めたか、上から注意されて反省したか。それとも空のメールに何か思うところがあったか・・・真実は分からないからな。好きに捉えて忘れてしまえ」
「あれほど強烈なものですから、いつ忘れられるか・・・」
そう言って前田は首を傾げながら湯呑みに触れた。
じんわりと温かさが手のひらに伝わる。
「でも大典太さんが主君のために動いてくださったことは忘れません。霊力のために他人との関わりを避けていても、大典太さんが優しい方だと主君も僕らも分かっていますから」
そう笑って言うと大典太は目を見開いて固まり、「それは…どうだろうな…」と何やらもごもごと口ごもる。
厄払いに尽力していた姿は何処へやら。
笑みを深めて前田は温かい茶を口にした。
雪混じりの雨が連れてきた冬の風は本丸のガラス窓をガタガタと煽り、内部を冷やそうと躍起になっているようだった。
その寒さにある者は暖房の効いた食堂に逃げ込み、ある者は自室の布団から出てこない。ある者は寒い時こそ動くべきと鍛練をしたり、掃除をしたりと思い思いに過ごしていた。
共通していることは、外に出る者がいないことだろうか。
寒さもあるが、半分凍ったような雨雪は足元を悪くし、そのくせ靴はびしゃびしゃと泥だらけにされるから面倒なのだ。だから出陣や内番のない者の多くは、本丸で大人しくしていた。
そんな朝の光景を横切り、肺を冷やすような廊下の空気の中でも背筋を伸ばして歩いているのは前田藤四郎だった。
「主君、失礼します」
執務室に赴き、いつもと変わらない穏やかな声で主である赤羽に声をかけた。
「…おかえり、前田。お疲れ様」
赤羽の労いの声と共に暖かい空気が前田の体を包み込んだ。
本丸では数少ない空調設備のある執務室は、冬は暖かく夏は涼しい審神者の仕事部屋だ。
「主君。今回の演練の戦績です」
前田はパソコンを前にしている赤羽の近くまで行き、今日の演練の結果を申し伝える。
赤羽はすでに結果を知ってはいるが、事細かな試合内容についてはその場で隊長を努めてきた前田の口から聞いた方が今後の対策や向上に繋がるためそうしていた。
ここで一つ疑問に思うだろうか。
誰もが外出を拒み、玄関すら開けていないと言うのに
前田率いる一部隊は演練を終えてきた。赤羽も執務室にいて演練場には行っていない。それでも前田は確かな成果を持ってこれたのは何故なのか。
「前田。少し、知恵を貸してほしい」
ふと赤羽は前田をパソコンの前まで呼ぶと、その内容を確認させた。そこには定型化した挨拶文が件名となっているメールが、多くの審神者の名前と共に並んでいるのが見える。
「演練相手の審神者様へのお手紙ですか?」
「そう。今日は跳躍経路を使って、演練に行ってもらったから」
外へ出ることなく演練場へと赴いた答えを赤羽は口にする。
演練場へと繋がる経路を抜けて前田達は申し込みをした本丸の刀剣男士と試合をしてきたのだ。
本丸が演練場から遠い審神者や交通事情で行けない審神者、ただただ出不精である審神者。理由は色々あるけれど、審神者が直接赴かず刀剣男士だけを送って演練を済ませることは珍しくない。
その場合、対戦相手には演練後にお礼のメッセージを送るのが礼儀となっていた。とは言えお礼状のような格式張ったものでなくていい。一言、「今日はありがとうございました」。それだけで良いのだが、
「何か問題があったのですか?」
「一人、厄介な子がいる」
「厄介…ですか」
許可を取って該当のメールを確認させてもらうと、前田は押し黙って何と言おうか悩んでしまった。
文面からしか相手の人物像は分からない。何も分からないままにこんなことを思うのは申し訳ないと感じながら前田はただ一言、「生意気だ」と率直に思った。
慇懃無礼。それを口にするのは憚られた。
「・・・」
「前田?」
「この方は・・・その、随分とお若い方なのでしょうか」
前田はかなり言葉を選んでいた。
「そうだね…若いのかな。審神者になったのはこの一年くらい、らしい」
演練相手の情報は名前と部隊構成くらいしか公開されていないがメールの内容に、書かなくても言いようなことだが、『審神者歴一年の若輩者』と自己紹介のように書かれていた。
恐らく向こうはこちらの就任歴が長いことを知っている。知っているから『先輩の胸を借りられて僕たちも自信がついた気がします』と送ってきたのだろう。
そして、送るのならここまでで良かった。ここまでなら何のわだかまりもなく返事が出来た。
だが、話しは続いた。
自分の刀剣男士達がこの時にこう動けたのが良かった。ここで対処出来て強さを実感出来た。一太刀あびせられて嬉しい等々…自分の刀剣男士達に言ってやればいい賛辞を何故か赤羽に当ててきた。
そして何より前田が押し黙ってしまったのが
『大侵寇で成果を上げた先輩の実力がこの程度で少しガッカリしました』
この一言だった。
「・・・。この方がどの演練相手の審神者か僕には分かりませんが、確かにどこも実力のある本丸だったと思います。たった一年程で僕らを相手にするほど成長したのですからそれは素晴らしい戦力だと思います」
そこは認められることだと前田は素直に口にする。
「しかし・・・」
だからと言ってこちらを軽んじる発言はいかがなものだろうか。この過信はとても危険なものではないか。
前田は思うも口にはしなかった。
相手への批判や諌めの意見を赤羽は求めていないことを知っているからだ。
「主君。こういった方はあまり相手になさらない方がいいと思います。また機会があればお手合わせお願いします、といった風に返信しておしまいとしてしまいましょう」
厄介な者は相手にしないのが一番!と前田は手を合わせてにっこりと笑う。
それに赤羽も「なるほど」と頷いて、相手のメールの熱量を一気に冷ますような簡素な返信をするのを前田は見届けた。
こちらにわだかまりは残るがこれでいいのだ。
そう、前田は思っていた。
一一一しかし、
「演練相手からのメールが止まらない、ですか?」
「そう」
赤羽から告げられた言葉に前田は眉をひそめた。
あれから執務室を出た前田は、早速今日の演練の反省点や改善点を部隊内で話し合い、道場で動きの確認をしていた。
一刻は経った頃だろうか、道場に現れた一際大きな人影に「主が呼んでいる」と言われて、前田は赤羽の元へと急いだ。
思い当たるのはメールの件で、案の定赤羽の口から出たのはその事だった。
「最初の返信以降は何もしていない」
「主君。その判断は正しいと思います」
受信したメール内容をすべて確認した前田は真剣な表情でうなずいた。
赤羽が最初から「厄介な子」と断じた通り、その審神者は厄介者だった。
こちらの簡素な返信に対する怒りや嘲りを含んだ内容に始まり、完全にこちらを下に見ている態度が透けて見える内容、何に対してか不明な突然の八つ当たり、やがて恫喝するような内容が幾つも続いた。
目的は分からないが送信先の審神者が不安がるのを楽しむ手合いだろうか、と前田は思う。
このような者には正論は通じない。
何か返せば火に油を注ぐようなものだ。
赤羽もそう判断したようで、出陣や遠征の経過報告、政府からの任務確認、その他諸々の報告書を黙々とまとめていき、受信するメールは嵐が去るのを待つように徹底的に無視していた。
しかし1時間経っても2時間経っても止まらない。
ちょうどこの本丸の担当者から連絡がきていたため嫌がらせメールの事を相談してみたが、
『君に気があるんじゃない?』
と意味不明な返答をされ赤羽は前田に相談することにしたそうだ。
前田は頭が痛くなった。
一応、担当者は赤羽の上役に当たる。その者に対し不敬だと言われかねないため口には出さなかったが、一発殴らせろ、と心中穏やかではいられなかった。
「何か問題が起こっているのか?」
ふいに掛けられた声に前田は顔を上げた。
見上げるほど大きな体躯をのっそりと曲げてパソコンを覗き込む太刀の刀剣男士。大典太光世がそこにいた。
「大典太さん」
「何か大変そうだな・・・」
「一体、いつからそこに」
「は・・・?」
前田の言葉に大典太は絶句した。
「前田。主にお前を連れてくるよう言われて、俺はお前と一緒にここまで来たはずだが・・・?」
「え。・・・。・・・あっ!そうでした!・・・あぁ~、申し訳ありません。主君のことで頭がいっぱいで、うっかり失念してしまったようです・・・」
あまりに失礼な態度を取ってしまったことに、前田はもうこれ以上下がらないほどに頭を下げた。
「それだけ真剣だったってことだ。俺は気にしていない・・・」
「しかし・・・」
呼びに来てくれた大典太に申し訳なさすぎて頭が上げられない。
「お前がそれでは主が困るだろ。話を聞いてやれ」
「あっ!は、はい!」
主君の為となれば前田は素直に顔を上げた。
それに大典太は少し笑ったような気がしたが何か言うわけでもなく、長い腕を伸ばしてマウスを操作し始める。
「演練相手から嫌がらせを受けているのか」
意外にも慣れた手付きでメール内容を把握する大典太を見て前田は目を丸くしてその顔を見上げた。
「大典太さん。パソコンを扱えるのですね」
「このくらいは誰でも出来るだろ…」
「実は、電気機器はあまり得意でなさそうと思っていたので…意外でした」
普段から強すぎる霊力を気にして人前に出ることや動物と関わることを避けている印象が強いため、精密機械の扱いなどもっての他と勝手に思っていた。
「ここにはよく入り浸っているからな…主の手伝いもたまにはするさ」
「入り浸っているんですか!?」
「!…そんなに驚くことか」
「初耳です。むしろ主君と関わることを遠慮しているものだとばかり」
「頻繁には関わりはしないさ。ただ、ここは冷暖房が効いているのに滅多に本丸の奴らも寄り付かないから静かだ。騒がなければ追い出されることもない…これほど過ごしやすい場所は他にはない」
「絶賛されてますよ、主君!」
予想外の大絶賛に驚きが隠せず赤羽を見遣れば、「そうだね…」と関心があるのかないのか分からない静かな声を返される。
「居座る代わりに、手伝ってもらってるよ。さっきも、前田を呼びに行ってもらった」
「・・・あ」
なんの疑問にも思わなかったが、大典太が主の頼みで前田を呼びに来た時点で主に近寄ることがないと言うのは思い込みだと気付けても良かった。
観察が足りないことや、先程の大典太に対する無礼を思い出して下がりかける頭を、前田はぐっと堪えた。
「まぁ、それはいいとして」
話を戻してパソコンに目をやる大典太に、前田は素早く反応する。
「あ!はい。メールのことでしたね」
「受信拒否は出来ないのか?」
大典太の言葉に、確かに特定の審神者からの受信を拒否するのが一番だ、と前田は期待して赤羽を見る。
「出来ると思う。でも、上の了承は必要」
「上の・・・」
前田の脳裏には先ほどまともに取り合わなかった担当であり上役の顔が思い浮かんだ。
「他に政府の人間で、話が通じそうな方はいらっしゃいませんか?」
「話が・・・」
前田の言葉に思い出したように、赤羽はパソコンとは別の小さな通信機を机から取り出すとそれを操作して表示された画面を前田と大典太に見せた。
そこには「青実」と審神者らしき名前が表示されている。前田の知らない名前だった。
「この方は?」
「政府にいる審神者。昔からお世話になっていて、何かあれば連絡しろと言われていた」
「政府の・・・どのような立場の方なのでしょうか」
「君達、刀剣男士の最初の契約者だよ」
「最初の・・・!」
それを聞いて前田は心が震えた。
本丸の数だけ、そこに仕える刀剣男士・前田藤四郎は存在する。刀剣としては唯一無二であるはずなのに、付喪神としては複数存在する。その事象は何とも不可思議なものだった。
唯一つ存在する刀剣またはその物語を形代に、現し世へと呼び出された原初の刀剣男士・前田藤四郎は確かに存在する。
「はじまり」の刀剣男士達と最初に対話し、歴史を守るために数ある審神者の元へと顕現することを約束させた者が、その端末の奥にいた。
「まるで雲の上の存在ですね・・・」
「信じられない?」
「・・・はい。正直言いますと」
そんな格上の相手に世話になったのは百歩譲って理解出来ても、連絡先を知っていると言うのは現実味がなかった。
「怖い人じゃないよ。気のいいおじいちゃん。相談するのは簡単。だけど、発言ひとつが強すぎて、毒になりかねない」
「まぁ、そうだろうな…。そいつが本当に原初の俺らの契約者だとしたらその発言力は凄まじいだろうさ。鶴の一声どころじゃない。おいそれとその好々爺の力を借りるのは得策じゃないな」
極端な話、赤羽が迷惑行為を受けているとその老審神者に相談をすると、若輩審神者の人生が終わる。
そのくらいの発言力がある。
「強すぎる力は…毒にも薬にもなるからな」
言葉に妙な説得力を持つ大典太は、その後ろ盾は使い所を誤らないことだと念を押した。
「そうだね」
赤羽も最初から相談することは是としていなかった。
大典太の言葉に頷くと最終兵器もとい最終手段の携帯端末を机にしまった。
しかし大きな切り札があることは心にも余裕が持てるもので、この迷惑メールに関しても小さなことのように思えた。
「・・・主君。もう一度担当の者に相談してみましょう」
そしてメールの受信拒否の許可を貰いましょう、と言おうとしたところでメールボックスに一件の新規メールが届いて口が止まる。
件の演練相手からの新たなメールが送られてきたのだ。
「ほぅ…今度はどんな戯言が飛びだすのかな」
「大典太さん。楽しんでませんか?」
くつくつと喉で笑う大典太は、本人としてはこの状況を愉快に思っているのかもしれないが、赤子が泣き出しかねない怖い笑顔をしていた。
赤羽がメールを開くと、その内容を3人で読んでいく。
相変わらずよく思い付くなと感心するほどの嘲りや憐れみを含んだ長文が続いたかと思えば、何の脈絡もなくこうすれば許してやると譲歩案が出てきた。
それは一一一
「『七星剣を譲渡しろ』?」
「どういうことだ」
どうしてその名が出るのだと首を傾げた。
送信相手の言うことを聞いてやるつもりはないが、審神者同士で刀剣男士の受け渡しは許可されていない。
「・・・あ。もしかしたらあちらの本丸には七星剣さんがいないのではないでしょうか。一年前に審神者となったと書いてありましたから、大侵寇の際には成果を残せるほどの戦力はまだなかったのかもしれません」
「となるとこいつは最初からこれが目的で絡んできたのか…?」
「どうでしょうか・・・」
ただ、ひどくプライドの高い審神者なのだと前田は思う。
始めこそ一生懸命に力を尽くしてきた。しかし大侵寇の戦果を評価されなかったことに傷つき、評価されたくてがむしゃらに力を付けてきた。その傲慢からやがて大侵寇を乗り越えた本丸を妬むようになったのかもしれない。
あくまで前田の想像でしかないが一一一
「何にせよこれは強請だな。これまでの脅迫めいたメールと併せて、担当に報告するべきだ」
そうすれば然るべき処置を受けることになるだろう。
本丸剥奪とはいかない譴責くらいは受けるだろうか。
それで反省してくれたら、と前田には願うしかなかった。
「・・・と、その前に試したいことがある。一度だけ返信してみるがいいか?」
「返信、ですか…?」
「ああ」
念には念を、と大典太はメールフォームを操作し始めた。
・・・・・・
「大典太さんのおかげで解決しましたね」
あれから数週間経ち日ごと寒さも増しているある日、前田と大典太は食堂にいた。
大典太がメールを送信してから厄介者からの返信は一度もない。演練場でも件の審神者の名前は見かけるものの関わってくることはなかった。
「前田のおかげだ」
「いえ、僕は何も・・・効果的な対処法は何も思い付きませんでしたから」
「お前が話しを聞いてくれたから対処に踏み切れた。そう言っていたぞ」
「で、でしたら!やはり大典太さんの方が」
「主の言葉だ。素直に受け取れ」
「あ、はい・・・」
それを言われると大人しくならざるを得ない。
しかし大典太の行動があったからこそ今の平穏があるわけで、前田は数週間前を思い出していた一一一・・・
『試しに俺の霊力を同封してみようと思う』
『・・・え?』
それは耳を疑うような提案だった。
『え?大典太さん今何と?霊力を、同封・・・??』
『厄除けになるが?』
『・・・えっと、その。一体どのようにして送るつもりですか?』
『これに添付するだけだ』
『もう大典太さんがどこまで本気で言っているのか僕には分からないです』
『ん?』
すべて本気だと言わんばかりにきょとんとするから前田は考えることを諦めた。
赤羽はその提案にあっさりと許可を出して、大典太が白紙のメール(霊力添付済みらしい)を送信するのを前田はただ眺めていた。
何も分からないままに。
ただぼんやりと眺めていた。
「前田?ぼんやりしてどうした」
大典太の声に現実に戻された前田ははっとする。
「あ、すみません。白紙の手紙のことを思い出していました」
「ああ、あれか」
自分が送信したメールのことだと分かったようで、温かい茶を飲みながら大典太は、にやっと笑う。
「本当に霊力の添付など、出来ると思うか?」
「は…?え??」
「案外、担当の奴の言うことは当たっていたのかもしれないな」
「担当の?」
担当が何を言っただろうか、と前田は思い返す。
まともに取り合わなかったではないか。
「やり方はアレだが随分と主に執着していたようだからな…」
「・・・本気で言ってますか?というかあれは本当に白紙だったのですか?」
「どうだろうな。だが、厄除けにはなっただろ」
大典太の返答に前田はわけが分からないという顔をする。
「どう捉えてもいい。受信拒否されて諦めたか、上から注意されて反省したか。それとも空のメールに何か思うところがあったか・・・真実は分からないからな。好きに捉えて忘れてしまえ」
「あれほど強烈なものですから、いつ忘れられるか・・・」
そう言って前田は首を傾げながら湯呑みに触れた。
じんわりと温かさが手のひらに伝わる。
「でも大典太さんが主君のために動いてくださったことは忘れません。霊力のために他人との関わりを避けていても、大典太さんが優しい方だと主君も僕らも分かっていますから」
そう笑って言うと大典太は目を見開いて固まり、「それは…どうだろうな…」と何やらもごもごと口ごもる。
厄払いに尽力していた姿は何処へやら。
笑みを深めて前田は温かい茶を口にした。
