とある本丸の日常生活

ヒグラシの鳴き声が山中より鳴り響いたのは日暮れが近づいてきた頃で、何やら熱心に畑を見ていた小狐丸が腰を上げたのもその頃だった。

「一一よし。草取りはこのくらいで良いか。では今日はここまでとして・・・また来るぞ、油揚げの元のもと達よ」

健やかに育つ枝豆の列びに声を掛けて立ち去る小狐丸は、程よくぬるい風を受けてその心地よさに心が躍る思いをした。

「随分と過ごしやすくなったものよな・・・」

数時間前はとにかく蒸し暑かった。
深く息を吸い肺にたまる空気は数時間前とは比べ物にならないほど清々しく感じる。

刀剣男士と呼ばれる戦士の姿で顕現して早六年…
現世に馴染んだ小狐丸もこの"湿度"というものには苦しめられていた。

連日の長雨にたっぷりと水分を含んだ地面。それを梅雨時期の厚い雲から解放された太陽が熱し、地表に暮らす全てを蒸し焼きにするかの如く苦しめた。

小狐丸の自慢のもふもふ髪にもその地獄の熱気がたまり、結い上げてみても湿気のかたまりに包まれ生きた心地はせず・・・何より、小狐丸の主でありこの本丸の審神者である赤羽が、自慢のもふもふを拒むことが小狐丸にはツラかった。

「髪の手入れを丹念に仕上げ、ぬしさまに最高のもふもふをお届けしなければならぬな。・・・うむ!」

主に褒められる未来を見ている小狐丸は、暑くなるほどその"もふもふ"が敬遠されることを忘れている。


・・・・・・


小狐丸が畑のある山を下り裏門をくぐって本丸に戻ると、犬槙(イヌマキ)の生け垣の向こうから話し声が聞こえてきた。
内容までは分からないそれは抗議の声のようにわんわんと声高に響いていて、若干の煩わしさを抱くも、合間に「主」と言う声を耳ざとく聞き取った小狐丸は、

「ぬしさまもいらっしゃるのか…」

と、声のする方に向かうことにした。

「枝豆の成長具合を報告しなくてはなりませんからね」

誰に言い訳をするわけでもなく、いそいそと生け垣を廻っていく小狐丸。廻った先にはやはり聞き間違いなどなく、主である赤羽の姿を縁側に認めると嬉々とした。
話し合っているのは二振りの打刀一一五月雨江と村雲江で外に立つ彼らは必死に何かを訴えていた。
いつも冷静な五月雨とどこか悲観的な村雲にしては珍しく熱弁と言っていいほどに身振り手振りを大きくして興奮した面持ちでもある。

「行こうよ、主。こんなに過ごしやすい空気になったんだ。今しかないんだ、今だよ、今!」

「頭、お願いです。我々と共に来てください…!」

「・・・」

何やら懇願する二人に赤羽は表情もなく黙っていた。
無視をしているわけではない。
返答に考えあぐねているのだ、と小狐丸には分かる。

「これ二人共、ぬしさまを困らせてはなりませんよ」

砂利を踏みしめ小狐丸は助け船を出す。
赤羽は胆力のある審神者ではあるが、弱点があるとすればこの口下手なところか。
業務的なことは即断即決する思考の速さはあるものの、日常的なこと…こと自身の感情や意見に関わるとすぐには言葉が出ない。そんな癖があった。

「小狐丸」

感情のない赤い瞳が小狐丸を見据えていた。
それを自身の登場にほっとしている、と小狐丸は解釈した。

「それで、二人はどこへ行きたいのですか」

「・・・」

「・・・」

小狐丸が尋ねると今度は二人が黙ってしまう。
第三者の登場に水を差されて勢いをなくした様子で、お互いに顔を見合わせていた。

「私には言えぬことですか」

「・・・いえ、」

口を開いたのは五月雨で、

「その・・・さんぽに、行きたかったのです」

「さんぽ?」

「はい」

「さんぽとは・・・その辺りを歩いてくる、その散歩ですか?」

「はい」

「こんな時間に?」

まだ辺りは明るいとはいえ時刻はすでに夕刻の6時を過ぎていた。

「今が散歩に適した時間です」

「ああ、まぁ確かに。日中のあの暑さの中を出歩くよりは、良いとは思いますが」

うなずく小狐丸もあの熱気の中を歩きたくないから、太陽が山の木々に隠れた頃合いを見計らって畑に出向いた。
長雨で少し見ない内に雑草が伸び放題となっていて慌てて抜きにかかったものだ。

「小狐丸さん」

「なんでしょう」

「日中のこんくりーとがどのくらいの温度かご存知ですか」

「は?」

「60度近くです…それはとても熱いです。肉球が火傷するから日中に犬を散歩させてはいけません」

「・・・貴殿方は靴を、履いてますよね?」

「実は靴裏に肉球があります」

にこりともしない表情にそれが五月雨なりの冗談なのか本気なのかが小狐丸には判断出来ない。
頭上に「?」を飛ばしながら「それは大変ですね…」と言うのがやっとだった。

「はい。そして猟犬の散歩はおよそ半刻の時間を必要とします。活動に適した天候や気温でなければ頭にも迷惑がかかる・・・」

「いや待て」

聞き捨てならない五月雨の言葉に待ったをかける。

「半刻と言ったか?!…一体どこまで散歩に行くつもりだったのですか!それではぬしさまが返答に困るはずです。と言うか断りなさいぬしさま」

「・・・何度も、」

「待ってください!運動不足は…すとれす、の元です。この長雨で何日も我慢を強いられてきた私達の気持ちをお察しください」

「ぬしさまの言葉を遮るんじゃありません!」

何か言いかける赤羽の静かな声に割り込んできた五月雨を小狐丸は叱咤するが、五月雨は止まらない。

「我々は頭に従います。ですが決して無茶を言っているわけではないこと、理解していただきたいのです」

「無茶しか言っていないと思うが・・・と言うよりも、そんなに行きたいのなら二人で何処へでも行けば良いではないか」

そもそもぬしさまが同行しなければならない話ではない、と小狐丸は気がつき提案する。
山伏国広など最近は主の許可なく山修行に行っている。事後承諾なそれはそれで問題がありそうだから釘を刺しておく必要がありそうだ。

「そんな!私達は野犬ではないのです。単独でうろつくなどあり得ません」

「ああ言えばこう言う・・・では首輪に縄でも通して、ぬしさまに引いてもらうつもりですか」

「そんなことをして誰が喜ぶのですか」

真顔で返す五月雨の言葉に、一振り喜びそうな顔が浮びかけたが、小狐丸は気がつかないふりをした。

「犬のような言動をして犬扱いはいただけぬとは・・・とにかく!もうすぐ夕餉の時間です。今日は諦めなさい」

夏季は日が長く空はまだ青いが、浮かぶ雲は日没の夕日を受けて橙色に輝いている。夕闇は確実に近づいていた。

「・・・今しかない季語を、探しにいきたかったのですが・・・」

ようやく大人しくなった五月雨を見て、小狐丸がもうひと押しと口を開いた時、

「一一えっ。本当に?」

村雲の話し声が聞こえて、ハッとした。
いつも五月雨の後についている村雲は他人とはそこまで積極的に関わる方ではないと油断をしていた。
村雲は決して消極的なわけではない。
口数の少なそうな五月雨が意外と自分の意見をぐいぐいと話すように、村雲もまた大人しそうに見えて案外色んな刀と普通に話す。

小狐丸が五月雨に構っている隙に、いつの間にか縁側に腰かけて赤羽に近づいていたことに小狐丸は気づかなかった。

「雨さん、聞いて。主がごはんの後なら散歩に付き合ってくれるって…」

「!・・・本当ですか、頭」

思いがけない言葉に凄まじい勢いで五月雨は縁側に駆け寄った。その時に腰にある紫の尻尾(を模した物)がぶわんと揺れ、それは小狐丸に本物の犬の尾のように揺れたと錯覚させた。

「でも、小狐丸の言うように、長い時間は行けない。本丸の周りを歩く程度。それでいいなら付き合う…」

「十分です。頭が共にいるのであれば」

「雨さんがいいなら、俺もそれでいいよ…」

「うん…。それじゃあ、また後で」


・・・・・・


「小狐丸、ありがとう」

赤羽の口からそんな言葉が聞こえたのは五月雨と村雲が嬉しそうに立ち去った後のことだった。

「いえ、大してお力にはなれず…。むしろ余計な口を挟んでしまったのではないかと…差し出がましい真似を致しました」

「そんなことはない。私は、上手く話せない。助かってるよ」

ぽつりぽつりと話す赤羽の言葉に小狐丸は素直に嬉しくなる。尻尾があったなら先程の錯覚のように振っていたかもしれない。

「・・・しかし、あの者らもなぜあそこまで固執していたのか」

あそこまで我を通そうとする二人は珍しいどころか初めてのことだと思う。勿論、大所帯の本丸のすべてを把握しているわけではないからあくまで小狐丸の主観ではある。

「あれは、二人の個性。それに、涼しくなって体動かしたくなるのは、分かる」

長雨が続く日々は出陣がない限り本丸に閉じ込められているようなものだった。
雨の中でも散歩には行けるが、「主と一緒に」が条件の二人の散歩は、大阪城の調査や新たな討伐任務などで忙しい赤羽を連れ出すことは出来なかった。

「…焦りは禁物」

「ぬしさま?」

ぽつりと呟く声に小狐丸は首を傾げる。

「少し、冷静じゃなかった。・・・戦い続ければ心が荒む。本丸にいる間は気を休めてほしい。君達には、そう思っていた」

それは赤羽が刀剣男士に言い聞かせている願いの一つだった。食べられる時に食べる。休める時に休む。心の平穏を彼女は何より大事にした。

「それなのに、二人からの誘いに…そんな暇はないと思ってしまった」

「・・・」

「君達は確実に成果を挙げている。終結の見えない戦に焦る必要はない。冷静になれば、分かる」

感情のない顔に、感情のない声。
それは仮面のようで、その心の内を隠してしまう。

「二人は私の感情に、敏感。だから、落ち着いてほしいと言いたいのかもしれない」

だからこうして心の内を明かしてくれる主を前にして小狐丸は相槌を打たずに、ただ見つめていた。
時として相槌は、その言葉を止めてしまう。

「・・・小狐丸が、五月雨と話してくれて良かった。冷静になれたよ」

綺麗に正座をして見上げる赤羽の赤い瞳を受けて、小狐丸は深々と頭を下げる。

「ぬしさまのお役に立てたのなら重畳。ただ、」

頭を上げた小狐丸は、にっこりと笑う。

「あの二人は純粋にぬしさまと散歩がしたいだけだと思いますよ。ひたすらに我が儘なだけです」

「・・・わがまま?」

「刀剣男士は不純物のない鋼のように、純粋に、ただひらすらに持ち主に構ってほしいものなのです」

刀剣男士も千差万別。古い者から新しい者まで刀種で十把一絡げ…まとめられても個々別々に物語がある。その心は戦いを望む者もいれば、望まぬ者もいる。それでもただ一つ同じくするのは・・・持ち主に使われたい。道具としての心。

「私がぬしさまにもふもふを提供したいのも同じこと。ぬしさまに構っていただきたいのです。そして、それにぬしさまが癒されてくださるのなら、より一層の喜びとなります」

「小狐丸…」

「はい、ぬしさま。もふもふしますか?」

「・・・夏は、にっかりのようなひんやりストレートがいい」

流れ的に構ってもらえる雰囲気とばかり思っていたら、自身とは真逆のものを所望されてしまい小狐丸は笑顔のまま固まる。

「・・・、・・・、・・・冬場は、私のもふもふにご期待ください」

長い沈黙の後、絞り出すように宣言する小狐丸の耳には、何故だかヒグラシの鳴き声が悲しげに聞こえた。
3/15ページ