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君とまた朝日が見たい

俺はお前のほんとうの父親じゃない。
ダイニングテーブルを挟んだ向かい側、言われた十歳の少女はぽかんと口を開いたが、すぐにぐしゃり顔を歪ませた。瞳にはうっすらと涙すら滲んでいる。その表情を前にしてぐ、とザップは怯んだ。しかし目を逸らすことはなく、真剣に、誠実に少女を見つめ返した。十年前にも似たようなやりとりがあったが、あの頃から長い年月を経た。先の発言に対する責任は負うつもりだ。そして事実は変わらない。泣こうが喚こうが、誠実に伝えなければ。ザップは折れそうになった覚悟を再び奮い立たせた。

「…あれ、もう騙されてくれないの?」
「……………は?」

けろり、表情を元に戻した少女、バレリーに今度はザップがぽかんとした表情を晒す番であった。
隣の椅子に座るレオナルドが思わず吹き出したので、バレリーから目をそらさないまま脳天に手のひらを叩きつけた。


バレリーからすれば、それは嵐のような数日間であった。
「パパに会いたい」と願った結果、気がつけば十年前のヘルサレムズ・ロットにいた。ほとんどの記憶を思い出せないまま、唯一抱えた肉親の記憶を頼りに必死に食らいついて。ようやく自分の時代に戻ったバレリーの前に現れたのは、先程までずっと一緒であった二人−−−の十年後の姿であった。

「久しぶり。お帰りなさい、バレリー」

バレリーにとってはほんの少し前の出来事だが、二人にとっては十年も前の出来事なのだ。レオナルドの言葉にハッとして、バレリーは恐る恐る「パパ…?」と呟いた。
子供の前であるのにも関わらず咥えていた火のついた葉巻を外し、ザップはふう、と煙を吐いた。そうして少しの間、視線のみが二人の間に交わされたが、不意にザップがニヤリと人の悪い笑顔を浮かべる。

「よぉ、元気してたかよガキンチョが。チビっちゃいねぇってこたぁ、替えのパンツは必要ねぇな」


「いった…手加減ナシじゃん…」
「ウルセェな。全面的にどう考えてもテメェが悪いだろうが」
「レオは最初から騙されてくれなかったわよね」

パパも成長したのね…と頷くバレリーをなんとも形容しがたい表情でザップは見つめる。その視線を意識したわけではないだろうが、ごほんと態とらしい咳払いをして、バレリーはザップに向き合った。

「えっと、ね。会ったときに、なんとなく察してたの」
「…子供の勘ってやつかよ」
「うーん、違うわね、女の勘よ。…っていうのはいいとして。あの時は、思い出せないことが多くて、頼る相手がパパしかいなかったから、パパはパパなんだ、って思ってた。でも、今日二人に会って、十年前のパパと比べて。違うって言われてもなんだか納得しちゃた」

ふぅ、とため息をついたバレリーが肩をすくめる。思わずザップとレオナルドが顔を見合わせるが、構わずバレリーが立ち上がった。

「オレンジジュース飲みすぎちゃったみたい。お手洗いはどこ?」
「あー…便所ならリビング出てすぐ左だ」
「パパは十年の間にデリカシーを学ばなかったの?」

眉根を寄せて見つめる視線の先はレオナルド。お前の教育がなっていないせいだ、と責められているような気になるが、どうしようもないので目を逸らした。
バレリーが出ていった部屋に沈黙が満ちる。頭を抱えたザップが深いため息をゆっくりと吐いた。

「…ザップさん」
「わぁってるよ。お前は待ってろ」

リビングから出たザップは、廊下にしゃがみ込む小さな塊を見下ろした。

「あのなあ。ガキがいらん我慢すんなっての」
「…いい女は簡単に涙をみせちゃいけないの」

三角座りをした膝の中に顔をうずめて、涙声のバレリーが口調だけはいつものまま呟いた。ザップは困ったように頭を掻いたが、バレリーの目の前に目線を合わせるように膝をつく。すると、ゆっくりとバレリーが顔を上げた。

「今のわたしには、わたしを十年間育ててくれたパパとママがいるの。パパもママもわたしを本当に愛してくれていて、だから寂しくなんてない。って思ってたけど、血が繋がってない、なんて言われて平気なはずないでしょ」

さみしいよ。消えそうな声でバレリーが続ける。

「だから、本当のパパとママに会えたら寂しくなくなるんじゃないかって、本当の親子になれるんじゃないかって。ママはもう死んじゃってたけど、じゃあパパならって、そう思って必死になってたけど。もう、だめなのかなぁ」

涙とともにポロポロとこぼれ落ちる言葉を受け止めて、両の手を頰に添える。そして目を合わせたまま、額同士を合わせた。

「だからよ、ガキがいらん心配すんなっつの」
「本当にパパってばデリカシーがないのね」
「うるせぇ、つか、んなこと思ってんならパパ呼びやめろや」
「それは! …だって、パパはパパだもん…」
「それでいいだろ、それで」

添えていた手に少しだけ力を込めて、子供らしく柔らかい頰を軽くつぶしてみる。

「血の繋がりなんてのは、そう重要なモンでもねぇだろ。お前が父親だと思ったら全部父親。それでいいだろ?」
「……」
「俺だってな、あんだけお前に振り回されたあとで、実は親じゃありませんなんて言われても困んだよ。責任とって娘になりやがれってんだ」
「…パパはパパのままでいいの?」
「まァ、認めたくはねぇがな、色々と。…あー、思い出したくねぇ事実を思い出しちまった…。とにかく、いいんじゃねぇの、父親が三人いるってのも貴重な体験ってやつだろ」

額を合わせたまま笑えば、大きな瞳にみるみる涙が溜まっていく。それが決壊すると同時に、バレリーが勢いよく首元に腕を回し、ザップに全力で抱きついた。
勢いに押されることもなく受け止めて、わんわんと泣く背中を叩いてやる。十年前の俺が見たら卒倒すんじゃねぇかな。それはそれで気分がいいな、とザップは心の中だけで呟いた。

「…それで、気になってるんだけど」

泣くことにひと段落し、普段の調子を取り戻したらしいバレリーが鼻をすすりながら話し始めた。

「パパがパパなら、レオもわたしのママ?」
「………は!?」

バレリーの肩を掴み、勢いよく引き剥がしたザップは、本日二度目の呆け面を晒すこととなった。そんなザップを気にもとめず、バレリーはきょとんと大きな目を瞬かせる。

「え、だって結婚してるのよね?」
「おま、なん、は?!」
「だってその指輪、レオと一緒でしょ?」

バレリーの目線の先、左手薬指にはシンプルな銀色の指輪が輝いている。なんという洞察力か。ザップはがくりと項垂れた。

「男同士なんて今更でしょ、今はもう人類と異界人が結婚する時代なのよ? 時代遅れ?」
「これだから崩落後生まれはよォ…」

確かに隠すことではないのだが、十歳の子供に言い当てられる気まずさは存在する。複雑な感情を持て余すザップとは反対に、バレリーは満足そうにザップの肩を叩いた。

「レオなら安心ね! 安心してこの生き物を任せられるわ!」
「お前…口だけはよく回るよな…」

きっとこの後、バレリーに詳しく敬意を求められるのだろう。キラキラを輝く瞳を見れば嫌でも想像がつく。おそらくは扉の向こうで全ての会話を聞いた上で顔をこれでもかと赤くしているだろうレオナルドを逃さないようにしなければ。
そのあとは、今後の話でもしようか。十年待った分、もっと長い時間をともにできるように。
本当に、十年前の自分が見たら心臓が止まるかもしれない。諦めたようにザップは笑った。
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