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さよサマ

さよならサマータイムマシン

ジリジリ、と太陽がアスファルトを容赦なく焦がしていた。8月も終わりに近づいて、秋の涼しさがそろそろ顔を出し始める…というわけでもなく、真夏と変わらないような暑さと日差しが続いている。日差しから逃がれるようにコンビニ前のわずかな日陰に体を押し込めて、買ったばかりであるソーダ味の棒アイスの袋を破った。
同じようにアイスに噛りつくザップさんが無言でアイスの抜け殻を差し出してくるので、仕方なく受け取り自分の分と一緒にゴミ箱に突っ込んだ。僕はゴミ箱じゃないんですけど、と文句をつけてみるが、返ってきたのはなんとも気の抜けた返事のみであった。それ以上の返事、ましてや今後の行動の改善が望めないことは重々承知である。

「このあとどうします?またひと狩りいくのもアリですけど」
「あー…」

世間の高校生は、各自夏休みを満喫しそして終えようとする時期であった。僕らも例外ではなく、一年で最も長い長期休暇を満喫して、学期を始める準備を整えてるところであった。ただ、本日僕は部活でザップさんは補講。しかるべき理由があって登校していた。こんな不良のようなナリをして、いや実際に酒タバコ喧嘩と立派な不良なのだけど、ザップさんは頭がいい。だから授業中全部寝ていても、テスト前に教科書を読めば平均より上の点数を出してしまうらしい。ただ、今回はとてつもない寝坊をしたために一日目に実施した科目のテストを全てすっぽかしてしまったらしく、単位修得のためにしぶしぶ受験生用の補講に出ている、とのことだ。この人高校三年生の受験生っていう自覚あんのかな。そう思ったが、まぁ、どうせこの人はさらりと志望校に合格してしまうのだろう。志望しているのは都内の大学だっただろうか。本当にずるいし悔しい、と思う。絶対に言わないけれど。
ちなみに、こうして二人してアイスを貪っているのは、たまたま帰る時間が一致したからである。僕が高校に入学してすぐ、学年が一つ上のこの先輩になぜか気に入られてしまい、気づけはそのまま二年ほどつるんでいる。クラスメイトからは僕が暴力で脅されて付き合わされているのではないかと本気で心配されているが、あえて訂正はしていない。実際にどつかれるだのオゴらされるだのは日常茶飯事ではある。ただそれでも不思議と居心地が良く、気がつけば隣にいた。ただそれだけ。
時刻は午後四時。一日の中で最も暑い時間帯を越したとはいえ、蒸すような暑さは容赦などしてくれない。この中を動くのは嫌だし、夕飯を食べるには早すぎる。それならどちらかの家でゲームでも、と思い提案したが、中途半端な時間ゆえに変なタイミングで切り上げることになってしまいそうだ。
残暑の高い気温のせいで、アイスが溶ける早さに食べる早さが追いつかない。それでもザップさんはすでにアイスを完食しており、味など残っていないだろうに棒を咥えたまま青い空をぼんやり見上げていた。僕も急いで食べてしまうとするが、あと二口程度、といったところでアイスが棒からすべり落ちそうになり、慌てて舌で受け止めようとする。
そんな僕の状態を気にもとめず、棒から口を離したザップさんが「あ、やりたいことあったわ」とマイペースに呟くので、アイスから目を離さないまま意識だけ向けた。周りでは蝉がそれぞれの鳴き方で愛を叫んでいる。

「なぁ。駆け落ちしようや、ダーリン」
「……は?」

最後の一口が暑さに耐えきれず棒から落ちて、そのままアスファルトに溶けていった。





ぐ、と自転車のペダルを踏みしめる。アイスを食べたおかげで少しばかり冷えたはずの体は、あっという間に汗だくになってしまった。後ろに先輩という名の大きな荷物を載せているため、余計な運動をしているせいもある。自分の自転車使えよ、と一緒に帰るたびに言っているのだが、悲しいことに一度だって自分で自転車を漕がなかった。この先も漕ぐことはないのだろう、と諦めてはいる。この先、といってもどうせ、半年過ぎれば後ろに誰かを乗せることなんてなくなるのだが。一時の辛抱である。

「ていうか、そもそもなんですけど」
「あ?」
「僕らいつから駆け落ちするような関係になってたんです?」
「あー…そりゃおめぇ、前世からだろ」
「ウワー、はじめて知ったんすけど」
「知らなかったんかよ」
「ていうか僕の記憶が正しければザップさんとは高校で知り合ったはずなんですけど」
「前世から俺様と一緒で嬉しいだろレオ君よ〜」
「いやもう、前世の自分趣味悪いなとしか思えませんね!」
「は?こんなイケメン最強ザップ様を前にしてふてぇ野郎だな!」
「頭突きすんのヤメロ!!振り落とすぞ!!」

後ろに乗ったザップさんが暴れるせいで自転車はふらふらと僕の意思に反した動きで進んでいく。向かいから歩いてきた女性がぎょっとして立ち止まってしまい ったので、すみません!と大声を出しながらなんとか軌道を修正した。

「オイオイしっかりしろよ陰毛ちゃんよ〜」
「ほんとうに振り落としてやろうか…」

誰のせいだと思ってるんだ誰の。言ってやろうと思ったが、さっきの二の舞になりそうなので止めておいた。本当に事故になってしまったら一大事だ。ザップさんその時は一人で逃げそうだし。
それから数十分ほど自転車を走らせて、目的地である駅にたどり着いた。半袖からから伸びる腕は当然ながら日焼け止めも塗られず、太陽の光による攻撃を受けて続けてしまった。帰ったら赤くなっているかもしれない。ザップさん黒いから焼けてもわかんないですよね〜と二の腕の肉を摘みながら言ってやったが、お返しとばかりに頭にゲンコツが落ちてきた。もっとも、僕の自慢の石頭にゲンコツをした本人の方が痛がっていたが。ざまあみろ。
自転車を駐輪場の隙間に無理やり詰め込む。この時間帯はどうしたって駐輪場はいっぱいになってしまう。一台入れるのがやっとであった。

「ほらやっぱ二人乗りの方が効率的じゃねーか?」
「…たまにはザップさんが漕いでくれる、っていう選択肢はないんすかね」
「俺、後ろに載せんのはボインボインの美女だけって決めてるんだよ」

駅で運賃表を見上げ、一番端より少し近いところにある、行ったことのない駅までの切符を買う。一番端の方がロマンはあったが、財布の中身との協議の結果である。駆け落ちなどと言いながら帰りの運賃のことまで考えている時点でロマンも何もないといえばない。そもそも駆け落ちという表現も適切ではないのだが。
ホームに滑り込んできた電車に乗り込み、座席を確保する。見慣れた駅を次々と見送りながら電車に揺られ続けていけば、知らない名前の駅が続くようになった。同じ駅から乗った乗客も残っていない。景色だって知っているようで知らないものだ。
目的の駅へたどり着くまでの長い時間、僕たちの会話がころころと変わっていった。学校について、夏休みについて、ゲームについて、流れる景色について。お互いがうとうとして会話が途切れることもあった。

「まさかザップさんからこんな青春映画みたいな提案がされるとは思いませんでした」
「あんだよ、高校生最後の夏に思い出作ってやろうっつう優しさが伝わってないのかよさすがちぢれ毛だな」
「今毛質は関係ねぇよ!」
「来年俺が居なくて寂しいだろ? そのための思い出だよ」
「忘れたい記憶の方が多いんですがそれは?!」
「ハハハハハ照れんなよ」
「笑いながら絞め落とそうとするのやめませんかあだだだだだだ」

ごほん、と目の前に座っていたおじさんがわざとらしく咳払いをしたため、ピタリと動きを止めてそろそろと座席に収まった。確かに騒ぎすぎた。こえぇ〜、とザップさんが小さく呟くので、余計なことは喋るなと軽くすねを蹴った。

「海じゃん」
「海だな」

電車に揺られて数時間。目的の駅に降り立った僕たち二人の一言目は同じであった。
電車に乗っている時から見えてはいたが、駅から近くに海があるようで、まばらな民家や道路の先には青い海がひろがっている。生ぬるい風にも潮の香りが混じっているように感じた。

「入れっかな」
「難しいんじゃないすか。海水浴の人もいなさそうだし」

夏の間に友人たちと行ったような、夏の間に賑わいをみせる海水浴場ではないようだ。むしろ遊泳が禁止されている海のような気がする。人の影はほとんどなく、見えるとすればテトラポットの上で釣りをしているだろう人間くらいだろうか。こういった海は近くになければ行く機会はほとんどなく、新鮮に感じる。

「なんでオメーあんなゲーマーで視力落ちねぇの」
「生まれつき、目だけは良いんですよね」
「ほーんだから糸目なんか」
「それ関係あります?」
「あ、なあ海入れねーなら花火やろうぜ」

ザップさんが指差したのは駅前のコンビニであった。この季節のコンビニであれば、確かに花火が並んでいるだろう。それに、午後七時を過ぎた今、夜はすぐそこまで迫っている。海周りを少し散策していれば花火にはちょうどいい暗さになりそうだ。ザップさんにしてはいいアイディアである。そう声に出せば頭上にゲンコツが落ちてきた。再び手を痛そうに振るザップさんを見て、やはり学習するという高度な行為はできないのだな、とそっと思う。今度は口に出さなかった。
コンビニに入ると、ザップさんは花火に目もくれず一目散に冷凍品のコーナーへ向かい、無言でアイスを指差した。アイスは一日一個まで!と夏休み中の母親のようなことを言いながら指差す手をはたき落とす。ケチかよ、とぼやくザップさんを花火が陳列されている棚まで引っ張って行く。その様子を見ていた店員のおばちゃんの表情が、まるで微笑ましいものを見ているようであったが、気のせいということにしておきたい。





慌てて靴と靴下を脱いで手に持った。細かい砂と砂利が足の裏に刺さる。そのままザップさんのところまで走っていけば、海水が波に合わせて足にまとわりついてきた。冷たくもないが、ぬるくもない。

そのまま波打ち際を歩き出す。砂に足が埋もれて足跡がつくも、すぐに波に飲まれて消えていってしまった。なんだか二人の居た痕跡が消えていくようで、本当に秘密の逃避行でもしているようであった。



顔を一瞬で輝かせたザップさんがばしゃばしゃと水を跳ねさせながら走って行ってしまった。僕より子供じゃん、と思いながらふと周りを見渡せば、今にも暗闇に飲まれてしまいそうな空と海だけが視界に広がっていた。
前を見ても後ろを見ても景色はあまり変わらず、人なんて一人もいなかった。世界に二人ぼっちのようだな、と思わず思ってしまうほどに。

「…あれ?」

ふと周りを見渡せば、

世界に一人きり、取り残されてしまったようだ。

「…ザップさん」

思わずこぼれた言葉は、自分でも驚くほどに弱々しく、波の音にあっけなくさらわれてしまった。目の前に迫る海がひどく大きく見えて飲み込まれるように錯覚する。彼がいないだけでこんなにも弱くなってしまうのか。

「…うお!?え、は?!なんでお前泣いてんの!?」

その声にはっと顔を上げれば、今まで見たことがないほど目を見開いて固まるザップさんがいた。

「ちが、泣いてないし!目にゴミが入っただけだし!」
「いや誤魔化し方ヘタすぎじゃね!?」
「うっさい!バカ!クズ!女たらし!その無駄に長い足でタンスの角に小指ぶつけろ!」
「ええ〜…なんでこんな罵倒されてんの俺…」

泣くなよ、とらしくなくオロオロするザップさんに少しだけ満足する。今まで散々女のひと泣かせてきたくせに、男の後輩が泣き出しただけでこんなに取り乱すなんて。妙な優越感に満たされて、ついでにいえばいつにない姿のザップさんに面白くなってきた。それでも涙は止まってくれなかったが。

「泣くなってホラ〜」

いよいよ対応に困ったらしいザップさんが、両手で僕の顔を挟み、もちもちぶにぶにと揉み始めた。慰め方雑かよ。
それでも、いつものような扱いにだんだんと気持ちが落ち着いてきた。癪ではある。さっきまではボロボロと流れていた涙は、今はうっすらと目元に滲む程度におさまっている。

「…全部、アンタのせいじゃないか」

震えて、くぐもって、涙声であったので、聞き取られているとは思わなかったのだが、ザップさんが頰を揉む手を止め、じっとこちらを見つめていた。続きを促されているようだ。

「さみしい、さみしいですよそりゃあ。あっさり消えるなんて、なんでもないように別れるなんて、あんまりじゃないですか」

涙は止まったのだが、その代わりとでもいうように言葉がボロボロと溢れてきた。本当は口に出すつもりなんて無かったのだが。後悔するのだからやめろ、という心の声とは裏腹に、言葉は止まってくれなかった。


「…今なんでキスしたんですか」
「言ったろ、前世から恋人だって」

ひひ、と悪戯が成功した子供のような顔でザップさんが笑った。ファーストキスだったのにな、と落胆するが、まるで悪気を感じていないその笑顔にどうでもよくなってしまう。少しも嫌じゃなかった、なんて不穏な気持ちは気づかないことにして心の中に押し込んだ。それにしても、誰だ、ファーストキスはレモンの味なんて言った奴。タバコの苦い味しか残らないじゃないか。



[newpage]
この車両には誰もいない、と思っていたのだが、どうやら先客がいたらしい。いや、先客という表現もおかしいか。観光地でもなんでもないこんな田舎の方まで、ましてやこんな夜遅くに人がいるなど珍しい。私でさえ、祖母の家へいくという用事がなければこんな時間に乗っていない。少し興味が湧いて、近くまで寄ってみる。どうやら二人の男子高校生のようだ。二人ともぐっすりと眠っている。背の大きい方が背の小さい方にこれでもと寄りかかっており、ロングシートの車両ゆえ、背の小さい方が壁と背の大きい方に挟まれて心底寝苦しそうだ。
そしてそういえば学生は夏休みか、と思い出した。膝下まで捲られたズボンから伸びるふくらはぎには細かい砂のようなものがついており、なるほど、海につかったらしい。確かにこの近くには海がある。遊泳禁止ではあったが、足だけつかる分には問題ないだろう。そう考えるととても青春らしい。大人になってからは忘れかけてしまったが、電車に乗って海に行く、なんてありがちで凡庸なシチュエーションでも、高校生時代の自分にとっては大冒険であった。ましてや仲の良い友達と二人きり。はしゃぎすぎて疲れて車内で寝てしまう気持ちはよくわかる。しかし、寄りかかられている方がそろそろかわいそうになってきた。走行音にかき消されかけているが、よく聞けば「トマト…チーズ…」と寝言をつぶやいているので、ホットサンドかハンバーガーあたりになった夢でも見ているのだろうか。彼の安眠のためにも起こしてあげた方がいいのかもしれない。そう思った時、背の大きい方がぱちりと目を開けた。寝ているのをいいことに目の前の座席で観察をしていたため、目が合ってしまう。少し気まずくなり、思わず会釈をすれば、彼はいたずらっこのように笑い口元に人差し指を立てた。そして背の低い方の肩を抱き寄せて自分にもたれ掛けさせ、再び目を閉じた。ちゃっかり肩は抱いたままである。これは見せつけられてしまったなぁ、とため息をつく。若いってこわい。
高校生の世界なんてものは狭くて、小さい。それでもこの二人は今一緒にいることを選んでいる。この先どんなに世界が広くなっても、一緒にいることをこの二人が選べたらいい。名も知らぬ高校生に気まぐれで無責任な祈りを捧げてみた。電車は私たちを次の駅まで運んで行く。これ以上二人の世界を覗くのも気が引けて、私も寝てしまおう、と目を閉じた。


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