はっぴーばーすでー

まるで星だ。誰かが呟いた言葉は、そのままヘルサレムズ・ロットのニュース記事となった。

霧に覆われている街には、太陽はもちろん月も星も見えることはない。故に、ゲットー・ヘイツのような場所が生まれるのだろう。しかし、現在ヘルサレムズ・ロットの上空には、小さな銀色の光が瞬いていた。しかし、本物の星を一度でも見たことのある者であればすぐに違和感に気がつくだろう。その星は、ゆっくりと動いていた。

「スター・フィッシュ?」
「まんまっすね」
「だろうね。さっき命名されたようだからな」
「大変ですよね、この街の生物学者たちは」
「次から次へと、見たことのない生き物が現れるものねぇ」

ライブラの執務室。各自がそれぞれの感想を、好き勝手述べていた。
突如街の空に現れた光に、またいつもの世界の危機かと緊急招集がかかったものの、解析班より導き出された答えは宙を漂う魚の大量発生であった。空を泳ぐという特徴のある魚など、人界にはもちろん存在しない。異界より現れたその魚は、鱗が発光する種類であるらしい。深海魚のように餌を呼び寄せる目的がある、訳でもないようで。いまのところこれといった被害は出ていない。問題があるとすれば、幻想的な光景を一目見ようと外に出た住人がちょっとした祭りを始めていることだろうか。

「それにしても、星なんて見るの、三年ぶりかもしれないなぁ」
「この街に引きこもりだものねスティーブン先生」
「なんだか言葉に棘がないかい?」

気のせいでしょ、というK.Kの言葉はさておき。星かぁ、とレオナルドがしみじみ呟いた。

「僕の故郷、田舎だったんで星がすごくよく見えて。夜に妹とこっそり抜け出して、体を冷やして帰ってきては怒られてましたね」
「ああでも、たま仕事で自然の多いところなんかに行くとちょっと感動するよね」
「あ、チェインさん分かってくれます?」
「この街に来てからは本当に無縁だしね」
「ふむ…何度かゲットー・ヘイツの空を見たことがあるが…確かによくできているが本物とは言い難いな」
「アタシとクラっちは外に出ることもあるけど、毎回毎回そんな余裕ないものね」

星への思い入れを話す間、離れた位置に座る斗兄弟はゆっくりと顔を見合わせた。「幻想的」や「美しい」といった単語が飛び交う空間にはあまりふさわしくない、妙に硬い表情であった。

「道標だよなぁ…」
「道標ですよね…」
「道標?」

どういうことかと首を傾げるレオナルドに代わり、納得したようにスティーブンが頷いた。

「そうだな。何もない場所では、星だけが方角や時間の目安だからな」
「さすが野生児クソモンキー」
「律儀にディスってんじゃねーよクソ犬」

中指を立てるザップに舌を出すチェイン。いつもの光景にもはや律儀に反応する者もいない。手が出ていないので、特に止める必要もないだけともいうが。

「でも確かに、星空というものはずっと本の中だけの世界だったので、初めて見たときは感動しましたね。…その直後に星の読み方をこれでもかと叩き込まれたので、今はもう純粋に綺麗なものとは思えませんが」
「嫌なこと思い出させんじゃねーよ…」

うんざりとした顔で、ザップは天を仰いだ。ライブラに所属してしばらく経つが、知らないことはまだまだ多いのだとレオナルドはひっそりと痛感する。

「あ、でもよ。星座ってあるだろ。あれつくんの楽しかったな。遊ぶモンなんざねーからよ、暇な夜は適当に星繋げてたな」
「えっクソ猿のミジンコよりも小さい脳みその中にもあるんだ、そういうロマンチックな感情」
「オメーの律儀さはなんなの?」

牙をむいて威嚇するザップを無視して、チェインは真面目な顔でスティーブンに向き合った。

「それで、とりあえずはこのまま待機ですか?」
「うーん、そうだね、本当に無害かはまだわからないからね」

ギルベルトの淹れたコーヒーを片手にパソコンを覗き込みながらスティーブンが言う。画面に表示される各種解析結果には、いまのところ不審な点は見当たらない。魚が凶暴化して人を襲っている、といった報告もあがっていない。
このまま平和に今日という日が終わるだろう。誰もがそう思うときは、どいういわけか必ず問題が起こるのである。
十一月二十四日、午後十時半。解析班から切羽詰まったように電話がかかってきた。



「つっっっかれたぞオラーーー!!!」

崩れ落ちたビルの瓦礫の上に、ザップは勢いよく仰向けに倒れこんだ。少しだけ頭を打ったが、そんなことを気にする余裕もない。数時間前まで広がっていた星空は、いつもの暗闇へと沈黙していた。

「…おつかれさまです。これで本当に終わりだそうですよ」

力なく地面に座り込んだレオナルドの言葉にも覇気が微塵も無い。ついでに言えば、先ほどまでレオナルドが報告の電話をしていたスティーブンも疲れ果てた声色であった。
解析班から伝えられたのは、スター・フィッシュの鱗には幻覚作用がある、といった報告であった。その作用自体は強く無いのだが、何せ数が多い。ヘルサレムズ・ロットの空全体を覆っているといっても過言では無い。じわじわ住人たちに作用してくるはず…という言葉は、窓の外で派手に鳴った爆発音によりかき消された。「ツノの生えたスイートポテトが襲って来る!」「羽の生えたキリンが髪の毛を食べて来る!」と正気とは思えないことを喚きながら複数の住人が暴れ出していた。おそらく、そういった幻術や薬の類に耐性の薄い者から強烈な幻覚を見はじめているのだろう。事務所に待機していた構成員たちが一斉にボスを見た。

「全員、出動! 動ける構成員には全て連絡! 今宵もまた、世界を救うのだ!」

スター・フィッシュを誘導して異界側へ追いやり、暴れ出す住人を沈静化する。言葉にすればシンプルであるが、実際にことが簡単に進むはずもなく。巨大な網を使い数時間かけて魚を追い出した後は、暴徒と化した住人を沈静化させると言う名の武力行使がはじまる。あるときは殴って気絶させ、あるときは腕を一本切り落とし(トカゲの尻尾のように後から生えて来るので問題ないらしい)、またあるときは頑丈な檻の中へ閉じ込めた。
とりわけ酷い暴れ方をする者たちには、レオナルドとザップのコンビがあてがわれた。幻覚に対抗するには手練れの術師が必要であるが、レオナルドがいれば最も簡単に、素早く解決できる。まずは幻覚を解除、もしくは何も見えなくさせて、ザップが対処するといったコンビネーションだ。もちろん、神々の義眼にもザップの体力にも限界はあり、当初の計画ほどうまくはいかなかったが。それでもかなりの数を、ほぼ休みなく沈静化させていた。気が付けは事務所を飛び出した時から二十四時間以上は経過しており、空は真っ暗である。いつ朝になって、いつ昼になったかもう覚えてねぇなと指先一つも動かせないままザップはぼんやりと空を見上げた。

「ああああああ!!!!!!」
「うっせーな陰毛! 疲れ切った体に響くだろうがよ!」

突然、レオナルドが叫び出した。すっかり疲れ切った脳にビリビリと送り込まれる不愉快な声に、思わずザップも叫び返す。無駄な体力を使ってしまったとうなだれるザップに構うことなく、慌てたレオナルドがザップの上に馬乗りになった。ぐえ、とザップからはカエルが潰された時のような声が漏れたが、どうでもいいとばかりにだって!と言葉を続ける。胸ぐらを掴んで揺さぶるのはやめてほしい、というザップの願いは一切届いていなようだ。

「誕生日! ザップさんの誕生日、あと十分しかないですよ!」
「はぁ?」

誕生日。誕生日?
普段の倍はのろまなザップの思考回路は、言葉を受け止めた数十秒後にやっと答えを繋いだ。そうだ、自分の誕生日だ、今日は。

「ああ、そういえば…いやそんなんどうでもいいだろ今」
「何言ってんすか! アンタの生まれた日でしょ!?」

普段のザップであれば、誕生日にかこつけて金品をせびるところではあるが。丸一日以上も続いた戦闘の連続により、そんな気力すらも残ってなかった。むしろ早く寝かせてくれとばかりに全身から力が抜けている。

「…ほんとうはちゃんとプレゼントも用意していたんですけど。今の俺に渡せるのはもうこれくらいしか無いんで」

掴んだ胸ぐらを勢いよく引き寄せ、額同士を合わせる。そうして開かれた眼の青い輝きが、至近距離でザップの顔を照らした。こいつまつげ長いよなぁ、と呑気なことを考えていたザップの視界が一瞬暗くなり、瞬きをした瞬間に見えたのは一面の星空であった。

「これ、俺の故郷の星空です。故郷を出る直前に見納めしてきたんで、この眼はちゃんと記憶してるんですよ」

数えきれないくらいの銀色の小さな光が、漆黒の空を覆い尽くしていた。よく見ればそれぞれの光はまるで息をしているかのようにチカチカと点滅している。星の魚も、人工的な星も、全く比べ物にならなかった。それでいて、自分の知っている星空でも無い。ザップの見てきた星空はもっと無機質で、このようなあたたかさなど感じなかった。

「すげぇな」

思わずザップが感嘆の声を漏らせば、でしょう?とレオナルドが誇らしげに笑う気配がした。胸元が少し苦しくなってきたので、上半身を起き上がらせて、胸元を握りしめる手を外す。

「俺にとっては星は『綺麗なもの』なんで。プレゼントにはちょうどいいでしょ?」

レオナルドの言葉に、ザップは違和感の理由に説明がついた。これは、あくまでレオナルドの視界なのである。レオナルドが「綺麗なもの」と思いながら見ている星空。「ただの道標だ」と思いながら見ている星空と違うのは当然である。
それにしても、とザップは考える。レオナルドの視界というものは、こんなにも綺麗で温かいもので溢れているのだろうか。

『ああなんだ。無いのか、誕生日』
『え』

ザップはふとライブラに所属したときのことを思い出した。牙狩りから取り寄せたのだろうザップの履歴書を見ながら、ボスの右腕は呟いた。そう言われて初めて、ザップは己の誕生日について考える。

『母親の顔すら覚えてねーのに、生まれた日なんてわかんねーっすよ、俺』
『この経歴だもんな』

人間なのかも怪しいザップの師匠のことを思い出し、スティーブンは苦笑した。自分の誕生日を知らない者など、牙狩りを含む裏社会の人間には数えきれないほど存在する。本人たちも誕生日にさして興味がないようで、そのまま誕生日の記入欄が空白になっている者も多い。だからこそ、ザップもそれで終わると思ったのだが。

『とりあえず、今日にしておくか。別に希望もないだろ?』
『え、いやまあ、いいっすけど…必要なんすかそれ?』

そんなものをつくるのは、面倒なだけなのではないか。不服そうな表情を隠さないザップを特に気にすることはなく、スティーブンはザップの履歴書に修正を加え始めた。

『あると便利だぞ、いろいろな書類やカードをを擬そ…おっと作成するときにな』
『まじか…』
『っていうのは半分冗談』
『半分…』

カタカタとスティーブンがキーボードを打つ音が部屋に響く。とんでもない組織に配属されてしまったのではないかと、ザップは今更ながら冷や汗が出るのを感じていた。少なくとも、この副官に逆らってはいけない。

『口実だよ』

静かな声が部屋に響いた。その声はどこか祈りにも似ていたが、神の存在を信じていないどころか、祈るという心理自体いまいち理解できていないザップが気づくはずもなかった。

『口実?』
『そうだな、人それぞれだとは思うが…例えば自分が主役の誕生日パーティを開く口実。プレゼントをもらう口実。大切な人に会いに行く口実。なんだっていいんだよ、言い訳になれば』

欲しいものがあれば奪えばいい。特別に会いたい人などいない。特に価値を見出せないザップに、スティーブンは笑いながらわからないよなぁ、と続ける。

『息をするように容易く人は死ぬ。特に僕たちのような人間はね。そこまではわかるだろう?』
『まあ、はい。俺も覚悟はできてるんで』
『だから、思い出を残す理由も、生きるための理由も、多ければ多いほどいい。この世に未練がある奴の方が生き残るし、最悪死んでも後悔が少ない』
『はぁ…』
『わかるよ。いつかな』

だからライブラは結構イベントが充実してるぞ、と見せてきたのは大きめの壁掛けカレンダーであった。クリスマスやニューイヤーはもちろん、飲み会やおそらくは幹部たちの誕生日まで細かく記されている。タダ飯食えるなら利点しかないか…とザップは腑に落ちないながらも、今日の日付を見つめていた。

「…ザップさーん?」

訝しげなレオナルドの呼び声に、ザップの意識は記憶から浮上した。気がつけば目の前の星空は消えており、代わりにレオナルドの顔で視界が埋まっていた。おう、と小さく返事をすれば、心配そうな顔はふにゃりと笑顔に崩れた。

「あ、気がつきました? イヤついに目を開けたまま気絶したのかと」
「仮にそうだとしたら、トドメ刺したのオメーだけどな」
「ひひ、だってやっぱり当日中に祝いたいじゃないっすか。特別な日なんだし」

腕はもう少しも動きたくないと訴えているかのように重いが、それでも両手を持ち上げ、レオナルドの頬を包み込んだ。やけにモチモチとした感触は、なんだかジャパニーズスイーツの大福を思い出す。ちなみに以前、そんな感想をツェッドに伝えたことがあるのだが、葛餅のような触感を持つ弟弟子は納得してしまった自分に納得していないようであった。

「なーレオ、来年もやってくんね、それ」
「え、視野共有を、ですか」
「おう。結構面白れぇわ」

何回かレオナルドには視界ジャックをされているが、こんなこともできるのかと素直に感心した。それに、新鮮で、温かくて、レオナルドの見る世界は妙に綺麗で興味が湧いた。そこまで感想を伝える気はなかったが。一方で、頼まれたレオナルドは困惑した表情を隠しきれずに首をかしげる。

「ええ、こんなんでいいんですか? アンタのことだから、パーティもケーキもプレゼントも要求して来るとばかり」
「そんなん、どうせ旦那あたりがくれんだろ。俺は、レオだけがくれるものが欲しい」
「わがままかよ。俺、今すぐにでもこの眼を返すつもりでいるんですけど」

レオナルドの特別を要求するザップに、包まれた頰の温度が上がっている気配を感じるが、どうにもできずに反論する。そんな反論も意に介さず、ぶに、とレオナルドの頬を押しつぶした。

「実際に見れなくても関係ねぇよ。おめーの見てる世界を教えてもらえればそれでいい」

誕生日が特別だという気持ちも、星空が綺麗だと思う気持ちも、世界があんなにも温かいことも、ザップにはまだわからない。しかし、それらをこれからレオナルドに教えてもらえるのだとしたら。それは悪くないと思う。
もにもにとされるがままに頬を揉まれるレオナルドにニヤリと笑う。表面上の意味にしか気が付いていないレオナルドに、驚くほどするりと言葉がこぼれ落ちた。

「あれだ、来年も一緒にこの日を迎えるための、口実だからな」

日付が変わり、時間はまた一年先を目指して進んでいく。
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