それは突然、日常を。
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今朝はいつにも増して目覚めが悪かった。
曇りと言うだけでも憂鬱なのに、それに追い討ちをかけるように昨日の出来事が思い出される。
冷静になってから気がついた。
あの男とこれから先、学校で顔を合わせることがあるかもしれないということに。
一瞬でも綺麗な顔だと思った自分が情けなくて、そう思ったらますます憂鬱になってきた。
重い足取りで玄関のドアを開けると、自然と深い溜め息がこぼれた。
もう一度空を見上げるとやっぱり曇り空で、またひとつ溜め息がこぼれた。
「おう。」
こぼれた溜め息と同時に彼の声がした。
家の表札の壁に寄り掛かるようにして、彼は私を待っていた。
「洋平、おはよう。」
「咲、今日は間に合ったな。」
洋平はそう言って、相変わらず屈託の無い笑顔を私に向けた。
「え、遅刻すると思って待ってたの?」
「そうだよ。」
「もう保護者じゃん。」
洋平はそう言う私の右側に回り、同じ歩幅で2人並んで歩き出す。
洋平と私は幼馴染だ。
家が近い上に保育園から高校までずっと一緒で、高校生になった今でもよくこうして一緒に登校することも少なくない。
どちらかと言うと、私にとってはお兄ちゃんのような存在に近い。
「ねぇ、ここ。切れてるよ。」
「あぁ。猫に引っ掛かれた。」
「また喧嘩?」
「猫だってば。」
洋平は世に言う不良と言うやつだ。
彼は毎日のように喧嘩してどこかしらに傷を作ってくるけれど、誰彼構わず喧嘩しているわけではない。
洋平が拳を振り下ろす時はいつだって、理不尽な事と他人の為だと言うことはちゃんとわかっている。
最寄りの駅から乗り込んだ車内は通学時間真っ只中で、満員電車程ではないが割りと混んでいる。
学校まで3駅なのがせめてもの救いだ。
私がドア付近の手すりに掴まり、洋平がその隣のつり革に掴まる。
電車に乗る時の2人のいつもの定位置だ。
「咲さ、昨日何かあった?」
突然の洋平の問いかけに、私は思わずよろけて手すりを掴み直した。
「え、何で?」
「遅刻してきた時変だったから。」
「変って何それ。雨に降られただけだし。」
「咲って、焦ったり嘘吐いたりすると昔から前髪触るよな。」
洋平のその言葉に、私は慌てて額にあった手を振り下ろした。
幼い頃からの癖ほど恐ろしいものはない。
自分の意志とは全く別のところで現れる上に、何と言っても無意識なのだから。
私はどちらかと言えば顔には出ない方だが、洋平の前だとそうもいかなくなる。
なぜか洋平には何でもわかってしまうからだ。
彼は昔からいきなりズバッと話の核心をついてきたりする。
昨日の出来事に対して別に嘘を吐くつもりはなかったが、かといって言う必要もないと思っていた。
むしろ何かをやってしまったとすれば、それは間違いなく私の方だ。
キスされそうになったのが勘違いであったとしても、見ず知らずの男の股関を蹴り上げたのは紛れもない事実なのだから。
そんなことはいくら洋平にでも言いづらくて、私は下ろした手に力を込めた。
「いや…何も。」
「ふーん。」
「何?」
「なら良いけど、何かあったらいつでも言えよ。」
そう言って洋平は優しく笑った。
昔からそう。洋平はいつだって私の気持ちを一番に察してくれる。
屈託の無い笑顔で誰にでも分け隔てなく、その優しさを与えてくれる人だ。
その時、心地よい風が頬を掠めた。
どうやら反対側のドアが開いたようで、他校の生徒達がパラパラと乗り込んできた。
私達の高校の最寄り駅だから、早く降りなければまた遅刻してしまう。
「咲、降りよう。」
「あ、うん。」
洋平に右手を掴まれて、電車の外へと降り立った。
降りるのは殆どがうちの学校の生徒達なのだが、改札を出た駅前のコンビニの前に人だかりが出来ていた。
「何だ?あの人だかり。」
不自然なほどに群がる女子の人だかり。
女子達は目を輝かせながら、何やらコンビニの中に熱い視線を送っている。
小さな黄色い歓声も所々聞こえた。
洋平は特別興味もなさそうに、人だかりを眺めながら歩き出した。
洋平に引っ張られるようにしてその後ろをついていく。
それにしても、洋平はまだ私の手を握ったままだと気づいているんだろうか。
こんなにしっかりと握ったのは本当に久しぶりで、少しだけ照れ臭くて戸惑ってしまう。
その時突然、洋平が「あ。」と声を上げた。
洋平が急に立ち止まるから、私は彼の背中に思いっきり顔面を打ちつけた。
「ちょっと洋平!急に止まんないでよ。」
「あれ流川じゃん。」
その人だかりを掻き分けて出てきた人物が、どうやら洋平の見覚えのある顔だったらしい。
「誰?」
「流川だよ。バスケ部の1年の。咲知らないっけ?」
「あぁ、名前は知ってるけど、顔は知らない。」
さすがの私でも、聞いたことのある名前だった。
確かバスケ部の1年生エース。
洋平は親友の桜木くんがバスケ部で、毎日のように練習を見に行っているから、いつの間にかその“流川”と顔見知りになったのだろう。
洋平は人だかりの方へ向かって、「流川」と名前を叫んだ。
女子の人だかりを作ってしまうような“流川”がどんな人物なのか、見ようにも目の前に洋平の背中が立ち塞がっていてよく見えない。
顔を出して覗き込もうとしたその時、洋平の体が動いて視界が開けた。
そして洋平は1人の男を指差してこう言った。
「あれだよ。流川。」
“流川”を目にした瞬間、鼓動が早まり、足がすくんだ。
昨日の出来事が、先程よりも鮮明にフラッシュバックする。
彼の視線に追い詰められているような錯覚に陥って、目を逸らせなくて、私は昨日と同じように思わず後退りしそうになってしまった。
彼に会うことを予想出来なかったわけじゃない。
だけど、まさかこんな形で再会するなんて夢にも思わなかった。