眠れぬ夜は君を想うから
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『ごめん咲、今日行けなくなった。』
リョータからそう電話がきたのは、駅の正面口が見えてきてすぐのことだった。
悪戯な秋風のせいで乱れた前髪を左手で抑えながら、待ち合わせ場所の改札へと向かうその足をピタリと止めた。
「どうしたの?」
『妹が熱出した。』
「え、大丈夫?」
電話越しの彼は、少し掠れたか細い声で「大丈夫。」と2回続けて言った。
『微熱なだけで元気なんだけど、家に俺しかいなくてさ。』
「そっか。そしたらリョータがいてあげた方が良いね。」
『咲、もう家出ちゃった?』
「え、まだだよ。」
『本当に?』
「本当に。」
『なら良かった。』
こんな時でさえ私に気を遣ってくれているのがわかって、私は思わず嘘を吐いた。
駅前の騒がしさが聞こえないようにと、駅に背を向けスマホを顔に近づける。
『また連絡する。てか絶対埋め合わせする。』
「うん。わかった。私のことはいいから。」
『本当ごめん。』
「わかったから。お大事にね。」
『うん、またな。』
「またね。」
私の声を聞いてから、彼は小さく呟くように「また。」ともう一度言って電話を切った。
さっきまで彼の声が響いていた電話越しからは、今はただ冷たい機械音だけが鳴り響いている。
私はその音を聞きながら、改札の前の壁に寄りかかった。
切れたバッシュの紐を一緒に買いに行こうと、誘ってくれたのは彼の方だった。
彼が進んでそんなことを言い出すなんて夢にも思わず、私はそれが溜まらなく嬉しかった。
今週末の土曜日は部活が珍しく半日で終わるからと、夕方の4時に駅前で待ち合わせすることになった。
が、彼は来なかった。
正式には来られなくなってしまったんだからこればっかりは仕方ない。
今日は朝から変な胸騒ぎがしていたから、不思議とこの状況に落ち着いている自分がいた。
耳からゆっくりと離したスマホの画面に目をやると、時刻は待ち合わせ時間の夕方4時になっていた。
リョータに紐を選んであげてから帰ろうかとも思ったが、さすがに1人で選ぶ勇気なんて私には到底なく、その場から離れようとしたその時だった。
「咲?」
聞きなれた男の声がして、私は思わず顔を上げた。
少し上げただけでは顔まで見えず、思い切り頭を上げてやっとその人物と目が合った。
「…三井先輩。」
そこには、白いTシャツに黒いジャケット姿の三井先輩が立っていた。
先輩は私と目が合うと、「やっぱ咲だ。」と言って笑った。
「咲、何してんの?」
「先輩こそ。何してるんですか?」
「俺?俺は買い物の帰り。」
彼はそう言って、何の気なしに左手に持っていた紙袋を持ち上げて見せた。
見た目はただの白い紙袋の様だが、よく見ると女性に人気の化粧品メーカーのロゴが入っていた。
ただの女子高生の私からしたら、自分へのご褒美にと買うレベルのお店の名前だ。
ご褒美に買えるかどうかさえも疑わしい。
ましてや化粧品を先輩が使うわけがないのだから、紙袋の中身の正体は彼女へのプレゼントに違いない。
「咲、誰かと待ち合わせ?」
「いえ、1人です。」
「…ドタキャンか。」
「は?」
「ドタキャンだ。ドタキャンされたんだろ?」
「だったらどうなんですか。」
「腹減んねぇ?」
いつものことだが、先輩は突然何の脈絡もないことを口にする。
多分頭に浮かんだことをそのまま口にしているのだろう。
そんな彼の性格にも大分慣れてきたと思っていたが、今日もまた突然の一言に対処が遅れて先を越されそうだ。
「まだ4時ですよ。」
「小腹が減った。咲は?」
「全然。」
「可哀想な咲に俺が何か奢ってやるよ。」
「先輩、話聞いてましたか?」
「いいから行くぞ。」
私は別に可哀想じゃないし、小腹も全然減っていないし、言い返したいことは山ほどあった。
だけど私が口を開くよりも先に、彼は私の手を有無を言わさず少し強引に引っ張って歩き出した。
やっぱり今日も先を越されて、先輩のペースに巻き込まれてしまった。
土曜日の夕方だからか、すれ違い様に恋人同士がやたらと目に付いた。
それを見かける度に、頭の片隅でリョータと彩子が2人で並んで歩いている姿を想像してしまう。
幻覚にまで踊らされる不甲斐ない自分にいつも飽き飽きしながら、手のひらに爪の跡がつく程ギュッと強く握り締めて平然を装う。
だけど今日は反対側の手から伝わる先輩の体温が心地よくて、不思議といつもみたいに手のひらに爪の跡は残らなかった。
三井先輩は不思議な人だ。
リョータへの気持ちもなぜ気づかれてしまったんだろうかと、思わない日はない。
「何だよ。」
半ば強引に連れてこられたマックで、窓際の席に向かい合わせで座っていた先輩が言った。
先輩はバーガーとポテトとドリンクのセットで、私はドリンクだけを注文した。
「いや、小腹に入れる量じゃないなと思って。」
「こんなん余裕だろ。お前食わねぇからそんな細いんだよ。」
「細くないし。お腹減ってないって言ったじゃないですか。」
私にとったら先輩の食べている量は一食分に充分値する。
小腹になんか入らない、完全にキャパオーバーだ。
レモンティーの入っているカップに刺さったストローを、氷と一緒にクルクルと回しながら思った。
先輩と話す時はいつもお互いに立っているからか、その時に感じる威圧感が今日は座っているからかあまり感じなかった。
あぁ、目線が一緒だからか。
と思った瞬間に目が合った。
「食う?」
「え、大丈夫ですよ。」
「ずっと見てるから腹減ってんのかと思った。」
「違いますよ。」
腹が減ってると思われるのも癪だと思い視線を外すと、先輩の隣の椅子に置かれたあの紙袋が目に入った。
「先輩、大丈夫なんですか?」
「何が?」
「私、彼女に怒られんのとか嫌なんですけど。」
「は?彼女?誰の?」
「先輩の。」
「そんなんいねぇよ。」
「え、じゃあそれは?」
「それ?」
「それ。」
そう言って、私は先程の白い紙袋を指差した。
彼はそれに気がつき私の言った言葉の意味を理解したのか、「あぁ、これか。」と言って少し恥ずかしそうにクシャッと頭をかいた。
「…母親の。」
「え?」
「だから、母親の!」
「え、お母さんの?」
「そうだよ!母親に頼まれたんだよ!」
ちゃんと聞こえていたのに思わず聞き返してしまったのは、彼の口から出たのが予想外の一言だったからだ。
私はその一言に驚き、そしてそのギャップに驚いた。
「良い息子。」
「うるせぇな。」
「先輩って、見かけによらず優しいですよね。」
「見かけによらずは余計だろ。」
先輩はどうやら照れている様で、それを誤魔化す様に鼻をスンッと鳴らして指で鼻先を撫でた。
先輩は本当に見かけによらず優しい人だ。
今日だって多少強引ではあったが、待ちぼうけしていた私に気を遣って食事に誘ってくれたのかもしれない。
そんな人をあんな風に一方的に突き放すなんて、やっぱりあの日の私は間違っていた。
「ごめんなさい。」
私のその言葉に、先輩の動きが一瞬止まった。
「え?何が?」
「この間。」
「この間って…いつ?」
「のど飴くれた時。」
彼はどうやら私の言う“この間”のことを思い出したようで、「ああ!」といつもよりも高い声を上げた。
「あの時な。で、何で謝ってんの?」
「いや、あの時言い方きつかったなって。」
「言い方はいつもきついけどな。」
「え、ごめんなさい。」
「冗談だよ。」
彼はまるで楽しいおもちゃでも見つけた子供みたいに悪戯っぽく笑うと、なぜか私の両頬を大きな右手でキュッと掴んだ。
私の顔は先輩の指で頬が潰れて、唇だけが前に突き出た様な状態だ。
自分では見えないが、多分物凄く変な顔になっていると思う。
案の定先輩は声を上げて笑った。
「冗談言ってんだから笑えよ。」
「え。」
「笑えって。」
笑えと言われて笑えるほど私は器用な人間じゃないし、こんな顔のままじゃ笑うにも笑えない。
私の顔が面白いせいのか、先輩はいつになく何やら楽しそうで、私は文句の1つでも言ってやろうと頬にある彼の指先を掴んだ。
引き離そうとしたその瞬間、テーブルの上の私のスマホからラインの通知音が鳴った。
スマホの画面に小さく映し出されたその名前に、自分の体が反応したのが嫌でもわかった。
「宮城?」
私の態度からなのか、それともスマホの画面が見えたからなのか、先輩はなんの迷いもなくその名前を口にした。
名前を聞いたことで、私の体は先程よりも一層反応してしまう。
「来んの?あいつ。」
「え?」
「だって宮城だろ。待ち合わせしてたの。」
何で先輩には何でもわかってしまうんだろう。
私はその事に戸惑いながらも、「来ませんよ。」と掴んだ彼の手をゆっくりと離した。
イエスでもノーでもない、事実だけを返答したのは、どんな理由をつけて答えたところで、結局リョータがここに来ることはないからだ。
リョータからのメッセージを確認すると、そこには何度と聞いた謝罪の言葉が記されていた。
私は一言「大丈夫だよ」とだけ返した。
「良かった。」
スマホの画面が暗くなったのと同時に先輩の声がした。
私は顔を上げて先輩を見た。
「え?」
「宮城、来ないなら良かった。」
「リョータと喧嘩でもしたんですか?」
「してねーよ。」
「じゃあ何で。」
「咲と2人が良かったから。」
言葉の意味がわからず、一瞬フリーズしてしまった。
先輩の顔はいつになく真剣で、先程の笑顔はないどころか口角さえ上がっていなかった。
初めて見た先輩のその真剣な瞳に驚いて、目が逸らせなくて、自分が何も返事をしていないことにも気がつかなかった。
どうして私と2人が良いのか。
私が口を開こうとしたその時、彼の口元が先に動いた。
「冗談だよ。」
先輩はそう言うと、また私の両頬を大きな右手の親指と中指でキュッと掴んだ。
「は?」
「だから、冗談。」
「意味わかんないんですけど。」
「いいんだよ。冗談なんだから。」
「笑えよ。」と言う先輩は、いつの間にかいつもの先輩に戻っていた。
唇を付き出して眉をひそめる私の顔を見て、子供みたいに楽しそうに笑っていた。
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