眠れぬ夜は君を想う
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いつからかとか、何でなのかとか、明確なものなんて何一つない。
よく漫画やドラマである、「気がついたら」と言う表現が一番しっくりくるように思う。
だから彼を想うだけ無駄なことは充分わかっていたし、彼の視線はいつだって私以外の誰かに向けられているのも知っていた。
それでも彼のことを想ってしまうのはなぜなんだろうと、考えたところで答えなんてわからなかった。
ただ、暗い闇の底から私を救い上げてくれた彼のことを失うくらいなら、何も言わずに身を潜める様に彼の側にいる方がずっと良い。
誰にも言わず、誰にも気付かれず、誰にも伝わらず、それで良いと本気で思っていた。
「あ、咲じゃん。」
昼休みも終わりに近づき、自販機で買ったパックのレモンティーを片手に教室に戻るところだった。
聞き慣れた少し癖のある声がして振り返ると、そこには何やら大量のノートを抱きかかえているリョータの姿があった。
「リョータ。何してんの?」
「あぁ、これ。担任が持ってけって。」
リョータはうんざりした顔を浮かべながら、顎先でノートを指してそう言った。
どうやら職員室で監督と部活の日程を確認していたところ、運悪く担任に捕まってしまったらしい。
「まじで人使い荒いんだけど。」
「ご苦労様です。」
「何か咲、鼻声じゃね?」
「あぁ、ちょっと風邪ぎみ。」
9月とはいえまだ暑い日が続いているが、朝方は大分涼しくなってきたからきっと寒暖差にやられたのだろう。
私は鼻先をスンッと鳴らした。
「咲ありがとう。」
「え?何が?」
「まじ助かるわ。さすが咲。」
「何も言ってないけど。」
「え、可哀想な俺を助けてくれんじゃないの?」
まるで捨てられた仔犬みたいな顔。
そんな顔でそんな台詞言われたらノーとは言い難い。
確かにこの大量のノートを一人で運ぶのはさすがに不憫だ。
「突き当たりまででいいんでしょ?」
「もちろん!助かる!」
捨てられた仔犬が拾われて喜んでるみたいな満面の笑み。これは反則だ。
私はリョータからノートの1/3を受け取ると、片手でそれをしっかりと抱え込んだ。
もう片方の手にはレモンティーがあるから、これが私の限界だ。
「ありがとな。咲。」
「レモンティー。」
「は?」
「今度奢りね。缶のやつ。」
「はいはい。」
私の精一杯の我儘にリョータは渋々頷いた。
先週の金曜に海で会ったとはいえ、学校内でリョータと会うのは久しぶりだった。
今年はクラスが端と端で、偶然すれ違うことさえほとんどなくなってしまっていたからだ。
数メートル先にある廊下の突き当たりまで行けば、私は左側、リョータは右側に曲がらなければならない。
同じ校舎の中にいるはずなのに、10組の私にとって1組の教室はもはや国境を超えるかの様に遠く感じられるほどだった。
このたった数分間の短い時間が、私にとってはかけがえのない時間だと言うことを彼は知らない。
「あ!やべっ!」
丁度突き当たりに差し掛かった時、リョータが突然声を上げた。
彼はノートを片手で抱え込み、制服のズボンのポケットに手をやった。
そこから何やらプリントが1枚飛び出していた。
「何それ。」
「そう、これ!忘れてた!」
「何を。」
「これ、三井さんに持ってくんだった。」
リョータの言う三井さんとは、バスケ部の先輩のことだ。
部活を引退せずに未だに活動している唯一の3年生で、この三井先輩もまた、リョータに負けず劣らず同じくらい校内では有名な人だ。
「で、何なのそれ。」
「部活の日程表。昼休みに渡しに来いって言われてたんだった。」
「ラインで良いじゃん。」
「他の奴らはラインなんだよ。なのに三井さんだけは紙が良いとか言ってさ。」
「このペーパーレスの時代に?」
「ペーパーレスとは程遠いんだよ、あの人は。」
「まじで昭和。」とリョータが嫌みっぽく言った時だった。
「誰が昭和だよ。」
リョータの頭上から声がして見上げると、そこには眉間に皺を寄せ怪訝そうな顔をした三井先輩の姿があった。
「三井さん…」
「宮城、日程表は?」
どうやら三井先輩は、いくら待ってもリョータがプリントを持って来ないのに痺れを切らし、わざわざ2年1組の教室まで取りにやって来たようだ。
「三井さん、いい加減ライン覚えてよ。」
「覚えてるわ!俺は紙じゃないと不安なだけだよ!」
「へー。」
「お前、信じてねぇだろ。」
「そんなことないっすよ。」
リョータがズボンのポケットからプリントを引っ張り出すと、三井先輩はそれを舌打ちしながら受け取った。
そしてリョータの肩に手をかけて、「このヤロー」と首を絞めるようなフリをした。
2人のやり取りは先輩後輩と言うよりも、端から見るとむしろ仲の良い兄弟の様に見える時がある。
リョータは当たり前のように三井先輩を見上げながら会話をしているが、私は未だに180以上の高さから見下ろされる威圧感にはどうも慣れない。
それが三井先輩なら尚更だ。
これ以上ここにいる理由はないだろうと、私は持っていたノートをリョータが持つノートの束の上にゆっくりと置いた。
「じゃあ、私先行くね。」
ノートの重さが増したようで、リョータは片手で抱え込んでいた束を両手でしっかりと持ち直した。
「咲!本当ありがとな!」
「うん。またね。」
リョータにそう言って手を振りその場を立ち去ろうとした時、視界の隅に三井先輩の姿が目に入った。
目が合って、私は軽く会釈した。
そして私はまた、リョータのいない異国の地へと足を進める。
金曜日まであと3日、偶然会える確率はどれくらいだろう。
何か理由をこじつけて偶然を演出するほどの勇気は私にはなく、いつだってひっそりとその時を待つだけだ。
そんな事を考えながら、教室の後ろのドアに手をかけた時だった。
「咲!」
名前を呼ばれ振り返ると、そこには三井先輩の姿があった。
小走りで来たのだろうか。
いつもよりも少しだけ息が乱れている様な気がした。
改めてこの至近距離での彼の威圧感は半端なく、反射的に体が少し仰け反る。
「何ですか?」
「これやるよ。」
三井先輩の大きな手から受け取ったのは、黄色い包み紙ののど飴だった。
彼に風邪気味だという話をしただろうか、しかも私の好きなレモン味だったので余計に驚いた。
「…ありがとうございます。」
「なぁ。」
「はい?」
「何か俺、すげー見られてんだけど。」
三井先輩は左右を見渡し、眉間に皺を寄せながらそう言った。
3年生が2年生の教室に来ること事態珍しい上に、それが三井先輩ともなれば注目されるのは当たり前の話だ。
彼に向けられている周囲の視線が、自分にも多少なりとも向けられているのが嫌でもわかった。
「そりゃあ先輩が有名人だからでしょ。」
「え、バスケ部のエース?」
「元不良のバスケ部のエース。」
「まだ根に持ってんのかよ。」
「一生持ちますよ。」
何を隠そう、三井先輩こそがリョータを停学にさせた張本人だ。
正直私は彼の事が大嫌いだった。
三井先輩がバスケ部に戻ったと聞いた時は血の気が引いたし、またリョータと喧嘩して彼を傷つけるんじゃないかと思ったら生きた心地がしなかった。
だけどバスケ部に戻った三井先輩はまるで別人のように変わっていた。
“心を入れ換えた。”と言うよりは、“元々がこうだった。”と言う方が正解なのかもしれない。
今ではリョータとも、先程の様に良好な関係を築いている。
「お前さ、それにしたって無視すんのはひどくねぇ?」
「は?無視なんてしてないですよ。」
「しただろ。宮城には笑顔でまたねーとか手振って、俺には何もねーじゃん。」
「頭下げたじゃないですか。」
「見えねーし。」
「手振って欲しかったんですか?」
「そうだよ。わりぃかよ。」
恥ずかしげもなくそう言って、先輩は子供みたいに不貞腐れたような顔をした。
彼は言いたいことはどんな事でもハッキリと言う性格だが、後先考えず口が先に出てしまうタイプの様にも思う。
それが良いのか悪いのかはわからないが。
未だ不貞腐れたままの先輩の肩越しに、1組の教室の前にいるリョータが小さく見えた。
スマホ片手に部活の日程でも話しているんだろう、その隣には彩子の姿があった。
こんな時にいつも思う。
何で私は視力が1.5もあるんだろう。
視力が悪ければこの位置からなんて2人の姿は霞んで見えて、きっと誰かなんてわからなかったのに。
2人の姿を見つめながら、“リョータは友達”と言うフレーズをまるで呪文の様に唱え続けて、必死に自分の気持ちを心の奥底に仕舞い込んだ。
中学の時から誰にも気付かれることなく、何年もそう言い聞かせて演じ続けてきたんだ。
だから私は自分ではうまくやれていると思っていた。
だけど、初めて他人に気付かれた。
「しんどいならやめれば?」
それも、三井先輩にだ。
6月の終わりの雨の日だった。
雨音が響き渡る昇降口で、先輩に突然核心をつかれた。
あまりにも唐突に不意を突かれて、私は咄嗟に否定も肯定も出来なかった。
その沈黙が私の答えだと、先輩は解釈した様だ。
なぜ先輩に気付かれてしまったかは未だにわからない。
だけど先輩は私の秘密を誰にも言わず、自分の中だけで留めていてくれている。
「先輩、用が済んだなら帰って下さい。」
「質問の答えになってねぇんだけど。」
「もうすぐ昼休み終わりますよ。」
「咲。」
「しんどくないです!」
間髪入れずに発せられる三井先輩の問いかけに、私は自分でも驚くほど声を荒げていた。
今の言い方はさすがに感じが悪かった。
謝らなければと口を開こうとしたその時、チャイムの音が鳴り響いた
先輩は「やべぇ。」と小さく呟いた。
「じゃあな。」
「…じゃあ。」
「咲。」
「はい。」
「風邪、早く治せよ。」
先輩はいつもみたいにニッと笑って廊下を歩き出した。
痛い言葉も優しい言葉も全部、先輩はいつも私にストレートにぶつけてくる。
あの日昇降口で下手なりにうまい嘘を吐いて、あの場だけでもうまくやり過ごせば良かったのだろうか。
だけどそれで私の日常が変わるわけではない。
変わらず自分の気持ちを隠しながら、密かにリョータを想う毎日は続く。
そんな毎日がしんどくないわけがない。
もう一度1組の廊下の方に目をやると、もうすでにリョータと彩子の姿は無くなっていた。
三井先輩に貰ったのど飴をギュッと握り絞めると、ズキンッと心臓の奥が軋む音がした。