それは突然、日常を。
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「どあほう。」
結衣はコンビニの壁に寄りかかりながら、パックのミルクティー片手に流川くんと同じ台詞を吐き出した。
さすがに一人では受け止めきれず、と言うよりも気持ちの整理がつかず、思いきって結衣に相談したらまさかの第一声がこれだった。
「何でアホ!?」
「だってそれ、今言う?」
確かに結衣の言う通り、今日私達は午前中からずっと一緒にいた。
電車に乗って買い物して、ランチの時には結衣の恋バナもたくさん聞いて、「咲は?」なんて返されたりもして。
話そうと思えば話せる瞬間はいくらでもあったのに、私は中々話を切り出せなかった。
結局帰り際に寄った最寄り駅のコンビニの前で、買ったジュースを飲みながら立ち話して、もうそろそろ帰ろうかと言うこのタイミングで、私は話を切り出したのだ。
只今の時刻は午後7時20分。
結衣の言い分はごもっともだった。
「もっと早く言ってくれれば良かったのに。」と唇を尖らせて言う結衣は、怒っていると言うよりはどこかいじけている様に見えた。
「ごめんて。」
「まぁ、王子は咲のこと好きだろうなとは思ってたけどさ。」
「え、思ってたの。」
「思ってたよ。だって王子の愛ダダ漏れじゃん。」
「いやいや、そんなことないでしょ。」
「ある。だから王子のファン達が絡んできたんだし。気づいてなかったの咲ぐらいだから。」
先程よりも顔を近づけてそう言う結衣の気迫に押され、カフェオレを握りしめている手に思わずギュッと力がこもった。
今私が握りしめているこのカフェオレは、あの日コンビニで流川くんが買ってきてくれたものと同じものだ。
何も言い返せない私を見てさぞかし呆れているのだろうと思ったら、なぜか結衣は先程とは打って変わって口角を上げてにんまりと笑っていた。
「なんでニヤニヤしてんの。」
「嬉しいの。咲が自分から話してくれて。」
満面の笑みで何を言い出すのかと思ったら。
そうかと思えば「やばっ。キスしたんだよね。無理。どうしよう。」と突然興奮ぎみになったりして。
私が流川くんとの出来事を最初から最後まで一気に話してしまったせいで、結衣の頭の中はどうやらキャパオーバー寸前らしい。
「でも意外だな。」
「何が。」
「王子って、もっと冷静で淡泊なのかと思ってた。」
流川くんと関わる前の私なら、きっと結衣と同じ事を思っていただろう。
もちろん彼はそんな面も兼ね備えているのだが、今の私にはその言葉だけで彼を言い表すことは到底出来なくなっていた。
彼は人一倍、感情的な部分をちゃんと持っているからだ。
「で、水戸には話したの?」
突然結衣の口からその名前が出てきて驚いた。
「いや、何でそこで洋平が出てくんの?」
「だって王子が不機嫌になるのは水戸のせいじゃん。」
「え?洋平のせいなの?」
「え?」
「え?」
「…どあほう。」
結衣は今度こそ溜め息をついて呆れたような顔をした。
何で今ここでその顔なのか、そしてまたどあほうなのか、聞いたところでまた同じ台詞を言われそうなので聞くのはやめた。
結衣は回していたストローを止め、不意にスマホの画面に目をやった。
「そろそろ行こうか。」と言った彼女につられて、私も自分のスマホの画面に目をやる。
「咲さ、気づいてる?」
「何が?」
「王子の話してる時の咲、めっちゃ嬉しそう。」
スマホの画面に反射して映る自分の顔を見ると、結衣の言う通り口角が少しだけ上がっていた。
自分には嬉しそうと言うよりは、むしろ笑いを堪えている様な変な表情に見えた。
「そんなんじゃないってば!」
「咲、前髪触ってるよ?」
もちろん無意識だった。
満面の笑みの結衣に、私は手を戻すどころか思い切り自分の前髪を撫でてやった。
そんな私の姿に結衣は馬鹿みたいに大笑いしている。
「じゃあ、またね。」とヒラヒラと結衣に手を振り、私はゆっくりと回れ右をして歩き出した。
あの日流川くんと一緒に歩いた最寄り駅からのこの道のりを、今日は一人で歩きながら思うのは彼のこと以外なかった。
ちゃんと自分でもわかっている。
なぜ無意識に彼に触れようとしてしまったのか。
そしてなぜ彼に触れる度に、心臓が高鳴り鼓動が早まってしまうのか。
彼に触れたいと思う衝動も、彼に触れられた時の高揚も、自分の中に生まれている独占欲も。
それがすべて恋に繋がるものだと、ちゃんとわかっている。
だけそれでも前に進めないのは、あの眩しくも薄汚い世界に足を踏み入れることが怖いからなのかもしれない。
群れることで異物を排除する狡猾な女子の特性も、やることしか頭にない様な浅はかな男子の特性も、割りきっているつもりでも思い出すとやっぱり怖くなる時がある。
それらが常に付きまとうような世界に耐えられるほど、私はまだそんなに強くないみたいだ。
公園の網のフェンスの横を通り過ぎようとした時、ふと視線を感じた。
赤い光に引き寄せられるようにそちらに目をやると、そこにいた1人の男と目が合った。
「洋平。」
「咲。」
ほぼ同時に呼んだお互いの名前が綺麗に重なった。
赤く光る煙草の先端と、口の隙間から微かに漏れる白い煙。
どうやら彼はフェンスに寄り掛かりながら煙草を吸っていた様だ。
一瞬洋平かどうかわからなかったのは、彼が珍しく前髪を下ろしていたせいだった。
「咲、何してんの?」
「結衣と買い物の帰り。洋平こそ何してんの?」
「俺は花道んちの帰り。」
「前髪下りててわかんなかった。」
「あぁ、これね。」
「おさなっ。」
「うっせぇな。」
彼はそう言って煙草を消して携帯灰皿に仕舞うと、もう片方の手に持っていたブラックコーヒーの缶のタブを開けた。
「飲む?」と缶を揺らす洋平に、私は「大丈夫。」と首を振る。
そして、どちらからともなく2人で並んで歩き出した。
「咲と2人で歩くの久しぶりだな。」
「そうだね。誰かさんは最近遅刻ばっかだからね。」
洋平は最近よく遅刻して来るようになり、この道を2人で歩くことは朝の登校時間でさえあまり無くなっていた。
遅刻の理由は寝坊なんて本人は言っているが、本当のところはどうなのかわからない。
「あのさ。」
急に洋平の声のトーンが下がった気がした。
「ん?」
「咲に聞きたいことあんだけど。」
「聞きたいこと?」
洋平がもう一度口を開こうとしたその時だった。
車のヘッドライトが突然目に入り、プッという短いクラクションの音と同時に自分の意思とは反して体が動いた。
洋平に肩を掴まれ引き寄せられたからだ。
その拍子にバランスを崩し、私は見事に彼の胸に額を打ち付けてしまった。
「あっぶね。咲大丈夫?」
「大丈夫。ありがとう。」
打ち付けた額に手をやると、洋平は笑いながら「わりぃ。」と言って缶コーヒーを私の額に押し当てた。
中身はほとんど入っていなかったが、私にはそれがひんやりと気持ち良かった。
「缶、捨ててくるわ。」
「あぁ、うん。」
洋平は、すぐ傍の電信柱の脇に佇んでいる自動販売機のゴミ箱に缶を捨てた。
カランッと軽快な音がした。
捨てたらすぐにまた歩き出すものと思っていたのに、なぜか洋平はその場に立ち止まったまま中々こちらを振り返らなかった。
「…咲。」
背を向けたまま私の名前を呼んだ彼の声は、電話越しの様にやっぱりいつもよりも低く感じた。
「何?」
「流川と付き合ってんの?」
心臓が跳ねる様にドクンッと音を上げた。
まさか洋平の口から、このタイミングでこんな台詞が出てくるなんて思わなかったからだ。
洋平の聞きたかったこととはこの事だったんだろうか?
自分の心臓の音が耳の奥まで響いて、私は恥ずかしさに耐えられず思わず下を向いた。
戸惑いながらも俯いたまま、私は現時点での紛れもない事実を伝える。
「付き合ってないよ。」
「でも、流川は咲のこと好きだろ。」
「え?」
「…咲は?」
洋平のその言葉に、流川くんに好きだと言われた時のことを思い出した。
あの時の彼の声、仕草、体温、すべてを思い出し、そして彼に告白されたのが今いるこの場所だということに気付き、一気に全身が熱くなり鼓動が駆け巡った。
こんなにも自分の体が、恋愛という感情に左右されるなんて思いもしなかった。
自分の熱と鼓動が洋平にも伝わってしまうんじゃないかと焦り顔を上げると、洋平はいつの間にか振り返りこちらを見ていた。
そして彼はなぜか小さく笑って、溜め息と一緒に静かに呟いた。
「…まじか。」
まただ。
また、洋平は左眉を下げて無理して笑っている。
無理して笑っていると言うよりも、むしろ泣くのを堪えているようなそんな表情にも見えた。
その表情に私は堪らず彼の顔を覗き込んだ。
「洋平、どうしたの?」
「え?」
「無理して笑ってる。」
「そんなことねぇよ。」
「わかるよ。幼馴染みなんだから。」
「…幼馴染み、ね。」
一瞬、空気がざわめくように強く風が吹いた。
その風に揺れた前髪を掻き上げながら、洋平は私のことをずっと見ていた。
そして私の乱れた前髪を整えるように、その指先でゆっくりと撫でながら言った。
「俺は、幼馴染みなんて思ったことねぇよ。」
洋平のその一言にすぐに返せなかったのは、その言葉の意味を理解するのに時間がかかってしまったからだ。
明らかにいつもの彼と違うことはわかっていた。
小さな頃から知っている優しく穏やかな彼が、強く真剣な眼差しで私を見ていた。
「…洋平?」
「咲、俺の言ってる意味わかる?」
いつの間にか額にあった彼の手が私の頬に触れ、その手のひらから彼の熱を痛い程に感じた。
この状況で「わからない。」なんて言えるほど、私は無垢で鈍感じゃない。
ただ、彼の真剣な瞳と手のひらの熱のせいなのか、私の体は思うよう動いてくれなかった。
やっと一歩動けた時には、私はなぜか洋平の腕の中にいた。
彼に肩を引き寄せられたからだ。
さっきの遠慮がちな彼とは明らかに違う、引き寄せる力は強引で力強かった。
“水戸だって男だろ。”
流川くんにそう言われた時、私は何で当たり前のことを言うんだろうと思った。
だけど今はとてもそんな風に思えそうにない。
洋平の真剣な瞳を目の当たりにして思い知る。
私は洋平が男だとわかっていたけれど、男として見ていなかったということを。
彼の衣服から微かに香る煙草とコーヒーの香りはいつもと変わらないのに、今目の前にいるのは私の知っている洋平じゃないみたいだった。
「洋平…」
「…ごめん、もう無理。」
彼のいつもより低い声が耳元で聞こえた。
抱きしめられている腕の力が、次第に強くなっていくのがわかった。
彼の鼓動が耳の奥に響く。
「咲が好きだ。」
流川くんの言う通りだ。
洋平に“幼馴染み”と言う枠を勝手に押し付けて、洋平も同じ気持ちだと勝手に決めつけて、自分だけが安心した気になっていた。
彼にこんな辛い顔させているのも、無理して笑わせているのも、それは紛れもなく私自身だったんだ。
そんなことに今頃気付くなんて、私は本物のどあほうだ。