眠れぬ夜は君を想う
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夜と朝の境目の薄暗い部屋の中で目が覚めた。
クーラーのタイマーが切れた部屋は蒸し暑くて、私は堪らず寝転んだままエアコンのスイッチを入れた。
その音を少し早い目覚まし代わりに重い身体を起こし、部屋のカーテンを少しだけ開けた。
またいつもの様に朝が訪れて、今日から2学期が始まる。
「いってきます。」
リビングのサイドテーブルに立て掛けてある姉の写真にそう挨拶し、家を出るのが私の日課になっていた。
私はいつの間にか写真の中の姉と同じ17歳の高校2年生になり、不純な動機で入学を決めた神奈川県立湘北高校に通っている。
当初はあまり好きではなかった制服の白いスカートにも、さすがに2年目ともなればもう慣れた。
昨晩降った雨が嘘みたいに、9月になってもまだ夏の日差しは弱まってくれそうになく、私の体にこれでもかという程降り注ぐ。
私がいつもよりも早く家を出たのは、海沿いの道を歩いて少し遠回りして学校へ行くためだ。
今日は始業式で朝練はないだろうから、彼がもしかしたら海にいるかもしれないという淡い期待があった。
人が疎らな早朝の静かな浜辺で、彼の後ろ姿はすぐに見つけることが出来た。
コンクリートの階段の一番下に腰かけて、湘北高校の制服を着た見慣れた背中が海を眺めていた。
そこは毎週金曜日の夜に、私達が座る定位置だ。
「おはよう。リョータ。」
ゆっくりと階段を下りながら名前を呼ぶと、それに気づいた彼が振り返り私の名前を呼んだ。
「咲。」
彼は少し慌てた様子で立ち上がると、制服のズボンについた砂を払ってポケットから黒いスマホを取り出した。
「おはよう。もうそんな時間?」
「まだ全然早いよ。」
どうやら私が来たことで、もう登校時間になってしまったと勘違いしてしまったらしい。
リョータはスマホの画面で時間を確認すると、「めっちゃ焦った。」と言いながら、再びコンクリートの階段に腰かけた。
私はそんな彼につられるようにその隣に腰かける。
「咲、スカート汚れる。」
「大丈夫でしょ。砂払ったし。」
「パンツ見えるだろ。」
「誰が見んの。リョータしかいないじゃん。」
「お前ね。」
いつの間にか、“槙田さん”から“咲”になり、“宮城くん”から“リョータ”になった。
明確にいつからかは覚えていないが、気づいた時にはどちらからでもなくそうなっていた。
リョータは中学の頃より15cmも背が伸びたし、髪型もパーマなんか当てて大人っぽくなったし、もちろん声変わりもした。
だけど左耳の金色のピアスは今もちゃんと光っているし、相変わらず彼は何よりもバスケットに夢中だ。
「慣れましたか?宮城キャプテン。」
私がそう言うと、彼は「それやめて。」と恥ずかしそうに笑った。
「何でよ。」
「その呼び方恥ずかしい。」
わが湘北高校男子バスケットボール部は、この夏全国大会に出場した。
惜しくも3回戦敗退に終わってしまったのだが、学校の校舎には“男子バスケットボール部 全国大会出場”という大きな横断幕が堂々と掲げられている。
そしてその男子バスケットボール部のキャプテンをこの夏から務めているのが、他ならぬリョータなのだ。
故にリョータは高校では結構な有名人だったりする。
とは言っても、理由はそれだけではないのだが。
「…咲。」
「ん?」
「本当に俺で良いと思う?」
「何が?」
「…キャプテン。」
先週の金曜日から何か悩んでいるとは思っていた。
今日も朝から海に来ているのはそういう事だろうとは思っていたが、まさか悩みの種がそこだったとは思わなかった。
「何でそう思うの?」
「俺、まとめるの下手くそだしさ。」
「うん。」
「すぐ周り見えなくなるじゃん。」
「うん。」
「…咲さ、そこは“そんなことないよ”っとか言ってくれるもんじゃないの?」
「そんなことないよ。」
「めっちゃ棒読みじゃん。」
「リョータ。」
「何だよ。」
「もっと自信もて。」
そう言って、私は彼の頭をグシャグシャに撫でた。
リョータは「せっかくまとめてきたのに!」と嘆いていたけど、私は前髪が下りている方が中学の頃のリョータを思い出すから結構好きだ。
彼曰く、前髪を上げるのはなめられないためと、気合いを入れるためらしい。
その主語が“バスケット”に変わったのは最近の事で、少し前まではその主語は“上級生”だった。
その証拠にこの春まで、リョータは中学の時の様に何となく不安定だった。
相変わらずクールに何でもないフリをしていたが、私が思っている以上に彼は何でもなくなんかなかった。
案の定上級生と喧嘩して停学になり、その停学中に事故に遭い重体で入院した。
それが、リョータが高校で有名人のもうひとつの理由だ。
だけど全国大会から帰ってきた彼は何かが吹っ切れたようで、目に見えて変わったように思う。
ただ、自責思考は相変わらずだけど。
その時、突然リョータのスマホの通知音が鳴った。
彼は先程閉まった黒いスマホを再びポケットから取り出し、スマホの画面を確認した。
そのリョータの顔で、誰からなのか聞かなくてもすぐにわかってしまった。
「彩子?」
そう言った後、言わなきゃよかったとすぐに後悔した。
私が口にしたその名前に「え!?」と言って慌てふためく彼の姿は、恋をしている男子高校生以外の何者でもなかった。
彩子は私の友達で、湘北高校男子バスケットボール部のマネージャーだ。
そして、リョータの好きな人。
「ちっ、がうし。」
「じゃあ誰から?」
「…ヤス。」
そう言いながらも、彼は嬉しそうにスマホを握り締めながらメッセージを何度も確認している。
多分部活の連絡事項なんだろうけど、彼の顔はまるで愛の告白でも受けたかのように高揚していた。
「リョータ、嘘吐くの下手くそだよね。」
「…うっさいな。」
彼は乱れた前髪を直しながら、「咲には嘘吐けないな。」と言いながら照れたように笑った。
5年経った今も、彼は2人でいる時はまるで中学生の頃みたいに無邪気に笑う。
私はリョータのこの笑顔が一番好きだ。
だけど彼のそんな笑顔が、いつからか私の気持ちの奥底をかき乱す様になった。
それこそが、私が湘北高校を選んだ不純な動機だ。