眠れぬ夜は君を想う
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私は今日も窓際の一番後ろの席でうつ伏せになりながら、窓の外を一人眺めていた。
今日は朝から生憎の雨模様だった。
シトシトと降る雨は、一定のリズムで音を立てて落下して地面に消えていく。
空は薄暗く、空気は冷たく、まだ昼なのに夜のような感覚に陥りそうになる。雨は嫌いだ。
うつ伏せのまま窓とは反対側に顔を向けると、斜め右前、即ちヤスの隣の席に座る彼の姿が目に入った。
彼とは、宮城リョータのことだ。
宮城リョータの第一印象は、まさにクールの一言に尽きた。
彼はその外見とは裏腹に、幼いながらも何とも言えない大人びた空気を纏っていた。
年相応の幼さは持ち合わせていなかったのか、転校してきてから彼が同級生と戯れているところをほとんど見たことがない。
良く言えばクールだが、悪く言えば浮いている存在だった。
派手な見た目とそんな態度の彼が目をつけられるのはごく自然な流れで、上級生に呼び出されているの何度か目撃したことがある。
彼の口元には今日も痛々しい傷跡がしっかりと残っている。
そんな宮城リョータが、バスケ部に入部したとヤスに聞いた時は正直驚いた。
ヤスの話では、転校前に住んでいた沖縄でもミニバスをやっていたらしい。
「宮城くん、バスケすごい上手いんだよ!」なんて嬉しそうにヤスは言っていたけれど、失礼ながら彼には“チームプレイ”とかそう言うワードがあまり似合わないような気がした。
何にせよ、彼とは何の関り合いもない、これから先もきっとそうなんだろうと思っていた。
この時までは。
その日の夜は中々寝付けなかった。
海から吹き抜ける風が潮の匂いを運んできて、私は大きく深呼吸をした。
昼間雨が降ったせいか、いつもよりも波が高く荒れているように感じる。
だけどそんな波の不規則的なリズムでさえも、私にとっては心地好い海の音の1つだった。
波の音。風の音。自分の心臓の音。目を閉じて思う。
このままずっと音の海で溺れていられたらいいのに。
が、一瞬にしてその旋律が乱れた。
バシャッ
と言う水飛沫の大きな音が、そのすべての音を掻き消したからだ。
夜の静かな海には似つかわしくないその音に思わず目を開けると、少し離れた波打ち際に人影を見つけた。
薄暗かったが、私にはそれが誰なのかすぐにわかった。
宮城リョータだ。
彼はTシャツとハーフパンツという出で立ちでそこに立っていた。
さっきの水飛沫の音は、どうやら彼が勢い良く海に飛び込んだ音だったようだ。
足首までしか入っていない彼のハーフパンツの裾が、ビッショリと腿の辺りまで濡れている。
話しかけようかどうか少しだけ迷った。
だけどこんな時間にこんな場所にいるということは、きっと彼も人には言えないような何かを抱えているのかもしれない。
そしてなぜここにいるのか、私自身もその理由を彼に話さなければいけないということだ。
そう迷いながらも彼を見つめていると、彼はなぜかそのまま何かに引き寄せられる様に海の中へと入って行った。
冷たい夜の海の中へと、彼は自ら足を進めて行く。
足首まで浸かっていた水が、膝まで浸かり、腿まで浸かり、腰まで浸かったところで、私は思わず駆け出していた。嫌な予感は初めからしていた。
荒い波に逆らって、バシャバシャと大きな音を立てて海の中に飛び込んだ。
それに気づいた彼が振り返るのとほとんど同時に、私は彼の手首を掴んで思い切り引っ張った。
勢い余って水飛沫が顔に跳ねて目の中に入る。
全身びしょ濡れだったが、そんなことはどうでもよかった。
「何やってんの!?」
私のその問いかけに彼は驚いた顔をしていた。
いきなり現れたクラスメイトに腕を引っ張られた上に、大きな声で怒鳴られているんだから当たり前だ。
「何考えてんの!」
「…」
「死んだらどうすんの!」
偽善でも同情でもなかった。
思ったことが喉を震わせて声になった。
誰かに向けてこんな大声を発するのはいつぶりだろう。
そんな自分に驚きながらも、そう言ったことにすぐに後悔した。
“死”なんてフレーズを、そんな簡単に口にするべきではなかった。
海のことをよく知っているであろう沖縄出身の彼が、夜の海を闇雲に進んでいくということはそういうことだ。
彼は少なからず“死”を意識していた筈だ。
そんな相手に対して適切な言葉では決してなかった。
「…ごめん。」
そう言った彼のガラス玉みたいな瞳からは、無色透明の涙が溢れていた。
それに気づいた時の衝撃といったらなかった。
私が知っている学校でのクールな宮城リョータとは、明らかにかけ離れていたからだ。
子供みたいに泣き続ける彼の手を、私は気づくとギュッと握り締めていた。
掴んだままの細い彼の手首から刻まれる規則的な鼓動の音が、こんな状況なのに私にはやけに心地よかった。
どれくらい時間が経ったかはわからない。
彼は小さく深呼吸すると、私に軽く頭を下げた。
「ありがとう。槙田さん。」
彼はそう言って、水を掻き分けながら私の横をすり抜けていった。
バシャバシャと音を立てながら、今度は波の流れに乗って海の外へと出ていく。
街灯の光の下に真っ直ぐ続く海沿いの道を歩き出す、びしょ濡れの彼の細い体がはっきりと見えた。
これまで彼とはまともに会話をしたことがなかった。
私の名前を知っていたことにさえ驚いたほどだ。
だから、これが宮城リョータとの最初の会話と言っても過言ではない。
彼の姿が見えなくなった後も、子供みたいな彼の姿が頭から離れなかった。
目を閉じてもそれは瞼の裏に焼き付いていて、中々消えてくれそうになかった。