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会いたい。
その気持ちだけで、
降りしきる雨の中を無我夢中で走った。
擦れ違う人達の視線なんかどうでもよくて、
ただただ一心それだけだった。
咲に会いたい。
____________
彼女の家の前に辿り着いた時には、辺りはもう完全に暗くなっていた。
夏の夜特有の澄んだ空気のにおいが鼻をついて、俺は乱れた息を整えるようにゆっくりと息を吸い込んで深呼吸した。
2階の右端の彼女の部屋からはうっすらと明かりが漏れていて、この場所に彼女がいるということを改めて実感する。
初めて彼女の家に来た時のような緊張が走って、一呼吸おいてからインターフォンに人差し指を翳した。
その時、目の前の玄関の扉がゆっくりと開いた。
「やっぱり寿だ。」
咲だった。
彼女は雨の中を小走りで駆け寄ると、持っていた傘をスッと俺の頭上に差し出した。
そして俺の頬を伝う雨の線をなぞるように、その指先で優しく俺の頬に触れた。
「窓から見えた。どうしたの?」
「…」
「寿?」
久しぶりに聞く咲の声に、全身に鳥肌が立った。
彼女の声が俺の名前を呼んで、彼女の指先が俺に触れて、その指先から甘い香りが放たれる。
抱きしめたい。
しかしその衝動を抑えるように、俺は出しかけたその手をゆっくりと握り締めた。
自分の理性や衝動だけで動いてしまったら、俺はまた咲を傷付けてしまうような気がしたからだ。
「寿、風邪引くよ。」
「…」
「とりあえず入ろうよ。」
「…」
「寿?」
「…」
「口…どうしたの?」
咲のその言葉に、あの日木暮に噛み付かれた口元に手をやった。
まだ少し腫れた唇に痛みはほとんどなかったが、あの日のことを思い出して心臓が軋む様に痛くなる。
「…本当格好悪いな、俺。」
精一杯に絞り出した最初の一言は、自分でも驚くほどひどく掠れていて、思わず笑ってしまうほど本当に格好悪かった。
だけど、もうこれ以上格好つける必要なんてあるんだろうか。
これ以上綺麗事を並べる必要なんて、これ以上言い訳を考える必要なんてあるんだろうか。
抱きしめたい。
その衝動を抑える理由だってあるんだろうか。
此処に来た時点で、そんなものはもう何もないような気がした。
「…会いたかった。」
「え?」
「咲に…会いたかった。」
気づいた時には、俺は咲のことを抱きしめていた。
彼女が手にしていた傘が宙に舞って、音も立てずに静かに俺の足元に落ちた。
「咲…」
何度となく呼んだその名前にすら、彼女が目の前にいると言うだけで愛しさが込み上げてくる。
“そんなん、先輩が一番よくわかってんじゃねぇの?”
この感情を他のどんな言葉で表したらいいかなんて、本当は彼女を失ってからずっと気付いていた。
“それが答えだろ?”
「咲が好きだ。」
それが答えだ。
木暮からの逃げ道になってくれた時からなのか。
流川に嫉妬し始めた時からなのか。
俺の傍からいなくなった時からなのか。
いつからかなんてそんなことわからない。
だけど、間違いなくそれが俺の答えだ。
その気持ちが雨に流されてしまわないように、俺は彼女の体を力強く抱きしめた。
ちゃんと抱きしめておかないと、この雨の中にすべてが消えてしまいそうな気がしたからだ。
「寿…」
腕の中でいつもよりも掠れた声で俺の名前を呼ぶ彼女の体が、少しだけ震えたような気がした。
今更また、恐怖心が募る。
思わず両手に力がこもって、俺はより一層彼女の体を強く抱きしめた。
「いつからかわかんねぇけど。気が付いたら俺の中、いつの間にか木暮じゃなくて咲でいっぱいになってた。」
「…」
「…いや、気が付いたらじゃねぇな。“逃げ道”なんてそんなもん受け入れた時点で、俺にとって咲は特別な存在で…」
「…っ」
彼女の声と体がまた少し震えたような気がして、俺は思わず彼女の顔を見た。
てっきり泣いていると思っていた彼女の顔には、なぜか小さな笑みが溢れていた。
「何で笑ってんだよ。」
「寿が1人ですごいしゃべるから。」
「泣いてんのかと思った。」
「…木暮くんにね、言われたんだ。」
「え、木暮?」
「うん。寿を助けてほしいって。」
「木暮に?俺を?」
「うん。」
予想もしていなかった彼女の言葉に驚きながら、俺はその意味を必死に考えていた。
そんな俺の姿を見て、彼女はまた小さく笑った。
「私もずっと考えてた。」
「え…」
「助けるってどういう意味だろうって。」
「…」
「また逃げ道になればいいのかなって。そしたら寿は楽になるのかなって。だけど、きっとそうじゃない。」
「…」
「寿のこと見て思った。素直になれってことだと思う。」
「咲…」
「私も、寿が好き。」
周囲は雨音で騒がしいはずなのに、なぜか彼女の声だけがはっきりと聞こえた。
確かに聞こえたその言葉が夢ではないということは、背中に回っている彼女の両手の強さが教えてくれた。
それに負けないくらい強い力で抱きしめ返しても、到底足りなかった。
「咲…」
彼女の名前を口にしてすぐに、俺は彼女の唇を優しく塞いだ。
キスなんて何度もしてきたのに、こんなにドキドキするのは初めてだった。
触れていた唇が離れたのと同時に目を開けると、そこには頬を赤らめた咲がいた。
「咲…」
「…ん?」
「好きだ。」
「…うん。」
「好きだ。」
「…」
濡れた彼女の髪を掻き上げてそっと耳に掛けると、俺はその耳元に何度も何度もそう囁いた。
その囁きに応えるように、彼女の耳がどんどん赤くなっていく。
「何か言えよ。」
「…私の耳、おかしくなってないよね?」
本気で返ってきたその言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
「寿、笑いすぎ。」
「ごめん。いや、咲らしいなと思って。」
「何それ。」
「大丈夫。おかしくなってない。真っ赤だけど。」
真っ赤になったその耳を隠すように、咲は少し恥ずかしそうに濡れた髪を耳にかけ直した。
そして、俺の髪をそっと撫でた。
「びしょ濡れだね。」
「びしょ濡れだな。」
いつだって、彼女の手は優しくて温かくて愛おしい。
「木暮くんは、全部わかってたのかな。」
「何を?」
「寿の気持ちも。私の気持ちも。」
「あいつは頭良いからな。」
「それは関係ないでしょ。」
「で、咲はいつ俺のこと好きになってくれたわけ?」
「…秘密。」
そう言って、彼女は八重歯を覗かせて悪戯っぽく笑った。
その笑顔が1番好きだと言うことは、悔しいから俺も秘密にしておくことにしよう。
俺はもう一度彼女を強く抱きしめると、その唇にゆっくりとキスをした。
end