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なぜだろう。
彼女に抱きしめて欲しいと思うのは。
彼女に頭を撫でて欲しいと思うのは。
彼女に名前を呼んで欲しいと思うのは。
その答えを、
俺はきっと知っている。
_____________
ガンッとリングに当たってボールが地面に落ちた。
俺がこの公園へやって来て、もうすぐ1時間が過ぎようとしていた。
その間に部活終わりの生徒が何人か公園の前を通り過ぎて行ったが、さすがにこの時間にもなるとそんな生徒達の姿もほとんど見当たらなくなっていた。
気付けば辺りは暗くなり始めていた。
“今、誰を想ってる?”
木暮のあの言葉に、脳裏に浮かぶのは彼女の姿以外なかった。
木暮が俺と咲の関係性をどの程度理解したのかはわからなかったが、確実に木暮の言葉は核心をついていた。
自問自答したところで、木暮よりも彼女のことを考えている時点で、答えなんてもうわかりきっている。
「…咲」
無意識に彼女の名前を呼んでしまうのは何回目だろう。
だけど失ってから気づいても遅いんだと、まるで俺を嘲笑うかのようにポタポタと冷たい雨が落ちてきた。
そんな雨に目を細めた先に見えた公園のフェンス越しに、よく知る人影を見つけた。
遠目からでもそれが誰なのか、俺にはすぐにわかった。
流川だ。
流川は目が合うと、自転車を公園の入り口脇に停め、ゆっくりと俺の目の前にやって来た。
「流川…」
流川と会うのは久しぶりだった。
俺が部活に行っていないせいもあるが、俺自身が意識的に避けていたんだから当たり前の話だ。
正直、流川に会うのが怖かった。
流川を前にして、あの不快感をまた味わうのかと思ったら吐き気がしたし、少しでも彼女の欠片を見つけてしまうかもしれないと思ったら眩暈がした。
だけど流川を目の前にしても、不思議ともうあの不快感に苛立ちを強く感じることはなかった。
ただ予想通り、恐怖心は拭えきれなかった。
不快感と言う名の嫉妬心が、恐怖心という名の嫉妬心に変わる。
「先輩。」
抑揚のない声でそう俺を呼ぶ流川の表情は相変わらずの無表情で、いつも以上に何を考えているのかわからなかった。
「何だよ。」
「1on1して。」
まさかの一言に拍子抜けした。
何を言われるか身構えていたからだ。
「は?しねぇよ。」
「何で?」
「雨降ってきただろ。俺はもう帰る。」
そう言う俺の声が聞こえているのかいないのか、流川は俺の足元のボールを拾い上げると、それを俺の目の前に突き出した。
パラパラと不規則に落ちる雨のせいで、流川の表情はよく見えなかった。
「だからやんねぇよ。」
「逃げるんすか。」
「雨降ってんだろ。」
「また逃げんのかよ。」
「だから雨!降ってんだろ!」
「俺は引くつもりねぇって言った。」
“俺、引くつもりないんで”
あの日の電話越しの流川の真っ直ぐで力強い声が、目の前の流川と揺るぐことなく綺麗にリンクする。
その流川の姿が、あの日の光景を嫌でも俺に思い出させる。
重なり合う2つの影。
それにどうすることも出来ず、募る不快感から逃れられず、ただもがき苦しむだけの自分。
結局不快感を払拭出来たところで恐怖心は募り、それ以上に虚無感が募ることに苛立ち眩暈がする。
バスケが出来なくなった時以来、いや、それ以上だ。
俺は思わず流川の胸倉を掴んだ。
流川の手から、ボールが静かに湿った地面に落ちた。
「何で咲なんだよ?」
無意識に出た一言だった。
まるで駄々を捏ねている子供みたいな言い草だと自分でも思ったが、一度口をついてしまったら止まらなくなる。
「お前なら誰だって選り好み出来んだろ。」
「…選り好み?」
「選びたい放題だろっつってんだよ。」
「…」
「なのに、何で咲なんだよ。」
こんな瞬間でさえ表情一つ変えない冷静な流川と、そんな流川の言葉一つですべてが掻き乱されてしまう自分自身に苛立ちが加速する。
手にしっかりと力を込めていないと、震えが止まらなくなりそうだった。
「理由なんていんの?」
だけど流川のその言葉に、胸倉を掴んでいた手が思わず緩んだ。
「…は?」
「好きなのに理由なんてねぇ。」
そう言って、流川は俺の緩んだ手を振り払った。
無表情だった流川の顔が、次第に曇って切ない表情に変わっていく。
どこかで見たことのあるその表情。
「そんなん、先輩が一番よくわかってんじゃねぇの?」
あぁ、2人を見るときの俺と同じだ。
何で咲なのか。
何で咲じゃないといけないのか。
そんなこと、俺自身にだってわからない。
気づいた時にはもう、どうしようもない程彼女と言う存在に埋め尽くされていた。
木暮に何と言われようと、誰にも言うつもりなんてなかった。言えるはずがないと思った。
当の本人の咲にだって、誰にも気づかれることはない、気づかれてはいけないと思った。
流川にだって、女ったらしの最低な俺を印象づけたはずだったのに。
なのに何で俺の本当の気持ちを、流川に見透かされてしまったのか。
「…流川、咲と付き合ってんじゃねぇの?」
「は?」
「咲の好きなやつって、お前だろ?」
「…アホすか?」
「はぁ?」
「どあほう。」
流川は呆れたように溜め息をついて、地面に落ちたボールをもう一度拾い上げた。
そのボールを掴んだまま、流川はそれを俺の胸に強引に押し当てた。
「で、先輩また逃げんの?」
真っ直ぐな流川の言葉と視線に、もちろん多少の恐怖心は拭えなかった。
だけど、さっきまでの苛立ちは不思議と無くなっていた。
何で流川に見透かされてしまったのかなんて、答えは簡単だ。
こいつだって俺と同じだからだ。
「もう逃げねぇよ。」
俺は流川の瞳を見て、ハッキリとそう答えた。
流川は雨に濡れた前髪を掻き上げると、うっすらと笑ったような表情を見せた。
「なら良かった。」
「どう言う意味だよ。」
「そのまんまの意味。」
「意味わかんねぇ。」
「先輩。」
そして、変わらず真っ直ぐ俺の瞳を見ながら言った。
「明日1on1。部活で。」
流川は俺にボールを手渡すと、雨の中を足早に走り去っていった。
そんな流川の背中を見つめながら、俺はまた木暮の言葉を思い出していた。
“今、誰に会いたい?”
咲に会いたい。
それ以外の答えなんてなかった。
気づいた時には、俺は降り頻る雨の中を走り出していた。