それは突然、日常を。
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文化祭2日目も終わりに近づき、残すは後夜祭のみとなった。
そこで様々な賞が発表されるのだが、例年最も盛り上がるのがミスターコンとミスコンの発表らしい。
教室の片付けがある程度終わると、みんながこぞって外に出て行く。
「咲行かないの?」
「ちょっとゴミまとめてから行く。先に行ってて。」
結衣は結局バトラーズ・カフェには行かなかったが、昨日食堂で流川くんを間近で拝めたから満足だと言っていた。
その上今日は彼氏と一緒に回れたからか上機嫌で、「じゃあ先に行ってるね。」と私に手を振った。
もちろんゴミをまとめると言うのは嘘ではなかったが、少しだけ頭痛がしたから薬を飲みたかったのが一番の理由だった。
最近色々と考えすぎているからかもしれない。
そんなこと言って薬なんか飲んだら、結衣のことだから必要以上に心配するだろうと思い、先に行って貰ったのだ。
ペットボトルの水で薬を勢いよく飲み込むと、私は一息ついて教室の電気を消して廊下に出た。
廊下は真っ暗で、先程まで賑やかだったのが不思議なくらいに静かだった。
が、微かに光が漏れている場所がある。
10組の教室だ。
消し忘れかもしれないと思い見に行くと、誰もいないのになぜか教卓の上の電気だけがつけっぱなしになっていた。
スイッチに手を翳したその時、薄暗い教室の後ろのロッカーに寄りかかり、気持ち良さそうに寝ている1人の人物を発見した。
流川くんだ。
彼は白いワイシャツにベスト姿で、執事の格好そのままだった。
エンジのネクタイがその横に無造作に転がっている。
バトラーズ・カフェは1日目に続いて、2日目も予想通りすごい人気ぶりだった。
もしかしたらこの2日間、満足に休憩もとれなかったのかもしれない。
私は電気を消すと傍らにしゃがみこみ、彼の顔を覗き込んだ。
彼は微動だにせず、スースーと気持ち良さそうに寝息をたてている。
教室の窓から入り込む夜風が、彼の漆黒の長い前髪と睫毛を揺らしていた。
綺麗だな。
そう思ってすぐに、伸ばしかけた手を止めた。
あまりにも無意識な自分に少しだけ驚いた。
また一緒にいるところを見られたら、女子生徒達に次は何を言われるかわからない。
その手を戻そうとした時、突然彼に手首を掴まれた。
「ビックリした!起きてたの?」
「…今起きた。」
彼は少しボーッとしながら、何度も瞬きをして目を擦った。
まさに寝起きのその仕草は、どこか野良猫のように見えて可愛かった。
「何でいんの。」
「電気ついてたから。」
そう言って、私は天井の電気を指差した。
それにつられて上を見上げた彼に、「消したけどね。」と付け足した。
彼は欠伸をしながら伸びをするように両手を上に突き上げると、その手を勢いよく振り下ろした。
そして少し涙目で私のことを見た。
「昨日も思ったけど、何で着物?」
「あぁ、浴衣ね。うちのクラス縁日だったから。」
「浴衣…」
「着物より薄いでしょ。」
そう言って、私はお端折りの部分をピンっと伸ばして見せた。
「一緒じゃね?」
「全然違うし。」
浴衣と着物の違いなんてわからず同じに見える。
普通の男子高校生なんてこんなもんだ。
洋平は“お端折り”なんて言葉を知っていた上に、着崩れも綺麗に直してくれた。
洋平が稀なのだ。
洋平の女子力の高さを再認識して、思わず笑いそうになった。
「何笑ってんの?」
「え、笑ってない。」
「笑ってる。口がこうなってる。」
彼はそう言って、自分の右の口角を人差し指で無理矢理吊り上げた。
目は無表情なのに、口だけニヤッと笑ったような顔。
「その顔、王子が台無し。」
「おい。」
「あ、今日は執事か。」
「うるせぇ。」
「流川くんも“おかえりなさいませ。”とかちゃんと言ったの?」
「こんな無感情なやつに言われても嬉しくねぇだろ。」
“無感情”と言う彼のその言葉に、思わず喉の奥から声が出た。
「誰が無感情?」
「俺。」
「どこが。」
「全部。」
「バスケしてる自分、見たことないの?」
あの日の体育館での彼のバスケット姿を思い出す。
瞳の奥を輝かせて、真っ直ぐ見つめて、追いかけて求めて、そんな感情的な彼の姿だ。
あんな姿を目の当たりにして、どうしたら彼を無感情なんて言えるんだろう。
彼が自分をそう思っていることが何だか悔しくて、自分でも驚くほどムキになってしまった。
いつになく早口になってしまった自分が恥ずかしくて、私は自分を落ち着かせるように言った。
「ごめん。自分じゃ見れないよね。」
そんな私を見て彼が笑った。
多分彼のよく言う、“面白い顔”になっていたんだろう。
その笑顔だって、私には充分すぎるほど感情的なものに見える。
その時、校庭の方から大きな歓声が聞こえた。
ミスターコンとミスコンの結果発表でも行われているんだろうか。
「行かなくて良いの?」
「何が。」
「ミスターコン。」
「あったな、そんなの。」
彼は眉間に皺を寄せて、「知らねぇ。」とまた大きな欠伸をした。
1位確定の流川くんがいなくては、さぞかし会場は大騒ぎになっていることだろう。
「あ。」
「あ?」
「三井先輩に謝っといて。」
「三井先輩?」
「紙入れるの忘れちゃって。」
「は?」
「昨日食堂で入れる約束したんだ。ミスターコン。」
そうなのだ。
昨日あれほど約束したのに、私はスッカリ紙を入れるのを忘れてしまった。
気づいた時にはもう締め切られていて、投票することが出来なかった。
三井先輩の残念がる顔が目に浮かび、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
目標の2位には届いただろうか。
私がそんなことを考えていると、流川くんは何かを思い出したような顔をした。
「どうしたの?」と問いかけた私の声が聞こえているのかいないのか、彼は何かを自分の中で悟ったようで、独り言のように「そういうことか。」と呟いた。
「え、どういう事?」
「別に。」
「何?」
「自分で謝れば。」
彼はいつも言葉数が少ないし、感情表現もさほど豊かではない。
今目の前にいる彼もそんな様子なのだが、それにしてもいつもの彼とは少し違う気がした。
何が違うかと言われると難しいのだが、明らかに何かに苛立ちふて腐れている感じだ。
俯き加減な彼の顔を覗き込み、私はわざとらしく言った。
「何?入れてほしかった?」
どうせまたいつもみたいに、「うるせぇ。」とかすました顔で言うんだろう。
そう思っていた。
だけど、今日の彼はそんなこと言わなかった。
流川くんは俯いていた顔を上げると、私の腕を何も言わずに思いっきり引っ張った。
引っ張られた反動で体が彼に引き寄せられる。
夜風になびいた前髪から覗いた彼の表情は、ポーカーフェイスとは程遠かった。
整った顔を歪めて悲痛を訴える様に私を見つめている。
私も初めて見た。
三井先輩の言っていた、彼の狼狽える顔。
「入れてほしかった。」
彼の低い声と少し乱れた吐息が聞こえた。
掴まれている腕の力がどんどん強くなっていくのがわかった。
それに比例するように、私の鼓動もどんどん早くなっていく。
彼の腕の力が一瞬強くなったと思ったら、気付いた時には彼の綺麗な顔が目の前にあった。
乾いた唇から必死に何か言葉を引き出そうとしたその時、次に気づいた時には彼の唇が触れていた。
避ける隙もなく、驚いて目を閉じることさえ出来なかった。
心臓がさっきとは比べ物にならない程大きく波打ち、鼓動が物凄い早さで私の体を駆け巡る。
全身がどうしようもない程熱を帯び、思考回路は完全に停止していた。
校庭から聞こえる騒がしい歓声だけが、薄暗い教室の中で微かに響いていた。