それは突然、日常を。
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「1時間待ちでーす!」
教室から廊下に出てすぐに、10組の方からそんな声が聞こえた。
10組の教室の前には物凄い人だかりと長蛇の列が出来ていて、女子特有の甲高い声が所々で響いていた。
1年10組のバトラーズ・カフェ。
所謂、執事喫茶と言うやつだ。
メニューは軽食やドリンクと、普通のカフェと何ら変わりはない。
ただ1つ決定的に違うところは、従業員の男子がバトラー、即ち執事の格好をしているところだ。
男子の従業員とはうたっているが、女子生徒達の目当てはもちろんただ1人。
流川くんだ。
彼に「おかえりなさいませ。」を言ってもらいたいがために、女子生徒達は列を連ねる。
まさか1時間待ちとは、アイドルもビックリの人気ぶりだ。
今日は文化祭1日目。
私達のクラスの1年7組では、予定通り縁日を出店している。
クラス全員浴衣か甚平でということになり、私も昨夜クローゼットの中から浴衣を引っ張り出してきた。
紺色の浴衣に赤い帯。
いつもは下ろしている髪を、今日はサイドにまとめてお団子を作った。
呼び込みの時間になったので、結衣と2人でチラシを持って校内を回ろうと廊下に出たら、この有り様だったわけだ。
「咲、どうしよう。」
「私は行かないよ。」
「一緒に並んでくれるとかはないの。」
「ないね。」
「ひどい!自分は流川くんと仲良いからって!」
結衣はどうしても流川くんに「おかえりなさいませ。」を言って貰いたいらしい。
今この時点で1時間待ちなんて、私達の休憩時間には一体何時間待ちになっていることやら。
「彼氏さん、明日来るんでしょ?」
「だから今日行きたいんだってば。」
どうやら彼女なりに、彼氏にはちゃんと気を遣っているようだ。
その時、女子達の甲高い歓声がより一層大きくなった。
10組の方に視線を向けると、教室から廊下の受付に引っ張り出されている流川くんの姿が見えた。
白いワイシャツにキュッと結ばれたネクタイ。
黒い細身のパンツとベストのセットアップが、彼の長身と端正な顔立ちをより一層際立たせていた。
確かにこれなら当日いてくれるだけで良いと言われるのも納得だし、受付に立たせておけばお客さんも入り放題だろう。
しかしそんな彼は女子生徒に写真をせがまれているにも関わらず、その声が聞こえているのかいないのか相変わらずの無表情。
その表情からは、あの日体育館で会った彼の姿は到底想像出来なかった。
「すげーな。」
教室の中から聞こえたその声に振り返ると、そこには黒い浴衣を着た洋平の姿があった。
「洋平。」
「あれ、全部流川目当てだろ?」
「1時間待ちだって。」
「まじか。結衣はあれに並ぶ気なわけね。」
洋平は「ご苦労様。」と笑いながら、結衣に労いの言葉を投げ掛ける。
「咲は?」
「まさか。行かないよ。」
「だろうな。」
洋平はそう言っていつもみたいに笑った。
あの日以来、洋平のあの笑顔は見ていない。
もしかしたら私の思い過ごしだったのかもしれないと、最近では思い始めている。
「何だよ。」
「え?」
「咲、顔見すぎ。」
まるですべて見透かしているような洋平の発言には、いつもドキッとさせられる。
さすがは幼馴染みとでも言うべきか。
「いや、洋平の浴衣姿見るの久しぶりだな。と思って。」
「あぁ、これ。」
「小学校以来?」
小学校までは、浴衣を着て一緒に近所の夏祭りに行くのが当たり前だった。
だけどいつからか一緒に行くことはなくなって、行かないことの方が当たり前になっていた。
洋平の顔がいつの間にか見上げなければ見ることが出来ない高さになっていることに、今更ながら改めて気がついた。
「いつだっけ?洋平が私より大きくなったの?」
「え、何だよ。いきなり。」
「中1の春ぐらい?」
「中1の夏じゃねぇ?」
そうだった。
中1の夏休みに抜かされて、そこから先は差が広がるばかり。
「洋平、小さい時可愛かったよね。細くて小さくて、色素薄くて女の子みたいだった。」
「咲、それいつも言うよな。」
「だって本当に可愛かったし。」
「男にとって可愛いは褒め言葉じゃないからね。」
「最大限の褒め言葉なんだけど。」
そう言うと、洋平がわざとらしく肩と肩をぶつけてきた。
「咲だって可愛かったよ。」
「過去形じゃん。」
「ばれたか。」
洋平の返答に、今度は私が彼の肩に肩をぶつけた。
「あ。咲。」
「何?」
「お端折り、崩れてる。」
そう言って自分の浴衣の袖を捲り上げると、さりげなくお端折りを綺麗に整え始めた。
そんな洋平に、私は思わず笑ってしまった。
「何だよ。」
「お端折り知ってる男子高校生いないでしょ。」
「うるせぇな。」
洋平の吐息が額に当たってくすぐったくて、私はまた笑ってしまった。
そんな私の頭を洋平はポンッと軽く叩いた。
「咲は今も可愛いよ。」
どうやら彼なりに気を遣ってくれたようで、私は「はいはい。ありがとう。」とわざと嫌味っぽく返事をした。
良かった。いつもの洋平だ。
さすがの結衣も1時間待ちには嫌気がさしたようで、「行きたかったけど諦める。」なんて愚痴をこぼしながら、渋々一緒に校内を回ることになった。
ふと10組の方に目をやると、流川くんの姿はもうなくなっていた。
____________
いつもよりも賑やかな校内は、教室も人もまるで違って見えて、さすがの私も心が躍った。
人だかりが出来ている食堂の前には、明日開催されるミスターコンとミスコンの写真が貼ってあった。
男女どちらも全校生徒の中から選ばれた5人の写真が貼ってあるのだが、明日の後夜祭でその中からグランプリを発表するらしい。
もちろん流川くんの写真も貼ってある。
投票したい人の名前を専用の用紙に書いて、1人1票投票箱に入れるのだ。
「咲誰に入れた?」
「誰にも入れてない。」
「入れないの?流川くんに。」
「何で流川くんって決まってんの。」
「仲良しだから。」
仲良しって、何だか小学生みたいな言い方だ。
結衣は悪戯っぽく笑いながら、「ちょっと待ってて」と言って、少し離れた場所にいる女子2人組にチラシを渡しに行った。
どうやら部活の友達らしい。
私は1人投票箱の前で考えていた。
結衣の言う通り私が流川くんに1票入れたところで、審査に何か影響が出るだろうか。
私が入れても入れなくても彼の1位は確定しているのだから、むしろ別の誰かに入れた方が有効的に活用出来るんじゃないだろうか。
改めて、彼がそういう特別な人間なんだと言うことに気がついた。
バスケ部のエースで、学校1のイケメンで、誰からも羨望の眼差しを向けられている、そういう特別な人間。
そして私は、ただのどこにでもいる普通の人間だ。
そんなことを考えていたら、後ろにいた誰かの腕が背中に当たった。
「あ、わりぃ。」
振り返るとそこには、いかにも柄が悪そうな3人組が立っていた。
思わず一瞬身構えてしまう。
どうやら腕が当たったのは、真ん中にいる1番背の高い男子生徒のようだ。
彼は「大丈夫です。」と言った私の顔ではなく、手元のチラシ見ていた。
「1年7組って、桜木と水戸のクラス?」
「え?あ、はい。」
彼の口から当たり前のように洋平と桜木くんの名前が出てきて驚いた。
2人の名前を知っていると言うことは、不良仲間かバスケ部のどちらかだろう。
「チラシ1枚ちょうだい。後で行くわ。」
「ありがとうございます。」
「あ、あとさ。これ、俺に入れて。」
そう言って、彼はミスターコンの写真を指差した。
流川くんの写真のすぐ横に貼ってある写真、その下には
三井寿(3ー3)
と書いてある。
その写真は紛れもなく、今私の隣にいる人物と同じ顔をしていた。
「こんなんどうせ流川が1位だし。俺2位目指してっから。あ、流川知ってる?バスケ部の。知らねぇわけねぇか。あ、もう入れちゃった?」
洋平からバスケ部の三井先輩の話は聞いたことがあった。
話を聞いた限りではもっとクールな印象だったが、むしろその真逆と言っていいほど初対面なのによく喋る。
「いえ、まだ。」
「じゃあ入れてくんねぇ?」
彼は明らかにソワソワしながら、私の返事を心待ちにしている様子だった。
私の1票でそんなに喜んで貰えるなら本望だと思い頷くと、彼は「よしっ!」と小さくガッツポーズをした。
何だかクールとは程遠い、まるで少年のような人だ。
その時、周囲が何やら騒がしくなった。
ベスト5に入るほどの三井先輩がいるのだから、周囲の女子達が騒ぎだしたのかもしれない。
そう思い条件反射のように振り返ると、なぜかそこには流川くんの姿があった。
「どうも。」
彼はそう言って、エンジ色のネクタイを右手で緩めた。
驚いて目を見開くとはまさにこのことだ。
「え、執事は?」
「俺は執事じゃねぇ。」
その格好はどこからどう見ても執事なのだが、彼はどうやらこの期に及んでまだ納得していないようだ。
しかしながら、あの長蛇の列がこの短時間で落ち着いたとは到底思えない。
こんなところにいて大丈夫なんだろうかと心配になる。
「休憩?」
「抜けてきた。」
「大丈夫?」
「何が。」
「何がって…」
「あのさ、俺だけ状況よめてねぇんだけど。」
三井先輩はそう言って、少し身を乗り出すように流川くんの肩に手を置いた。
改めて思うが、180cm以上の男子が並んだ威圧感と言ったら半端ない。
「何?流川と仲良いの?」
「あ、はい。友達です。」
「え、流川お前、女子の友達なんていたの!?」
三井先輩は信じられないと言った顔で流川くんの顔を見ると、肩に置いていたその手で彼をバシバシと叩いた。
「先輩。」
「あ?」
「俺の方が状況よめねぇんだけど。」
「あ、いた!流川!」
その時、後方で慌ただしい声がした。
流川くんと同じ執事の格好をした男子達4、5人が、「勝手にいなくなるなよ!」と叫んでいる。
10組の男子達だ。
思った通り、あの長蛇の列は抜け出してきては絶対にダメだと思っていた。
彼は明らかに嫌そうな顔をしながらも諦めたのか、その群れに半ば強制的に連行されて行く。
その強制連行の最中、隣にいる三井先輩が言った。
「あんな流川、初めて見た。」
どこかで聞いたことのある台詞だった。
そう言えば少し前に、洋平にも同じようなことを言われたのを思い出した。
「女子と話してるところですか?」
「いや、そうじゃなくて。」
三井先輩は私の顔を見て、少し考えながら言った。
「流川が狼狽えてるとこ。」