それは突然、日常を。
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さっきまでの騒がしさが嘘のように、静寂に包まれている放課後の教室。
私はカフェオレ片手に学級日誌を書きながら、大きな窓の外を1人眺めていた。
外を行き交う生徒達の中に知り合いを見つけたら、否が応でもその人物を目で追ってしまうものだ。
私は最近知り合った彼のことを、意識しなくても見つけてしまうようになっていた。
彼とは、流川楓のことだ。
何で今までその存在に気がつかなかったのか不思議なくらい、彼は人混みの中でも一際目を引いた。
だけど目に留まる彼はいつも無表情で、階段の踊り場で出会った彼とは別人なんじゃないかと思ってしまうほどだ。
だけど目が合えば小さく会釈する彼に、私も小さく会釈を返す。
流川楓とは、赤の他人から知り合いの関係になった。
「咲?」
突然聞こえたその声に、私は視線を教室のドアへと移した。
「洋平。」
洋平の声だとわかっていたのに、思わず名前を言ってしまった。
「咲何やってんの?」
「学級日誌。洋平は?」
「俺は原付の鍵忘れた。」
そう言って、洋平は自分の机の引き出しから鍵の束を取り出した。
「結衣は?一緒に帰んねぇの?」
「今日は彼氏とデート。」
「ふーん。…そしたら終わるまで付き合ってやろうか。」
「え、バスケ部は?今日も桜木くん見に行くんじゃないの?」
「まだ時間平気。」
洋平は私の前の席の椅子を回れ右させると、ドカッとその上に腰を下ろした。
そして私の机の上を見て言った。
「またカフェオレ?太るぞ。」
「うるさい。」
私はそう言いながら、机の下で彼の足をポンッと蹴った。
私が蹴った衝撃で、洋平の頬杖をついていた左手がガクッと横にずれた。
「いって!」
「言っちゃいけないこと言うからでしょ。」
「太るって言っただけで、太ったとは言ってない。」
「それ屁理屈。」
洋平は私の机の上にある学級日誌を眺めながら、もう一度頬杖をつき直した。
「咲、相変わらず字綺麗だな。」
「10年近く習字教室通ってたしね。誰かさんは一週間で辞めちゃったけど。」
「うっせぇ。どうせ俺は字下手くそだよ。」
「下手なんて言ってないじゃん。」
「それも屁理屈な。」
そう言って、今度は洋平が私の椅子をポンッと蹴った。
私がもう一度蹴ってやろうと足を伸ばしかけたその時だった。
「洋平!」
教室の外から彼の名前を呼ぶ声が聞こえた。
甘くて高くて可愛らしい、いかにも女の子の声だった。
そこには廊下からこちらを覗く、1人の女子生徒の姿があった。
顔は何となく知っている。
洋平の彼女だ。いや、元彼女か。
「洋平!何やってんの?」
「…何もしてねぇよ。」
私の知る限りでも、洋平の元彼女はみんなかなりの美人揃いで、彼の名前を呼んだ彼女もとても綺麗な女の子だ。
フワフワと揺れる茶色い髪と、モデル並にスラッと伸びた長い手足。
私はそんな彼女のことを羨望の眼差しで見ているのだけど、どうやら彼女にとって私はそんな存在ではないらしい。
それは私が彼女と違って髪がストレートだからでも、背が低いからでもない。
私が洋平の幼馴染みだからだ。
彼女の視線はその容姿とは似つかわしくないほど、鋭く私を睨みつけている。
そして無言で問いかけてくる。
“お前は洋平の何なんだ。”と。
「何もないなら遊ぼうよ!」
「無理。これから予定ある。」
洋平はだるそうに頭をかきながらそう言った。
突き刺さるほどの熱い視線も、彼の名前を呼ぶ甘い声もお構いなしだ。
教室の外の彼女は納得していない様子で、「じゃあまた今度ねー」と言いながら踵を返して歩いていく。
「しんど。」
洋平は机に項垂れて、まるで独り言の様に溜め息と一緒にそんな一言を吐き出した。
とりあえず独り言かどうかは定かではないので、私はその一言に応えてみることにした。
「好きで付き合ったんじゃないの?」
「…そうね。」
「そうね、って。」
「色々あんだよ。」
色々って何だと思ったが、そこは敢えて聞かなかった。
洋平は昔からモテるのに、なぜか付き合っても意外と長続きしない。
洋平は項垂れたまま上目遣いで私を見た。
「最近思ってたんだけどさ。」
「何?」
「仲良いいの?流川と。」
その名前に、私は思わず洋平から視線を逸らし学級日誌に目をやった。
まさか洋平からこんなことを聞かれるなんて思っていなかったからだ。
「仲良くないよ。別に」
「会うと挨拶してんじゃん。」
別に隠す必要なんてない。
駅で偶然会ってから、知り合いになっただけだ。
「パスケース拾って貰って。」
「パスケース?」
「うん。駅で。それで。」
「…ふーん。」
洋平に真剣な目で見られると、嘘をついているわけではないのに、なぜか嘘をついているような後ろめたい気持ちになってくる。
洋平は上半身をゆっくりと起こすと、満面の笑みでそんな私の額にある左手を掴んだ。
「咲、前髪触ってるけど?」
もちろん無意識だった。
洋平はどうしていつも簡単に私のことを見抜いてしまうんだろう。
誰もが見落としそうな小さなことでも見落とさない。
当たり前のようにそれを見つけ出す。
「これはただの癖だから。」
「癖ね。」
出た。洋平の楽しんでる顔。
わざわざ顔を覗き込んで、満面の笑みのまま私の前髪を撫でてくる。
目に入る前髪がくすぐったくてしかめっ面の私の顔が面白かったのか、洋平は馬鹿みたいに笑い出した。
そして私の左手を掴んでいた洋平の右手は、いつの間にか私の額へと移動していた。
笑顔だった洋平が、真剣な顔で私を見た。
「何かあったら、ちゃんと言えよ。」
洋平の温かい手が私の額をなぞるように優しく動く。
その指先の動きに比例するように、私はゆっくりと頷いた。
「それにしても意外だな。」
「何が?」
「いや…あ。」
そう私に聞き返す彼の視線が、私の顔から廊下へと移動する。
誰かと目が合ったようで、洋平が徐に口を開いた。
「よう、流川。」
その名前に振り返ると、案の定そこには流川楓の姿があった。
すました顔を洋平に向けて、「ども。」と小さく挨拶する。
そんな彼の視線がゆっくりと私の方へと移動した。
目が合うと、彼はいつも通り軽く会釈して教室の前を通りすぎて行った。
彼から視線を反らし、学級日誌に目を落とす。
“今日の一言”を書いたらこれで終わりだ。
「もう書き終わるから、洋平も早く行きなよ。」
「やっぱ意外。」
洋平のその言葉に、私は思わず顔を上げた。
「何が?」
「あんな流川初めて見た。」
「あんなって、いつもあんなじゃん。」
「いや、流川が自分から女子に絡むのとかまずないから。」
「別に絡まれてないよ。」
私は“今日の一言”に、“文化祭は縁日に決定”と書くことにした。
私がそれを書き始めるのと同時に、洋平が私の手を掴んだ。
「何?」
「あ、いや。」
「洋平?」
掴まれた手が熱かった。
洋平はその熱い指先に力を込めて、私の手をギュッと握った。
「まじで何かあったら言えよ。」
なぜか不貞腐れたような顔でそう言って、洋平はゆっくりと手を離した。
そしてゆっくりと立ち上がる。
「じゃあな。」
「うん。また明日。」
洋平が教室から出て行くのを見届けてから、私は学級日誌を書き終えた。
“あんな流川初めて見た。”
洋平の思う“流川楓”とは、一体どんなものなんだろうか。
周囲の思う“流川楓”と、そんなに大差がないような気はする。
マイペースで無頓着で無表情。
だけど、私の思う“流川楓”は少しだけ違う。
マイペースで無頓着で、たまに柔らかい表情を見せてくれる。