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微かに香る君の香りは、
昔から何も変わらないのに。
今はその香りを感じると、
切ない気持ちになるのはなぜだろう。
そして、
なぜ君ではなく、
此処にはいない彼を思い出すのだろう。
君の、香水の香り。
____________
「三井…」
担任は教室にザッと目を通すと、いつも通りの光景に大きく溜め息をついた。
ポッカリと空いた窓側の一番後ろの席。
「また休みか。」
担任はまた溜め息をついて、出席簿にチェックを入れた。
それがもう日常の一コマであるかのように、ボールペンを動かす担任の手つきも慣れたものだ。
選択科目の倫理の授業は、唯一クラスの違う三井と同じ選択授業だった。
教室の中もいつもと何も変わらない。
小さな話し声や笑い声が所々で聞こえてきては、それを担任がやる気のない素振りで注意する。
彼の席が空いていることは、もはやみんなにとっては当たり前のことのようだ。
三井が学校に来なくなって3日が経った。
つまり、あの日から3日が経ったと言うことだ。
「槙田さん、三井に会った?」
俺の問いかけに、彼女の表情が少し曇った。
「木暮くん、それ聞きに来たの?」
「うん。」
「会ってない。」
廊下の壁に寄りかかりながら、どうやって話を切り出そうか俺は必死に考えていた。
核心をつくのは簡単だが、普段と同じように普通を装うとすればするほど、俺の場合どうしても普通ではなくなってしまう。
世に言う分かり易い性格ってやつだ。
「寿が学校さぼるのなんて珍しくないでしょ。」
「それは昔の話だろ?部活まで休むなんてさ。」
「また女の子と遊んでるんじゃない?」
彼女は俺にではなく、自分自身にそう言い聞かせているように見えた。
彼女がそう言い聞かせれば言い聞かせるほど、俺の心臓も締め付けられるように痛む。
「槙田さん。この間はごめん。」
この間とは、もちろん屋上で話をしたあの日のことだ。
話と言ってもお互いに一方的に言い合っただけで、結局あの後きちんと話せていなかった。
槙田さんと2人きりで話すのはあの日の屋上以来だったが、そもそもそれが本当に久しぶりだった。
1年の時は同じクラスだったからそう珍しくはなかったが、クラスが離れてからは中々気軽には話せなくなってしまったからだ。
彼女は相変わらず綺麗で、淡くて甘い香水の香りがした。
「俺、ちゃんと謝ってなかったから。」
「私の方こそごめん。ひどいこと言って。」
「いや、俺の方こそ。自分の気持ちばっかり押し付けて、槙田さんの気持ち考えてなかった。」
「押し付けられてなんかないよ。核心つかれて、八つ当たりした。ごめん。」
彼女のその言葉と表情に、俺は自分の推測が事実であると言うことを確信した。
客観的に見ただけでは何もわからない。
何が本当で何が嘘なのか。
その嘘をどうしてつかなければいけないのか。
その嘘をどうして受け入れなければいけないのか。
きっとそれは、彼女にしかわからない。
怪我をしてバスケを辞めた三井に、周囲は同情と落胆の目を向けた。
そして学校にまで来なくなると、それが軽蔑と嫌悪の目に変わった。
それは俺もきっと例外ではない。
だけど、彼女はいつだって何も変わることなく三井に接していた。
彼女ほど三井のことを真剣に想っている人なんて、きっと他にはいない。
「三井さ、何か知らないけど勘違いしてて。」
「…うん。」
「槙田さんは流川のことが好きだって思ってて。」
「うん。」
「知ってたの?」
「うん。それでいいから。」
彼女はそう言って、泣いているように笑った。
まるで、あの日の三井の笑顔みたいだった。
あの日。
まだ熱い唇を噛みしめながら、俺は屋上へと戻ることにした。
彼の自分勝手な態度や不可解な行動の真意と、俺なりの答えを確かめたかったからだ。
そこで俺が目にしたのは、初めて見る彼の姿だった。
か細い声で彼女の名前を呼んで、その瞳からは涙がこぼれ落ちていた。
「…三井」
「…木暮」
三井は俺に驚きながらも、髪を掻きあげるフリをして涙をさりげなく拭った。
彼はこんな時でさえ、強い自分を取り繕うとする。
「さっきはごめんな。やりすぎた。」
「いや…俺も言いすぎた。本当ごめん。」
「俺、本当最低だな。」
三井はそう言って勢いよく立ち上がると、俺の横を足早に通り過ぎて行った。
その時、彼の香りが鼻を掠めた。
「香水…」
思わず口から出てしまった。
俺のその言葉に、三井は振り返ることなく足を止めた。
「今日はしないんだな。」
「…何が?」
「種類はわからないけど、香水の香り。いつも三井からしてた。」
「…何だよいきなり。俺は香水なんてつけてねぇよ。」
「香水の香りが、…槙田さんの香水の香りが、いつも三井からしてた。」
「…」
「そう言うことだろ?」
どれほど長く一緒にいれば、どれほどきつく抱きしめれば、あんなに強く彼女の香りが染み付くのだろうか。
「…本当に、俺最低だろ?」
小さく吐き出すように、泣きそうな顔で笑う三井を見て思った。
もしかしたら真実は俺の思う以上に衝撃的で残酷で、物凄く複雑で繊細なものなのかもしれない。
そして自分でも知らないうちに、2人の関係を壊したのは他ならぬ俺なのかもしれない。
そう考えると、槙田さんのあの日の言葉の意味も理解できるからだ。
だけど今それを追求したところで、何か変わるのだろうか。
真実がどうであれ、俺が望む真実はひとつしかないのだ。
「三井。」
「…何だよ。」
「今、誰のこと想ってる?」
「…」
「今、誰に会いたい?」
「…」
「それが答えだろ?」
次の日から、三井は学校に来なくなった。
「ごめん。俺、何も気づかなくて。」
三井とのやり取りを、彼女に話すつもりはなかった。
だけどその一言で、勘の良い彼女には話の核心が伝わってしまうかもしれない。
それでも俺は、その一言を言わずにはいられなかった。
彼女は言葉が見つからないと言うよりは、次の言葉を吐き出そうか迷っているように見えた。
廊下の片隅で俯く彼女の首筋から、あの香りが俺の鼻を掠めた。
彼女の香水の香りだ。
そしてあいつの香り。
ふと思った。
もしも俺が彼女を強く抱きしめたら、俺の体にもきっと彼女の香りが移るのだろう。
だけどどんなに強く抱きしめても、決して俺の体には染み付くことはないような気がした。
この香りが染み付く場所は、あいつの元だけだと決まっているような、そんな気がしたのだ。
「槙田さん…」
彼女の香りに酔いしれながら思った。
「三井を、助けてあげて。」
飲み込んだ現実と引き換えに、俺は二人の幸せを願った。