それは突然、日常を。
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「流川くん、また告られてたよ!」
私は職員室で、5時間目の自習課題のプリントを担任から受け取ったところだった。
廊下に出てすぐに、女子特有の甲高い声が口々にそんな話をしていた。
女子達はみんな瞳を輝かせて“流川楓”の名前を口にしている。
さすがは王子様。
一瞬で噂が学校中の生徒の耳に広まってしまうとは。
こんな風に他人の恋愛に興味を持つことを楽しいと思えれば、私にも人並みに恋バナの一つでも出来るのだろうか。
そんなこと到底無理なことだと、自分自身が一番わかっている。
“咲ちゃんって水戸君と付き合ってるの?”
中学の時、この台詞を何度言われたかわからなかった。
「協力して」と頼む子もいたし、「近づくな」と牽制する子もいた。
散々陰口も叩かれたし、嫌がらせまがいのことをされたこともあったけど、私にとってはどうでも良かった。
どちらにしてもそんな事他人に決められる筋合いはなかったし、鵜呑みにする必要なんてないと思ったからだ。
私と洋平が一緒にいるのは幼い頃からの当たり前の日常のようなもので、それを他人に言われてやめる理由がどうしても見つからなかった。
何かの枠に納めなければいけないことにひどく苦痛を感じて、“幼馴染み”と言う単語にさえ嫌悪感を覚えたこともあった。
“俺にはどっちでも関係ない。”
だから彼の少し冷めたようにも聞こえたあの一言は、私にとってはとても新鮮なものだった。
むしろ自分自身が肯定されたような、そんな気さえしたのだ。
そんなことを考えながら歩いていると、階段を下りてきた女子生徒と踊り場でぶつかった。
女子生徒は俯きながら、聞き取れるか聞き取れないかぐらいの小さな声で「ごめんなさい。」と言った。
「大丈夫。」と言う間もなく、彼女は私の横を勢いよくすり抜けて行った。
知らない女子だったが、彼女が泣いていたことはわかった。
その原因がなんなのか、次に目の前に現れた人物を見て大体の予想はついた。
後頭部を搔きながら、ゆっくりと階段を降りてくる流川楓の姿。
先程の女子達の会話が頭の中を掠めた。
間違いない。告白だ。
目が合って、彼はなぜか顔をしかめた。
「やっぱ特技?」
「え?」
「もの落とすの。」
そう言って、彼は私の足元を指差した。
彼の言う通り足元にプリントが1枚落ちていた。
どうやらさっき女子生徒とぶつかった拍子に落としてしまったようだ。
私はそれを拾い上げながら、少し嫌みっぽく彼に返した。
「そっちこそ特技?」
「は?」
「告白されるの。」
彼は「はぁ?」と気の抜けたような声を出した。
斜め上を見据えながら、数分前にあったであろうその時の場面を思い出しているようだった。
どうやら心当たりがあったようで、彼はゆっくりと口を開いた。
「知らないやつに興味ない。」
なるほど。
さっきの女の子にそう言ったわけか。
「泣いてたよ。さっきの子。」
「知らないやつに知らないって言っただけだけど。」
「言い方きつ。」
「これが普通。」
有無を言わさず興味のない女を突き放すところは、少しだけ洋平と似ていると思った。
洋平は突き放すためにわざときつい言葉を吐くけれど、流川楓の場合は少し違う。むしろその逆だ。
無意識に悪気のないきつい言葉を吐いて、結果的に相手を突き放している。
彼は毎日のように女子生徒に羨望の眼差しを向けられ、時にはその群れに囲まれている。
端から見れば羨ましい状況かもしれないが、もしそれを望まない人間にとったら苦痛な状況なのかもしれないと思った。
「女なんて面倒臭いし、興味ない。」
閑散とした踊り場に、彼の抑揚のない無機質な声が静かに響いた。
その瞬間にまた、中学時代の事を思い出した。
束になってしか悪口の1つも言えない女子達。
そしてそれに何も言い返せず、ただ自分の中だけで消化しようとする自分自身。
「私も嫌い。女の面倒臭いとこ。」
今度は私の声が踊り場に静かに響いた。
少しの沈黙の後、重たい空気にしてしまったかもしれないと恐る恐る彼の顔を見た。
が、そこにあったのは、いつもと変わらない彼のすました顔だった。
「あんたも女じゃん。」
予想外の彼の一言に、私は思わず笑ってしまった。
確かに彼の言う通り、私も彼が面倒臭い生き物と思っている女だ。
「そうだね。」
「でもあんたは面倒臭くない。」
「え、何で?」
「わかんねぇけど。」
「男っぽいってこと?」
「いや、そういうんじゃなくて。」
彼は私の顔を見ながら、相変わらずの無表情で何か考えているようだった。
彼がなぜか私のことを面倒臭くないと言うように、私も彼とのこの沈黙は心地好いと感じてしまうから不思議だった。
そもそも、流川楓にとって女の定義って何なんだろう。
自分の領域に侵入されたら、面倒臭い興味ないと有無を言わさず突き放す。
恣意的で我儘な強い存在?それとも従順で素直でか弱い存在?
どちらにせよ、私は間違いなく彼にとって女じゃない。
誰かに助けて貰おうなんて思わないし、支配されるのなんてまっぴらごめんだ。
つまり流川楓にとって、私は女の定義に当てはまらないってことだろうか。
そう考えたら、こんなにも簡単に彼が私の領域に入り込んでくることにも説明がつく。
「多分、私が流川くんの女の定義に当てはまってないからだと思うよ。」
「定義?」
「うん。」
「定義って何?」
「え?」
「難しいことわかんねぇ。」
「女とは。みたいな?」
「何だそれ。」
もうすぐ5時間目が始まる。
私の持っているこのプリントがなければ、自習とは言え授業が始まらない。
「授業始まる。またね。」
そう言って彼の横を通り過ぎようとした時、私の左頬に彼の鼻筋が微かに触れた。
「考えとく。」
そう耳元で静かに囁く彼の吐息が耳にかかって、私は思わず後退してしまった。
「え、何を?」
「定義ってやつ。」
そう言って、彼は一瞬柔らかい表情を見せた。
笑顔とは言い難いけれど、いつもとは明らかに違う柔らかい表情だった。
だけど次に瞬きした後にはいつもの彼に戻っていて、「じゃ。」と軽く頭を下げて、私とは反対に階段を下りて行った。
自由奔放で掴み所のない王子様。
そんな彼に、少しだけ戸惑っている自分がいた。