それは突然、日常を。
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朝の教室はいつもと同じようにザワザワと騒がしくて、他愛もない会話や小さな笑い声が所々で聞こえている。
「あ、流川楓だ。」
前の席に座る親友の結衣がそう言ったのは、机に俯せになって窓の外を眺めている時だった。
その名前に、一瞬心臓がドクッと音を上げる。
結衣の言う通り、3階の教室の窓から外を見下ろすと、そこには自転車置き場から歩いてくる流川楓の姿があった。
こんな時間に登校ってことは、今日も遅刻ギリギリってことか。
彼は1人ポケットに手を突っ込んで、眠たそうな目をこすりながらゆっくりと歩いている。
「今日も王子はイケメンだね。」
「王子?」
「流川楓!女子の間で王子って呼ばれてるんだよ!」
「王子ねぇ…」
王子様は、一般市民に無闇に顔近づけたりしないと思うけど。
はみ出したワイシャツも、寝癖のついた前髪も、どう見ても王子様とはかけ離れた様な格好。
だけど顔立ちはやっぱり綺麗で、悔しいけれど遠目からでも凛々しく見えた。
「彼女いんのかな?」
「いるんじゃない?あんだけキャーキャー言われてれば。」
「あれは親衛隊らしいよ。」
「親衛隊って…いつの時代だよ。」
流川楓は、バスケ部の1年生エースで、親衛隊まで存在するかなりの有名人らしい。
知らないなんて有り得ないと散々結衣に言われたので、どうやら私はそう言うことには疎く興味がない人種のようだ。
彼は毎日のように女子生徒に羨望の眼差しを向けられ、時にはその群れに囲まれている。
「そもそも結衣は彼氏いるじゃん。」
「それとこれとは話が別。」
結衣には、他校に列記とした彼氏がいる。
だけど言葉は悪いけれどミーハーな結衣にとって、流川楓は見ているだけで癒される観賞用らしい。
が、私は癒されるどころか危機感を覚えている。
王子の股間を蹴り上げたなんて学校中に知れ渡ったら、一体どうなることか。
女子生徒全員を敵に回すようなもんだ。
そう思った瞬間、流川楓と視線がぶつかった。
勘違いかもしれないと思ったが、その視線は一向に外れない。
ほら、まただ。
また、私はその瞳から目を逸らせなくなってしまう。
私は思わず勢いよく席を立った。
「私ちょっと、自販機行ってくるね。」
「え、今?ちょっと、咲!」
理由なんて何でも良かった。
あの瞳から逃れられるなら何でも。
廊下に出て、とりあえず自販機の前で立ち止まる。
何か買っていかなければ結衣に怪しまれてしまうと思ったからだ。
カフェオレにしようか、それともミルクティーにしようか。
そんなことで悩んでいると、隣の自販機に人の気配を感じた。
振り向くと、そこには前髪に寝癖がついたままの流川楓の姿があった。
「流川楓…」
何でこの時彼の名前をフルネームで呼んでしまったのか、自分でもよくわからなかった。
それほど私の頭は混乱していたと言うことだ。
彼は名前を呼ばれたことに気づいたようで、こちらを向いて私の顔を見た。
気まずいとは、きっとこう言う状況のことを言うのだろう。
なんせ股関を蹴り上げた女と蹴り上げられた男だ。
にも関わらず、彼は何食わぬ顔で私の隣に立っている。
「…ない。」
そして突然会話を始めた彼に、少なからず動揺した。
「え、何が?」
「ポカリ。」
「あるよ。こっちに。」
私はそう言って、隣り合わせになっている自分の目の前の自販機を指差した。
彼は自販機にポカリがあることを確認すると、躊躇することなくそのボタンを押した。
そんな彼につられるように財布から小銭を取り出した時、指先で弾かれた10円玉が廊下に落ちた。
手を伸ばした私よりも先に、彼の大きな手がそれを拾い上げた。
「よく落とす。」
あの時と同じように、彼は受け取れと言わんばかりに私に左手を突き出した。
「…覚えてたんだ。」
「普通忘れない。」
「え。」
「股関蹴られたら。」
「あれはっ…、ごめん。でも、いきなり顔近づけてきたのはそっちでしょ。」
私のその言葉に、彼の動きが一瞬止まった。
一点を見つめてあの日の出来事を頭の中で整理しているようだ。
そして何かを思い出したのか、「あ」と小さく声を上げた。
「違う。あれは。」
「え?」
「考えてたら、近づきすぎた。」
「考えてた?何を?」
「どこかで見たことあると思ったから。あんたのこと。」
「どこで?」
「水戸洋平の彼女。」
彼の口から出た予想もしていなかった一言に、今度は私の動きが一瞬止まった。
「いや、違うし!洋平は彼氏じゃなくて幼馴染み!」
私が当たり前のようにそう返答すると、彼はその模範解答に納得したのか、何やらすました顔で私を見ていた。
「何その顔?」
「こういう顔。」
「あ、そう。」
「別に、俺にはどっちでも関係ない。」
その時予鈴のチャイムが鳴った。
流川楓は何事もなかったかのように、私に背を向けて教室へゆっくりと歩いていく。
自由気ままと言うか、マイペースと言うか、何とも掴み所のない男だ。
王子様と言うよりはむしろ王様の方がしっくりくるような気がする。
そんなことを考えながら、私は自販機のカフェオレのボタンを押した。
それを握りしめ、結衣の待つ教室へと急いだ。