繋いだ手から
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「ごめん。もう無理。」
ああ、また。
何であの男はこうも学習しないんだろうか。
それとも今回は「ごめん」の一言を付け加えたんだから、そこを褒めてあげるべきなのだろうか。
それにしてもあの女、最後に一発お見舞いするなんて可愛い顔してわかんないもんだ。
放課後の冷たい廊下を走り去っていく女の後姿を見送った後、私は視線を男に戻した。
男は眉間に皺を寄せて、少し面倒臭そうに舌打ちをした。
「三井さん。眉間に皺寄ってますよ。」
「なんだ、咲かよ。」
私に気づいた寿はそう言って、眉間の皺に右手の指先を押し当てた。
髪を切ったせいで彼のしかめっ面がよく見える。
「寿さ、別れるにも言い方があるじゃん。」
「言い方?」
「もっとオブラートにさ。」
「オブラート?何だそれ。」
「こうっ…、包み込むみたいな。」
「意味わかんねぇよ。無理だから無理なんだよ。」
「あと何人にそれ言うの?」
「2人。いや、3人か?」
私が嫌味の一つでも言ってやろうと構えた瞬間、彼はその人数を自分で改めて口にしたことで、どうやら現実味が増してしまったらしい。
またこれと同じことが何度か続くのかと、彼はひっぱたかれた左頬を抑えながら、大きな溜め息をついて肩を落とした。
「しんどいな。」
「自業自得でしょ。」
「そもそも付き合ってねぇけどな。」
「遊んでたなら同じだし。」
「しょうがねぇじゃん。俺バカなんだから。」
「何いきなり。」
「思い付かなかったんだよ。」
「何が?」
「バスケのこと忘れるには、不良か女しか思い付かなかったんだよ!」
だから仕方がなかったんだと、彼はまるで自分に言い聞かせるようにそう言った。
そして「それでも忘れられなかったんだけど。」とボソッと小さく呟いた。
『バスケ部に戻ることになったから。』
寿からそう電話がきたのは一週間前のことだった。
真っ直ぐだけど不器用で、プライドが高いくせに傷つきやすい。
17年も幼馴染みをやっていれば正直そんな彼にはもう慣れたし、彼の行動や言動にはある程度の予測がつくからよっぽどの事でなければ驚くこともない。
怪我をしてバスケをやめてグレた時だって、慣れない女遊びをし出した時だって、私は別に驚かなかった。
本気ではないそんなものは、きっといつかは飽きてしまうだろうと思っていたからだ。
だけどもう一度バスケをやると言ったのには、正直驚いた。
結局彼は何をやっても、バスケットだけは本気で忘れることは出来なかったわけだ。
あの電話から一週間が経ち、彼は宣言通りバスケ部に復帰した。
不良仲間とつるむのをやめて、女遊びも完全にやめるのだと、毎日のように女子達に別れの言葉を切り出している。
「単純。」
「何とでも言え。」
「単細胞。」
「おい。」
「バスケ馬鹿。」
「お前っ…それは褒めてんのか?」
バスケをしている寿のことは大好きだ。
だからもう一度彼がバスケ部に戻ると聞いた時、驚いたけれど心の底から本当に嬉しかった。
そして思った。
彼はまた昔みたいに私の事なんか忘れて、バスケットに夢中になって人生のすべてを捧げていくんだろうと。
どんなに足掻いたところで、単なる幼馴染みがバスケットに敵うはずがないことを、また嫌という程思い知らされることになるんだろうと。
寿の顔を見たら少しだけ虚しい気持ちになって、私は彼から視線を反らした。
これ以上寿と一緒にいたら、不用意な言葉を吐き出してしまいそうな気がした。
「帰る。」
「は?いきなり?」
「バイバイ。」
「ちょっ、待てって。」
寿はそう言って、歩き出そうとした私の手のひらを掴んだ。
掴まれた手のひらが熱くて、私は思わず俯いていた顔を上げた。
「咲、どうした?」
「何が?」
「何がって…お前、泣きそうな顔してるから。」
廊下の窓ガラスに映る自分の顔は、彼の言う通り今にも泣き出しそうな顔をしていた。
言えなかった。
寿がまた遠くに行ってしまうような気がして寂しいなんて、そんな子供みたいなこと。
確実に前進しようとしている寿を引き留める資格は私にはない。
だけど油断したら今にも涙が溢れ落ちてきそうだった。
泣いたら駄目だと堪えようとすればするほど、ますます顔が歪んでしまうのが自分でもわかった。
「咲?」
「何でもないから。」
「何でもなくねぇだろ。」
「大丈夫だから。早く部活行きなよ。私のこと構わなくていいから。」
「…あのなぁ」
寿は顔を伏せて少しイライラした様子で頭を掻いた。
「俺は咲だから心配なんだよ。咲だから構いたくなんの。」
「…うん?」
「忘れられなかったって言ったろ。」
掴まれた手のひらがさっきよりも熱く感じた。
そしてその熱い手のひらを、寿は思いっきり自分の方へ引き寄た。
彼との距離が一気に縮まる。
「何しても忘れられなかったんだよ。バスケも。…咲も。」
寿のその言葉の意味がわかった瞬間、自分の体がどんどん熱くなっていくのがわかった。
その熱が握られた手のひらから彼にも伝わってしまうんじゃないかと思ったら、急に恥ずかさが込み上げてきて私は思わず顔を伏せた。
俯いて一向に顔を上げない私の顔を、彼がヒョイッと下から覗き込む。
「あっか。」
「うるさい。」
「見に来るか?部活。」
「…うん。」
私がそう返事をすると、寿は唇の端を上げてニッと得意気に笑った。
あぁ、思い出した。
寿のこの無垢な少年みたいな笑顔は、昔から何一つ変わらないということを。
そして彼の手のひらは子供の頃みたいにじんわりと温かくて、繋ぐ力は相変わらずとても優しくて心地よかった。
繋いだままの彼の手のひらが、もうどこにも行かないと、ずっと一緒にいると、そう私に言ってくれているような気がした。
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