Poker Face
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屋上の古びたドアの蝶番がキィと鈍い音を立てた。
その音と共に鼻をつく少し辛い香水と煙草の香りは、彼がここへやって来たことを意味している。
だけど私は決して振り返らない。
彼が当たり前のように、私の隣にやって来ることはわかっているからだ。
だからと言って、私たちが言葉を交わすことは極めて少ない。
初めてここで会ったあの日からそう。ただ隣に居る。それだけだ。
ほら、青空が広がる屋上に2つの影が並ぶ。
「水戸くん。」
片手で数えられるくらいしか呼んだことのない彼の名前。
「何?槙田さん。」
自分の肩が一瞬震えたのがわかった。
彼が私をそう呼ぶのも片手で数えられるくらいしかないから、少し驚いただけだ。
そう言い聞かせている時点でおかしいことはわかっている。
私らしくない。
「どうした?」
「別れた。」
少しだけ期待した。
彼のポーカーフェイスが崩れることを。
だけど決して崩れることのない彼の表情に、私は微かに嫉妬すら覚えた。
「あの男前な1組の彼氏くん?」
「男前だけど浮気性の1組の彼氏くん。」
「男前で浮気性だけど、槙田さんの大好きな1組の彼氏くん?」
やばい。崩れる。
「好きだった1組の彼氏くん。」
「泣くほど好きだった1組の彼氏くん。だろ?」
好きだった。
泣くほど好きだった。
だけど、もう我慢の限界だった。
みんなが羨む彼女という称号は、いつしか都合のいい女へと変わっていた。
すべてを理解している大人の女を演じることは、所詮子供の私には無理な話だったんだ。
「すげぇ泣いてたな。初めて会った日。ここで。」
「過去の話だよ。」
「さすがドライな槙田さんだな。」
「それ褒めてんの?」
「どうだろ?」
褒められるところなんてひとつもない。
何事も客観視することしかできなくて、常に自分の感情をコントロールしている。
もっと可愛く素直に気丈に振舞えればどんなにいいか。
きっと水戸くんもそんな女の子が好きなんだろう。
いや、そうに違いないことはわかってる。
「水戸くんこそさすがだね。」
「何?」
「長いんだって?もう1年くらい?」
「何が?」
「見たよ。可愛い彼女。」
そう、私とは正反対の可愛らしい彼女。
「元彼女な。俺も別れた。」
崩してやろうと思った。
彼の憎らしいほどのポーカーフェイス。
だけど逆に崩された私のポーカーフェイス。
「初めて見た。槙田さんのそんな顔。」
彼は小さく笑いながらそう言うと、初めて会ったあの日みたいに私の頬に触れた。
あの日。
偶然出会った学校の屋上。
泣きじゃくる私の涙を拭って小さく笑った彼は、何も言わずに私を抱きしめた。
流れ落ちる涙に触れた手のぬくもり。
少し辛い香水と煙草の香り。
心地良い体温。
背中に感じた骨張った大きい手。
今もすべて鮮明に覚えている。
初めて出会ったことなんてどうでも良かった。
彼がどこの誰かなんてどうでも良かった。
ただ、一瞬でも私はその優しさに守られていたかった。
そう思っていただけだったのに。
「水戸くんを振る女もいるんだね。」
「俺が振られるわけないじゃん。」
「失礼しました。」
「だけど、さすがの俺も振られそうだな。」
「誰に?」
「槙田さんに。」
一瞬、強く風が吹いた。
その風に乱れた前髪を直すことなんてどうでもよかった。
私の視線は彼に釘付けになっていて、思考回路はすでに停止していたからだ。
「俺、好きなんだ。槙田さんが。」
また風が吹いて、私の前髪が揺れた。
風になびいた前髪から微かに見えた彼の表情。
だけど見えたのは一瞬だった。
気がつくと彼の顔が目の前にあって、すぐに視界を阻まれたからだ。
そして、唇が触れる。
猫みたいなキス。チュッと唇が小さく音を立てる、そんな感じ。
あたしは恥ずかしさでいっぱいになって、思わず両手で彼の胸の辺りを押して突き放した。
「ごめん。」
「謝るならしないで。」
「俺、潔く振られるわ。」
「誰が振るなんて言った?」
「え?」
私を後押しするみたいに、太陽が眩しく光った。
「好き…水戸くんが。」
あ、崩れた。
彼のポーカーフェイス。
ほら、青空が広がる屋上に2つの影が重なる。