#かのじょのはなし

 あれからしばらくはのんびりと趣味用のイラストを描きながら過ごしていた。このところどんな題材のイラストを上げても見てくれる人が多くて、タクト効果で増えたフォロワーさんのおかげだとしみじみ思う。
 そんなことを考えながらだらだらと宿題をしていた時、スマホが震えた。時刻は午後八時、YouLiveの通知設定がタクトの配信を知らせる音だった。最近、元気がない様子が続いているのは少し心配だけど、やっぱり配信となると楽しみだ。わたしはワクワクしながらスマホを手に取りベッドに転がる。
 でも、画面に表示された配信タイトルが目に入り、思わず指が止まる。事前に告知されていたのは雑談配信のはずだったんだけど、見慣れない「大切なお知らせ」の文字が並んでいた。
『どーも。おはこんばんにちは~。三日ぶりの配信になっちゃった』
 タクトのあいさつは、生き生きとして明るい声だった。普段通りの軽やかなトーンに、少し安心しながら「やっと元気になったのかな」と思いたい気持ちが膨らむ。けれど、その一方で、VTuberでこうした「あいさつの明るさと裏腹な配信タイトル」が意味するものを、わたしは知っていた。胸の奥に、嫌な予感が静かに忍び寄る。
『今日は少し特別な話をしようと思うんだ』
 軽い雑談から始まった配信は、最初の十数分、のんびりとご飯の話に花を咲かせていた。けれど突然、タクトがまっすぐにカメラを見据えて切り出した。
『実はね、今日が僕の最後の配信になります。タクトとしての活動を、ここで終わりにすることを決めました』
 その言葉が耳に入った瞬間、時間が止まった。
「は……え……?」
 信じられない思いで、わたしはただ画面を見つめたまま動けなくなる。どうして? 頭の中で数え切れない疑問が渦を巻くけれど、言葉はどこかに消えてしまった。
 タクトはファンである視聴者たちへ、画面越しに感謝の言葉を静かに伝え続けていた。その声はどこかかすれ、言葉の奥に小さな震えが混ざっていて、涙をこらえているようにさえ聞こえる。その声が胸に突き刺さるたび、わたしの心はきゅっと締めつけられるようだった。
『皆さんには、本当に感謝しています。たくさんの応援をいただいて、楽しい時間を過ごすことができました。どうか、これからもみんなが楽しく、幸せでいられることを祈っているよ』
 タクトが話し終えると、コメント欄は驚きと悲しみの声で埋め尽くされた。画面の向こう側でたくさんの視聴者がショックを受けている。わたしもその一人で、涙がにじみそうになるけれど、それ以上に、何もできない自分への苛立ちがわいてきた。
 胸の中で詠美さんの顔がちらつきだす。やっぱり大翔さんと詠美さんの間でなんかあったんじゃないかって。でも、考える余裕は今、このわたしにはどこにもない。
『それじゃあ、またどこかで会いましょう。本当に、本当に、ありがとう』
 タクトの最後の言葉とともに、配信は静かに幕を閉じた。
 最近、大翔さんが疲れていることはよーく分かっていたはずだった。でも、まさかこんなことになるなんて。
 信じられない気持ちで、わたしは画面をじっと見つめたまま、何も考えられなくなっていた。
 スマホをぎゅっと握りしめる手が震える。心の中にぽっかりと空いた穴が広がって、いつもそばにいたタクトが、もうどこにもいない現実が、じわじわと重くのしかかる。
「どうして? どうして……」
 へなへなとその場に座り込んで、わたしは無意識にそう繰り返していた。
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