#かのじょのはなし
「あーっ! よし。今度こそ終わったー!」
わたしは送信ボタンを押し、大翔さんと詠美さんとの三人チャットルームに、コラボ用イラストの完成版を提出した。今度こそ、大丈夫だろう。二日間睡眠時間も削り、自分なりにいつもよりも時間をかけて、自分なりに納得のいく仕上がりにした。背中はバッキバキ、もう全身くったくた。でも、どこか心の奥にはちっちゃな不安が残っていた。
というのも、あれから何回か修正案を見てもらっていたのだけど、そのたびにちっちゃなものからおっきなものまで修正の指示が返ってきて、そのたびにてんやわんやしていたから。
数分後、パソコン上の通知ポップアップが鳴った。詠美さんからの返事だ。
《杏沙ちゃん、ありがとうね。でも、もう少しだけ手を入れてほしいところがあるの。表情を少し変えて、背景にもう少し華やかさを加えてもらえるかしら?》
「はいぃ?」
その言葉を見た瞬間、わたしの胸に込み上げてきたのは、もはや怒りだった。ムカチャッカファイアと言い表せるでもない、マジな怒りだった。
てか、華美すぎるわねって前に言ってきたよね? これで修正は何度目だと思ってるんだ。こんなに一生懸命やっているのに、まだ足りないと言われる。どうして、わたしの描いたものが認めてもらえないんだろう? むしろ、なんだ、わたしがなんか詠美さんがむかつくようなことをしたか? なんかの当てこすりにすら見えてきた。まさかホントに痴話げんかに巻き込まれてたりする?
腹立たしさでいっぱいになりながらも、抵抗する指をなんとか動かして、どこをどうしたらいいですか、と打ち始めたところで、また通知が鳴る。今度は大翔さんだった。
大翔さんは、チャットではなく通話というかたちでわたしたち三人を集めた。詠美さんが最後に参加してきたのを見計らって、大翔さんが詠美さんに食ってかかった。
『このイラストはもう十分だと思う。杏沙ちゃんにこれ以上、負担をかけるのはやめてほしい』
それはわたしが初めて感じた、大翔さんがイライラしている様子に他ならなかった。いつもの大翔さんらしくない。一体どうしたんだろう。
詠美さんからは、一瞬、驚いたように息をのむ音がした。けれど、ため息が聞こえて、すぐに声が続いた。
『大翔、これはプロの仕事よ。杏沙ちゃんにはもっと頑張ってもらうべきだわ。わたしたちのコラボイベントの成功がかかっているんだから、最高のものを作らなければならないのよ』
それはひどく落ち着いていて、そして恐ろしくなるくらい優しい声だった。母親がこどもを諭すように。まるで、詠美さんだけがこの場で正しいと錯覚させてきそうなほどに。
なおもいろいろ続く詠美さんの言葉を聞き流しながらも、わたしに胸の奥にはモヤモヤした気持ちが膨らんでいた。今までは、自信に満ちた大人の女性だと思っていたのに、なんだかこうして見ると、自分の思い通りにしたいだけに見えるかも……? わたしの憧れていたお姉さん像とは、なんか違う気がする。
うるさいなあ、あーくそ、言い返したい。と、いよいよわたしの胸の中で、怒りがはっきりと形になりつつある。
でも、わたしよりも先に大翔さんが言葉を発した。
『でも、詠美ちゃん。これ以上のリテイクは、杏沙ちゃんに無理をさせるだけだ。第一、僕は最初に出してもらった案から変えてもらう必要は感じてなかったし、むしろ最初の案が好きだったよ』
おお……こんな時なのに、まっすぐに褒められたのはうれしい。こんなときでなければなあ……。
『なるほど……。ねえ、大翔、あなたは少し杏沙ちゃんに甘すぎるの』
ふう、と詠美さんが吐いた小さなため息がスピーカー越しに聞こえた。
『私たちのイベントの成功は、杏沙ちゃんの頑張りと才能にかかっているの。ここで妥協したら、杏沙ちゃんが本当に納得できるものにならないと思うわ。それがお金をいただくプロとしての厳しさなの。だからこそ、妥協しないでやり遂げることが大事なのよ』
どうしてかな。空々しく聞こえるのは。
わたしは拳をぎゅっと握りしめた。その指先が白くなるほど強く。
わたしは言いたかった。タクトのためにと依頼されて描いたイラストはこれが初めてではないのに。どうしてこの仕事だけ、こんなにしつこく修正を求めるのか。どうして、こんなにも冷たく感じる言い方をするのか。でも、きっと何を言ってもこの人には届かない。
「あの……」
わたしはいろんなものにぎゅうぎゅうに押しつぶされそうになりながらも、ようやく声が出した。
『ああ……ごめんね杏沙ちゃん。修正はいらないよ。さっきくれたものを使わせてもらいます。ありがとうね』
『大翔、だから』
『これはタクトである僕の決定だよ。詠美ちゃんには本当にいろいろサポートしてもらっているけど、この件は僕が決める……決めさせて』
詠美さんは黙っていた。そして、静かに『分かった』と言って、通話から抜けてしまった。
こうして通話は終わったけど、どっと疲れてしまって、わたしはしばらく作業机から動けずにいた。怒りの感情が静まってくると、心も体も限界まで引き伸ばされていたことに、ようやく気づいた。
あの二人から漂う緊張感は初めて感じるもので、それにあてられたわたしも、怒りが引いた後だけどおなかの奥がまだ落ち着かない。どうしても、これ以上、自分が頑張れるかどうか、ぐらぐらと自信が揺らいでしまいそうだ。
深呼吸を何回かして、それからぽにおを抱き上げてなでる。波が引くようにだけど、ちょっとずつ落ち着いて、次に目を覚ましたらベッドの上で朝を迎えていた。
でも、起きても、まるでへびにでも巻きつかれてしまったように体にまとわりつく不安は、まるで影のようにして、どうしても消えなかった。
わたしは送信ボタンを押し、大翔さんと詠美さんとの三人チャットルームに、コラボ用イラストの完成版を提出した。今度こそ、大丈夫だろう。二日間睡眠時間も削り、自分なりにいつもよりも時間をかけて、自分なりに納得のいく仕上がりにした。背中はバッキバキ、もう全身くったくた。でも、どこか心の奥にはちっちゃな不安が残っていた。
というのも、あれから何回か修正案を見てもらっていたのだけど、そのたびにちっちゃなものからおっきなものまで修正の指示が返ってきて、そのたびにてんやわんやしていたから。
数分後、パソコン上の通知ポップアップが鳴った。詠美さんからの返事だ。
《杏沙ちゃん、ありがとうね。でも、もう少しだけ手を入れてほしいところがあるの。表情を少し変えて、背景にもう少し華やかさを加えてもらえるかしら?》
「はいぃ?」
その言葉を見た瞬間、わたしの胸に込み上げてきたのは、もはや怒りだった。ムカチャッカファイアと言い表せるでもない、マジな怒りだった。
てか、華美すぎるわねって前に言ってきたよね? これで修正は何度目だと思ってるんだ。こんなに一生懸命やっているのに、まだ足りないと言われる。どうして、わたしの描いたものが認めてもらえないんだろう? むしろ、なんだ、わたしがなんか詠美さんがむかつくようなことをしたか? なんかの当てこすりにすら見えてきた。まさかホントに痴話げんかに巻き込まれてたりする?
腹立たしさでいっぱいになりながらも、抵抗する指をなんとか動かして、どこをどうしたらいいですか、と打ち始めたところで、また通知が鳴る。今度は大翔さんだった。
大翔さんは、チャットではなく通話というかたちでわたしたち三人を集めた。詠美さんが最後に参加してきたのを見計らって、大翔さんが詠美さんに食ってかかった。
『このイラストはもう十分だと思う。杏沙ちゃんにこれ以上、負担をかけるのはやめてほしい』
それはわたしが初めて感じた、大翔さんがイライラしている様子に他ならなかった。いつもの大翔さんらしくない。一体どうしたんだろう。
詠美さんからは、一瞬、驚いたように息をのむ音がした。けれど、ため息が聞こえて、すぐに声が続いた。
『大翔、これはプロの仕事よ。杏沙ちゃんにはもっと頑張ってもらうべきだわ。わたしたちのコラボイベントの成功がかかっているんだから、最高のものを作らなければならないのよ』
それはひどく落ち着いていて、そして恐ろしくなるくらい優しい声だった。母親がこどもを諭すように。まるで、詠美さんだけがこの場で正しいと錯覚させてきそうなほどに。
なおもいろいろ続く詠美さんの言葉を聞き流しながらも、わたしに胸の奥にはモヤモヤした気持ちが膨らんでいた。今までは、自信に満ちた大人の女性だと思っていたのに、なんだかこうして見ると、自分の思い通りにしたいだけに見えるかも……? わたしの憧れていたお姉さん像とは、なんか違う気がする。
うるさいなあ、あーくそ、言い返したい。と、いよいよわたしの胸の中で、怒りがはっきりと形になりつつある。
でも、わたしよりも先に大翔さんが言葉を発した。
『でも、詠美ちゃん。これ以上のリテイクは、杏沙ちゃんに無理をさせるだけだ。第一、僕は最初に出してもらった案から変えてもらう必要は感じてなかったし、むしろ最初の案が好きだったよ』
おお……こんな時なのに、まっすぐに褒められたのはうれしい。こんなときでなければなあ……。
『なるほど……。ねえ、大翔、あなたは少し杏沙ちゃんに甘すぎるの』
ふう、と詠美さんが吐いた小さなため息がスピーカー越しに聞こえた。
『私たちのイベントの成功は、杏沙ちゃんの頑張りと才能にかかっているの。ここで妥協したら、杏沙ちゃんが本当に納得できるものにならないと思うわ。それがお金をいただくプロとしての厳しさなの。だからこそ、妥協しないでやり遂げることが大事なのよ』
どうしてかな。空々しく聞こえるのは。
わたしは拳をぎゅっと握りしめた。その指先が白くなるほど強く。
わたしは言いたかった。タクトのためにと依頼されて描いたイラストはこれが初めてではないのに。どうしてこの仕事だけ、こんなにしつこく修正を求めるのか。どうして、こんなにも冷たく感じる言い方をするのか。でも、きっと何を言ってもこの人には届かない。
「あの……」
わたしはいろんなものにぎゅうぎゅうに押しつぶされそうになりながらも、ようやく声が出した。
『ああ……ごめんね杏沙ちゃん。修正はいらないよ。さっきくれたものを使わせてもらいます。ありがとうね』
『大翔、だから』
『これはタクトである僕の決定だよ。詠美ちゃんには本当にいろいろサポートしてもらっているけど、この件は僕が決める……決めさせて』
詠美さんは黙っていた。そして、静かに『分かった』と言って、通話から抜けてしまった。
こうして通話は終わったけど、どっと疲れてしまって、わたしはしばらく作業机から動けずにいた。怒りの感情が静まってくると、心も体も限界まで引き伸ばされていたことに、ようやく気づいた。
あの二人から漂う緊張感は初めて感じるもので、それにあてられたわたしも、怒りが引いた後だけどおなかの奥がまだ落ち着かない。どうしても、これ以上、自分が頑張れるかどうか、ぐらぐらと自信が揺らいでしまいそうだ。
深呼吸を何回かして、それからぽにおを抱き上げてなでる。波が引くようにだけど、ちょっとずつ落ち着いて、次に目を覚ましたらベッドの上で朝を迎えていた。
でも、起きても、まるでへびにでも巻きつかれてしまったように体にまとわりつく不安は、まるで影のようにして、どうしても消えなかった。