#かのじょのはなし

 お願いの仕方を練りに練りまくり、緊張しながら、イラスト依頼用に作った三人だけのDiscaveチャットルームで値上げ交渉をしてみた。そしたら大翔さんからも詠美さんからもあっさりOKをもらえて、ちょっと拍子抜けした。ありがたいことなんだけどさ。しかも、今後も様子を見ながら段階的に報酬を上げてくれるらしい。
「そうそう、杏沙ちゃん。次にお願いしたいイラストのことなんだけどね。あるVTuberさんとのゲームコラボ配信のものなの」
「コラボですか」
 詠美さんの言葉に、わたしは頷いた。
 わたしたちは、洗練された街並みが広がる都内の一角にあるカフェのテラス席に腰を下ろし、お茶会ミーティングと題してただゆっくりとお茶を楽しんでいる。テラスの周りには、ブティックやギャラリーが並び、行き交う人々もどこかスタイリッシュだ。詠美さんのお気に入りのカフェらしい。
 夏がやっと終わりを迎えつつある今日この頃、涼しい風がそよそよと吹き、カフェを囲む木々の葉がやさしく揺れている。詠美さんがこのカフェを気に入るのも納得できる。こんな上品な場所で仕事の話をするなんて、私が普段いる場所とは違う気がして少し緊張もしてくるけど、なんだか少しだけ背伸びしたみたいで新鮮だ。こういう場所にどんな服を着ていくべきか悩んだけど、いつも通りの量産型上等ガーリーファッションで来た。あえて自分らしさを貫くのも自信を見せることにもなると思ったから。
「相手はどこの人ですか?」
「この方なんだけどね」
 詠美さんがスマホをわたしの前に差し出す。土曜日なのに午前中は仕事だったとのことで、グレーのパンツスーツをばっちり決めている詠美さん。そんな服装も相まって『バリバリのキャリアウーマン感』が漂う姿に、わたしはいつもながら感心してしまう。
 さて、スマホにはYouLiveの画面が映っている。その顔を確認して、思わず「おおっ」と声が出た。
 相手は登録者十万越えの大手個人VTuberの鷹取ミヤさんだった。金色のストレートロングヘアと赤い瞳が印象的なキャラクターで、知的で少し毒舌なキャラが売りの男性VTuberだ。配信では謎解きゲームやホラーゲームの実況、あとTRPGが得意で、考察を絡めた丁寧な解説が多く、女性ファンの支持もある。タクトも決して登録者数は少なくないけど、相手のほうが登録者数は多い。
 コラボイベントかあ。しかも、その宣伝画像をわたしが担当するなんてね。こんなおっきいプロジェクトを任せてもらえるなんて……男性V同士で、女性人気もあるゲームのコラボとのことで、どんな雰囲気のイラストにしようかと、頭の中でいろんな考えが一気に駆け巡る。プレッシャーはあるけれど、それ以上にワクワクが勝ってきた。
「お願いできる?」
 薄く艶やかに塗られたリップが、詠美さんの形の良い口元を引き締める。詠美さんの視線はわたしにしっかりと向けられていて、その奥にはどこか心配そうなものもある。彼女の目の前で、手抜きなんてできるわけがない。この仕事の重みがひしひしと伝わってきた。
「もちろん、やらせていただきます!」と、わたしは気持ちを込めて答えた。それを聞いて、詠美さんは満足げに微笑んだ。
「ありがとう、杏沙ちゃん。これからよろしくね」
 詠美さんがそう言ったその時、カフェの入り口で見覚えのある姿が目に入った。大翔さんだ。彼もすぐにこちらに気づき、軽く手を振りながら近づいてくる。シンプルなブラックのパーカーにデニムジーンズという、かなりカジュアルな服装だった。確実に予約が必要なタイプのカフェに合うかどうか、正直ちょっと疑問だけど、大翔さんらしいといえば大翔さんらしいかもしれない。しかしまあ、パンツスーツを着こなしたバリキャリお姉さん、パーカーのカジュアルお兄さん、そして量産系女オタクの三人が集まっているこの光景は、周りから見たら不思議に映るだろうな。
「お疲れ様、二人とも」と、大翔さんが優しく声をかけてきた。でも、その声はかすれている。
「風邪ですか?」
「ああ、うん、風邪とか移るものじゃないと思うよ。念のため検査もしたし。ちょっとね、昨日は声をはりすぎちゃったかも」
 詠美さんの隣に座りつつ、大翔さんは笑った。そういや昨日はボイスが少ないせいで読み上げ箇所が多いインディーズゲームの実況をしていたっけ。でも、それを差し引いたとてやっぱり疲れている感じがする。
「昨晩半袖なんかで寝るからよくならないのよ。そろそろ秋なんだから夜は冷えるのに」
「うん、ごめんね」と大翔さんはやや小声で答え、やっぱりどこか申し訳なさそうな顔をしている。
「いっつもそうなんだから。わたしがいない日が思いやられるわ。しっかりしなさい」
 詠美さんは目を少し吊り上げてやや厳しめに言う。でもその口調の中には、どこか心配も感じられて、二人の関係性が垣間見える。
 大翔さんは「うん、詠美ちゃんの言う通りだね。気をつけるよ」と少し照れくさそうに頭をかきながら答えた。その様子に、思わずわたしの胸には複雑な気持ちが広がる。そっか、昨晩は一緒だったんだろうな。カップルならそりゃそうだよね。ふーん。いや、おかしなことじゃないんだけどさ。
 ちょっとためらいながらも、思わず口をはさむ。「詠美さん、あまりきつく言わないであげてください。大翔さんも反省しているみたいだし……」
 ご時世もあるし体調は心配だけど、そこまできつく言うこともないでしょうに。大翔さんも大人なんだから。と思わず口元が少し引きつる。詠美さんが驚いたように一瞬目を見開き、わたしをじっと見つめた。その表情に少しドキッとしたけど、彼女はすぐに柔らかい微笑みに戻り、うなずいて答えた。
「そうね、杏沙ちゃんの言う通りかもしれないわ。私も厳しすぎたかしら」
 気を悪くしたらごめんね、と詠美さんが大翔さんに言うと、大翔さんは「大丈夫だよ」とほっとしたように小さく笑う。
「心配してくれてありがとう。無理はしないから安心してね」と大翔さんは言った。その言葉に、わたしの中にあった妙な緊張感がほどけ、三人の間に柔らかい空気が漂うように感じた。
 それから、大翔さんが「注文、しようかな」と、近くの店員さんに手を上げて呼ぼうとする。でも、風邪のせいか声が小さすぎて店員さんには届かない。気づいていない店員さんは、別のテーブルへと向かおうとする。
「あ、あの……すみません……」ともう一度、小声で大翔さんが店員さんに呼びかけるけど、かすれた声がさらに小さくなってしまい、店員さんはやっぱり振り向かない。
 わたしが声を上げる前に、詠美さんがさっと手を上げて、「すみません」と呼びかける。すると、店員さんがすぐにこちらに気づき、軽く頭を下げて近づいてきた。さすがだ。
「わたしがいないと、本当に何もできないんだから」詠美さんが軽く笑いながら、大翔さんに少し冗談めかして言う。
 大翔さんも照れくさそうに「いや、ほんと、助かったよ」と頬をかく。その二人のやり取りに、わたしも思わず笑った。
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