#かのじょのはなし

 わたしが影山タクトの公認イラストレーターになって三か月が経った。
 今晩もいつものように部屋で作業をしていると、ガチャっと扉が開く音がした。
「まだ起きてたの?」ふわふわした髪を揺らしながら、覗き込むように顔を出したのはお母さんだった。適当に返事をすると、「ほどほどにしなさいよ」と苦笑いされる。お母さんは一度ドアを閉めていなくなったかと思ったら、また部屋に戻ってきた。
「ちょっと休憩しなさい」と、ピンクの花柄が描かれたマグカップをわたしに差し出してくれる。わたしの最近のお気に入りのマグカップだ。持ち手がゴールドなところもお気に入り。
 ふと壁時計を確認したら、ゼロ時を回っていた。確かにちょっと集中しすぎていたかな。もうこんな時間かあ。
「ありがとう」と言って、わたしはマグカップを受け取った。ミルクとはちみつの甘いにおいが、ふわりと立ち上る。
「頑張るのもいいけど、ちゃんとそれに見合うお金はもらっている?」
 お母さんはルイボスティーをすすりながら、わたしに尋ねてきた。お母さんには、細かな経緯――直接推しに会ったとかは省きつつ、影山タクト関連のイラストを担当しているという話をして、ちゃんと理解してもらっている。お母さんもハンドメイド作家として活動しているから、相談に乗ってもらえるのは本当にありがたい。
「うん。高くはないけど、高校生なりに十分だし。推しの役にも立ちつつ、自分も楽しんでやってるし」
「それは良いことね。ときめきって大きな力になるわよね」お母さんは微笑んでくれる。しかしそこから、ふっと真面目な顔になった。
「楽しんでできることが仕事になるなんて、なかなか素敵なことよね。でも、覚えておいてほしいの。たとえ学生であっても、お金をもらって仕事をするということは、相手に対して責任があるってことなのよ」
「うん」
「だからね、依頼料はあなたの技量に見合うものをもらいなさい。それが相手に対する誠意でもあるの。お金をいただく以上、相手はあなたに期待しているわ。わたしも最初はどうしていいかわからなかったけれど、ありがとうって言われて、お金をいただくことに意味があるんだって気づいてから、作品作りが少しずつ変わっていったのよ」
「うん……そうだね」わたしは自然と背筋を正した。
 今のところ、一枚千円から二千円程度でカラーイラストを描いている。でも、コミッションの場を提供しているサイトを見ると、イラスト依頼は五倍から十倍、ものによってはそれ以上で取り引きされている。
 実際、最近、安いかなとは思っていた。慣れてない部分もあるとはいえ二週間かけて完成させることもあるし(この間にリテイクもある)、高校生とはいえ美術コースの端くれだし。決しておっきな賞ではないけどいくつか賞をもらったこともある。それに、Twibbitのフォロワー数も最近五千を超えた。でも、まだ値上げを掛け合うには早いかなと思っていた。他のファンがわたしのイラストを評価してくれているか、SNSを見てもイマイチわかんないし。お金にがめついとか思われたくないし。
 そんなわたしの悩みを見透かすように、お母さんはわたしと目を合わせながら、さらに言葉を続けた。
「相手はね、あなたの絵に価値を見出して、お金を払ってくれる。だから、その絵には相手が期待する以上の価値を込めなきゃいけない。あなたはあなたで、自分の力量を正しく評価して、アピールしないといけない。どんなに小さな依頼でも、駆け出しであろうとも、それがプロとしての覚悟なの」
 お母さんの瞳には、わたしが想像もしていなかったほどの強い意志が宿っているように見えた。きっと、これまでお母さんも作家として、たくさんの苦労と葛藤を乗り越えてきたんだろう。
 お母さんの言葉が、ひとつひとつ胸にしみ込んでいくような感覚がする。
「……覚悟かあ」
 楽しんでやっていることにも責任が伴う。これからは、楽しさだけでなく、そのバランスをきちんと考えなきゃいけない。今まではただ夢中で絵を描いていただけだったけど、これからはその意識をもっと強く持つ必要があるんだと気づかされた。自分の作品が誰かにとって大事なものになるって大変だけど、特別なことで。少し怖くもなったけれど、それ以上に、心の奥がざわめくように震えた。
「ありがとう、お母さん。これからも頑張るね。あと、考えてみるよ。いろいろ」
 わたしは、ぬくもりの残るマグカップを握りしめながら、気持ちを新たにした。
 お母さんはやわらかく微笑んで「大丈夫よ。あずが自分を信じて一生懸命やれば、必ず素敵な作品ができるわ。推しにときめいて、それがあなたにとっての原動力なら、それを大切にしていいと思うの。ただ、体を壊さないようにね」と念を押してくる。その心づかいが、ちょっとこそばゆかった。
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