#かのじょのはなし
お風呂から上がると、身体がふわふわとする。湯気に包まれていた時間から、涼しい空気に包まれる瞬間は、何度味わっても気分がいい。乾かした髪を手ぐしで軽くすきつつ、鼻歌を歌いながら、わたしは自分の部屋へと戻る。
自室は創作に心を燃やすアトリエでもあり、リラックスするところでもある。勉強はそんなにはかどらないけど。家を建てる時にお願いしてやってもらった、壁一面のパステルピンク色に包まれてるとすごく落ち着く。どんなにつらいことがあっても、部屋に帰ればまるでお菓子の国にいるかのように、気分はふわふわと明るくなる。
今日は深山さんと会ったり、イラストの話だったりいろいろあって、心はまだぴょんぴょん跳ねている。まあ、さすがに頭は疲れた。ふかふかのベッドにダイブする。これまたピンク色のキルティングカバーがぬくぬくして心地よい。疲れを吸い取ってくれそう。
横向きに寝転んだら、部屋の隅に置いたテディベアのくまきちと目が合った。その隣には、くまきちよりちっちゃいポニーのぽにおがいる。くまきちもぽにおも、ナイトと愛馬として大事にしてね、なんて言われながら父親にどこかの海外のお土産だと渡されたものだ。ふわふわしたものに満ちたこのピンク色の空間がわたしは大好きだ。
しばらくうつらうつらしていると、ピピっとスマホのアラームが鳴った。そろそろ配信が始まる合図だ。よいせっと体を起こして、わたしは向かい壁のデスクに座る。
高校受験から解放されてすぐに、モニターやペンタブレットを譲ってもらったり買ったりして、デジタル作業向けに整えたこのデスク。ピンクばかりのこの部屋の中で全体的に黒いこのエリアはほかのエリアと少し雰囲気が違うけど、すごく楽しい場所だ。白いゲーミングチェアに腰を下ろして、パソコンとタブレットのスリープを解除する。
「よし、描くぞ」と自分の頬をぺちぺち叩いて気合いを入れる。そしてYouLiveを開いて作業開始。Vtuberの配信をバックグラウンドにしながら、イラストを描くのがわたしの楽しみだ。深山さんと話し合ったことが頭をよぎり、今夜のインスピレーションが次々と浮かんでくる。この時間はいつもワクワクする。
ペンを手に取ると、タイミング良くスマホに通知が届いた。
『どーもおはこんばんにちは~。みなさま今宵はいかがお過ごしでしょうか!』
影山タクトのほがらかな挨拶が聞こえてくる。画面を見る。黒と赤と緑が混ざっておどろおどろしいホラーゲームのタイトル画面が映っていて、その画面端にタクトが映っている。今日も推しの顔がいい。声もいい。元気が出る。
影山タクトは、黒髪でパンクな見た目に反した優しさと、高いゲームスキルが特徴のVtuberだ。普段はほんわかしたお兄さんの雰囲気だけど、ゲームが始まるとスイッチが入るのが見ていて楽しい。低い声で的確に指示を出したり、さりげなく難所を突破したりと、ギャップがまた推しポイントなのだ。
わたしは、ホラーゲームは自分じゃやらない派だ。なぜなら怖いの嫌だから。でも、タクトはゲームがうますぎてホラー要素がどこかに消し飛んでいく。あと、彼のこうしたホラーゲームのプレイヤースキルがVtuberとしての売りのひとつになっているからなのか、ホラーゲーム配信の時は人がたくさん来やすいらしい。
ペンタブレットでイラストを描きながら、サブモニターでタクトの配信を映す。
ゲームがちょっぴりバイオレンスなシーンに差し掛かるたび、ゾンビの叫び声にわたしはちょっと身震いするけれど、それもタクトのほんわかした声で不思議と和らいでいく。
『おっと、ここは怖そうだな~。あっやられそ。なんてね』
軽口をたたきながら確実に敵を銃で仕留めていく。配信のサクサク進行と同じくらいわたしも作業がサクサク進められて今晩は調子がよい。
今わたしが考えているイラストは、再来週からの新シリーズ用のサムネイルだ。ほんわかしたテイストの育成ゲームだから、サムネイルもパステル調でそろえるつもり。とはいえ、わたしが描くキャラクターは童顔になりがちだから、この企画には合うかも。スタイリッシュでシックな絵柄も挑戦はしてみているけど、自分の中でしっくりこない。まあこれも自分の味かなーなんて思って、最近は納得している。現代美術家をしているパパみたいに、周りから突き抜けるまで味を磨くことを目指そうかなと思う今日この頃。
時間が経つにつれて、イラストはどんどん完成に近づいていく。わたしは集中して線を引きながらも、タクトの配信に耳を傾けていた。タクトがわっと大きな声を上げるたびに手元が揺れてしまうこともあるけれど、それもまた楽しい。
やがて、タクトが最後のボスを倒し、配信はエンディングを迎える。
『ああ~……なるほど、切ないけどいいエンディングだったねえ……えっ泣きすぎだって? いいじゃん! 男が泣いたって! 道中難しい分感動もひとしおなんだってば』
鼻を鳴らしながらプレイ感想を語るタクトにつられて、わたしもちょっと目が潤む。ストーリーなんて細かに見てなかったから、ストーリーで感動しているというよりはタクトからもらい泣きしているだけだけど。ペンを置いて、タクトの配信画面をじっと見つめる。目を細める2Dエモーションがすごくかわいくてタクトらしくて好きなんだなあ。
『それじゃあ、次の配信で会おうね。おやすみ!』
タクトが配信を終えるのに合わせて、わたしもタブレットの電源を切った。めっちゃはかどったから、明日朝見直ししたら早々にラフを見せられるかもしれない。
昼間はどうなることかと思ったけど、今日も充実した時間を過ごせた。時刻は二十三時を過ぎたところ。そろそろ寝るかあ。席を立って、ベッドに向かう。その途中でくまきちとぽにおをひと揉みする。
と、そのとき、スマホが震えた。今度もDiscaveだ。
大翔さんからだ。……いや、タクトじゃなくて、大翔さんか? あのカフェで会ってしまったことで、『中の人』をめちゃくちゃ意識しているわたしがいる。
そういや、中の人をしっかり認識してしまった今、わたしはタクトとして接するべきなんだろうか。それとも大翔さんとして接するべきなんだろうか。二人から受ける、おっとりおおらかとしたキャラクターイメージがそう違わないので悩ましい。本人的にはどっちのつもりで送ってきてるのかも気になる。
まあいいや。
内容はかいつまむと、先日のカフェでの出来事について謝罪だった。あと、深山さんからイラスト依頼の話を聞いたってこと。
《もう気にしないでください。実は、深山さんとお会いして意気投合しました。これから一緒に大翔さんを支えていこうって話しました》と、少し緊張しながらも正直に返信する。だってねえ、考えてみたら、タクトの活動の汚点になりかねない状況を深山さんがフォローしたともいえるわけで、わたし自身そのことに感謝しているからだ。
返信を送って三分経ったくらいに返ってきたメッセージには、《よみちゃんと仲良くなってくれて嬉しいよ。これからもよろしくお願いします》とあった。
なるほど、よみちゃんって呼んでるんだ。ふぅん。わたしも詠美さんって呼ぼうかな。
その後も、配信の感想について取り留めのないやり取りが続く。心地よいやり取りの中で、ちょっと間が空いて、大翔さんからこんなメッセージが届いた。
《よみちゃんのこと、どう思った?》
どう、とは何だろう? どう返せばいいんだ。その問いかけは雰囲気がちょっと違った。とりあえず正直な思い百パーセントを思い浮かぶままに《いい彼女さんですね!》とだけ返信する。そして、わたしはふうと深い呼吸をしてからベッドに転がった。
まぶたを閉じても、頭の中にはさまざまな色が高速で浮かんで、消えて、また浮かぶ。さっきの配信と、大翔さんのメッセージと、詠美さんと話し合った内容が、とめどない刺激になっていた。
今日のこと、これからのこと、いろいろな考えが頭の中を巡るけれど。うれしいこともびっくりしたこともいっぱいあったせいで心が急いているのかな。
クリエイティブには休息も必要、だもんね。今夜はただ、この満ち足りた感覚に身を委ねよう。そう思いながら、わたしは静かにふかふかのベッドの波間へと引き込まれていった。
自室は創作に心を燃やすアトリエでもあり、リラックスするところでもある。勉強はそんなにはかどらないけど。家を建てる時にお願いしてやってもらった、壁一面のパステルピンク色に包まれてるとすごく落ち着く。どんなにつらいことがあっても、部屋に帰ればまるでお菓子の国にいるかのように、気分はふわふわと明るくなる。
今日は深山さんと会ったり、イラストの話だったりいろいろあって、心はまだぴょんぴょん跳ねている。まあ、さすがに頭は疲れた。ふかふかのベッドにダイブする。これまたピンク色のキルティングカバーがぬくぬくして心地よい。疲れを吸い取ってくれそう。
横向きに寝転んだら、部屋の隅に置いたテディベアのくまきちと目が合った。その隣には、くまきちよりちっちゃいポニーのぽにおがいる。くまきちもぽにおも、ナイトと愛馬として大事にしてね、なんて言われながら父親にどこかの海外のお土産だと渡されたものだ。ふわふわしたものに満ちたこのピンク色の空間がわたしは大好きだ。
しばらくうつらうつらしていると、ピピっとスマホのアラームが鳴った。そろそろ配信が始まる合図だ。よいせっと体を起こして、わたしは向かい壁のデスクに座る。
高校受験から解放されてすぐに、モニターやペンタブレットを譲ってもらったり買ったりして、デジタル作業向けに整えたこのデスク。ピンクばかりのこの部屋の中で全体的に黒いこのエリアはほかのエリアと少し雰囲気が違うけど、すごく楽しい場所だ。白いゲーミングチェアに腰を下ろして、パソコンとタブレットのスリープを解除する。
「よし、描くぞ」と自分の頬をぺちぺち叩いて気合いを入れる。そしてYouLiveを開いて作業開始。Vtuberの配信をバックグラウンドにしながら、イラストを描くのがわたしの楽しみだ。深山さんと話し合ったことが頭をよぎり、今夜のインスピレーションが次々と浮かんでくる。この時間はいつもワクワクする。
ペンを手に取ると、タイミング良くスマホに通知が届いた。
『どーもおはこんばんにちは~。みなさま今宵はいかがお過ごしでしょうか!』
影山タクトのほがらかな挨拶が聞こえてくる。画面を見る。黒と赤と緑が混ざっておどろおどろしいホラーゲームのタイトル画面が映っていて、その画面端にタクトが映っている。今日も推しの顔がいい。声もいい。元気が出る。
影山タクトは、黒髪でパンクな見た目に反した優しさと、高いゲームスキルが特徴のVtuberだ。普段はほんわかしたお兄さんの雰囲気だけど、ゲームが始まるとスイッチが入るのが見ていて楽しい。低い声で的確に指示を出したり、さりげなく難所を突破したりと、ギャップがまた推しポイントなのだ。
わたしは、ホラーゲームは自分じゃやらない派だ。なぜなら怖いの嫌だから。でも、タクトはゲームがうますぎてホラー要素がどこかに消し飛んでいく。あと、彼のこうしたホラーゲームのプレイヤースキルがVtuberとしての売りのひとつになっているからなのか、ホラーゲーム配信の時は人がたくさん来やすいらしい。
ペンタブレットでイラストを描きながら、サブモニターでタクトの配信を映す。
ゲームがちょっぴりバイオレンスなシーンに差し掛かるたび、ゾンビの叫び声にわたしはちょっと身震いするけれど、それもタクトのほんわかした声で不思議と和らいでいく。
『おっと、ここは怖そうだな~。あっやられそ。なんてね』
軽口をたたきながら確実に敵を銃で仕留めていく。配信のサクサク進行と同じくらいわたしも作業がサクサク進められて今晩は調子がよい。
今わたしが考えているイラストは、再来週からの新シリーズ用のサムネイルだ。ほんわかしたテイストの育成ゲームだから、サムネイルもパステル調でそろえるつもり。とはいえ、わたしが描くキャラクターは童顔になりがちだから、この企画には合うかも。スタイリッシュでシックな絵柄も挑戦はしてみているけど、自分の中でしっくりこない。まあこれも自分の味かなーなんて思って、最近は納得している。現代美術家をしているパパみたいに、周りから突き抜けるまで味を磨くことを目指そうかなと思う今日この頃。
時間が経つにつれて、イラストはどんどん完成に近づいていく。わたしは集中して線を引きながらも、タクトの配信に耳を傾けていた。タクトがわっと大きな声を上げるたびに手元が揺れてしまうこともあるけれど、それもまた楽しい。
やがて、タクトが最後のボスを倒し、配信はエンディングを迎える。
『ああ~……なるほど、切ないけどいいエンディングだったねえ……えっ泣きすぎだって? いいじゃん! 男が泣いたって! 道中難しい分感動もひとしおなんだってば』
鼻を鳴らしながらプレイ感想を語るタクトにつられて、わたしもちょっと目が潤む。ストーリーなんて細かに見てなかったから、ストーリーで感動しているというよりはタクトからもらい泣きしているだけだけど。ペンを置いて、タクトの配信画面をじっと見つめる。目を細める2Dエモーションがすごくかわいくてタクトらしくて好きなんだなあ。
『それじゃあ、次の配信で会おうね。おやすみ!』
タクトが配信を終えるのに合わせて、わたしもタブレットの電源を切った。めっちゃはかどったから、明日朝見直ししたら早々にラフを見せられるかもしれない。
昼間はどうなることかと思ったけど、今日も充実した時間を過ごせた。時刻は二十三時を過ぎたところ。そろそろ寝るかあ。席を立って、ベッドに向かう。その途中でくまきちとぽにおをひと揉みする。
と、そのとき、スマホが震えた。今度もDiscaveだ。
大翔さんからだ。……いや、タクトじゃなくて、大翔さんか? あのカフェで会ってしまったことで、『中の人』をめちゃくちゃ意識しているわたしがいる。
そういや、中の人をしっかり認識してしまった今、わたしはタクトとして接するべきなんだろうか。それとも大翔さんとして接するべきなんだろうか。二人から受ける、おっとりおおらかとしたキャラクターイメージがそう違わないので悩ましい。本人的にはどっちのつもりで送ってきてるのかも気になる。
まあいいや。
内容はかいつまむと、先日のカフェでの出来事について謝罪だった。あと、深山さんからイラスト依頼の話を聞いたってこと。
《もう気にしないでください。実は、深山さんとお会いして意気投合しました。これから一緒に大翔さんを支えていこうって話しました》と、少し緊張しながらも正直に返信する。だってねえ、考えてみたら、タクトの活動の汚点になりかねない状況を深山さんがフォローしたともいえるわけで、わたし自身そのことに感謝しているからだ。
返信を送って三分経ったくらいに返ってきたメッセージには、《よみちゃんと仲良くなってくれて嬉しいよ。これからもよろしくお願いします》とあった。
なるほど、よみちゃんって呼んでるんだ。ふぅん。わたしも詠美さんって呼ぼうかな。
その後も、配信の感想について取り留めのないやり取りが続く。心地よいやり取りの中で、ちょっと間が空いて、大翔さんからこんなメッセージが届いた。
《よみちゃんのこと、どう思った?》
どう、とは何だろう? どう返せばいいんだ。その問いかけは雰囲気がちょっと違った。とりあえず正直な思い百パーセントを思い浮かぶままに《いい彼女さんですね!》とだけ返信する。そして、わたしはふうと深い呼吸をしてからベッドに転がった。
まぶたを閉じても、頭の中にはさまざまな色が高速で浮かんで、消えて、また浮かぶ。さっきの配信と、大翔さんのメッセージと、詠美さんと話し合った内容が、とめどない刺激になっていた。
今日のこと、これからのこと、いろいろな考えが頭の中を巡るけれど。うれしいこともびっくりしたこともいっぱいあったせいで心が急いているのかな。
クリエイティブには休息も必要、だもんね。今夜はただ、この満ち足りた感覚に身を委ねよう。そう思いながら、わたしは静かにふかふかのベッドの波間へと引き込まれていった。