#かのじょのはなし
夕方のカフェ。大きな窓から見える景色はオレンジからピンク、そして青紫へとじんわり移り変わり、まるでゆっくりとした陽のグラデーションが広がっているようだった。窓際の観葉植物も、静かに揺れる葉に夕陽の光が透けて、店内の雰囲気にどこか落ち着きを加えている。
他のテーブルに座るお客さんたちの笑い声が遠くに聞こえる中で、わたしたち三人は不思議な静けさの中にいた。
わたしは気合いを入れて来たけれど、この空気は……なんだか妙にぎこちない。まるでわたしだけが少し浮いているみたいで、視線の先に座るお兄さんもどこか緊張しているようだ。
「うん、直接お会いできて良かったわ」
テーブルの向かいに座るお姉さんが口を開いた。雰囲気からしてシゴトできます感がばしばししてくる、そのクールな目つきと控えめな態度に、わたしは内心緊張が走った。わたしも笑顔を見せて、「そうですね、直接お話しできてありがたいです!」と返す。ほとんどオウム返しだ。
ふと、その隣のお兄さんに目を向ける。お兄さんもこちらに笑顔を向けてくれてはいるけれど、その表情には微妙な硬さがある。
いやいや待って。何この状況。『タクト』とのミーティングのはずだったんだけど? 隣の美人さんはどちら様?
何やら二人で相談しているこの隙に一旦状況を整理しよう。
そもそも、我が推しであるVTuberの影山(かげやま)タクトがわざわざ『良かったらイラストの話を聞きたい』って連絡をくれたのが始まりだ。これまで好き勝手推してきて、その上推しに認知されている! イラスト作成依頼くれるかも! なんて、思わず舞い上がってしまったのだけど、まさかその場にタクトの知り合いも一緒に来るなんて、思ってもみなかった。
タクトとはずっとオンラインメッセージでのやり取りばかりで、しかもやり取りというか勝手にファンアートをアップしてただけで、当然ながら中の顔も見ることなんてないし、タクトというキャラのイメージもあって、つい自分の中で人物像を勝手に補いながら推していた。推しに中の人などいない、という世間の意見も理解しつつも、なんだかんだわたしはガワはガワでしかない派だ。声のよく似たスタッフさんの存在は大歓迎ともいう。たぶん、こういう考えは少数派だろう。しかし、今日こうして現実で会ってみると、想像とまったく同じってわけではない。優しそうで、それでもどこか頼りなさも感じさせる、こちらが少し緊張してしまうくらい控えめな雰囲気だった。ハムスターっぽいというか。ハムスター飼ったことないから知らんけど。
そして、このちょっと冷ややかな空気を漂わせているお姉さん。このお姉さん――座るときに深山(みやま)さんと言っていた――については何も聞かされていなかった。だけど、なんとなく、この人はただの友人ってわけじゃないっぽい感じ。仕事帰りなのかスーツのジャケットを着こなしたオフィスカジュアルファッションなのもあって、めちゃくちゃしっかりしてそうで、雰囲気的にはマネージャーっぽさもあるけど、タクトは個人勢だ。スタッフさんは抱えていないだろう。となると……彼女だったりして。どこかのVの中の人かもしれないんだけど、心当たりはない。タクトって女性Vとめったに絡まないし。
「あなたのイラスト、とっても好評みたいで。タクトのフォロワーがよくリツイートやいいねしているのをよく見かけるわ」
深山さんがふっと視線をわたしに向けて、尋ねてくれる。少し低めだけどよく通るきれいな声で、でもあまり抑揚のない口調が独特だと思った。
アップしたらあとは野となれ山となれ。そんなに気にしていないというより気にしないようにしているせいか、声に出して言われると、えっ、ほんとに? なんてちょっと驚きつつ、めちゃくちゃうれしい。でも、深山さんのその視線の奥に、何か鋭いものを感じて思わず背筋が伸びた。何だろうな、この感覚。とりあえずわたしは笑顔を作ってみせる。
「ありがとうございます! タクト……えっと、タクトくんを描くのってすごく楽しいんです」なんとなく深山さんに気を使って敬称を付けなおす。
「描きがいがあるっていうか。表情とか動きを考えるのが面白くて」
わたしがそう言うと、タクトもほっとしたように小さくうなずいてくれた。
「そう言ってもらえると活動者冥利に尽きるね」
「そうですかね」と、照れくさくなって思わずわたしは首をかしげる。そんなわたしを見てか、タクトも微笑んでくれる。こういう雰囲気、まさにタクトぽくてくすぐったいな。
そんなわたしたちを、深山さんがじっとり見ている。
「そうですね。確かに独特な魅力がありますよね」
深山さんも一応褒めてくれてるらしいんだけど、なんとなくその言い方に引っかかるものを感じてしまうのはわたしが悪いんだろうか。
まあ確かに一ファンとして褒められた行動ではない。でもこのミーティングという名のオフ会はわたしから持ち掛けたものじゃないので、深山さん的に文句があったら隣のタクトに言ってほしい。
「これからも、いろいろ注目することは必至ね。ねえ、大翔(ひろと)?」
「え、ああ、うん。そうだね」とタクトはぎこちなくうなずいたけれど、何となく気まずそうな顔をしている。あっ。これはもしかしなくても本名だな?
そんな考えが頭をよぎる間に、タクトが少し気を取り直したようで、こちらに微笑んで言った。「でも、今日は会えて本当によかったよ、アズサさん。ずっとDMだけでのやり取りだったしね」
「そうですね、直接お会いできて、なんだか……不思議な感じがします」と、わたしは素直に答えた。実際にVTuberとして活動している人と会う機会なんてそうそうないしね。
深山さんが微笑を浮かべて、「大翔もイラストがとても気に入っているみたいで、だからこそ直接お会いしたいと思ったんですよ」と付け加える。どこか上品なその笑顔に、わたしも「ありがとうございます」と返すしかなかったけれど、彼女の視線がまた鋭くわたしを見つめているのに気がついて、少し緊張する。
「ところで、リアルだと緊張しいですか? オンラインだともっとのびのびしてる感じがしますね」
せっかくの機会だし、まだまだ空気重いしで、わたしは思い切って話題を振ってみた。大翔さんは苦笑しながら「そうかもね」と肩をすくめる。
配信中のタクトと今の大翔さんのビジュは全然違う。タクトがロックファッション系のビジュなのに対して、今の大翔さんはウニクロやCUで売ってそうなTシャツにパーカーという、親しみやすいシンプルなスタイルだ。話し方はギャップなく穏やかな印象だけど、顔を合わせてからというもの深山さんのほうが活発にしゃべっているので、余計に違いを感じてしまうのかもしれない。
「何かしらの企画で打ち合わせするときとかも、いつも僕ばっかり緊張するんだよね。なんだか恥ずかしいや。普段の画面越しのほうが楽だね」
タクト……じゃなくて、大翔さんが照れ笑いを浮かべた。照れ隠しなのか、ちらちらと深山さんに目配せをしている。隣にいる深山さんも、そのたびにわずかに微笑んで大翔さんの肩に添えているのが、慣れてる感じがして――ああ、やっぱり二人の間にはそういう信頼があるのかもな、なんて。たぶんこの二人は付き合ってるわ。落ち着いてきているとはいえ世間はまだコロナ流行中。こんなに近いソーシャルディスタンスで自然にいられるのはさ。
なんだかなあ。もやもやして、言葉に詰まってしまう。けど、二人がわたしをじっと見ていたから、慌てて声を出す。
「イラストのご用命ありましたらぜひ! 頑張りますので!」
深山さんがわたしに視線を向けて、少し考え込むような顔をしたあと、「そうですね」と言ってくれた。今日のあれそれで妙に意味深に感じてしまうけど、わたしの気のせいだろう、そうしよう。
ここで話題が途切れたのを感じて、「それでは、わたしはこれで失礼します。今日はありがとうございました!」と席を立って軽くお辞儀をした。
ひとりでカフェを出ると、外はすっかり暗くなっていた。空気を深く吸い込むと、さっきまで感じていた緊張が少しずつ解けていくのがわかる。
実際に会った大翔さんの印象には悪いイメージはなく、むしろ今日の時間には確かな意味があった気がする。深山さんの視線がどこか引っかかるものの、タクトと直接話せたことはやっぱりうれしい。
……イラスト依頼に少なからず期待していたけど、具体的な話題は何一つ出なかったので、話は流れたものと判断しよう。
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