水戸
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物心ついた頃から、他人の目に怯えていた気がする。人前で発言するのも、自分の気持ちを言葉にするのも、私の中では恐ろしくてとにかく難しいことだった。
教室の隅っこにいる、コミュ障で陰キャのモブ人間。私を形容するならば、これで充分だろう。
主人公になれない私と、クラスの中心的人物の彼。絶対に交わるタイプじゃないし、そんなことを願ったこともない。なんなら、遠慮させて欲しいくらいだ。
「俺が学級委員ってセンコー頭狂ってんだろ」
「どんまい洋平」
「お前が学級委員って笑えんな」
黒板に白いチョークで書かれた"学級委員"という文字のすぐ傍に、私の名前とあの不良の彼の名前が並んでいるのは、なにかの見間違えだろうか。何度も見返してみても、勿論その文字がかわることはなく、 名字名前、水戸洋平、と書かれたままだった。
新学期になると、このホームルームの時間に委員会を決めるのがうちの学校の決まりだ。なぜ生徒全員が何かしらの委員に入らなければいけやいのか、と考えても仕方ない不満を心の中で1人こぼす。
この学級委員に立候補するような物好きが居るはずもなく、耐えかねた先生によって決められたのがつい先程。先生曰く、水戸くんは遅刻した罰らしい。私が選ばれたのは、成績が良いとか、先生が信頼してくれてるとか、そんな気持ちのいいものでは無い。丁度いい立ち位置の生徒だからだろう。私が断る勇気を持ち合わせていないことを、クラスメイトだけでなく、先生も把握しているからだ。
わいわいと、いつものメンバーと話す水戸くんから視線を逸らして、誰にも聞こえない溜息をひとつ零した。
放課後の教室。グラウンドから聞こえる部活の音を聞きながら、一人でクラス分のノートを纏める。水戸くんは、いない。その事に関しては特に何も思わなかったし、想定内だった。
不良の彼が真面目にやってくれると、そんな期待はしていない。
後ろに撫で付けた髪、気崩された制服、鋭い目付き、彼を形成する全てが怖い。喧嘩もよくしてるらしいし、そんな彼と同じ空間にいる方が怖い。むしろこの場に居なくて有難いくらいかもしれない。
1人でクラス全員分のノートを職員室に運ぶのは、きついだろうな。でも、持っていく以外の選択肢はなくて、どうであれ、これをやらなければ帰ることも出来ない。
よし、と意を決して、持ち上げたノートの山がずっしりと私の腕にのしかかる。重いし、ちょっと腕が痛い。
「うおっ?!」
「きゃっ、!」
ゆっくりと廊下へ足を進めると、扉から現れた人影。ばさばさと大きな音を立て、床へと落ちていく腕に乗せたノートの山。
「うわ!ごめん!大丈夫か?」
「え、」
しゃがんで床に散らばったノートを拾おうとすれば、その人は私と同じようにしゃがみ込む。少し低くて耳障りの良い声に顔をあげれば、想像もしていなかった人で、どうして、と体が石のように固まった。
「えっ、み、水戸くん……?」
「わりぃ。高宮たちに捕まって遅くなった」
絶対に来るわけない、と思っていた水戸洋平がそこに居た。
なんでここに?きっと、あれだ。先生に告げ口させないため、だ。徐々に働いてきた思考に、指先が震える。そんな震えを無視して、必死に散らばったノートを自分の腕に掻き集める。
「だ、大丈夫なので……!!」
「え?何が?」
「せ、先生に言ったりしないから……!私、全部するから、帰っても大丈夫……!」
「は?」
彼の低い声に肩が震える。なんとかノートの山をまた腕に乗せて立ち上がれば、腕に乗った重みが消えた。
彼を見ないように俯かせていた顔を上げると、眉を寄せてどこか複雑そうな表情をした水戸くんと目が合う。彼の腕には、私が抱えたはずのノートがあって。
「1人でする必要ねえだろ。俺、女の子にこんな重いもん持たせるほどクズじゃないんだけど」
「っ、ご、ごめんなさ、」
「いや、怒ってないから謝んないで。俺ら2人が学級委員なんだから、一緒にしよーぜ」
「で、でも……高宮くんたち待ってる、よね……?」
「あいつらはほっといてだいじょーぶ。何言われても気にすんなよ」
「これ職員室にだよな。行こーぜ」と、目尻に皺を作って笑う水戸くんに、面食らってしまう。だって、私が想像してたよりもずっと優しい顔で見とくんが、笑ったから。
水戸くんは、ノートの山の1番上の部分を私に持たせると、先に職員室へと足を進めてしまって、慌てて彼の背中を追いかける。隣に並ぶなんてことはもちろん出来なくて、彼の後ろを歩いた。
今まで接点が無かったからか、お互い特に会話をすることも無く廊下を歩く。私の前を歩く水戸くんの背中は、やっぱり、後ろから見ても派手だった。校則なんて彼は気にしてないんだろう。私なんかとは、住む世界が違う人だ。
不良で怖い人、というイメージを持っていたけど、重いものを持ってくれるそんな優しい人だった。きゅっ、と胸の奥が甘く疼いたような気がする。
職員室で先生にノートを提出して、私を気遣ってなのか、教室まで送ってくれるらしい。 ちなみに、水戸くんを見た先生がすごくびっくりしていた。先生の気持ちはよくわかる。
何とか教室に辿り着いて、自分の席で荷物を纏めていれば、帰ることもなく何かを言うでもない水戸くんに少し困惑して、恐る恐る彼の方を振り返れば、困ったように笑っていた。
「俺、来ないと思ってた?」
「え、と……」
こういう時、なんと言うのが正解なんだろう。人とのコミュニケーションの経験をして来なかった自分を憎むしかない。
多分、馬鹿正直に「はいそうです」って答えたら怒られるんだろう。彼が怒ってる所を私は見たことが無いけど、きっと怖いんだろう。思考を必死に渦まかせた後に、私の口から出たのは、「ご、ごめんなさい……」という小さく情けないものだった。
「……謝らせてーわけじゃないんだけどな」
「えっ、」
「いーや、なんでもない。ちゃんとこれからも仕事するから、安心してくれよ。じゃあ、また明日」
そう言って、今度こそ踵を返して教室を出ていく水戸くん。
なんだろう。なんだか悲しそうに彼が笑っていたのは、私の気のせいだろうか。何か、胸に引っ掛かるものを感じながら、じっと彼の背中を見送った。
翌日。今日も変わらず教室の隅っこで静かに暮らす、はずだった。
「名前ちゃん、おはよ」
学校では呼ばれたことの無い私の名前に、「えっ」と顔をあげれば、楽しそうに笑みを浮かべた水戸くんが居た。なぜ、彼が私の名前を知っていて、呼んでいるのか。全く分からない。
「名前、間違ってねーよな?」
「あってる、けど……」
「だよな。おはよう」
「お、おは、よう……?」
この状況に頭はついていってないけど、取り敢えず挨拶を返せば、彼は満足そうに笑った。水戸くんはどうして挨拶なんてしてきたんだろう。昨日までは1度も挨拶なんてしたこと無かったのに。
「えっと……何か用事?」
「ん?」
「何か用事あったんだよね?」
用事がなければ彼のような人が、私なんかに声を掛けてくることがあるはずないだろうと、そう尋ねれば、水戸くんは目を丸くした後に眉を下げて笑った。
「用がなきゃ話し掛けられたくない?」
「えっ……!?え、と、そういうわけじゃなくて、」
半分は嘘だった。やめて欲しい、という気持ちは少なからずある。
私のすぐ隣にしゃがみ込んだ水戸くん。さっきよりもずっと距離が近くて、反射的に身を引いてしまう。すぐ隣に彼が居ることも怖いし、普段、人の注目なんて浴びないのに隣に座り込む目立つ人物のおかげで、じろじろと見られてて、その目も怖い。その全てから逃げるように
顔を俯かせようとすれば、何だか楽しそうに水戸くんが笑うのを感じる。
あぁ、馬鹿にされてるんだろうな。こういうのは、今までに何度も経験がある。慣れたはずなのに、ちくりと胸が痛む。
「名前ちゃんってうさぎみたい」
う、うさぎ……?
全く想像もしてなかった言葉に顔をあげれば、想像していたような蔑むような表情はしていなくて、目尻をさげてとろりと穏やかに笑う水戸くんと目が合う。
「なんか名前ちゃん見てると、飼育小屋にいたうさぎ思い出すわ」
「は……、?飼育小屋……?」
「ほんと、名前ちゃん見てると飽きねーよな。んな、びくびくしなくても取って食ったりしねーって」
楽しそうに笑った水戸くんの骨ばった手が、ゆるく私の頭を撫でる。今まで経験のない事に、ガタンと大きく椅子を鳴らして身を引けば、彼はより一層、楽しそうに笑った。
どうすればいいのか分からず、石のように体を固まらせていれば、教室の扉辺りから「水戸〜、こっち来て〜!」と彼を呼ぶ派手な女の子の声。それに、1度ため息をついた水戸くんは「じゃあまた放課後」と腰を上げ、私の隣からやっと離れて行った。
水戸くんはもう隣に居ないのに、胸の音がうるさいくらいに、主張していた。
どういう思惑で私に声を掛けてきて、頭を撫でたんだろう。こんな教室の隅に居る地味女を彼は構いたがるんだろう。なんで、あんな穏やかな顔で、私を見るの。
いくら考えたって、何ひとつ答えは出ない。頭にはまだ、彼の手の感触が残っていてそこだけが熱を帯びているような気がした。
放課後の教室。ぱちん、ぱちん、とホッチキスの音が響く。
「学級委員って、ほぼ教師のパシリだよな」
私の向かいには、椅子をこちら側に向け、同じようにホッチキスの音を鳴らしてプリントを纏める水戸くんが居る。朝に、「放課後ね」と言った通り彼は帰ってしまうなんてことはなく、こうして一緒に教室で学級委員の仕事を一緒にしてくれている。
じっと見つめるような、水戸くんの視線を感じながらも、気付かない振りをしてプリントを纏めることだけに、意識を集中させた。
「水戸!なあにしてんのー?」
そんな声が聞こえてふと顔を上げれば、朝に水戸くんを呼んでたあの派手な女の子が居た。
「……学級委員の仕事」
「え?水戸まじでやってんの?」
「だったら何だよ」
猫撫で声の彼女に対して、聞いたことのないくらいの冷たい声で返す水戸くんに、自分が言われてるわけじゃないのに、びくりと肩が震えた。
少し目線をあげれば、冷たい目をした女の子と目が合った。蔑むような目が、じっと私を見下ろしている。
「てかさあ、水戸がやる必要なくない?」
「……は?」
「この子に頼んどけば?遊びに行こーよ」
「ね、いいよね?」と、綺麗な笑みを浮かべる女の子。ただ、拒否は許さないという圧がその綺麗な目に宿していて。
押し付けられることなんて、慣れてる。ここで私が頷けばそれで丸く収まるし、怖い思いもしなくて済む。
「……うん。私が、全部やる」
震える指先をぎゅっと握りしめて、小さい声で言葉を紡げば、女の子の嬉しそうな声が聞こえた。本当に、惨めだな、なんて我ながら笑えてくる。
「行かねえ」
「えっ?」
ぽつりと呟くように言った水戸くんに視線を移して、ひゅっと息を飲む。彼は、眉寄せて険しい表情をしていたから。
「行かねえって言ったの聞こえなかった?まじで邪魔だからどっか行ってくんね?」
今まで聞いたことない低く冷たい声だった。彼がなんで怒ってるのか、というか、何故この子と行かないのか。なんで、が頭の中に埋め尽くされる。
困惑した気持ちを抱えながら、ぼんやりと水戸くんを見つめていると、いつの間にか女の子は教室から居なくなっていた。
「……あのさ、なんで断んなかったの?」
「えっ……」
「この量、一人でやるとか無理に決まってんだろ」
「っ、で、でもっ……」
「うん、何?」
私に対して怒っているわけではないんだろうけど、今までには無い強い口調に少しの怖さを感じて声が震える。
「……俺さ、なんかした?名前ちゃん、ずっと俺にビビってるだろ」
「そ、れは……」
「女の子には基本優しいつもりなんだけどな」
寂しそうに呟く水戸くん。でも、その声色はさっきとは比べ物にならないくらい優しくて、どれが本当の彼なのか、わからなくなる。
「昨日言ったじゃん。ちゃんとやるし、俺ら2人で学級委員だろ?」
「だから1人でしなきゃとか思わなくていい」と、優しい声と表情の水戸くんに、胸の奥で冷たくなっていた何かが、溶かされるような感覚がする。
今まで一人でしなきゃって、頼まれたら断っちゃだめだって、そう思ってた。それに、こんな風に言っててくれる人も初めてで。だからこそ、彼の言葉が純粋に嬉しかった。それだけで、頬が緩むなんて単純すぎるだろうか。
「……ありがとう」
「え、」
水戸くんが、息を飲んだ音がよく聞こえた。その音に釣られるように、顔をあげれば頬を赤く染めた彼と目が合う。
「前から思ってたけど、やっぱ可愛い」
「なっ、え?」
「そんな顔見せられたら、本気出したくなんだけど」
彼の言葉を理解する前に、彼の大きい手によって優しく握られた私の手。男の子に触れられるなんて経験は、私には勿論なくて、思考は簡単に停止した。
「俺のこと、怖いとかもう思わせないよ」
「あ、あの、水戸くんっ……」
「ぜってー好きにさせるから、覚悟してて?」
そう甘く囁くように言った水戸くんは、いたずらっ子のような笑みを浮かべていた。
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2024.03.10
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