掌編

迎え火


 八月十三日。今年もこの日が来てしまった。私は虚ろな目で仏壇を見詰めていた。両親が亡くなって、早数年。毎年迎え火をやる日が来る度、全身が鉛のように重くなった。

 両親どちらとも、私は好きではなかった。

 幼少期は勝手に私物を捨てられ、怒ると逆上し、更に何かしら捨てられてしまっていた。思春期の頃になると、私の部屋には勉強机と学校関連の物。それと私服が数着程しか残っていなかった。お小遣いすら与えられなかったので、友人とどこかに出かけた記憶がひとつもない。

 高校はアルバイトが禁止されていたし、卒業後は短大に行ってしまったせいで、そもそもの話勉学以外に時間が割けなかった。周りの子達が携帯電話でメールのやり取りをしているのを、ぼんやりと眺めていたあの頃。何故私だけ普通の子が手に入れられるものが、手に入らないのだろうと疑問に思っていた。

 社会人になり、初めてのお給料で携帯電話を買おうとした。けれど、その頃にはスマートフォンが主流になっていたので、店員におすすめは出来ないと言われた。私は誰かに逆らう事が苦手だった。だから、店員に言われるがまま、スマートフォンを購入したのだ。

 結局、あの時欲しかった物は、手に入れられなかった。

 自由になるお金が手に入っても、私は家を出ようとは思わなかった。両親は苦手だ。だけども、誕生日には毎年ケーキを用意してくれたし、成人式には綺麗な振袖を着させてくれた。それだけで愛されているのだと思っていた。

 ある日職場であるデイサービスで、両親くらいのお婆さんに声をかけられた。話を聞くに、どうやら私は娘に似ているらしい。そこから、毎日そのお婆さんに声をかけられるようになった。

 お婆さんは、とても優しかった。きっと娘の事も優しく大事に育てたのだろう事は、すぐに理解できた。私の両親とは真逆だと、一歩離れた私が言っているのを感じた。もし、このお婆さんの本当の娘だったら、私はもっと幸せな人生を歩めていたのかもしれない。

 ある日言われたのだ。娘も私と同じように、夢を叶えたと。私は介護職につきたくはなかった。乾いた笑いが漏れる。すぐにいつもの貼り付けたような笑みに変え、それは凄いですねとだけ返すしか、あの時の私には出来なかった。

 進路は一度だって私自身で決めたことはない。全て両親が決めていた。介護職の道を示されたのも、いずれ自分たちの介護をしてもらう為だった。本当だったら、私は調理師を目指したかった。でも、そんな事を言ってしまえば、何を言われるか分からない。怖くて、本当の事なんて言えなかった。

 この仕事に就いてから、両親に少しだけ感謝をした。こんな私を必要としてくれる人が沢山いるのだ。学生の頃、ずっとひとりぼっちだった私には考えられない事だった。

 両親が歳をとり、介護が必要な年齢へとなってからは地獄だった。幸い、どちらも認知症にはならなかった。それは良かったのだが、両親の態度は身に余るものが多々あった。毎日、あと少しの辛抱だと思い、仕事相手と思い込みながら耐えていた。そんな矢先、母親が先に亡くなった。最期の時でさえ、母親は自分の事しか考えていなかった。私に一言でも良いから感謝をして欲しかった。父親を看取る時も、同じだった。

 私は幼い頃からずっと両親の言う事を聞いてあげていたのに、両親はたったの一度も私に感謝の言葉を投げかける事はなかった。

 おがらを持っていた手に、力が入った。そのまま、力任せに折る。仏壇周りの事は全て終わっていた。そのまま私は庭へと出て、丸めた新聞と、先程折ったおがらを焙烙皿へと置く。ご先祖さまの為に、門扉を開け、玄関の扉を開け放つ。いよいよ迎え火を始める。チャッカマンで新聞に火をつけると、瞬く間に燃え広がった。

 そんな炎を、私はじっと眺めていた。不意に、煙が私の方へと来る。吸い込まないよう息を止め、不愉快な顔を迎え火へ向けた。すると煙はまた別の方へと流れて行った。まるで、私の気持ちが分かっているかのような動きだった。そんな事を考えていた所で、焙烙皿の上の物が全て燃え尽きる。水をかけ、一応周りも濡らしておく。

 家の中へ入ると、迎え火をやる前とは違い、明らかに誰かがいるような感覚がした。毎年の事だと思いながら、私は仏壇へと向かい、お線香をあげた。

 今年も両親がいる時には食べられなかった、高級な食べ物を沢山食べる。敢えて両親に見せ付けるように食べるのが、私のささやかな復讐だった。死んだあなた達には食べられない物を口に含む瞬間。あの瞬間だけが、世界で一番幸せな人になれる時間だった。

 迎え火をやる前まで鉛のように重かった体は、この瞬間から毎年軽くなっていた。


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