アルチャコ短編集 ep.1

次の王国へ向かう旅の途中、アルペックとチャコは小さなホテルの一室に宿泊していた。
こぢんまりとした部屋の真ん中に立ち、気合を入れるかのようにそれぞれ利き手の袖を腕まくりする。まるでこれから決闘でも始めるかのような、真剣な面持ちで二人は向かい合いあっていた。

「ごめんな、チャコ。今日ばかりは負けられん……一番風呂はオレんもんや!」
「生憎だけど、アルがその気なら俺も負けられないかな。本気でやるよ?」
「よっし、負けた方が一番風呂な!いくでー!じゃんけん!」
「ちょっと待って!だから普通は勝った方が先じゃ……!」

一番風呂じゃんけんの結果は、アルペックがパーでチャコがチョキ。
アルペックルール発動で、本日の一番風呂の権利はアルペックのものになった。

「オレの勝ち!今日の一番風呂はオレがもらうけん、明日はチャコが先な!」
「まったく、アルってば……本当は順番なんてどっちでも良いのに」
「うん?どうしたん、チャコ?」
「なんでもないよ、アルは優しいなって思っただけ」
「よう分からんけんど、やっぱしチャコは褒め上手やな!」

理由は分からないが、自分を褒めてくれたチャコの言葉にご満悦になったアルペックは、ふんふんと鼻歌交じりに浴室へ向かった。お風呂場の蛇口を捻り、ゆっくりとバスタブにお湯が貯まっていく様子を眺める。バスタブの三分の一までお湯が到達したことを確認すれば、開いた蛇口をそのままに浴室を後にした。
居室へ戻ると、アウターを脱いでいつもよりもラフな格好になったチャコが、二つ並んだシングルベッドの片方に腰掛けていた。アルペックが戻ってきたことに気が付いたチャコは、おかえり?という言葉と共にふわりとこちらへ微笑みかけてくる。……可愛い。普段クールでかっこいいチャコが、たまに見せてくれるこの笑顔にアルペックは心底弱かった。思わず緩んでしまいそうになる表情を慌てて引き締める。何食わぬ顔で空いているもう片方のベッドに近づいたアルペックは、チャコと向かい合うように腰を下ろした。

「ただいま!お湯貯まったらすぐ入るけん、順番ちょっと待っててな?」
「別にすぐ入りたいって訳じゃないから、ゆっくりで良いよ?待ってる間にスケボーの手入れとか出来るし」
「うーん。ゆっくり入れるのは嬉しいけど……でもオレは、早く上がってチャコと今日あった事とか明日の話がしたい!お湯貯まるのも待てん!脱ぐ!!」
「えっ、ここで脱ぐの?風邪引くからせめてお湯貯まるまでは服着てて!」

チャコがそう言い終えるよりも先に、ベッドから勢いよく腰を上げたアルペックは、次々と服を脱いで足元に落としていく。シャツを脱ぎ終え、上半身裸の状態でズボンのウエストに手をかけた時、ふと隣のベッドの方から視線を向けられていることに気が付いた。

「どうしたんだ?チャコ。オレの顔に何か付いてる?」
「あっ、いや、なんでもないよ?」

急に声をかけられたせいで動揺しているのだろうか。ばつが悪そうに曖昧な笑みを浮かべたチャコが、サッとアルペックから視線を逸らす。本当に?と窺うようにチャコの顔をアルペックがじっと覗き込めば、観念したようにチャコは小さくため息をつき、何故か照れくさそうな表情をしながらおずおずとアルペックと視線を合わせた。

「あのさ、アルって脱いだらすごいって言われたことない?」
「へ?」
「変な意味じゃないからね?その、思ってたより逞しくて驚いただけで……」

どうやらチャコが見つめていたのはアルペックの顔ではなく、上半身のようだ。ちらりと自身の身体へ目を向けてみる。特別トレーニングは行なっていないが、釣りやダンスや畑仕事など、日頃からアクティブに身体を動かし走り回っているアルペックの身体にはしっかりと筋肉が付いていた。

「今まで服着てるところしか見たことなかったから、すごいなーって少し見てただけ」
「そうか?特に何もしてないんだけどなあ」
「……あのさ、ちょっとだけアルの身体触ってもいい?」
「えっ!?」
「俺の身体が筋肉付きにくいから、触ったらどんな感じなのか気になって。ダメ……?」
「いつでも良いけん!好きなタイミングでどうぞ!!」

ベッドに座ったまま確認してくるチャコは自然と上目遣いになっていて、思わずアルペックはごくりと生唾を飲む。そげな表情でお願いされち断るわけねえ!と言いたい気持ちを抑えながら、アルペックはチャコの目の前に立って両腕を広げた。

「これで鍛えてないんだよね?すごいね、アル」
「お、おお!すごいんか分からんけんど、ありがとな!」

ぺたぺたと遠慮なく腹筋や二の腕に触れてくるチャコの手付きに、アルペックの心臓がバクバクと喧しいくらい騒ぐ。いくらチャコが筋肉だけに興味を持ってアルペックの身体に触れていたとしても、好きな相手から身体に触れられているアルペックからしたら、今の状況は一大事だ。チャコは友人の自分の筋肉に興味があるだけだ、じわじわと膨らんでくるやましい気持ちはしっかりと隠し通さなければならない。

「もう少し俺も筋肉付けたり鍛えようかな」
「あれ?前にトレーニングしとるってチャコ言ってなかったか?」
「うん、トレーニング自体はしてるんだけどね?なかなか筋肉が付きにくくてさ。シーズの力も強くなってきているし、もう少しハードにした方が良いかなって」
「うーん、そんなに筋肉って必要か?今のチャコなら十分戦えてると思うけど」
「戦うっていうか……恥ずかしいけど、たまにシーズの攻撃で吹き飛ばされた時に、俺がよろけてアルが支えてくれることもあるし。もう少し逞しくなりたいかな」

思わぬ言葉に驚いたアルペックは、チャコのつむじへと視線を落とす。柔軟に何でもそつなくこなしているチャコがそんな悩みを抱えていたとは思いもしなかったし、この話を自分にしてくれたことがとても嬉しかった。ふわふわと柔らかなチャコの髪にそっと触れてみる。何か言われるかと思いきや、チャコはピクリと小さく反応を示しただけで何も言わなかった。丸い頭を優しく撫でながら、アルペックは口を開いた。

「チャコがもっと頑張りたい、逞しくなりたいって思うならオレは応援するし、トレーニングにも付き合わせてほしい!チャコがやりたいように頑張るのが一番だと思うんよ」
「うん」
「でもな、シーズと戦ってる時のチャコを見てるとやっぱすげー!ってなるし、チャコの戦い方って今までパルクールとかスケボーとかで鍛えられてきたチャコの身体だから出来ることだと思うんよ!やけん、応援はするけど今のチャコの身体もすごいってこと忘れないでほしい!」

滑らかな動きで軽やかに駆け、空へと高く跳ぶ。あの動きはチャコの身体だからこそ出来ることだと思う。チャコからすればアルペックの身体はすごいのかも知れないし、もっと逞しくなりたいチャコの意思はもちろん尊重したいが、今のチャコだから出来ることがあるということを伝えておきかった。

「俺のこと考えてくれてありがと?どうするかは、もう少し考えてみるよ」
「うんうん!そのままのチャコもすごいし、もっと頑張ろうって思ったチャコもすげー!」
「あははっ、大袈裟だって」
「うおー!チャコ頑張れ!オレも頑張る!」
「あっ、ちょっと!そんなに頭撫でなくていいから!」

わしゃわしゃとチャコの頭を撫でれば、子どもじゃないんだけど!と抵抗する声が聞こえてくる。頭を撫でる手の動きを緩めてチャコの表情を窺えば、頬を赤らめながら少々不服そうな顔をしていた。

「それにしても、筋肉が付きにくいって言っても全くないわけじゃねえやろ?見たわけじゃねえけん想像やけど」
「まあ、それはそうだけど。というか、アルも俺の身体見てみる?」
「え?」
「俺だけアルの身体触らせてもらったんじゃフェアじゃないし……ほら、好きにしていいよ?」

アルペックが言葉の意味を理解しようと頭を働かせていた束の間、ベッドに腰掛けたままのチャコが自身の着ているパーカーの裾を胸下辺りまで捲り上げた。普段隠されている雪のように白い肌が惜しげもなく晒され、淡い電燈の光に照らされている。窺うようにこちらへ視線を送るチャコの表情は少しだけ挑発的にも見える。しかし、ちょっぴり期待と緊張が入り交じっているようにも見えるのは、アルペックがそうであってほしいと思うが故だろうか。

「ちゃ……あの、チャコ?風邪引くけん、な?」
「それ、上半身裸の人が言うセリフ?」

いいよ?と微かに口元に笑みを浮かべたチャコの綺麗な顔から、ゆっくりと視線を下げていった。アルペックより一回りは細そうな腰回りと、引き締まった薄い腹部が目に入る。まずい、心臓破裂するかも。絶対に触るだけで終わりにできる自信がない。誘惑に負けて思わず伸びてしまいそうになる自身の両手を強く握り締めたアルペックは、ぶんぶんと首を横に振る。無自覚の据え膳は食べたらいけん!自分が脱いだ衣服が足元に散乱していることを忘れたアルペックは、一歩後ずさった。——これがまずかった。

「おわ!?」
「えっ、アル?うわ!?」

足元の衣服に足を取られたアルペックが、大きく身体のバランスを崩す。為す術がないままアルペックがチャコに覆い被さるようにして、二人まとめてベッドの上に雪崩れるように倒れ込んだ。

「いてて、服脱いで置いといたの忘れとった……!チャコ、大丈夫か?怪我しちょらん?」
「怪我は大丈夫だけど……その、さすがにちょっと恥ずかしいから、退いてくれると助かるかな」

マットレスに手を付いてゆっくりと身体を起こしたアルペックは、慌ててチャコに声をかけた。怪我はないようで安心したが、恥ずかしいとは?そう思いながら目線を下げると、熟れた果実のように真っ赤に頬を染めたチャコが、眦にうっすらと涙を滲ませながらふるふると震えている姿が視界に飛び込んできた。倒れ込んだ拍子にチャコが捲っていたパーカーの裾を巻き込んでしまったのか、先ほどまで隠されていたはずの胸元までしっかり晒され、チャコはあられもない格好になっている。まるで自分がチャコを押し倒して、襲っているかのような状況になっていることに気が付いたアルペックは、顔が爆発してしまうのではないかというくらい顔が熱くなっていくのを感じた。

「ご、ごごごごごごめん!!!!!服に足取られただけで、うっかり魔が差してとかじゃねえけんな!?やましいこたあねえけん!安心し、いや無理だよな?本当にごめん!!」

ベッドから飛び降りたアルペックが、その場で深々と頭を下げる。少しして身体を起こしたチャコは、はにかんだような表情で何度か頷き、熱った頬を冷ますように自身の顔をぱたぱたと手のひらで扇いだ。

「別に事故みたいなものだし、大丈夫だよ。アルこそ怪我してない?」
「オレは大丈夫!本当ごめんな、チャコ。もう二度と脱いだ服は床に置かん……!」
「ふふっ、確かに床に服を置くのはやめた方が良いかもね?」

そう言って笑い合ったものの、すぐに沈黙が訪れる。今回の出来事はチャコの言う通り事故みたいなものだ。お互いに怪我もなかったことだし、あまり意識し過ぎない方が良いだろう。話題を切り替えようとアルペックが口を開いたその時、浴室の方からザバザバと嫌な音が聞こえてきた。

「あ!お湯貯めとったの忘れてた!」
「そういえば!もしかして溢れてる音じゃ」
「お湯止めてくる!ごめんチャコ!待っちょって!!」

バタバタとアルペックは浴室へ走っていく。水浸しになった浴室の床に足を踏み入れ、蛇口を閉めた。

「……さっきのチャコ、めっちゃ可愛かったなあ」

自分の下で頬を朱に染めていたチャコの表情を不意に思い出し、一度大人しくなった心臓が痛いくらいに高鳴るのを感じる。
ズボンの裾がずぶ濡れになるのもお構いなしに、アルペックは浴室の床にしゃがみ込み頭を抱えた。





アルペックが浴室へ慌ただしく駆けていくのを見送ったチャコは、再びベッドへ仰向けに倒れ込んだ。ぼんやりと天井を見上げるチャコの頭はふわふわしていて、めまいでも起こしているみたいにクラクラする。

「ちょっとやり過ぎた、かな?」

脱いだらすごいと思ったことや、トレーニングを増やすべきか悩んでいたことは本当だ。しかし、ちょっと触ってみたいという言葉は完全に下心によるもの。
魔が差した、とでも言うべきだろうか。

チャコがアルペックのことを好きになって、もうすぐ半年になる。自分のことを騎士仲間や友人としか見ていないであろうアルペックをどうしても振り向かせたくて、あれやそれやとアプローチを仕掛けてきたものの、今日まで全く手応えがなかったのだ。——そう、今日までは。

「……」

自分を押し倒した時のアルペックの表情を思い出す。動揺の中にうっすらと滲んだ欲を思わせる表情と、焦りの中に微かに熱を孕んだ真っ直ぐな瞳。

「少しは期待しても良いのかな、アル」

ほんの少しだけうわずった声で小さく呟いたチャコの言葉は、浴室で頭を抱えているアルペックの耳に入ることはなかった。
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