めでたしのその先へ
それは、突然のプロポーズだった。
「なあなあ、チャコ」
「んー?」
「あのな、その……オレと結婚してください!」
「……えっ、今?」
アルペックと恋人になって、もうすぐ三年。
お互いの王国を行き来しては他愛ない話に花を咲かせ、何気ない日常の延長のようなデートを楽しむ。
穏やかで、でも賑やかな……アルペックと過ごす、あたたかな時間。
恋人との変わらない関係が、この先もずっと続いていけば——アルペックと肩を並べて過ごすたび、チャコは密かにそう願っていた。
しかし——突然、その日はやってきた。
「えーっと、健康?」
「結婚!」
「結構?」
「結婚!」
急に告げられたプロポーズの言葉に、頭の中が真っ白になった。
真剣な面持ちのアルペックが、真っ直ぐチャコを見つめている。
——なにか。なにか返事をしなければ。
そう焦るほど、喉まで込み上げた言葉は声にならず、ただ胸だけが熱を帯びていく。
何も言えないまま押し黙っていると、チャコの正面から遠慮がちな低い声が響いた。
「……お前ら。俺たちが居るの、忘れてねぇだろうな」
視線を向けると、円卓の向こう側で居心地の悪そうな表情をしながら椅子に腰掛けるバドバルマの姿が目に入った。
その隣では、ハンギョンがやけに機嫌良さそうな笑みを浮かべている。
「あー、その、なんだ。仲がいいのは良いことだが、そういう大切な話は——」
「良いじゃないですかぁ〜!タッサムさんとピケロさんが到着するまで時間もありますし。それに……とーっても面白そうですし!」
「どう考えても面白そうで俺たちが聞いていい話じゃねぇだろ!ハンギョン!」
「まあまあ、お茶でも飲んで一旦落ち着きましょ?アルペックさんとチャコさんもいかがです?」
にこにこと笑顔のハンギョンが、大きくため息をついたバドバルマを宥めるように茶杯を手渡している。
チャコが返事をするよりも先に、たっぷりとお茶を注がれた茶杯が目の前に置かれた。
「……ありがと」
ゆっくりと茶杯を持ち上げてお茶をひとくち含めば、すっきりとした香りが鼻を抜けた。
このお茶は、今回の円卓会議の開催地——ハンギョドン王国の名産品なのだろう。この国を訪れるたびに、ハンギョンは毎回違ったお茶をご馳走してくれている。
お茶の風味を楽しんでいると、「それで……」とハンギョンが円卓の向こうから身を乗り出してきた。
「チャコさん、どうされるんです?」
「えっと……何が?」
「嫌ですね〜プロポーズですよ!プロポーズ!アルペックさんから結婚の申し込み、されてましたよね?」
「あ、うん」
「アルペックさん、チャコさんからの返事が気になってお茶どころじゃないみたいですよ〜」
ハンギョンの言葉を耳にしたチャコは、隣に座るアルペックの様子をちらりと伺う。
チャコの分と一緒に先ほどハンギョンが淹れていたお茶は、アルペックの目の前に手つかずのまま置かれていた。
「あのさ、アル。まずは、その……ありがとう、嬉しかったよ。——っていうのを前提として、いくつか質問してもいい?」
「もっちろん!なんでも聞いて!」
「ありがと。えーっと、一番聞きたいことなんだけど……その、なんで今?」
「へ?」
チャコの言葉を耳にしたアルペックが素っ頓狂な声を上げる。
「あまりにも急というか。会議が始まるまで待機してようって、円卓に座ってぼーっとしてたところだったし」
「正確にいうと、研究に没頭しすぎて出発が遅れたピケロさんと、迎えに行ったタッサムさんの到着を待っていたところ……ですね〜」
「そうだね。——とにかく、いきなりすぎてびっくりしたというか。なんでこのタイミングで伝えてくれたの?」
最初は目を丸くしていたアルペックだったが、その表情は次第に照れくさそうなものへと変わっていく。
返事を待ちながら様子を窺っていると、おずおずとアルペックは口を開いた。
「チャコ、今朝一緒に朝ごはんを食べてた時に言っただろ? 『誰かと一緒に食べる朝ごはんも良いね』って」
「一緒に……?」
「朝ごはんを……?」
アルペックの言葉に、バドバルマとハンギョンがそろって反応する。
「おやおや」と呟いたハンギョンにいたっては、どうやら何かを察してしまったらしい。
「そこ、気にしなくていいから。——話は戻るけど、たしかに言ってたね」
今朝の出来事を思い出す。昨夜はアルペックの家に泊まり、いろいろあって——そして今朝、一緒に朝ごはんを食べてから、二人でハンギョドン王国へ向かったのだ。
「チャコは覚えてないかもしれないけど……今までもオレと朝ごはんを食べるたびに、何回か同じことを言ってくれてたんよ。そのことをぼーっと思い出しながら、『オレもチャコと朝ごはん食べるの好きだな〜』って思って。そしたらさ、気づいたら『チャコと結婚したい』って思ってたんだ」
アルペックの言葉に耳を傾けるうちに、チャコの胸の奥がじんわりと熱くなる。
そんな何気ない一言を覚えていてくれたことが嬉しくて、驚きと同時に、なんだかくすぐったい気分になった。
「そんでな? 前にハンギョンとバドさんに、プロポーズするタイミングについて相談したことがあってさ。その時に、『チャコと結婚してぇ〜!って思った時が、一番いいタイミングだ』って教えてもらったんだ!やけん、さっき思い切ってプロポーズしたんよ!」
「……ハンギョンと、バドさん?」
黙って話を聞いていた二人へ視線を向ける。おやおや?と笑みを浮かべるハンギョンの隣で、バドバルマは何かを思い出したように「ああ!」と声を上げた。
「そういや一カ月くらい前に相談に来たな!いざ有言実行するってのはなかなか大変なことだ。凄いじゃねぇか、アルペック!」
「へへ!バドさんとハンギョンのおかげで勇気出た!」
「ちょっと待って、俺が居ない場所でそんな話してたの?」
「まぁ、そうなるが……。逆に、プロポーズの相手がいる時に話せる内容じゃなくねぇか?」
そうかもしれない、と思いつつ、チャコは渋々頷いて返事をする。
「それに、今日はオレの誕生日だし!一歩踏み出すのに最高の日だと思って!」
「誕生日プレゼントにチャコさんをください!って意味でも素敵で良いですね〜!」
誇らしげに笑うアルペックに、ハンギョンが拍手で応える。
そう、今日はアルペックの誕生日だ。
円卓会議が終わった後は、アルペックの誕生日を祝うためにラーメン屋へ行くことになっている。それに、夜は彼の住む王国で開かれる誕生日パーティーに参加する予定だ。
朝食を食べながら「楽しみだね」と笑い合っていた、つい数時間前の穏やかなひととき。それがチャコには、まるで昨日の出来事のように遠く感じられた。
(——アルがプロポーズしてくれた理由は分かった、けれど)
それで話が終わるわけではない。むしろ、今度は別の問題がチャコの前に立ちはだかった。
「アル、話してくれてありがとう。それで、返事なんだけど……ごめん」
「ええええ!?」
三人分の驚嘆の声が部屋に響く。
苦笑しながら隣へ顔を向けると、アルペックはまるで酸素を求める魚のように、口をぱくぱくと開閉させていた。
「恋人のままじゃダメ?」
「だっ、そ……えっ……と」
断られるとは思ってもいなかったのだろう。
困惑した表情のまましばらく口籠っていたアルペックは、やがて意を決したようにこちらへ向き直ると、ゆっくりと口を開いた。
「その、チャコが結婚は無理な理由……教えてくれる?」
「理由……」
今度はチャコが口籠る。
もちろん理由はある。だが、それを正直に伝えられるほど、今のチャコは素直になれなかった。
「手続きとか大変だし」
「えっ!そうなのか!?」
「アルペックさんとチャコさん、それぞれの王国で婚姻に関する書類を出せばすぐに済みますよ〜」
ハンギョンの声が、すかさず円卓越しに飛んでくる。
じとりとそちらへ視線を向けると、ハンギョンはにっこりと愉しげな笑みを浮かべていた。
「住む場所とか……」
「オレの国とチャコの国の国境に、新しく家建てれば大丈夫!」
「新しい家か……良いじゃねぇか!俺も手伝うぜ!」
「ありがとなぁ!バドさん!」
今度はバドバルマの明るい声が飛んできた。
慌てるチャコを余所に、アルペックたちは「どんな家がかっこいいか」などと楽しげに話を弾ませている。
このままでは埒が明かない——すっかり観念したチャコは、小さく息をついて椅子から立ち上がった。
「アル、こっちきて」
「えっ?チャコ?」
「いいから」
アルペックの左腕を掴んだチャコは、有無を言わせず引っ張るように歩き出す。
一度だけ振り返り、「ちょっと待ってて」と同席していた二人へ声をかけると、そのまま廊下へ出た。
「ちゃ、チャコ?」
アルペックの腕を引いたまましばらく廊下を歩いていると、不意に見覚えのある廊下へとたどり着いた。
チャコたちが初めてハンギョドン王国を訪れた時、アルペックと二人きりで話をした場所だ。
懐かしい——そんな思いが胸をよぎる。足を止めたチャコは、後ろを歩いていたアルペックへゆっくりと向き直った。
「アル、この場所のこと……覚えてる?」
確かめるようにアルペックの顔を覗き込みながら、小さく首を傾げる。
一瞬、懐かしそうに目を細めたアルペックは、迷いのない様子で大きく頷いた。
「ここ、初めてハンギョドンさんの国に来た時に、チャコと二人で話した場所だよな?なんか懐かしいなぁ」
出会って間もない頃のことを思い返し、懐かしさに胸が満たされる。
静かな沈黙が二人を包む。やがてチャコは覚悟を決めたようにアルペックを見つめ、静かに口を開いた。
「プロポーズのこと、だけど」
「……うん」
話の続きを待つように、アルペックの双眸が真っ直ぐにこちらを見つめている。
太陽の光を宿したようなあたたかな瞳は、何も急かさず、ただ静かにチャコを待っている。その眼差しにそっと勇気づけられ、チャコはぽつりぽつりと話し始めた。
「——もしもの話。この先アルと喧嘩とかして、『やっぱり別れよう』ってなったとするよ」
「うん……?」
「恋人同士なら『じゃあ別れようか』で終わると思う。でも、結婚したらそんな簡単には済まないと思うんだ」
「うん?」
「それに、もし本当に別れることになったら、恋人同士なら友達に戻れる可能性もあるかもしれない。でも、離婚ってなると……アルとの関係が全部終わっちゃうような気がして、その——」
「ちょっと待って! ストップストップ!」
突然、アルペックの大きな声で話を遮られる。
目を丸くするチャコの両肩に、アルペックは慌てたように手を添えた。
「ぜんっっっっぜん!チャコと別れるつもりねえんやけど!?」
「えっと、例え話だよ」
「例えでもないないない!絶対ない!オレ、チャコと離れるつもりなんて、これっぽっちもない!」
チャコの名前を呼びながら肩を揺さぶってくるアルペックから一歩身を引き、距離を取る。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したアルペックへ改めて向き直ると、チャコはにこりと笑みを浮かべた。
「結婚しても、それで『めでたしめでたし』では終わらないんだよ、アル。何がきっかけで離れることになるかなんて分からないし」
もしかしたら、『結婚』をきっかけに、今の関係が少しずつ形を変えてしまうかもしれない。
だったら、自分たちの関係に新しい名前をつけるよりも、今のアルペックとの関係を変わらず大切にしていたい——そう思ってしまうのだ。
チャコの言葉を聞いたアルペックは、視線を床に落とし押し黙っている。
それでも、迷いを振り払うように首を横へ振ると、チャコの両手をしっかりと握った。
「チャコの言うとおり、結婚した後に何かが変わって、もしかしたら喧嘩とかするかもしれない。でも、喧嘩したってちゃんと仲直りして、チャコとずっと一緒にいたいって思うんよ!『めでたし』なんかで終わらせない。オレは、めでたしのその先もずっとチャコと歩いていきたいんよ。やけん……オレと結婚してください!」
握られていた手が離れ、代わりにきつく抱きしめられる。
驚きのあまりしばらく立ち尽くしていたチャコだったが、じわりと頬に熱が集まっていくのを感じた。
恐る恐るアルペックの背中へ腕を回し、その温もりを確かめるように抱き返すと、ぽつりと口を開いた。
「……俺が浮気しても、絶対に別れないって約束してくれる?」
「えっ!?」
「あははっ、冗談だよ」
「びびった〜!」
「ごめんごめん」
「ちゅうか、オレたち喧嘩したことねえやん!」
「そう言われてみると、たしかに……?」
ゆっくりと身体を離し、互いの顔を見合わせて笑い合う。
どちらからともなく顔を近づけると、やがて静かに唇を重ねた。
名残惜しさを覚えながらそっと唇を離す。照れくさそうに笑うアルペックを見つめ、チャコは思わず口元を緩めた。
——浮気なんて、できるわけないじゃん。
そんな言葉を胸の中でそっと呟き、小さく笑った。
「バドバルマとハンギョンが待ってるし、そろそろ戻ろうか。ピケロとタッサムも到着してるかもしれないし」
「そうだな!」
会議室へ戻るため、アルペックと肩を並べてゆっくりと歩き始める。
歩みを進めるうちに、チャコの右手はアルペックの左手にそっと握られ、絡み合った指先はいつの間にか恋人繋ぎになっていた。
……そういえば、アルペックに伝え忘れていたことがある。
ぴたりと足を止めると、不思議そうな表情を浮かべたアルペックがこちらを振り返った。
「——アル、俺と結婚してくれる?」
返事はもう分かりきっている。
それなのに、チャコの胸は落ち着くどころか、期待と緊張でどきどきと騒いでいる。
大きく目を見開いたアルペックは、嬉しさを隠しきれないようにたちまち満面の笑みを浮かべると、「もちろん!」と力強く答えた。
会議室に戻ると、そこには変わらずバドバルマとハンギョンの二人だけが座っていた。
十数分前と変わらない場所でお茶を嗜みながら、険しい表情で何やら話し込んでいる。
チャコたちが戻ってきたことに気づいたハンギョンは、アルペックと繋いだチャコの右手へふと視線を落とすと、すべてを悟ったようににっこりと笑った。
「恋人と出て行って、婚約者と帰ってきた——ってやつですね。アルペックさん、最高の誕生日になりましたね〜!」
「おー!ありがとな、ハンギョン!」
円卓へ向かいながら、アルペックは空いている右手を嬉しそうにぶんぶんと振る。
その勢いのままバドバルマとハンギョンにハイタッチを交わし、ちらりとチャコへ視線を向けると、満面の笑みを浮かべた。
「一時はどうなるかと思ったが、無事着地したようで安心したぜ……よかったな。アルペック、チャコ!」
「ありがとな、バドさん!」
「ありがと」
突然部屋を出ていった自分たちのことを気にかけてくれていたのだろう。
先ほどの険しい表情とは打って変わって、ほっとしたような表情で声をかけてきたバドバルマに、チャコは笑いかけた。
「会議の後はアルペックさんの誕生日のお祝いでラーメンの予定でしたが、この際ですし……お二人の婚約祝いのパーティーも兼ねて盛大にやっちゃいましょう〜!」
「そうと決まれば、タッサムとピケロにも連絡だな!アルペックとチャコは何食べたいかしっかり考えとけよ?」
「うお〜!楽しみだな、チャコ!夜はオレの国でパーティーだし、パーティーだらけだ!」
「ふふ、そうだね」
繋いでいた指先が離れ、肩をぎゅっとアルペックに抱き寄せられる。
——アルペックとの結婚で、この先どんなことが待っているのだろう。
正式な書類はまだ提出していないし、主たちへの報告もこれからだ。住んでいる王国も違う。アルペックが言っていたように国境に家を建てるとしても、きっと簡単なことではない。それに、フラガリアの騎士である自分たちが結婚して一緒に暮らすことになれば、乗り越えなければならないこともあるだろう。考え始めれば、課題はいくらでも思い浮かぶ。
それでも——アルペックとなら、絶対に大丈夫。
根拠なんて何もない。それでも、今のチャコは心からそう思えた。
「なあなあ、チャコ」
「んー?」
「あのな、その……オレと結婚してください!」
「……えっ、今?」
アルペックと恋人になって、もうすぐ三年。
お互いの王国を行き来しては他愛ない話に花を咲かせ、何気ない日常の延長のようなデートを楽しむ。
穏やかで、でも賑やかな……アルペックと過ごす、あたたかな時間。
恋人との変わらない関係が、この先もずっと続いていけば——アルペックと肩を並べて過ごすたび、チャコは密かにそう願っていた。
しかし——突然、その日はやってきた。
「えーっと、健康?」
「結婚!」
「結構?」
「結婚!」
急に告げられたプロポーズの言葉に、頭の中が真っ白になった。
真剣な面持ちのアルペックが、真っ直ぐチャコを見つめている。
——なにか。なにか返事をしなければ。
そう焦るほど、喉まで込み上げた言葉は声にならず、ただ胸だけが熱を帯びていく。
何も言えないまま押し黙っていると、チャコの正面から遠慮がちな低い声が響いた。
「……お前ら。俺たちが居るの、忘れてねぇだろうな」
視線を向けると、円卓の向こう側で居心地の悪そうな表情をしながら椅子に腰掛けるバドバルマの姿が目に入った。
その隣では、ハンギョンがやけに機嫌良さそうな笑みを浮かべている。
「あー、その、なんだ。仲がいいのは良いことだが、そういう大切な話は——」
「良いじゃないですかぁ〜!タッサムさんとピケロさんが到着するまで時間もありますし。それに……とーっても面白そうですし!」
「どう考えても面白そうで俺たちが聞いていい話じゃねぇだろ!ハンギョン!」
「まあまあ、お茶でも飲んで一旦落ち着きましょ?アルペックさんとチャコさんもいかがです?」
にこにこと笑顔のハンギョンが、大きくため息をついたバドバルマを宥めるように茶杯を手渡している。
チャコが返事をするよりも先に、たっぷりとお茶を注がれた茶杯が目の前に置かれた。
「……ありがと」
ゆっくりと茶杯を持ち上げてお茶をひとくち含めば、すっきりとした香りが鼻を抜けた。
このお茶は、今回の円卓会議の開催地——ハンギョドン王国の名産品なのだろう。この国を訪れるたびに、ハンギョンは毎回違ったお茶をご馳走してくれている。
お茶の風味を楽しんでいると、「それで……」とハンギョンが円卓の向こうから身を乗り出してきた。
「チャコさん、どうされるんです?」
「えっと……何が?」
「嫌ですね〜プロポーズですよ!プロポーズ!アルペックさんから結婚の申し込み、されてましたよね?」
「あ、うん」
「アルペックさん、チャコさんからの返事が気になってお茶どころじゃないみたいですよ〜」
ハンギョンの言葉を耳にしたチャコは、隣に座るアルペックの様子をちらりと伺う。
チャコの分と一緒に先ほどハンギョンが淹れていたお茶は、アルペックの目の前に手つかずのまま置かれていた。
「あのさ、アル。まずは、その……ありがとう、嬉しかったよ。——っていうのを前提として、いくつか質問してもいい?」
「もっちろん!なんでも聞いて!」
「ありがと。えーっと、一番聞きたいことなんだけど……その、なんで今?」
「へ?」
チャコの言葉を耳にしたアルペックが素っ頓狂な声を上げる。
「あまりにも急というか。会議が始まるまで待機してようって、円卓に座ってぼーっとしてたところだったし」
「正確にいうと、研究に没頭しすぎて出発が遅れたピケロさんと、迎えに行ったタッサムさんの到着を待っていたところ……ですね〜」
「そうだね。——とにかく、いきなりすぎてびっくりしたというか。なんでこのタイミングで伝えてくれたの?」
最初は目を丸くしていたアルペックだったが、その表情は次第に照れくさそうなものへと変わっていく。
返事を待ちながら様子を窺っていると、おずおずとアルペックは口を開いた。
「チャコ、今朝一緒に朝ごはんを食べてた時に言っただろ? 『誰かと一緒に食べる朝ごはんも良いね』って」
「一緒に……?」
「朝ごはんを……?」
アルペックの言葉に、バドバルマとハンギョンがそろって反応する。
「おやおや」と呟いたハンギョンにいたっては、どうやら何かを察してしまったらしい。
「そこ、気にしなくていいから。——話は戻るけど、たしかに言ってたね」
今朝の出来事を思い出す。昨夜はアルペックの家に泊まり、いろいろあって——そして今朝、一緒に朝ごはんを食べてから、二人でハンギョドン王国へ向かったのだ。
「チャコは覚えてないかもしれないけど……今までもオレと朝ごはんを食べるたびに、何回か同じことを言ってくれてたんよ。そのことをぼーっと思い出しながら、『オレもチャコと朝ごはん食べるの好きだな〜』って思って。そしたらさ、気づいたら『チャコと結婚したい』って思ってたんだ」
アルペックの言葉に耳を傾けるうちに、チャコの胸の奥がじんわりと熱くなる。
そんな何気ない一言を覚えていてくれたことが嬉しくて、驚きと同時に、なんだかくすぐったい気分になった。
「そんでな? 前にハンギョンとバドさんに、プロポーズするタイミングについて相談したことがあってさ。その時に、『チャコと結婚してぇ〜!って思った時が、一番いいタイミングだ』って教えてもらったんだ!やけん、さっき思い切ってプロポーズしたんよ!」
「……ハンギョンと、バドさん?」
黙って話を聞いていた二人へ視線を向ける。おやおや?と笑みを浮かべるハンギョンの隣で、バドバルマは何かを思い出したように「ああ!」と声を上げた。
「そういや一カ月くらい前に相談に来たな!いざ有言実行するってのはなかなか大変なことだ。凄いじゃねぇか、アルペック!」
「へへ!バドさんとハンギョンのおかげで勇気出た!」
「ちょっと待って、俺が居ない場所でそんな話してたの?」
「まぁ、そうなるが……。逆に、プロポーズの相手がいる時に話せる内容じゃなくねぇか?」
そうかもしれない、と思いつつ、チャコは渋々頷いて返事をする。
「それに、今日はオレの誕生日だし!一歩踏み出すのに最高の日だと思って!」
「誕生日プレゼントにチャコさんをください!って意味でも素敵で良いですね〜!」
誇らしげに笑うアルペックに、ハンギョンが拍手で応える。
そう、今日はアルペックの誕生日だ。
円卓会議が終わった後は、アルペックの誕生日を祝うためにラーメン屋へ行くことになっている。それに、夜は彼の住む王国で開かれる誕生日パーティーに参加する予定だ。
朝食を食べながら「楽しみだね」と笑い合っていた、つい数時間前の穏やかなひととき。それがチャコには、まるで昨日の出来事のように遠く感じられた。
(——アルがプロポーズしてくれた理由は分かった、けれど)
それで話が終わるわけではない。むしろ、今度は別の問題がチャコの前に立ちはだかった。
「アル、話してくれてありがとう。それで、返事なんだけど……ごめん」
「ええええ!?」
三人分の驚嘆の声が部屋に響く。
苦笑しながら隣へ顔を向けると、アルペックはまるで酸素を求める魚のように、口をぱくぱくと開閉させていた。
「恋人のままじゃダメ?」
「だっ、そ……えっ……と」
断られるとは思ってもいなかったのだろう。
困惑した表情のまましばらく口籠っていたアルペックは、やがて意を決したようにこちらへ向き直ると、ゆっくりと口を開いた。
「その、チャコが結婚は無理な理由……教えてくれる?」
「理由……」
今度はチャコが口籠る。
もちろん理由はある。だが、それを正直に伝えられるほど、今のチャコは素直になれなかった。
「手続きとか大変だし」
「えっ!そうなのか!?」
「アルペックさんとチャコさん、それぞれの王国で婚姻に関する書類を出せばすぐに済みますよ〜」
ハンギョンの声が、すかさず円卓越しに飛んでくる。
じとりとそちらへ視線を向けると、ハンギョンはにっこりと愉しげな笑みを浮かべていた。
「住む場所とか……」
「オレの国とチャコの国の国境に、新しく家建てれば大丈夫!」
「新しい家か……良いじゃねぇか!俺も手伝うぜ!」
「ありがとなぁ!バドさん!」
今度はバドバルマの明るい声が飛んできた。
慌てるチャコを余所に、アルペックたちは「どんな家がかっこいいか」などと楽しげに話を弾ませている。
このままでは埒が明かない——すっかり観念したチャコは、小さく息をついて椅子から立ち上がった。
「アル、こっちきて」
「えっ?チャコ?」
「いいから」
アルペックの左腕を掴んだチャコは、有無を言わせず引っ張るように歩き出す。
一度だけ振り返り、「ちょっと待ってて」と同席していた二人へ声をかけると、そのまま廊下へ出た。
「ちゃ、チャコ?」
アルペックの腕を引いたまましばらく廊下を歩いていると、不意に見覚えのある廊下へとたどり着いた。
チャコたちが初めてハンギョドン王国を訪れた時、アルペックと二人きりで話をした場所だ。
懐かしい——そんな思いが胸をよぎる。足を止めたチャコは、後ろを歩いていたアルペックへゆっくりと向き直った。
「アル、この場所のこと……覚えてる?」
確かめるようにアルペックの顔を覗き込みながら、小さく首を傾げる。
一瞬、懐かしそうに目を細めたアルペックは、迷いのない様子で大きく頷いた。
「ここ、初めてハンギョドンさんの国に来た時に、チャコと二人で話した場所だよな?なんか懐かしいなぁ」
出会って間もない頃のことを思い返し、懐かしさに胸が満たされる。
静かな沈黙が二人を包む。やがてチャコは覚悟を決めたようにアルペックを見つめ、静かに口を開いた。
「プロポーズのこと、だけど」
「……うん」
話の続きを待つように、アルペックの双眸が真っ直ぐにこちらを見つめている。
太陽の光を宿したようなあたたかな瞳は、何も急かさず、ただ静かにチャコを待っている。その眼差しにそっと勇気づけられ、チャコはぽつりぽつりと話し始めた。
「——もしもの話。この先アルと喧嘩とかして、『やっぱり別れよう』ってなったとするよ」
「うん……?」
「恋人同士なら『じゃあ別れようか』で終わると思う。でも、結婚したらそんな簡単には済まないと思うんだ」
「うん?」
「それに、もし本当に別れることになったら、恋人同士なら友達に戻れる可能性もあるかもしれない。でも、離婚ってなると……アルとの関係が全部終わっちゃうような気がして、その——」
「ちょっと待って! ストップストップ!」
突然、アルペックの大きな声で話を遮られる。
目を丸くするチャコの両肩に、アルペックは慌てたように手を添えた。
「ぜんっっっっぜん!チャコと別れるつもりねえんやけど!?」
「えっと、例え話だよ」
「例えでもないないない!絶対ない!オレ、チャコと離れるつもりなんて、これっぽっちもない!」
チャコの名前を呼びながら肩を揺さぶってくるアルペックから一歩身を引き、距離を取る。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻したアルペックへ改めて向き直ると、チャコはにこりと笑みを浮かべた。
「結婚しても、それで『めでたしめでたし』では終わらないんだよ、アル。何がきっかけで離れることになるかなんて分からないし」
もしかしたら、『結婚』をきっかけに、今の関係が少しずつ形を変えてしまうかもしれない。
だったら、自分たちの関係に新しい名前をつけるよりも、今のアルペックとの関係を変わらず大切にしていたい——そう思ってしまうのだ。
チャコの言葉を聞いたアルペックは、視線を床に落とし押し黙っている。
それでも、迷いを振り払うように首を横へ振ると、チャコの両手をしっかりと握った。
「チャコの言うとおり、結婚した後に何かが変わって、もしかしたら喧嘩とかするかもしれない。でも、喧嘩したってちゃんと仲直りして、チャコとずっと一緒にいたいって思うんよ!『めでたし』なんかで終わらせない。オレは、めでたしのその先もずっとチャコと歩いていきたいんよ。やけん……オレと結婚してください!」
握られていた手が離れ、代わりにきつく抱きしめられる。
驚きのあまりしばらく立ち尽くしていたチャコだったが、じわりと頬に熱が集まっていくのを感じた。
恐る恐るアルペックの背中へ腕を回し、その温もりを確かめるように抱き返すと、ぽつりと口を開いた。
「……俺が浮気しても、絶対に別れないって約束してくれる?」
「えっ!?」
「あははっ、冗談だよ」
「びびった〜!」
「ごめんごめん」
「ちゅうか、オレたち喧嘩したことねえやん!」
「そう言われてみると、たしかに……?」
ゆっくりと身体を離し、互いの顔を見合わせて笑い合う。
どちらからともなく顔を近づけると、やがて静かに唇を重ねた。
名残惜しさを覚えながらそっと唇を離す。照れくさそうに笑うアルペックを見つめ、チャコは思わず口元を緩めた。
——浮気なんて、できるわけないじゃん。
そんな言葉を胸の中でそっと呟き、小さく笑った。
「バドバルマとハンギョンが待ってるし、そろそろ戻ろうか。ピケロとタッサムも到着してるかもしれないし」
「そうだな!」
会議室へ戻るため、アルペックと肩を並べてゆっくりと歩き始める。
歩みを進めるうちに、チャコの右手はアルペックの左手にそっと握られ、絡み合った指先はいつの間にか恋人繋ぎになっていた。
……そういえば、アルペックに伝え忘れていたことがある。
ぴたりと足を止めると、不思議そうな表情を浮かべたアルペックがこちらを振り返った。
「——アル、俺と結婚してくれる?」
返事はもう分かりきっている。
それなのに、チャコの胸は落ち着くどころか、期待と緊張でどきどきと騒いでいる。
大きく目を見開いたアルペックは、嬉しさを隠しきれないようにたちまち満面の笑みを浮かべると、「もちろん!」と力強く答えた。
会議室に戻ると、そこには変わらずバドバルマとハンギョンの二人だけが座っていた。
十数分前と変わらない場所でお茶を嗜みながら、険しい表情で何やら話し込んでいる。
チャコたちが戻ってきたことに気づいたハンギョンは、アルペックと繋いだチャコの右手へふと視線を落とすと、すべてを悟ったようににっこりと笑った。
「恋人と出て行って、婚約者と帰ってきた——ってやつですね。アルペックさん、最高の誕生日になりましたね〜!」
「おー!ありがとな、ハンギョン!」
円卓へ向かいながら、アルペックは空いている右手を嬉しそうにぶんぶんと振る。
その勢いのままバドバルマとハンギョンにハイタッチを交わし、ちらりとチャコへ視線を向けると、満面の笑みを浮かべた。
「一時はどうなるかと思ったが、無事着地したようで安心したぜ……よかったな。アルペック、チャコ!」
「ありがとな、バドさん!」
「ありがと」
突然部屋を出ていった自分たちのことを気にかけてくれていたのだろう。
先ほどの険しい表情とは打って変わって、ほっとしたような表情で声をかけてきたバドバルマに、チャコは笑いかけた。
「会議の後はアルペックさんの誕生日のお祝いでラーメンの予定でしたが、この際ですし……お二人の婚約祝いのパーティーも兼ねて盛大にやっちゃいましょう〜!」
「そうと決まれば、タッサムとピケロにも連絡だな!アルペックとチャコは何食べたいかしっかり考えとけよ?」
「うお〜!楽しみだな、チャコ!夜はオレの国でパーティーだし、パーティーだらけだ!」
「ふふ、そうだね」
繋いでいた指先が離れ、肩をぎゅっとアルペックに抱き寄せられる。
——アルペックとの結婚で、この先どんなことが待っているのだろう。
正式な書類はまだ提出していないし、主たちへの報告もこれからだ。住んでいる王国も違う。アルペックが言っていたように国境に家を建てるとしても、きっと簡単なことではない。それに、フラガリアの騎士である自分たちが結婚して一緒に暮らすことになれば、乗り越えなければならないこともあるだろう。考え始めれば、課題はいくらでも思い浮かぶ。
それでも——アルペックとなら、絶対に大丈夫。
根拠なんて何もない。それでも、今のチャコは心からそう思えた。
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