よいよい

小さな宿の一室に、間接照明のやわらかな明かりが灯り、二つの影が壁に揺らめいている。
ソファーに並んで腰掛けたアルペックとチャコは、酒の入ったグラスを片手に、のんびりと談笑していた——はずだった。

「アル、俺のこと好き?」
「当たり前やん!好き!」
「どのくらい好き?」
「しんけん好き!」
「ポチャッコ様の身長はラージサイズのバナナアイスのカップ4個分だけど、アルはかぼす何個分くらい俺のこと好き?」
「……へっ?」

二カ月ほど前から付き合い始めた恋人——チャコが、甘めのカクテルが注がれたグラスを片手に、じっとアルペックを見つめてくる。
かぼすが好きかどうかを聞かれた気がしたが、聞き間違いだろうか。

「えーっと……チャコ、もう一回言ってくれる?」
「うん、いいよ。アルは俺のこと、かぼす何個分好き?」
「かぼす何個分好き!?」

思わずオウム返しにすると、間違いないと言うように、チャコが小さく頷いた。
白い頬はほんのりと赤く染まり、綺麗な瞳は、わずかに潤んでいるようにも見える。
……めずらしく、酔っているのだろうか。

「チャコ、もしかして酔ってる……?」

かぼす酒の入ったグラスを目の前のローテーブルに置き、アルペックは隣に座るチャコの方へ上半身を向ける。
覗き込むようにして、その表情を窺った。

「んー……酔っ払っちゃったかも」

残り少なくなったカクテルを一気に煽り、チャコはローテーブルに空のグラスを置いた。
それから、控えめにアルペックの左肩へと凭れかかってくる。
アルペックは左手でチャコの頭をぽんぽんと撫でながら、右手でローテーブルに置かれたミネラルウォーターのペットボトルへ手を伸ばした。

「チャコ、水飲む?そろそろ寝とく?」
「……飲まない、寝ない」
「そっか、わかった!」

アルペックの返事を耳にしたチャコは、なぜか不服そうな表情を浮かべて身体を起こした。
アルペックは撫でていたチャコの頭からそっと左手を離し、手に取っていたミネラルウォーターのキャップを開ける。
一口飲んでキャップを締めていると、左手の袖をチャコに軽く引っ張られた。

「それより、答えは?かぼす何個分?」
「あっ、それならリヤカー100台分!チャコんことが、しんけん好き!」
「……ふふ、そっか」

満足そうに微笑んだチャコが、「リヤカー100台分……」と小さく呟いた。
その声につられるように、アルペックの口元にも自然と笑みが浮かぶ。
ペットボトルをローテーブルに戻し、アルペックはそっとチャコの身体を抱き寄せた。
おずおずと背中に両腕が回され、すりすりと甘えるようにチャコの額がアルペックの左肩に寄せられる。
普段よりも甘えたな恋人の仕草に、思わず頬が緩む。
胸の奥にじんわりと温かいものを感じながら、アルペックは静かに口を開いた。

「チャコは?オレのこと、どのくらい好き?」
「えっ」

アルペックの問い返しを耳にしたチャコが、ゆっくりと身体を離す。
顔を覗き込めば、驚いたように目を丸くしていた。

チャコは普段、あまり「好き」と口にしない方だ。
言葉にされなくても、チャコが自分のことを想ってくれていることは、もちろん分かっている。
けれど——。
酔いのせいか、今夜はいつもよりチャコとの距離が近い気がする。
この空気の中なら、普段は胸の奥に仕舞われているチャコの気持ちを、言葉として聞けるかもしれない。
そう思ってしまったアルペックは、どうしても聞かずにはいられなかった。

「チャコ?」
「……えっと」
「うん?」
「リヤカー100台分、好きだよ……?」
「おおー!オレがチャコのことを好きなのと同じくらい、チャコはオレのことが好きってことだな!」
「そうだね。というか、答え方、リヤカーの台数換算で合ってたんだ」

どうやらチャコは、「どのくらい」の部分をどう答えるべきか、ずっと悩んでいたらしい。
恋人からのおそろいの“好き”を受け取ったアルペックは、満足そうに笑みを浮かべた。
そして、照れくさそうにはにかむチャコの両肩に、そっと手を添える。

「チャコ、キスしていい?」
「っ、え」
「……いや?」
「……嫌じゃないけど、まだこういうの、慣れなくて」

そう言って、チャコはふいっと視線を逸らした。
友だちとして過ごしてきた時間は長いが、恋人としてはまだ二カ月ほどだ。
その照れくささもあって、キスをした回数もまだ余裕で片手に収まるくらいだった。

「そう言われてみると、たしかに……!」
「でしょ?」
「じゃあさ、これから練習していこう? そしたら、キスにも慣れるはず!」
「練習って……。——でも、そうだね」

小さく呟いたチャコが、じっとこちらを見つめてくる。
わずかに頬を赤らめたその姿に、「可愛いなぁ」なんて思っていると、チャコのまぶたがゆっくりと下りた。
きゅっと結ばれた柔らかそうな唇と、ふるりと揺れる長いまつ毛に、思わず見惚れてしまう。
肩に添えていた手のひらで、そっとチャコの頬を包み込み、アルペックはゆっくりと顔を近づけた。
——その時だった。

「……あれ、何か音しない?」

あと少しで唇が触れ合う、という距離で、チャコが小さな声で呟いた。
ハッとしたアルペックは慌ててチャコの頬から両手を離し、音源を探るようにきょろきょろと視線を彷徨わせる。

「たしかに……? これ、なんの音——って、オレの電話だ!」

ローテーブルの端に置いていたアルペックの携帯用端末のディスプレイが点灯し、着信を知らせるバイブレーションを響かせている。
端末に手を伸ばして画面を確認すると、そこには『ハンギョン』の文字が表示されていた。

「ハンギョンから? こんな時間に、めずらしいね」

アルペックの手元を覗き込んだチャコが、不思議そうに呟いた。
そもそも、ハンギョンからアルペックに電話がかかってくること自体、あまりない。
急ぎの用事だろうかと考えながら通話ボタンをタップし、続けてスピーカーに切り替えると、アルペックは再び携帯用端末をローテーブルの上に置いた。

「もしもーし? オレ、アルペック!」
「チャコだよ〜」
『ニーハオ〜! ハンギョンでーす! チャコさん、やっぱりアルペックさんといらっしゃったんですね〜!』

ハンギョンの明るい声が、携帯端末のスピーカーを通して部屋いっぱいに響き渡る。
突然名前を呼ばれたチャコは、怪訝そうな表情のまま、隣で小さく首を傾げていた。

「えっ、俺?」
『ええ。次の円卓会議でお渡しする書類について、確認がありまして。何度かチャコさんに連絡を入れていたんですが、反応がなく……もしやと思い、アルペックさんに連絡してみたんです。大正解でした〜!』
「ごめん、気づかなくて。それにしても……よく分かったね? この時間に俺がアルと一緒にいるって」
『ふふふ。ワタシの勘、けっこう当たるんですよ〜』

ハンギョンの笑い声を聞きながら、チャコが小さくため息をついた。
そして、身につけているパーカーのポケットから携帯端末を取り出し、手早く画面を操作し始める。
ものの三十秒ほどで操作を終えたチャコは、再び携帯端末をポケットに戻し、口を開いた。

「返信したよ。これでよろしく」
『後で確認しますね〜! ……そういえば、お二人は何をされてたんですか?』
「秘密」
「チャコとお酒飲んでた!」

アルペックとチャコの声が、ぴたりと重なる。
二人分の返事を受け取ったハンギョンは、「楽しそうですね〜!」と、どこか含みのある声で答えた。

「チャコがめずらしく酔っててさ。普段のチャコもしんけん好きなんだけど、今日のチャコは、なんか……いつもよりもっと、しんけん可愛くて!」
「アル! そういうのはいいから、別の話でも——」

チャコがそこまで口にした、その時だった。
スピーカーの向こうから、ハンギョンの「おや?」という声が響く。

『おかしいですね〜。チャコさん、酔う前にセーブできるから、あまり酔ったことがないって、前に仰ってましたけどね〜?』

おやおや、という愉しげなハンギョンの声が響き、数秒の沈黙が流れる。
アルペックは、そっとチャコの顔を覗き込んだ。
ぴたりと唇を閉ざしたチャコの頬が、みるみるうちに赤く染まる。
アルペックが声をかけようと口を開いた瞬間、さっと視線を逸らされた。

「チャコ、酔ってる……?」
「……すっごい酔ってる」
「チャコ、酔ったことないって……?」
「あ、なんだか急に眠くなってきたかも? おやすみ〜」
「ええっ!?」

勢いよくソファーから立ち上がったチャコは、そのまま足早に、窓際に置かれたダブルベッドへ向かった。
大慌てで追いかけたアルペックが声をかけるよりも早く、チャコはベッドに潜り込む。
そして、頭から布団を被りアルペックの視界から姿を消した。

「チャコー?」
「…………」
「チャ〜コ〜!」

布の塊と化したチャコの身体を、アルペックは布団ごと揺さぶった。
少し離れたローテーブルの方から、ハンギョンの「ではでは、サイツェン!」という元気な声が聞こえてくる。
どうやら電話は切られたらしく、それっきり声が聞こえてくることはなかった。

「チャコ〜! オレも寝るけん、布団開けて〜!」
「……俺はもう寝てるから」
「寝てねえやん!? それに、まだキスもしてないし!」
「う……」

アルペックの言葉に、チャコは渋々といった様子で布団から顔を覗かせた。
招き入れるように、ほんの少し布団が捲られる。
それを見たアルペックは、ぱっと嬉しそうな表情を浮かべ、そのままチャコの隣へと身体を滑り込ませた。

「チャコ、本当は酔ってる? 酔ってない?」
「っ、もうその話は終わりでいいでしょ?」
「いーや! 気になるけん、聞きたい!」

食い下がるアルペックに、チャコは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐにくすりと笑った。
そのまま、右手でそっとアルペックの頬に触れてくる。

「恥ずかしいから……酔ってることにしておいて?」

いたずらっぽく笑うその表情に、アルペックの心臓が跳ねる。
顔に熱が集まるのを感じながら「わかった」と頷くと、今度はアルペックが、チャコの頬に両手を添えた。

「チャコ、キスしてもいい……?」
「……うん、いいよ?」

にこりと微笑んだチャコのまぶたが、ゆっくりと閉じられる。
やっぱりチャコのこと、しんけん大好きだなぁ。
薄暗い視界の中でそんなことを思いながら、アルペックはチャコの唇に、そっと自分の唇を重ねた。
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