約束のペアリング
今日は隣国のフラガリアの騎士であり、チャコの恋人——アルペックの誕生日。
チャコは自身の主であるポチャッコ様と共に、あひるのペックル王国を訪れていた。
「ポチャッコさん!チャコ!来てくれてありがとうなー!」
「いらっしゃいなの〜!」
王国の敷地内に一歩足を踏み入れれば、アルペックと彼の頭の上に座っていたペックル様が待ち構えていたように駆け寄ってきた。それに気がついたポチャッコ様がチャコの左肩からぴょんと飛び降り、二人の名前を呼びながらそちらに走っていく。
「アルペックくん、お誕生日おめでとう〜!みんなに会えてうれしいなー!」
「ありがとう!オレもポチャッコさんに会えて嬉しいー!」
「ボクもうれしい〜!」
手を取り合ってその場でスキップをする主たちと、その隣で満面の笑みを浮かべているアルペックの様子を眺めながら「昨日も会ったばかりだけどね」とチャコは内心ツッコミを入れる。昨日この国で開催されたペックル様の誕生会の際にもこの場にいる全員で顔を合わせていたのだが、再会を喜ぶ三人にとっては昨日も会っていたという事実はどうやら関係ないらしい。
「チャ〜コ〜〜〜!昨日振りだな!会いたかったー!」
「ふふ、誕生日おめでとう。アルは相変わらず大袈裟だね」
「ありがとうー!チャコ、ぎゅーってしてもいいか?」
「俺が答える前にしてるし……。はいはい、暑いから離れて〜」
「え〜、せっかくの再会のハグなのに?」
「昨日振りのね」
チャコに勢いよく抱きついてきたアルペックの肩をやんわりと両手のひらで押し、少しだけ距離を取る。七月末のじりじりと焼けつくような日差しに照らされてただでさえ暑いというのに、自分よりも体温の高いアルペックに抱きしめられると暑苦しくて仕方がない。——抱きしめられた時にアルペックから香った汗の匂いにどきりとしてしまい、そわそわして尚更距離を取りたくなったのはここだけの話だ。
「チャコくん来てくれてありがとうなの〜!アルくんとチャコくんがなかよしでボクもうれしいな!」
「うんうん!チャコ、アルペックくんの誕生日を一緒に過ごすの楽しみにしてたもんね!」
「本当かチャコ!オレもチャコと過ごせるの楽しにみしてた〜!」
「ポチャッコ様!その話はアルには内緒って……!」
ボクたちもなかよし!とにこにこしながらハグを交わす主たちの姿を微笑ましく思いつつ、チャコは慌ててポチャッコ様に声をかける。アルペックが隙をみて今度は肩を組んできたが、そちらは放っておくことにした。
「えへへ〜みんななかよしでうれしくて、うっかり言っちゃった!チャコ、ごめんね?」
「まったくポチャッコ様は……。でも、楽しみにしていたのは本当だから。俺の代わりにアルに伝えてくれてありがとう?」
チャコがお礼を伝えると、ポチャッコ様は嬉しそうに笑みを浮かべながら頷いた。チャコの肩に左腕を回したままのアルペックの顔へちらと視線を向ければ、ポチャッコ様と同じように機嫌良さげにうんうんと頷いている。気恥ずかしさからすぐに視線を外し、アルペックの左腕からするりと抜け出せば誤魔化すようにチャコはひとつ咳払いをした。
「それはそうと、今日はアルのやりたいことをやり尽くそうって話だったよね?」
「うんうん!今日はオレのお気に入りの場所でみんなと好きなことやるって決めたけん!」
昨晩寝る前にアルペックと電話で話した際に、やりたいことを全部やると意気込んでいたことを思い出す。
「まず腹ごしらえにかぼすラーメン食べに行くだろ?食後の運動にみんなで鬼ごっこして、釣りして、疲れたらかぼすジュース飲みに行って、それからー」
「あはは、盛りだくさんだね。今日の一日で時間足りる?」
「もし足りなかったら明日もオレの誕生日延長で!よーっし、そうと決まれば出発だー!」
「アルペックくんの好きなラーメン屋さんにしゅっぱーつ!」
アルペックの掛け声に続いてポチャッコ様も声を上げる。「先についた方がおごりなー!」と、これまで何度も耳にした言葉と同時にアルペックが走り出した。ポチャッコ様もそれに続いてぴょこぴょこと走り出す。
「ちょっとアル!?なにも走らなくても——ってポチャッコ様も!走ると危ないから!」
「アルくんは走り出したら止まらないの〜!」
「だよね……仕方ないな、スケボーで先回りしよう。ペックル様、俺の頭に乗ってもらってもいい?」
「えっ!いいの?」
「もちろん。落ちないようにしっかり掴まっててね?」
チャコがその場にしゃがんでみせれば、ペックル様は目を輝かせながらチャコの頭の上にちょこんと座った。そっと立ち上がり愛用のスケボーに左足を乗せる。右足で軽く地面を蹴れば、あひるのペックル王国ののどかな風景がすいすいと後ろへ流れていった。
「わぁ!スケボーってはやいね!」
「ふふ、前にアルもペックル様と同じことを言ってたな」
「まるでお空を飛んでるみたい!すごいな〜」
「ペックル様はアルと一緒に空を飛ぶのが夢だっけ」
「うん!いつかアルくんと空を飛ぶんだぁ」
ペックル様の言葉に耳を傾けながら、チャコはゆっくりと視線を上へ滑らせる。真夏のペックル王国の頭上には天色が広がっていた。二羽の小さな鳥が泳ぐように並んで空を飛び、チャコたちを追い抜いていく。
「空を飛んだら感想聞かせてほしいな。ポチャッコ様もきっと聞きたがると思うし」
「ぜったいお話しするね!アルくんは空を飛んだら雲を食べるって言ってたな〜」
「あはは!アルらしいね」
話をしながら移動しているうちに、チャコたちはアルペックお気に入りのラーメン屋に到着した。先回りするつもりが、思っていたよりものんびり過ごしてしまっていたようだ。店の前ではアルペックとポチャッコ様がぶんぶんと手を振りながら「オレのおごりなー!」と誇らしげに笑っている。アルペックと知り合ってそこそこ長い付き合いになるが、先についた方がおごりルールについては未だに理解できていない。
「おまたせ。アルとポチャッコ様を追いかけてたらお腹すいちゃったよ」
「ボクもなの!」
「ぼくも走ったらお腹すいた〜!」
「オレも!お腹ぺこぺこだし、かぼすラーメン食べよう〜!」
アルペックに連れられて何度か足を運んだことがあるラーメン屋の店内へ足を踏み入れる。こちらに気がついた店の主人に「今日はチャコ様もご一緒ですか!」と声をかけられ、いつの間にか自分が店の常連客になっていたことにチャコは驚いた。
かぼすラーメンを食べ終えた後は、アルペックのやりたがっていたアウトドアをひたすら楽しんでいた。あちこちから集まってきた子どもたちを交えて原っぱを駆け回り、アルペックがよく訪れている釣り場で魚釣りに奮闘する。なかなか魚のかからない釣り竿に悪戦苦闘するアルペックと、同じくおろおろしている主たちの様子に苦笑しながらチャコが穏やかな水面を眺めていると、不意にポンと後ろから背中を軽く叩かれた。
「あれ、どうしたの?」
振り返ってみると、そこには先ほどまで一緒に鬼ごっこをしていた子どもたちのうち何人かが立っていた。そわそわとなにか言いたそうに子どもたちは目配せを交わしている。
「もうすぐ夕方になるから家に帰るけん、挨拶しに来たんだ」
「そっか、一緒に遊べて楽しかったよ。気をつけてね?」
「うん!チャコ様、ポチャッコ様、また遊ぼうね!次はかくれんぼしよう!」
そう言って子どもたちは満足げな笑みを浮かべ、こちらに手を振りながら走って去っていった。どうやら次に遊ぶ約束がしたかったらしい。チャコが子どもたちに手を振り返していると、今度は背後から二本の腕が伸びてきた。チャコが驚いて固まっていると、そのまま後ろから抱き寄せられる。慌てて振り向けば、アルペックがにこにこしながらバックハグの体勢のまま話しかけてきた。
「チャコ、すっかりペックルさんの国に馴染んでるよなぁ」
「そういうアルも、ポチャッコ様の国の人たちの中ですっかりお馴染みになってるよ?」
「うんうん!ポチャッコさんの国に行くとみんなオレのことも歓迎してくれて嬉しい!こういうの、なんかいいよなー」
「そうだね。そもそも他国のフラガリアの騎士と交流することになるなんて思ってもいなかったし、不思議なくらいだよ」
アルペックと出会った当初は、他国のフラガリアの騎士と深い関係を築くことになるとは思ってもいなかった。それどころか頻繁に他国を訪れることはないと思っていたチャコにとって、今の状況が不思議で仕方ない。アルペックと出会って旅を始めたあの日からチャコの世界は目まぐるしく変化していった。そしてこれからも、彼と主たちと共にたくさんの変化を楽しんでいけたら楽しいだろうなと思う。
「そうだ!もう夕方だし、最後にみんなで行きたい場所があるんだ。行こう?チャコ」
そう言って立ち上がったアルペックに左手を差し伸べられる。その手を取って立ち上がると、タイミング良くポチャッコ様が魚を釣り上げる姿が目に入った。
✦
手を繋いだままアルペックに案内されて歩いていくと、目の前に広々とした花畑が広がった。足元には色とりどりの夏の草花が咲いていて、ゆらゆらと夕風に吹かれて揺れていた。
「わぁ!すごいねペックル!お花畑だ〜!」
「きれいだよね!ボクもこのお花畑が大好きなんだ!」
「ポチャッコ様、ペックル様も、はしゃぎすぎてあまり遠くに行かないようにね」
「わかったの〜!」
「ペックルが一緒だから大丈夫ー!」
はしゃぎながら花畑を駆け回る主たちにチャコは声をかけた。ポチャッコ王国では見ることのできない光景にチャコが思わず感嘆の声をもらしていると、ふとアルペックの姿が見えなくなっていることに気がついた。
「アル?」
まさかポチャッコ様より先に迷子に?と一瞬思ったが、ここは彼の住んでいる国だ。さすがにそれはないだろう。用事でも思い出したのだろうと考えながら花畑に腰を下ろすと、周りにシロツメクサが咲いていることに気がついた。
「シロツメクサか。これ、ポチャッコ様のしっぽにちょっと似てるんだよね」
手元に生えていたシロツメクサを一本拝借して眺めながら、主のしっぽを思い出したチャコは思わず笑みを溢した。ふと思い出したように、手に取ったシロツメクサの茎を輪っかにし、余った茎を巻きつけて指輪にしてみる。以前ポチャッコ様と小さな花畑を訪れた際に作り方を教わっていたことを思い出して作ってみたが、なかなか上手く作れたのではないかと思う。それを自身の右手の薬指につけてぼんやりと眺めていると、不意に頭の上に何かが乗せられた。
「じゃーん!花冠作ってきた!」
「びっくりした、急に居なくなったと思ったらこれ作ってたんだ」
乗せられた花冠を頭から外して見つめると、それはシロツメクサで作られていた。アルペックによってチャコの手からひょいと花冠が取られ、再び頭に乗せられる。満足そうに頷いたアルペックはチャコの隣に腰を下ろした。
「チャコに似合ってる!」
「ふふ、まあね。今日はアルの誕生日なのに俺がプレゼント貰っちゃったよ」
「チャコにプレゼントするために作ったけん、気に入ってくれたらそれで満足!」
得意げに笑ってみせるアルペックに微笑み返していたチャコは、ふと自身の右手の薬指が視界に入った。思い立ったようにもう一本シロツメクサを手に取り、先ほどと同じように手早く指輪を作る。きょとんとした表情でこちらを見つめているアルペックの右手を取って薬指にシロツメクサの指輪を嵌めると、自身の右手を顔の前に掲げながら今度はチャコが得意げに笑ってみせた。
「シロツメクサのペアリング、どうかな?」
「チャコ〜!オレ、しんっけん嬉しい!一生大切にするけんな!ハンギョンに物を永久保存できる魔法がないか聞いてみようかな……」
「あはは!枯れたらまた作ればいいでしょ?でも喜んでくれてよかったよ」
「ずーっと先に枯れたとしても、絶対にまたチャコが作ってくれよな?ずっとだからな?約束!」
「わかってるよ、約束ね?」
そう言って差し出されたアルペックの右手の小指にチャコは自身の小指を絡めて指切りの形にする。笑い合いながら指切りをするチャコとアルペックの右手の薬指には、約束 のペアリングが収まっていた。
「さてと、日も暮れてきたしそろそろ帰ろうか。ペックル様のお城でアルの誕生日パーティーやるんでしょ?」
チャコは指切りをしていた右手の小指をアルペックのものからそっと外し、そう声をかける。大きく頷いたアルペックの顔は夕陽のオレンジ色に照らされていて、ちょっとだけ赤くなっているようにも見えた。
「そうだな!ペックルさんがオレの好きなものたっくさん用意してくれたって言ってたけん、楽しみだ〜!チャコとポチャッコさんが好きなバナナアイスもあるって言ってたぞ!」
「それは楽しみだな、ポチャッコ様も喜ぶと思——」
チャコがそこまで言いかけた時、ポチャッコ様とペックル様がこちらへ駆けてくる姿が目に入った。ぴょんぴょんと跳ねるような足取りで走る主たちの腕の中では、さまざまな夏の草花が揺れている。チャコたちが立ち上がるよりも先に目の前へ到着した主たちは、爛々と目を輝かせていた。
「チャコ、アルペックくん、みてみてー!きれいなお花たくさんあったよ!」
「アルくんの誕生日パーティーで飾りたくて、ポチャッコと一緒にたくさん摘んできたの!」
「本当だ、すごく綺麗だね」
「すげー!これだけあればお城が花で賑やかになるな!ペックルさん、ポチャッコさん、ありがとう!」
チャコとアルペックの返事を聞いた主たちは、えへへと嬉しそうに笑った。そして何かに気がついたように、あっと小さく声を洩らす。どうしたのかとチャコが不思議に思っていると、主たちはそれぞれ自身に仕えるフラガリアの右手の薬指を指差した。
「シロツメクサの指輪だー!チャコ、これどうしたの?」
「前にポチャッコ様が作り方を教えてくれたのを思い出して、試しに作ってみたんだ」
「アルくんとチャコくんおそろいなの〜!花冠もチャコくんが作ったの?」
「花冠はオレが作った!——そうだ!オレとチャコでペックルさんとポチャッコさんの花冠も作るけん、みんなでおそろいにしよう!」
「わーい!じゃあ、ボクとポチャッコでアルくんの花冠は作るね〜!」
「えっ、アル?そろそろ帰るんじゃ——まあ、いっか。花冠の作り方、責任もって俺にも教えてよね?」
「もちろん!オレに任しちょけ!」
アルペックの返事を合図に、それぞれ足元の草花へと手を伸ばす。
結局、すっかり日が暮れてペックル様の従者が呼びにくるまで四人は花畑で過ごしていた。
✦
アルペックの誕生日パーティーも終わり、あひるのペックル王国が夜の静寂に包まれた頃。
主たちがペックル様の寝室へ入る様子をアルペックと共に見送ったチャコは、城内に在るアルペックの部屋でスケボーの手入れをしていた。明日の予定を頭の中で確認しながら慣れた手つきでウィールの調整を行なっていく。手を動かしたままチャコの右隣に座っているアルペックへちらと視線を向けると、めずらしく黙り込んだアルペックは、じっとチャコの手元を見つめていた。
(アル、さっきから黙ったままだけど……どうしたんだろう)
いつもは二人きりになった途端にあれこれ話しながら抱きしめてきたり、キスをしようとチャコの頬や髪に触れてくるのだが——アルペックの部屋に入って三十分以上経った今も、彼がチャコに触れてくることはなかった。
(まさかとは思うけど、別れ話とか考えてないよね……?)
そう思い浮かんだチャコだったが、すぐさま頭の中からその考えを追い出した。
窓際に置かれた簡素なデスクに視線を向ける。そこには二つの花冠とシロツメクサのペアリングが寄り添うように置かれていた。
今日一日アルペックと過ごしていた時の様子はいつも通りだったはずだ。それに、彼の誕生日パーティー中も普段と変わらない晴れやかな笑顔をチャコに向けていたことが記憶に新しい。
(でも、もしかしたら誕生日で節目のタイミングだから今後のことをアルなりに考えて、それで別れようとか——いや、アルに限ってそんなこと)
考えても仕方のないことだが、チャコの頭の中に『もしかしたら』という考えが次々と浮かんでは消えていく。
アルペックと恋人同士になって数年が経ち、相応の時間を共に過ごしてきた。そろそろ二人の今後について考えなければいけないタイミングなのかもしれない。
「——あのさ、チャコ」
「えっ、あ、な……なに?」
すっかり物思いにふけていたチャコの意識は、アルペックの呼び声によって現実へと引き戻された。慌てて右隣へ顔を向けると、なぜか真剣な表情をしたアルペックと視線がぶつかる。
「ちょっと話したいことがあって。付き合ってほしい所があるんだけど、来てくれる?」
「……わかった」
(——ああ、やっぱり別れ話か)
自分の部屋では話したくないよね、別れ話なんて。
改まった様子のアルペックから告げられる話の内容を考えてみても、別れ話くらいしか思いつかなかった。
すっかり沈んだ気持ちはそのままに、どこに連れていく気だろうと疑問に思いながらチャコが立ち上がると、アルペックもそれに続いた。その顔には、なぜか先ほどまでよりもわずかに綻んだ表情が浮かんでいる。
しんと静まり返ったお城の中を無言で歩いて外に出れば、周りの家々の明かりはすっかりまばらになっていた。黙ったまま足早に歩くアルペックの後ろを、重い足取りのチャコがゆっくりとついていく。
どうせ最後なら手を繋ぎたいと思ったが、アルペックの両手は上着のポケットに突っ込まれており——その願望は一瞬で消え失せた。
夜の静寂の中で、草むらを踏みしめる二人分の足音だけが聞こえてくる。ふとチャコが顔を上げると、頭上では数々の星たちがちらちらと瞬いていた。
(アルと出会ってすぐの頃に、ペックル王国は星が綺麗だって話してくれたっけ)
あの頃はアルペックと恋人同士になる日が来るとは思ってもいなかった。
そして、彼から別れ話を切り出される日が来るとも。
ほんの少し感傷に浸りながらお城の裏手の草むらを数分ほど歩き、周りを草木に囲まれながらゆるやかな階段を上る。急に視界が開けたと思えば、チャコの目の前に高台の広場が現れた。木製の柵に手を掛けて下を見ると、月明かりに照らされたペックル王国の様子が目に入る。
「チャコ、上見てみて?」
「上?」
すぐ隣に立っているアルペックの声につられてチャコが上を向くと、濃紺の夜空で無数に散りばめられた星々が輝いていた。手を伸ばせば指先で星をすくい上げられそうだ。
「うわ、すごいね……」
「へへ、ここもオレのお気に入りの場所なんだ。気に入ってくれた?」
「もちろん。アルのお気に入りの場所には昼間もたくさん足を運んだけど、ここ……特にすごいな」
チャコがそう返せば、アルペックは心底嬉しそうな表情で笑った。胸の辺りがじんわりと熱くなるのを感じながらチャコはアルペックに微笑み返す。お互いに視線を夜空へ戻すと、二人の間に再び沈黙が降りた。
(このまま星を眺めるだけで、何事もなかったみたいにお城に戻れたらいいんだけどな)
恋人同士の別れの場面にしては、あまりにもロマンチックすぎる。——そんなチャコの思考を知ってか知らずか、徐にアルペックが口を開いた。
「あのさ、チャコ。オレがさっき話したいことがあるって言ったの覚えてる?」
「——うん。もちろん覚えてるよ」
聞きたくはないけどね。当たり前だが、その言葉は口には出さず飲み込んだ。
チャコは夜空からアルペックの方へ視線を移し、木製の柵から手を離して彼の正面に立った。ほっとしたような表情を浮かべたアルペックと暫し見つめ合う。
言葉を選ぶように、ぽつぽつとアルペックは言葉を紡ぎ始めた。
「チャコと過ごしてる時にな、これから先のチャコとの関係についてたまに考えることがあったんよ。このままでいいのかな、とか。チャコはどう思ってるんだろう、とか」
「…………」
「ずっとこのままの関係がいいって最初は思ってたけど、やっぱりそれは違うと思ったんよ。ちゃんとどうするか決めて、きちんと前に進みたいって」
君と別れるくらいなら、俺はこのままの関係でいいと思ってるよ。
思わず溢れてしまいそうになる言葉を、チャコは唇を噛みしめて閉じ込めた。
「それでな……オレはどうしたいか、やっと決まったんよ。——チャコ、聞いてくれる?」
「……うん」
まるで何事もないようにチャコは返事をしてみせる。アルペックと恋人同士じゃなくなるとしても、これからは大切な友人として彼の隣に居られればそれでいい。
——心の底からそう思えるようになるまで、どのくらいの時間がかかるだろうか。
一度大きく深呼吸をしたアルペックが、自身の上着の右ポケットに手を入れて何かを取り出す。
ポケットから現れた濃紺の夜空のようなネイビーブルーの小箱がアルペックの手でゆっくりと開かれると、そこにはシンプルなデザインの指輪が一つ収まっていた。
「チャコ、オレと結婚してください」
「——え?」
状況を理解できないままチャコがアルペックの顔と指輪を交互に見つめていると、不意にアルペックに左手を取られた。いつの間にかリングケースから取り出されていた指輪が、アルペックの手によってチャコの左手の薬指へと嵌められる。まるでそこに在るのが当たり前というように、その指輪はチャコの指にぴったりだった。
「これって……」
呆然としながらチャコは徐に自身の左手を顔の前に掲げる。左手の薬指に収まったエンゲージリングは、やわらかな月の光を反射して煌めいていた。
「……えっと、話したいことって別れ話じゃなかったの?」
「なんで!?オレ、絶対チャコと別れたくないんだけど!」
「だって昼間とかそんな素振りなかったし」
「チャコからシロツメクサのペアリング貰った時とか、すげードキドキして焦っちょったけど!?チャコの左手の薬指には、今夜オレがエンゲージリングを嵌めるんだって!」
「ええー……」
別れ話は自分の勘違いだったのか。恥ずかしさから顔に熱が集まるのを感じたチャコは、よろよろとアルペックに近づき、表情を隠すように彼の右肩へ顔を埋めた。
「……いつ頃からプロポーズしようって決めてくれてたの?」
「えーっと、半年前くらい?」
「今日決意したみたいな言い方してたのに結構前だね?じゃあ、指輪のサイズはどうやって調べたの?」
「チャコって朝はオレよりゆっくりやろ?やけん、チャコが寝てる時にこっそり測らせてもらった!」
「だよね。というか……起きなかったんだ、俺。——じゃあ、アルの誕生日パーティーが終わった後に部屋でずっと黙ってたのは?」
「あれはー……き、緊張してた。チャコもオレと同じ気持ちだったらいいなーって思ってたら、心臓バックバクになって全然上手く喋れんし……」
「あー……」
チャコから発せられる大量の質問に答えていたアルペックが、ポンポンとチャコの頭を撫でてくる。チャコが被っているパーカーのフード越しに触れてくるアルペックの手のひらの感触が心地よかった。
「それでさ、チャコ」
「うん?」
躊躇うような声色でアルペックに名前を呼ばれ、チャコは彼の右肩から顔を上げた。恥ずかしさはまだ残ったままだが、赤くなっていたであろう顔色はきっと落ち着いているはずだ。
「プロポーズの返事、教えてほしくて」
「……うん」
「なあチャコ、これからもオレとずっと一緒にいてくれる?」
そう告げてくるアルペックの言葉はあまりにもまっすぐで。彼と出会った時から何度関係が変わろうと、チャコにとってアルペックはちょっとだけまぶしいままだ。
こちらを覗き込んでくるアルペックの瞳をじっと見つめ返したチャコは、当たり前だというようにしっかりと頷いた。
「もちろんだよ。これからもずっと一緒にいてね、アル?」
「チャコ……!オレ、チャコのことしんけん大好きだ!」
「ふふ、俺もアルのこと大好きだよ」
「!!チャコ〜〜〜!」
チャコの返事を聞いたアルペックが、ぱっと顔を輝かせながら強く抱きしめてくる。気恥ずかしさから普段はなかなか「好き」とアルペックに伝えられていないチャコだったが、今は恥ずかしさよりも彼と同じ気持ちであることを伝えたいという想いの方が勝っていた。
「ねえアル。アルの分のエンゲージリング、俺につけさせて?」
「うん!」
勢いよく返事をしたアルペックがチャコを腕の中から解放し、自身の上着の左ポケットに手を入れた。数秒ほどアルペックはポケットの中をごそごそと探っていたが、あった!という言葉と同時に、ケースに入れられていない指輪がポケットから取り出される。その様子を眺めながら、この高台に到着するまで彼が両手を上着のポケットに突っ込んでいた理由にチャコは気がついた。きっと途中で落としてしまわないようにポケットの中で大切に握りしめていたのだろう。アルペックらしいなとチャコは微笑んだ。
「チャコ、これ……」
チャコの左手の薬指に嵌っているものと同じデザインの、サイズ違いのエンゲージリングがアルペックから手渡される。自身の左手でアルペックの左手を取ったチャコは、アルペックの左手の薬指にそっとエンゲージリングを嵌めた。
「へへ、右手の薬指はシロツメクサのペアリングで、左手はおそろいのエンゲージリングだな!」
「っ……」
満足そうに左手の薬指を眺めていたアルペックが、そう言ってチャコに満面の笑みを向けてくる。いつの間にか涙で滲んでぼやけた視界はそのままに、チャコはアルペックに抱きついた。すぐさまアルペックの両手がチャコの背中に回され、ぎゅっと抱きしめられる。
「アル、大好きだよ」
「うん!オレもチャコのこと、しんけん大好き!」
チャコの背中を撫でていたアルペックの右手が離れ、代わりにチャコのパーカーのフードに触れた。被っていたフードを外された後、チャコの眦に滲んでいた涙がアルペックの右手の親指の腹でそっと拭われる。
「ずっと一緒にいような、チャコ」
まるで願うように静かに揺れるアルペックの瞳を見つめ返していると、チャコの両頬がアルペックの手のひらに優しく包み込まれた。アルペックの左手の薬指に収まったエンゲージリングがチャコの頬に触れる。それを合図にチャコはそっと目蓋を閉じた。
薄暗の中で、ゆっくりとアルペックが近づいてくる気配を感じる。
心の準備をするかのように、ほんの少しの間を置いて——チャコの唇にアルペックのものが重なった。
無数の星々が瞬く夜空の下。永遠を誓い口付けを交わすチャコとアルペックの左手の薬指には、約束 のペアリングが収まっていた。
チャコは自身の主であるポチャッコ様と共に、あひるのペックル王国を訪れていた。
「ポチャッコさん!チャコ!来てくれてありがとうなー!」
「いらっしゃいなの〜!」
王国の敷地内に一歩足を踏み入れれば、アルペックと彼の頭の上に座っていたペックル様が待ち構えていたように駆け寄ってきた。それに気がついたポチャッコ様がチャコの左肩からぴょんと飛び降り、二人の名前を呼びながらそちらに走っていく。
「アルペックくん、お誕生日おめでとう〜!みんなに会えてうれしいなー!」
「ありがとう!オレもポチャッコさんに会えて嬉しいー!」
「ボクもうれしい〜!」
手を取り合ってその場でスキップをする主たちと、その隣で満面の笑みを浮かべているアルペックの様子を眺めながら「昨日も会ったばかりだけどね」とチャコは内心ツッコミを入れる。昨日この国で開催されたペックル様の誕生会の際にもこの場にいる全員で顔を合わせていたのだが、再会を喜ぶ三人にとっては昨日も会っていたという事実はどうやら関係ないらしい。
「チャ〜コ〜〜〜!昨日振りだな!会いたかったー!」
「ふふ、誕生日おめでとう。アルは相変わらず大袈裟だね」
「ありがとうー!チャコ、ぎゅーってしてもいいか?」
「俺が答える前にしてるし……。はいはい、暑いから離れて〜」
「え〜、せっかくの再会のハグなのに?」
「昨日振りのね」
チャコに勢いよく抱きついてきたアルペックの肩をやんわりと両手のひらで押し、少しだけ距離を取る。七月末のじりじりと焼けつくような日差しに照らされてただでさえ暑いというのに、自分よりも体温の高いアルペックに抱きしめられると暑苦しくて仕方がない。——抱きしめられた時にアルペックから香った汗の匂いにどきりとしてしまい、そわそわして尚更距離を取りたくなったのはここだけの話だ。
「チャコくん来てくれてありがとうなの〜!アルくんとチャコくんがなかよしでボクもうれしいな!」
「うんうん!チャコ、アルペックくんの誕生日を一緒に過ごすの楽しみにしてたもんね!」
「本当かチャコ!オレもチャコと過ごせるの楽しにみしてた〜!」
「ポチャッコ様!その話はアルには内緒って……!」
ボクたちもなかよし!とにこにこしながらハグを交わす主たちの姿を微笑ましく思いつつ、チャコは慌ててポチャッコ様に声をかける。アルペックが隙をみて今度は肩を組んできたが、そちらは放っておくことにした。
「えへへ〜みんななかよしでうれしくて、うっかり言っちゃった!チャコ、ごめんね?」
「まったくポチャッコ様は……。でも、楽しみにしていたのは本当だから。俺の代わりにアルに伝えてくれてありがとう?」
チャコがお礼を伝えると、ポチャッコ様は嬉しそうに笑みを浮かべながら頷いた。チャコの肩に左腕を回したままのアルペックの顔へちらと視線を向ければ、ポチャッコ様と同じように機嫌良さげにうんうんと頷いている。気恥ずかしさからすぐに視線を外し、アルペックの左腕からするりと抜け出せば誤魔化すようにチャコはひとつ咳払いをした。
「それはそうと、今日はアルのやりたいことをやり尽くそうって話だったよね?」
「うんうん!今日はオレのお気に入りの場所でみんなと好きなことやるって決めたけん!」
昨晩寝る前にアルペックと電話で話した際に、やりたいことを全部やると意気込んでいたことを思い出す。
「まず腹ごしらえにかぼすラーメン食べに行くだろ?食後の運動にみんなで鬼ごっこして、釣りして、疲れたらかぼすジュース飲みに行って、それからー」
「あはは、盛りだくさんだね。今日の一日で時間足りる?」
「もし足りなかったら明日もオレの誕生日延長で!よーっし、そうと決まれば出発だー!」
「アルペックくんの好きなラーメン屋さんにしゅっぱーつ!」
アルペックの掛け声に続いてポチャッコ様も声を上げる。「先についた方がおごりなー!」と、これまで何度も耳にした言葉と同時にアルペックが走り出した。ポチャッコ様もそれに続いてぴょこぴょこと走り出す。
「ちょっとアル!?なにも走らなくても——ってポチャッコ様も!走ると危ないから!」
「アルくんは走り出したら止まらないの〜!」
「だよね……仕方ないな、スケボーで先回りしよう。ペックル様、俺の頭に乗ってもらってもいい?」
「えっ!いいの?」
「もちろん。落ちないようにしっかり掴まっててね?」
チャコがその場にしゃがんでみせれば、ペックル様は目を輝かせながらチャコの頭の上にちょこんと座った。そっと立ち上がり愛用のスケボーに左足を乗せる。右足で軽く地面を蹴れば、あひるのペックル王国ののどかな風景がすいすいと後ろへ流れていった。
「わぁ!スケボーってはやいね!」
「ふふ、前にアルもペックル様と同じことを言ってたな」
「まるでお空を飛んでるみたい!すごいな〜」
「ペックル様はアルと一緒に空を飛ぶのが夢だっけ」
「うん!いつかアルくんと空を飛ぶんだぁ」
ペックル様の言葉に耳を傾けながら、チャコはゆっくりと視線を上へ滑らせる。真夏のペックル王国の頭上には天色が広がっていた。二羽の小さな鳥が泳ぐように並んで空を飛び、チャコたちを追い抜いていく。
「空を飛んだら感想聞かせてほしいな。ポチャッコ様もきっと聞きたがると思うし」
「ぜったいお話しするね!アルくんは空を飛んだら雲を食べるって言ってたな〜」
「あはは!アルらしいね」
話をしながら移動しているうちに、チャコたちはアルペックお気に入りのラーメン屋に到着した。先回りするつもりが、思っていたよりものんびり過ごしてしまっていたようだ。店の前ではアルペックとポチャッコ様がぶんぶんと手を振りながら「オレのおごりなー!」と誇らしげに笑っている。アルペックと知り合ってそこそこ長い付き合いになるが、先についた方がおごりルールについては未だに理解できていない。
「おまたせ。アルとポチャッコ様を追いかけてたらお腹すいちゃったよ」
「ボクもなの!」
「ぼくも走ったらお腹すいた〜!」
「オレも!お腹ぺこぺこだし、かぼすラーメン食べよう〜!」
アルペックに連れられて何度か足を運んだことがあるラーメン屋の店内へ足を踏み入れる。こちらに気がついた店の主人に「今日はチャコ様もご一緒ですか!」と声をかけられ、いつの間にか自分が店の常連客になっていたことにチャコは驚いた。
かぼすラーメンを食べ終えた後は、アルペックのやりたがっていたアウトドアをひたすら楽しんでいた。あちこちから集まってきた子どもたちを交えて原っぱを駆け回り、アルペックがよく訪れている釣り場で魚釣りに奮闘する。なかなか魚のかからない釣り竿に悪戦苦闘するアルペックと、同じくおろおろしている主たちの様子に苦笑しながらチャコが穏やかな水面を眺めていると、不意にポンと後ろから背中を軽く叩かれた。
「あれ、どうしたの?」
振り返ってみると、そこには先ほどまで一緒に鬼ごっこをしていた子どもたちのうち何人かが立っていた。そわそわとなにか言いたそうに子どもたちは目配せを交わしている。
「もうすぐ夕方になるから家に帰るけん、挨拶しに来たんだ」
「そっか、一緒に遊べて楽しかったよ。気をつけてね?」
「うん!チャコ様、ポチャッコ様、また遊ぼうね!次はかくれんぼしよう!」
そう言って子どもたちは満足げな笑みを浮かべ、こちらに手を振りながら走って去っていった。どうやら次に遊ぶ約束がしたかったらしい。チャコが子どもたちに手を振り返していると、今度は背後から二本の腕が伸びてきた。チャコが驚いて固まっていると、そのまま後ろから抱き寄せられる。慌てて振り向けば、アルペックがにこにこしながらバックハグの体勢のまま話しかけてきた。
「チャコ、すっかりペックルさんの国に馴染んでるよなぁ」
「そういうアルも、ポチャッコ様の国の人たちの中ですっかりお馴染みになってるよ?」
「うんうん!ポチャッコさんの国に行くとみんなオレのことも歓迎してくれて嬉しい!こういうの、なんかいいよなー」
「そうだね。そもそも他国のフラガリアの騎士と交流することになるなんて思ってもいなかったし、不思議なくらいだよ」
アルペックと出会った当初は、他国のフラガリアの騎士と深い関係を築くことになるとは思ってもいなかった。それどころか頻繁に他国を訪れることはないと思っていたチャコにとって、今の状況が不思議で仕方ない。アルペックと出会って旅を始めたあの日からチャコの世界は目まぐるしく変化していった。そしてこれからも、彼と主たちと共にたくさんの変化を楽しんでいけたら楽しいだろうなと思う。
「そうだ!もう夕方だし、最後にみんなで行きたい場所があるんだ。行こう?チャコ」
そう言って立ち上がったアルペックに左手を差し伸べられる。その手を取って立ち上がると、タイミング良くポチャッコ様が魚を釣り上げる姿が目に入った。
✦
手を繋いだままアルペックに案内されて歩いていくと、目の前に広々とした花畑が広がった。足元には色とりどりの夏の草花が咲いていて、ゆらゆらと夕風に吹かれて揺れていた。
「わぁ!すごいねペックル!お花畑だ〜!」
「きれいだよね!ボクもこのお花畑が大好きなんだ!」
「ポチャッコ様、ペックル様も、はしゃぎすぎてあまり遠くに行かないようにね」
「わかったの〜!」
「ペックルが一緒だから大丈夫ー!」
はしゃぎながら花畑を駆け回る主たちにチャコは声をかけた。ポチャッコ王国では見ることのできない光景にチャコが思わず感嘆の声をもらしていると、ふとアルペックの姿が見えなくなっていることに気がついた。
「アル?」
まさかポチャッコ様より先に迷子に?と一瞬思ったが、ここは彼の住んでいる国だ。さすがにそれはないだろう。用事でも思い出したのだろうと考えながら花畑に腰を下ろすと、周りにシロツメクサが咲いていることに気がついた。
「シロツメクサか。これ、ポチャッコ様のしっぽにちょっと似てるんだよね」
手元に生えていたシロツメクサを一本拝借して眺めながら、主のしっぽを思い出したチャコは思わず笑みを溢した。ふと思い出したように、手に取ったシロツメクサの茎を輪っかにし、余った茎を巻きつけて指輪にしてみる。以前ポチャッコ様と小さな花畑を訪れた際に作り方を教わっていたことを思い出して作ってみたが、なかなか上手く作れたのではないかと思う。それを自身の右手の薬指につけてぼんやりと眺めていると、不意に頭の上に何かが乗せられた。
「じゃーん!花冠作ってきた!」
「びっくりした、急に居なくなったと思ったらこれ作ってたんだ」
乗せられた花冠を頭から外して見つめると、それはシロツメクサで作られていた。アルペックによってチャコの手からひょいと花冠が取られ、再び頭に乗せられる。満足そうに頷いたアルペックはチャコの隣に腰を下ろした。
「チャコに似合ってる!」
「ふふ、まあね。今日はアルの誕生日なのに俺がプレゼント貰っちゃったよ」
「チャコにプレゼントするために作ったけん、気に入ってくれたらそれで満足!」
得意げに笑ってみせるアルペックに微笑み返していたチャコは、ふと自身の右手の薬指が視界に入った。思い立ったようにもう一本シロツメクサを手に取り、先ほどと同じように手早く指輪を作る。きょとんとした表情でこちらを見つめているアルペックの右手を取って薬指にシロツメクサの指輪を嵌めると、自身の右手を顔の前に掲げながら今度はチャコが得意げに笑ってみせた。
「シロツメクサのペアリング、どうかな?」
「チャコ〜!オレ、しんっけん嬉しい!一生大切にするけんな!ハンギョンに物を永久保存できる魔法がないか聞いてみようかな……」
「あはは!枯れたらまた作ればいいでしょ?でも喜んでくれてよかったよ」
「ずーっと先に枯れたとしても、絶対にまたチャコが作ってくれよな?ずっとだからな?約束!」
「わかってるよ、約束ね?」
そう言って差し出されたアルペックの右手の小指にチャコは自身の小指を絡めて指切りの形にする。笑い合いながら指切りをするチャコとアルペックの右手の薬指には、
「さてと、日も暮れてきたしそろそろ帰ろうか。ペックル様のお城でアルの誕生日パーティーやるんでしょ?」
チャコは指切りをしていた右手の小指をアルペックのものからそっと外し、そう声をかける。大きく頷いたアルペックの顔は夕陽のオレンジ色に照らされていて、ちょっとだけ赤くなっているようにも見えた。
「そうだな!ペックルさんがオレの好きなものたっくさん用意してくれたって言ってたけん、楽しみだ〜!チャコとポチャッコさんが好きなバナナアイスもあるって言ってたぞ!」
「それは楽しみだな、ポチャッコ様も喜ぶと思——」
チャコがそこまで言いかけた時、ポチャッコ様とペックル様がこちらへ駆けてくる姿が目に入った。ぴょんぴょんと跳ねるような足取りで走る主たちの腕の中では、さまざまな夏の草花が揺れている。チャコたちが立ち上がるよりも先に目の前へ到着した主たちは、爛々と目を輝かせていた。
「チャコ、アルペックくん、みてみてー!きれいなお花たくさんあったよ!」
「アルくんの誕生日パーティーで飾りたくて、ポチャッコと一緒にたくさん摘んできたの!」
「本当だ、すごく綺麗だね」
「すげー!これだけあればお城が花で賑やかになるな!ペックルさん、ポチャッコさん、ありがとう!」
チャコとアルペックの返事を聞いた主たちは、えへへと嬉しそうに笑った。そして何かに気がついたように、あっと小さく声を洩らす。どうしたのかとチャコが不思議に思っていると、主たちはそれぞれ自身に仕えるフラガリアの右手の薬指を指差した。
「シロツメクサの指輪だー!チャコ、これどうしたの?」
「前にポチャッコ様が作り方を教えてくれたのを思い出して、試しに作ってみたんだ」
「アルくんとチャコくんおそろいなの〜!花冠もチャコくんが作ったの?」
「花冠はオレが作った!——そうだ!オレとチャコでペックルさんとポチャッコさんの花冠も作るけん、みんなでおそろいにしよう!」
「わーい!じゃあ、ボクとポチャッコでアルくんの花冠は作るね〜!」
「えっ、アル?そろそろ帰るんじゃ——まあ、いっか。花冠の作り方、責任もって俺にも教えてよね?」
「もちろん!オレに任しちょけ!」
アルペックの返事を合図に、それぞれ足元の草花へと手を伸ばす。
結局、すっかり日が暮れてペックル様の従者が呼びにくるまで四人は花畑で過ごしていた。
✦
アルペックの誕生日パーティーも終わり、あひるのペックル王国が夜の静寂に包まれた頃。
主たちがペックル様の寝室へ入る様子をアルペックと共に見送ったチャコは、城内に在るアルペックの部屋でスケボーの手入れをしていた。明日の予定を頭の中で確認しながら慣れた手つきでウィールの調整を行なっていく。手を動かしたままチャコの右隣に座っているアルペックへちらと視線を向けると、めずらしく黙り込んだアルペックは、じっとチャコの手元を見つめていた。
(アル、さっきから黙ったままだけど……どうしたんだろう)
いつもは二人きりになった途端にあれこれ話しながら抱きしめてきたり、キスをしようとチャコの頬や髪に触れてくるのだが——アルペックの部屋に入って三十分以上経った今も、彼がチャコに触れてくることはなかった。
(まさかとは思うけど、別れ話とか考えてないよね……?)
そう思い浮かんだチャコだったが、すぐさま頭の中からその考えを追い出した。
窓際に置かれた簡素なデスクに視線を向ける。そこには二つの花冠とシロツメクサのペアリングが寄り添うように置かれていた。
今日一日アルペックと過ごしていた時の様子はいつも通りだったはずだ。それに、彼の誕生日パーティー中も普段と変わらない晴れやかな笑顔をチャコに向けていたことが記憶に新しい。
(でも、もしかしたら誕生日で節目のタイミングだから今後のことをアルなりに考えて、それで別れようとか——いや、アルに限ってそんなこと)
考えても仕方のないことだが、チャコの頭の中に『もしかしたら』という考えが次々と浮かんでは消えていく。
アルペックと恋人同士になって数年が経ち、相応の時間を共に過ごしてきた。そろそろ二人の今後について考えなければいけないタイミングなのかもしれない。
「——あのさ、チャコ」
「えっ、あ、な……なに?」
すっかり物思いにふけていたチャコの意識は、アルペックの呼び声によって現実へと引き戻された。慌てて右隣へ顔を向けると、なぜか真剣な表情をしたアルペックと視線がぶつかる。
「ちょっと話したいことがあって。付き合ってほしい所があるんだけど、来てくれる?」
「……わかった」
(——ああ、やっぱり別れ話か)
自分の部屋では話したくないよね、別れ話なんて。
改まった様子のアルペックから告げられる話の内容を考えてみても、別れ話くらいしか思いつかなかった。
すっかり沈んだ気持ちはそのままに、どこに連れていく気だろうと疑問に思いながらチャコが立ち上がると、アルペックもそれに続いた。その顔には、なぜか先ほどまでよりもわずかに綻んだ表情が浮かんでいる。
しんと静まり返ったお城の中を無言で歩いて外に出れば、周りの家々の明かりはすっかりまばらになっていた。黙ったまま足早に歩くアルペックの後ろを、重い足取りのチャコがゆっくりとついていく。
どうせ最後なら手を繋ぎたいと思ったが、アルペックの両手は上着のポケットに突っ込まれており——その願望は一瞬で消え失せた。
夜の静寂の中で、草むらを踏みしめる二人分の足音だけが聞こえてくる。ふとチャコが顔を上げると、頭上では数々の星たちがちらちらと瞬いていた。
(アルと出会ってすぐの頃に、ペックル王国は星が綺麗だって話してくれたっけ)
あの頃はアルペックと恋人同士になる日が来るとは思ってもいなかった。
そして、彼から別れ話を切り出される日が来るとも。
ほんの少し感傷に浸りながらお城の裏手の草むらを数分ほど歩き、周りを草木に囲まれながらゆるやかな階段を上る。急に視界が開けたと思えば、チャコの目の前に高台の広場が現れた。木製の柵に手を掛けて下を見ると、月明かりに照らされたペックル王国の様子が目に入る。
「チャコ、上見てみて?」
「上?」
すぐ隣に立っているアルペックの声につられてチャコが上を向くと、濃紺の夜空で無数に散りばめられた星々が輝いていた。手を伸ばせば指先で星をすくい上げられそうだ。
「うわ、すごいね……」
「へへ、ここもオレのお気に入りの場所なんだ。気に入ってくれた?」
「もちろん。アルのお気に入りの場所には昼間もたくさん足を運んだけど、ここ……特にすごいな」
チャコがそう返せば、アルペックは心底嬉しそうな表情で笑った。胸の辺りがじんわりと熱くなるのを感じながらチャコはアルペックに微笑み返す。お互いに視線を夜空へ戻すと、二人の間に再び沈黙が降りた。
(このまま星を眺めるだけで、何事もなかったみたいにお城に戻れたらいいんだけどな)
恋人同士の別れの場面にしては、あまりにもロマンチックすぎる。——そんなチャコの思考を知ってか知らずか、徐にアルペックが口を開いた。
「あのさ、チャコ。オレがさっき話したいことがあるって言ったの覚えてる?」
「——うん。もちろん覚えてるよ」
聞きたくはないけどね。当たり前だが、その言葉は口には出さず飲み込んだ。
チャコは夜空からアルペックの方へ視線を移し、木製の柵から手を離して彼の正面に立った。ほっとしたような表情を浮かべたアルペックと暫し見つめ合う。
言葉を選ぶように、ぽつぽつとアルペックは言葉を紡ぎ始めた。
「チャコと過ごしてる時にな、これから先のチャコとの関係についてたまに考えることがあったんよ。このままでいいのかな、とか。チャコはどう思ってるんだろう、とか」
「…………」
「ずっとこのままの関係がいいって最初は思ってたけど、やっぱりそれは違うと思ったんよ。ちゃんとどうするか決めて、きちんと前に進みたいって」
君と別れるくらいなら、俺はこのままの関係でいいと思ってるよ。
思わず溢れてしまいそうになる言葉を、チャコは唇を噛みしめて閉じ込めた。
「それでな……オレはどうしたいか、やっと決まったんよ。——チャコ、聞いてくれる?」
「……うん」
まるで何事もないようにチャコは返事をしてみせる。アルペックと恋人同士じゃなくなるとしても、これからは大切な友人として彼の隣に居られればそれでいい。
——心の底からそう思えるようになるまで、どのくらいの時間がかかるだろうか。
一度大きく深呼吸をしたアルペックが、自身の上着の右ポケットに手を入れて何かを取り出す。
ポケットから現れた濃紺の夜空のようなネイビーブルーの小箱がアルペックの手でゆっくりと開かれると、そこにはシンプルなデザインの指輪が一つ収まっていた。
「チャコ、オレと結婚してください」
「——え?」
状況を理解できないままチャコがアルペックの顔と指輪を交互に見つめていると、不意にアルペックに左手を取られた。いつの間にかリングケースから取り出されていた指輪が、アルペックの手によってチャコの左手の薬指へと嵌められる。まるでそこに在るのが当たり前というように、その指輪はチャコの指にぴったりだった。
「これって……」
呆然としながらチャコは徐に自身の左手を顔の前に掲げる。左手の薬指に収まったエンゲージリングは、やわらかな月の光を反射して煌めいていた。
「……えっと、話したいことって別れ話じゃなかったの?」
「なんで!?オレ、絶対チャコと別れたくないんだけど!」
「だって昼間とかそんな素振りなかったし」
「チャコからシロツメクサのペアリング貰った時とか、すげードキドキして焦っちょったけど!?チャコの左手の薬指には、今夜オレがエンゲージリングを嵌めるんだって!」
「ええー……」
別れ話は自分の勘違いだったのか。恥ずかしさから顔に熱が集まるのを感じたチャコは、よろよろとアルペックに近づき、表情を隠すように彼の右肩へ顔を埋めた。
「……いつ頃からプロポーズしようって決めてくれてたの?」
「えーっと、半年前くらい?」
「今日決意したみたいな言い方してたのに結構前だね?じゃあ、指輪のサイズはどうやって調べたの?」
「チャコって朝はオレよりゆっくりやろ?やけん、チャコが寝てる時にこっそり測らせてもらった!」
「だよね。というか……起きなかったんだ、俺。——じゃあ、アルの誕生日パーティーが終わった後に部屋でずっと黙ってたのは?」
「あれはー……き、緊張してた。チャコもオレと同じ気持ちだったらいいなーって思ってたら、心臓バックバクになって全然上手く喋れんし……」
「あー……」
チャコから発せられる大量の質問に答えていたアルペックが、ポンポンとチャコの頭を撫でてくる。チャコが被っているパーカーのフード越しに触れてくるアルペックの手のひらの感触が心地よかった。
「それでさ、チャコ」
「うん?」
躊躇うような声色でアルペックに名前を呼ばれ、チャコは彼の右肩から顔を上げた。恥ずかしさはまだ残ったままだが、赤くなっていたであろう顔色はきっと落ち着いているはずだ。
「プロポーズの返事、教えてほしくて」
「……うん」
「なあチャコ、これからもオレとずっと一緒にいてくれる?」
そう告げてくるアルペックの言葉はあまりにもまっすぐで。彼と出会った時から何度関係が変わろうと、チャコにとってアルペックはちょっとだけまぶしいままだ。
こちらを覗き込んでくるアルペックの瞳をじっと見つめ返したチャコは、当たり前だというようにしっかりと頷いた。
「もちろんだよ。これからもずっと一緒にいてね、アル?」
「チャコ……!オレ、チャコのことしんけん大好きだ!」
「ふふ、俺もアルのこと大好きだよ」
「!!チャコ〜〜〜!」
チャコの返事を聞いたアルペックが、ぱっと顔を輝かせながら強く抱きしめてくる。気恥ずかしさから普段はなかなか「好き」とアルペックに伝えられていないチャコだったが、今は恥ずかしさよりも彼と同じ気持ちであることを伝えたいという想いの方が勝っていた。
「ねえアル。アルの分のエンゲージリング、俺につけさせて?」
「うん!」
勢いよく返事をしたアルペックがチャコを腕の中から解放し、自身の上着の左ポケットに手を入れた。数秒ほどアルペックはポケットの中をごそごそと探っていたが、あった!という言葉と同時に、ケースに入れられていない指輪がポケットから取り出される。その様子を眺めながら、この高台に到着するまで彼が両手を上着のポケットに突っ込んでいた理由にチャコは気がついた。きっと途中で落としてしまわないようにポケットの中で大切に握りしめていたのだろう。アルペックらしいなとチャコは微笑んだ。
「チャコ、これ……」
チャコの左手の薬指に嵌っているものと同じデザインの、サイズ違いのエンゲージリングがアルペックから手渡される。自身の左手でアルペックの左手を取ったチャコは、アルペックの左手の薬指にそっとエンゲージリングを嵌めた。
「へへ、右手の薬指はシロツメクサのペアリングで、左手はおそろいのエンゲージリングだな!」
「っ……」
満足そうに左手の薬指を眺めていたアルペックが、そう言ってチャコに満面の笑みを向けてくる。いつの間にか涙で滲んでぼやけた視界はそのままに、チャコはアルペックに抱きついた。すぐさまアルペックの両手がチャコの背中に回され、ぎゅっと抱きしめられる。
「アル、大好きだよ」
「うん!オレもチャコのこと、しんけん大好き!」
チャコの背中を撫でていたアルペックの右手が離れ、代わりにチャコのパーカーのフードに触れた。被っていたフードを外された後、チャコの眦に滲んでいた涙がアルペックの右手の親指の腹でそっと拭われる。
「ずっと一緒にいような、チャコ」
まるで願うように静かに揺れるアルペックの瞳を見つめ返していると、チャコの両頬がアルペックの手のひらに優しく包み込まれた。アルペックの左手の薬指に収まったエンゲージリングがチャコの頬に触れる。それを合図にチャコはそっと目蓋を閉じた。
薄暗の中で、ゆっくりとアルペックが近づいてくる気配を感じる。
心の準備をするかのように、ほんの少しの間を置いて——チャコの唇にアルペックのものが重なった。
無数の星々が瞬く夜空の下。永遠を誓い口付けを交わすチャコとアルペックの左手の薬指には、
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