世界は君を救えるか【 結界師長編 】
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墨村正守への一歩
「…少し速度を上げるぞ。」
『うん。ありがとう。』
「別に良い。代わりに向こうに着いた時の対処を迅速に頼む。」
ざざざ、と山の中を翡葉に担がれながら移動する。
目指すは裏会実行部隊、夜行の本部。
烏森の任務に当たっている間は帰る事は無いと思っていたのだがけが人も多く出ている緊急事態だと言われてしまえば仕方のない話だ。
『(限、良守君たちとうまくできるといいけれど。)』
少し不安だけれど、今夜と明日の夜は限だけで烏森での補佐を担当することになるだろう。
そんなことに考えを巡らせていた時ポケットに入れていた携帯が着信を知らせた。
≪黒凪?≫
『おはよう限。夜行の本部の方でごたごたがあったらしくてね…。だから今京と一緒にそっちに向かってる。』
≪…それでお前が?≫
『心配しなくても大丈夫。今回は正守君の代わりだから。』
わざわざ私が向かうのだから、どんな惨劇なのかと想像したのだろう。
限の不安げな声にすぐさま事情を手短に話すと、限は納得したように「わかった」と返答をした。
『それじゃあ限、数日烏森はあんたに任せるね。』
「ああ。…気をつけろよ。」
『うん。』
そろそろ本部に着く頃だ。通話を切り、正面に目を向ける。
副長である刃鳥から連絡が入ったのは昨晩のことだった。
夜行は小さな施設を複数所有しており、そこにはまだ戦闘に出ることのできない子供たちや非戦闘員が集まる寮などその目的は多岐にわたる。
それらの大半以上が数日の間に何者かによって襲われたのだという。
『数日間も事件が続いているのに、正守君が間に合わないなんてね。』
「頭領は今回遠方での任務が複数入っていたらしい。ま、それもすでに終わらせてこっちに向かってるらしいが…」
『それでも距離的に私の方が早く着くわけね。…私1人でどうにかなる話なら良いけれど。』
「…。お前の方が頭領より力は上なんだろ。」
そんな事無いよ、と目を逸らすも「頭領が言ってた。」となおも翡葉が言う。
黒凪は今度は何も言わない。
それでも翡葉は続けた。
これから戦場に向かう中、彼自身何かをしていないと気持ちが落ち着かないのかもしれない。
「やっぱり数百年生きてるだけはあるだろ。頭領は土地神クラスとも余裕に渡り合えるはずだって言ってたぞ。」
『それは買いかぶりすぎ。』
「それに…」
『それに?』
頭領は、
そう続いた翡葉の言葉の次を待つように沈黙する黒凪。
今になってこれを言っていいのだろうか、そう彼は不安になっていた。
「お前を…(信用していない、というか)」
『?』
ちらりと翡葉の色素の薄い、緑色の瞳が黒凪を移す。
「…俺は…お前を怖いと思ったのは、正直初対面の時だけだ。」
『? うん。』
「でもやっぱり経験や実力があると違うんだろうな。頭領は…」
『私をまだ怖がってる?』
まさにそれを暗に伝えたかったのだが。
その黒凪の言葉に頷いてしまうと、なんだか彼女を傷つけてしまいそうで。
そんなことを考えていた翡葉が言い淀んでいるとずっと走っていた森から抜けたのか、視界が開けた。
その先には夜行本部が見えて、目を凝らせば奥の方で煙が見える。
『!』
「(連絡が入ったのは随分と前なのに、まだ居るのか? …仲間を殺した奴が。)」
ザワ、と殺気が翡葉から溢れ出した。
黒凪は肩に担がれた状態で翡葉の頭に片手を置く。
『相手は私がする。…生きてる子が居たら一か所に集めておいて。』
「…分かってる。わざわざお前を呼び戻すほどの相手だ、俺じゃあな…」
『いい子。』
小さく笑った黒凪は翡葉の肩から降りると煙が上がっている方向へ走り出す。
ざざ、と妖気のする場所で足を止めれば血塗れで倒れている仲間の上に一人の男が立っていた。
帽子と、首に長いマフラーを身に着けた男。
この人物を私はよく知っている。
…ただ、周りにふよふよと浮いている黒い玉は初めて見たのだが。
『無道さん。』
「やはり正守君が来ないとなると君か、黒凪ちゃん。」
『なんです? その黒いのは。』
これかい?陽気に言って、くいと人差し指を折り曲げ黒い玉を操作する無道。
受けて見れば分かるさ、そうとだけ言うとその玉が一斉に黒凪に向かった。
それを見て結界を体の周りに反射的に作り上げる黒凪だったが玉が触れた途端にその結界がどろりと解けだした。
その様子に少し目を見開いた黒凪は絶界を発動し次こそ玉を退けた。
『おお凄い。結界を溶かすなんて』
「そうだろう?いやぁ、"こっち"に来て良かった」
『…一応聞いておきますけど、"こっち"とは?』
「君なら分かるだろう?」
ぞわ、と嫌な予感がした。
私は無道の元に"妖気"を辿ってやって来た。
人間である彼から妖気が出る筈が無い。
…と言う事は。
『…残念だ。人間を辞めてしまうとは。』
「ご名答。案外気分は良いものだよ。」
再び大量の黒い玉が黒凪に迫る。
それらを一気に絶界で弾き、ぐん、と無道との距離を詰めた。
無道は特に黒凪の接近を避けるでも邪魔をするでもなくどこか甘んじた様子でその絶界を受け、彼が瞬く間に消滅した。
…しかし。
『…』
「私の通り名を覚えているかな? 黒凪ちゃん。」
再びぽんっと手品のように現れた無道に黒凪は表情を変えず、絶界の幅を更に広げた。
それによって彼は再び消滅するがすぐに先ほどと同じように再生する。
ついに黒凪も表情を不機嫌に歪ませた。
『ふむ、改めて魂蔵持ちが相手だと面倒極まりないなあ。』
「何だ、知ってたのか。」
『身内にその類の人がいるもので。』
「ほう。身内…。」
再び無道を絶界で消滅させる。
そんな黒凪を見て再生を終えた無道は「殺し方は分かっているらしい」と笑った。
そして大量の黒い球体が黒凪の元へ一気に向かっていく。
…そんな時だ、黒凪が襲われていると勘違いした閃が焦ったように飛び出してきたのは。
「黒凪! 気をつけろ、その黒いのに皆…!」
『!(閃…!)』
黒凪が反射的に振り返るとその隙を突いたように無道の周りに残っていた複数の黒い玉が閃の元へ向かう。
黒凪はすぐに閃の元に結界を配置しようと指を構えた。
「良いのかい? 此方に気を使わなくて」
「影宮! 戻れ!」
閃にすぐさま翡葉の蔦が撒きつき彼を引きずっていく。
それでも翡葉の蔦が閃を追う黒い球の勢いに勝るはずもない。
黒凪が十重にも重なった結界を閃の前に配置しその瞬間に黒い球が黒凪の横腹を伝って彼女の腹部を貫通する。
血を吐きだし倒れる黒凪。
無道はそんな黒凪を笑顔のまま見下し、唇を舐めた。
「ごちそうさま。」
『…残念。』
傷が一気に塞がり黒凪がゆっくりと立ち上がる。
その様子を見て一瞬唖然とした無道はぱあっと笑顔を見せた。
「ほう!成程!」
『(よし、閃は無事だね…)』
「君も同類か! いやぁ、まさかの展開だな!」
なぜか嬉しそうな無道に片眉を上げつつも再び構える黒凪。
無道は笑顔のまま両手を上げ、黒い球体を構えた。
そして再びぶつかり合う2人。
しかし一向に互いの距離が縮まらない中、決着が中々つかない。
「いやあ、久々に高揚しているよ! なんたって…」
「――黒凪!無事か!?」
『!(正守君、来たか)』
「同族とこうして戦うのは初めてだからな!」
やっと任務先から駆け付け、今しがた戦闘に入ろうとしていた正守は己の耳に飛び込んできた無道の言葉にまるで出鼻を挫かれたような、そんな顔をした。
黒凪はそんな正守に目を向けることなく、正守の登場で出来た無道の一瞬の隙をついて結界を彼の体に突き刺した。
再び血を吐いて絶命した無道だったが次の瞬間には笑顔を浮かべてこちらに目を向ける。
「君とは長期戦になりそうだ。正守君も来た事だしそろそろ失礼しようかな。」
「!まっ…」
「ああ正守君。君とはまた今度だ」
黒い球体に足を乗せ、背中を向ける無道。
それを見た黒凪は最後のあがきだというように結界を足場に無道の元へ飛び上がり手を伸ばした。
『(届け、届けば勝つ…!)』
「!」
黒凪の手を見た無道は己の背中が急速に冷える感覚を感じ、スピードを上げ夜行本部から逃げるように姿を消した。
一歩届かなかった黒凪は地面に着地し、無道が姿を消した方向を睨むと、足元に広がる惨劇に目を移す。
『(…情けない、あんな若造を逃がしてしまうとは。)』
「黒凪。その腹、大丈夫か?」
『…。うん。問題ないよ。掠っただけだから。』
「そうか…」
少し安心したように息を吐いた正守はしっかりと夜行の救護班がまだ機能していることを確認すると黒姫を呼び出しすぐさま無道の居場所を探り始める。
その様子を横目に修復術で服を修復していた黒凪は徐に顔を上げて構えた正守の左手首を掴んだ。
「うわ、びっくりした…」
『ちょっと待っていて。あと少しで服の修復が終わるから。』
「…分かったよ。(ま、この人がいたら、俺が一人で行くより楽にことが進むか…。ダメだな、冷静になれ。俺…。)」
自分自身頭に血が上っていた自覚があったのだろう、正守は目頭を押さえ頭を横に振った。
と、静かになった現場に気が付いたのだろう。
翡葉と物陰に隠れていた閃が飛び出し、黒凪へ一目散に向かっていく。
「黒凪!」
『うん? ああ、閃…』
「お、お前大丈夫なのか!? さっき"また"死んでただろ!?」
「え…お前また?」
正守は閃と翡葉から飛び出した言葉に眉を寄せた。
また死んだ、だって?
そう確認する様に言った正守に次に驚いたのは閃と翡葉の方だった。
え、知らないんですか!?と言った風な反応に正守は更に混乱する。
「…志々尾が暴れた時に俺と翡葉さんを護って1回死んでるんです。」
「は…?」
「え…結界師って皆そんなことできるんじゃないんですか?」
「いやいや、結界師だってそんな芸当はムリだろ…」
そうだろ? 黒凪。
そう向けられた正守の視線に黒凪が観念したように肩を竦める。
「…無道さんが言ってた"同族"ってのはこれの事か?」
『まあ…そうだね。どちらかといえば体質のようなものだなんだけれど。』
「一体どういった…」
『簡単に言えば自分以外の者から力を奪う事が出来、その力を自身の中に無尽蔵に蓄える事が出来る。人はそんな人間を "魂蔵持ち" と呼ぶ…』
その力の使い道は私達の自由。
分け与えるもよし、自分に使うもよし。
さらに力が蓄えられているうちは、その力が絶えない限り本人が死ぬことはないというチート性能付き。
初めて聞く体質、というか能力に言葉が出ない様子の3人。
『さっき無道さんが息の根を止められても何度も生き返っていたのは、魂蔵の力によるもの。』
黒凪の視線がちらりと倒れている夜行の面々に向いた。
『倒れている皆の状態を見る限り、恐らく全員彼に命を奪われたんだろうね。それは勿論全て蓄えに回るわけだから、今の彼を何度殺せば終わるのか…』
「…なるほど、思っていたよりも厄介そうだ。」
『うん。だから今できる最善は…』
「これ以上力をため込む前に、叩くこと。」
正守の言葉に頷いた黒凪。
それを見て正守はすぐに蜈蚣を呼び寄せた。
幸いにも蜈蚣は無事だったようで、すぐにこちらに駆け寄りムカデを召喚する。
それに乗り込んだ黒凪は不安げにこちらを見る閃と正守に目を向けている翡葉に目を向けた。
『閃、心配してくれてありがとう。京と一緒にここをお願いね。』
「…気をつけろよ。」
『うん。』
「頭領、此処の後始末は俺がしときます。お気をつけて。」
『あ、京。ちょっとこっちきな。』
ああ、と黒凪がしようとしている事に気づいた翡葉が黒凪に向かって手を伸ばす。
そんな彼らの様子に見当がつかないのだろう、正守は小首を傾げてその様子を見ている。
黒凪は翡葉の手を握り、少し目を細めた。
途端に湧きあがった物凄い力に正守が目を大きく見開き、黒凪に目を向ける。
率直に思ったのだ、烏森と似ていると。
『…どう?』
「あぁ。これならいつもよりマシに動ける。」
「じゃ、此処は頼んだ。」
「はい。」
頭を下げた翡葉と閃に片手を上げて返す正守。
そして黒凪と正守は蜈蚣と共に無道の元へ進み始めた。
無道が逃げた場所までは少し距離がある。
夜風に当たりながら正守が徐に口を開いた。
「…さっき翡葉にしたのは?」
『魂蔵にある力を少し分けただけ。魂蔵持ちは誰でもできるみたい。』
「ふーん。なんか魂蔵持ちってとことんチートっぽいね。烏森みたいだ。」
『はは。言えてる。…でも烏森はそんな次元のものではないからなあ。』
あれは神佑地の中でも特別だからね。
まだ正守自身烏森についてはわからないことばかり。
しかし黒凪が言った、特別、次元が違うという言葉にだけは妙に納得が行く。
それほど烏森は特殊な場所だから。
そんな会話をしていると無道が居ると思われる場所へ辿り着く一行。
そこは小さな祠がある神佑地だった。
神佑地である事に気付いた黒凪と正守は脳裏に過ったある"可能性"に眉を寄せる。
『入り口は…』
「…見つけた。」
小さな社の中に鏡が此方を向いておいてある。
その表面が微かに波打つ様に揺れていた。
正守は躊躇する事無くその鏡の水面に手を差し込んだ。
「…聞こえるか、土地神よ。そちらの神佑地に侵入した男が居る筈だ。」
そんな正守の手に続くように黒凪が手を差し入れる。
途端に水面が少し揺れたような気がした。
『…淡幽殿、黒凪です。中に入っても良いですか。』
途端にずるりと手が現れ正守と黒凪の腕を掴み、そのまま力づくで中に引きずり込んだ。
そしてどさ、と倒れ込み顔を上げれば苦しげに項垂れている土地神、淡幽と
その前でゆらゆらと浮かび笑顔を浮かべている無道が目に入る。
「おや、随分遅かったな?」
「…無道さん」
無道は一歩前に出た正守に笑みを深める。
一方の黒凪は淡幽の上で大きくなりつつある無道の操る黒い球体に眉を寄せた。
淡幽の疲れ切った目が黒凪の方に向く。
その視線を追うように己の背後を振り返れば彼の使いである少女達が大量に倒れていた。
『(惨いことを…)』
「大量に此処の者を殺めた様ですね。それ程力と寿命が必要ですか。」
「ふふふ、何に対しても理由を求めるところは本当に変わらんな。」
「…何故仲間を殺した。不死身と謳われたアンタが妖に身を落としてまで力を追い求めるとは到底思えない。」
「はて、それはどうかな。」
ぐあ、と淡幽がうめき声をあげ眉を寄せた。
途端に彼の腹の上にあった、限界にまで膨れ上がったかのような黒い球体が無道の元へ向かう。
それを見送った黒凪が徐に淡幽の額に手を触れる。
「黒凪、土地神は無事か?」
『…どうにか出来る。神と妖には比較的力を分けやすいから』
「"神と妖には"? …ふはは、正守君。また君が選ばれることはないらしいな!」
「選ばれる?」
知らないのか、ならば教えてやろう!
わくわくとした表情で無道が言った。
正守は眉を寄せ無道を睨む。
「魂蔵持ちには他人に力を分け与える能力がある。ただしその対象は"共鳴者のみ"。」
「共鳴者…?」
「ああ!どうやら彼女の共鳴者は神や妖の類だけらしい!つまり万が一にも君ではない!」
それはつまり、たとえ君がここで俺に瀕死に追い込まれようとも
黒凪ちゃんはお前には何も与えられない。
なぜなら君は選ばれていないからだ。黒凪ちゃんの魂蔵に。
ひひひ、とまた無道が笑う。
正守が絶界を発動させた。
「話はそれだけか?」
「なんだ、思っていたよりキレてるな」
「…」
「噂に聞いたが、弟の方に正当継承者の証が出た為に家出して来たんだろう? 裏会には。」
ざわ、と正守から殺気が溢れだす。
その様子を見た無道は「素直だな!」と笑うと黒い玉を刃物の様に尖らせ正守の絶界にぶつけた。
淡幽の力を吸い込んだ無道の力は強大で絶界ごと正守を斬りつける。
「それだけの才能と実力があっても、君は一度たりとも満足した様子を見せなかった。」
正守の目が無道に向き、その目を見た無道がにやりと口元を吊り上げた。
「それは何故か? 誰にも、何にも "選ばれなかった" という劣等感が君をいつまでも縛っているからだ。」
【…ぐ、】
『!…淡幽殿、ご無事ですか。』
ゆっくりと目を開いた淡幽は虚ろな目で黒凪を見た。
その様子からかなりの生命力を奪われたと想定できる。
黒凪が再び淡幽に声をかけようとした時、無道の周りを巨大な妖気が包んだ。
変化する。そう直感で感じ取った黒凪は顔を上げ、無道と正守に目を向ける。
そしてようやく妖気の渦が晴れた先には青年の年齢まで若返った無道が立っていた。
その様子を見た正守が無表情に言う。
「…まさか、若返る事が目的だとでも?」
「違う。それでは不完全だ」
「ならば何の為に―…!」
「一から全てをやり直すのさ。赤ん坊に戻り、生まれる前に戻る。」
そんな事が可能だとでも、
そう言いかけた正守の言葉を遮って無道は言った。
出来るさ、今の俺なら。
「全てを始めからやり直し、矯正し!……そうして俺は完全になれる…」
「…」
「不服だと言いたげな顔だな。そんなに俺がこの判断をした事が気に食わないか?」
無道の手に先程とは比にならない程の妖気を纏った黒い刃が現れる。
その鋭い刃が再び正守の絶界を切り裂いた。
正守は無表情になると結界を足場に走り出し無造作に結界で無道を攻撃していく。
無道はその攻撃を往なしながら口を開いた。
「おいおい随分乱暴だな。怒りは集中力を遮ると教えた筈だぞ?」
「…」
「くくく…分かっているぞ。君は俺を手本にしていた、だからショックを受けている。」
「…違う」
俺を信じたのだろう?
小馬鹿にした様に、しかし重く。
発せられた言葉に正守の顔が微かに歪んだ。
黒凪は淡幽を回復させながらその様子を目を逸らさず見ている。
「あの化物揃いの裏会の中で俺は少しでもまともに見えたんだろう! 違うか!」
「う、ぐ…!」
無道の猛攻についに顔色を少し変えた正守。
そんな彼を様子を見て黒凪が眉を寄せる。
しかしまだ淡幽の元からは離れられない。
『(正守君…)』
【…数百年ぶりだな、結界師…】
声を発した淡幽に驚いて黒凪が振り返る。
まだ完全に力は取り戻していない様子だが、幾分か顔色は良くなっていた。
あの男の元へ行け。此処はもう良い。
無表情に放たれた言葉にもう一度淡幽の顔を覗き込んだ。
『…淡幽殿、この地を完全に閉じる事は可能でしょうか?』
【元よりそうするつもりだ。これ程まで荒らされては立て直せん…】
『わかりました。…ただ少しお待ちください。』
【分かっている…。巻き添えにならぬようにしてやれ。】
そろそろ決着を付けようか、そう言った無道が再び黒い刃を2つ作り上げ正守にぶつける。
正守はどうにか絶界で受け止めたが今までとは更に比にならない程の妖気とパワーに眉を寄せた。
ミシミシと絶界が音を立て、正守が痛みに顔を歪ませうめき声をあげる。
そんな正守の背中に黒凪の手が添えられた。
『…正守君』
「!」
正守が驚いたように黒凪を見た。
そりゃあそうだ。絶界の中には何人たりとも入ることができないはずなのに。
そんなことを正守が考えている間にも黒凪の力の影響で
ぐん、と威力が上がった絶界は無道の攻撃を消滅させた。
「…どうやって絶界の中に、」
『できるか半信半疑だったけど、術を読めたから。』
「術を読めたとしても、絶界は…」
正守の言葉に黒凪が小さく微笑む。
途端に、無道によってつけられていた正守の傷が一気に塞がった。
その様子を見て無道が微かに目を見開く。
無道の表情を見た黒凪は挑戦的に微笑み、正守は何が何だか分からないと言う様に唖然と黒凪を見ている。
「…まさか。」
無道の言葉と同時か否か。
正守と完全に同調した黒凪の力も加わり絶界が一気に広がった。
絶界に触れた無道が一瞬消滅し再び生き返る。
黒凪がにやりと笑い膝をついている正守の首に腕を回しぐっと自分に引き寄せた。
『この子は私の "共鳴者" らしい。』
正守が大きく目を見開き無道も眉を寄せる。
その一瞬を見逃さず黒凪が一瞬淡幽を見た。
その目を見た淡幽がすうっと目を閉じる。
すると無道の身体から羽が溢れ出し、突然の出来事に無道が目を見開いた。
「なんだ…?」
『土地神に喧嘩を売るからこうなるんですよ。淡幽殿はこの世界を完全に閉ざします。…もう逃げられない。』
「ふん、その程度の事…」
『いや…例え最大限に力をため込んだ魂蔵持ちでも攻略は不可能です。世界を閉じると言う事は中に居る万物は完全に解体されるということなのでね。』
無道の目に微かに動揺が見えた。
黒凪が付け足す様に「空間支配術の術者は別なんですがね。」と言うと無道がすぐさま背を向ける。
しかし正守がすぐさま立ち上がり黒凪を抱えて無道の元へ向かった。
無道のマフラーを掴み取る正守。
そのせいで彼が絶界に触れその体の一部が消滅した。
「逃がさない。あんたには聞きたい事がある」
「ぐ…!」
「何故貴方がそこまで変わったのか。…それだけ聞きたい」
それを教えてくれたら一緒に逃げてあげますよ。
正守がゆるく笑って言った。
その言葉に耳を貸さない無道は更に小さな少年の姿に変化すると今までで最大の妖力を籠めて神佑地にぶつける。
しかし崩壊は免れる事は出来ず妖力も瞬く間に解体された。
「っ…」
「答えて下さい、無道さん」
「…ふふ、嘘付きめ」
無道が今度は自分から絶界に入り込んだ。
体が消滅する中無道は正守の首元をぎりぎりと締め付ける。
その予想外の行動に正守は目を見開いた。
「こんな他人を拒絶する結界でどうやって俺を助ける! 言ってやろう、お前の本質を!」
すぐ目の前で己の絶界の威力によって消滅していく無道を間近に見る正守の瞳がぐらりと揺らいだ。
「お前は拒絶する事でしか世界を作れない!…お前はずっとこれから先も独りだろう、そんな人間を」
烏森が選ぶものか――!
カッと正守が目を見開いた。
そんな時、黒凪が無道の手を掴む。
すると無道は一瞬で塵の様に消滅し、すぐさま少し離れた場所で再生する。
『余計なお世話ですよ、無道さん。実際烏森が正守君を選ばなかったのは単純に相性が悪かっただけ。』
「っ…」
『それにこの人を独りにする気は毛頭ありませんから、心配しないで。…少なくとも私だけは、この子に何度拒絶されようともその中に入り込めるようですから』
正守のどこか泣きそうな、驚いているような…様々な感情が混ざったような顔が黒凪に向く。
そんな中無道は黒凪を睨むと、やがて諦めた様に笑顔を見せた。
「…良いだろう、冥途の土産だ。俺が変わった理由を教えてやろう。」
「!」
「俺は気づいてしまったのさ、この世に存在する圧倒的な存在に…!」
何度刃向かっても勝てなかった。
何度も何度も虫けらの様に殺された。
無道の言葉に正守は眉を寄せ黒凪は無表情に無道を見る。
無道の表情が怒りを含んだものに変わった。
「俺は自分の能力を特別なものだと自負していた。…だが違った。これまでの激しい嫉妬を覚えたのは初めてだったよ。」
俺はこの圧倒的な存在にこれ以上無様に敗北を期することをしたくなかった。
"だから人間を辞めた"。奴等に近づいたんだ。
「奴等?」正守が眉を寄せながら問い返す。
そろそろ無道の身体が神佑地の消滅に伴い消えかかっていた。
「お前も目の当たりにすれば俺の言っている事が分かるさ。」
『分からなくていい。』
「!」
『力を追い求めるだけなんて虚しい事はしなくて良い…。』
黒凪が静かに言い放った。
そんな黒凪を見ていた無道はバラバラに消え去りながら笑い、口を開く。
微かな声だった。
「…変わったか?」
『?』
「君の様な人間が側に居れば」
「!無道さ…」
ふっと周囲が暗くなった。
おっと、と黒凪が絶界を強くする。
しかし正守は耐え難いのかガクリと膝を着いた。
完全に閉じた世界を見渡しすぐさま正守が黒姫を出現させる。
『…入り口は?』
「…。あった。丁度俺達の右に」
『分かった』
黒凪が手を伸ばしそのわずかな歪から道を作り上げていく。
手際の良い黒凪に正守が微かに笑った。
ん?と正守を横目に見る黒凪。
「ついて来てもらってよかった」
『…うん。…ほら、行くよ』
手を伸ばす黒凪。
しかし正守は戦闘の疲れもあってかその場で意識を失った。
ため息を吐いた黒凪は自分の身体に魂蔵に蓄えていた力を流し込む。
すると黒凪の身体が少し成長し20歳程の姿になった。
着物がきつくなり髪が腰まで伸びている。
『…重っ』
どうにか正守の腕をつかんで持ち上げ、出口へ向かって歩いていく。
やっとの思いで外に出た黒凪は足元に結界を作り上げ、夜道の中を進む。
すると遠目に待機している蜈蚣が見えた為手を振った。
すぐに蜈蚣が近づき正守を血相を変えてムカデに乗せる。
「黒凪さんもすぐ…に……」
『うん? …あ、ごめん。元に戻すから』
黒凪の身体が元に戻り、14歳の姿へ。
ぱちぱちと瞬きする蜈蚣ににこりと笑顔を向けた黒凪は微かに感じた気配に背後を振り返る。
そして黒凪は結界で足場を夜行とは逆方向に長く作ると蜈蚣を振り返った。
『正守君を夜行本部へ送っておいて。私は後から向かうから。』
「わ、わかりました…」
手を振って蜈蚣を見送り、歩き出した黒凪。
暫く歩いてやっと視界に入った人物は黒い髪を1つにまとめ、念糸で拘束した龍の上に胡坐を掻いていた。
『久しぶり、守美子さん。正守君が心配で来たのかな?』
「いいえ? お姫様がいらっしゃったから来ただけです。」
そういってゆらりと微笑んだのは墨村守美子。
体の調子はどうですか。
無表情にそう問う守美子に黒凪は薄く微笑む。
そしてついとその視線が守美子が乗る龍に向かった。
『高貴な妖をそのように扱うのは…少し賛同できないかな。』
「そうは言っても、私よりも力は下ですが…。」
『それでも人間には超えてはいけないラインがあるものだよ。』
黒凪が空間を捻じり一瞬で守美子の背後に移動する。
そしてぽんと彼女の肩に触れれば微かに目を見開いた守美子がガクリと膝を着いた。
それと同時に龍が暴れ出し守美子が振り落される。
それを追う様に動いた龍は守美子に向かって口を大きく開いた。
その口を結界で固定した黒凪は守美子の腕を掴み結界で彼女のために足場を作る。
『手荒なことをしてすまない。…でも君は、力がありすぎる故に少しずれている。』
「…すみません。私、本当にそういうことには疎くて。」
【結界を解け結界師…! 貴様の同胞だろうと食う!!】
『貴方の怒りはよく分かります。しかし勘弁してくださいませんか。』
そう穏やかな声で語りかける黒凪だったが
龍は結界を噛み砕き血走った目を守美子に向けた。
守美子は無表情に龍を見返し何も言わない。
【ならば貴様ごと食わせてもらう…!!】
『私は同じことは繰り返しません。』
一気に殺気で圧力を龍に掛けた。
すると龍は身の危険を察知したのか動きを止める。
黒凪の冷たい目がチラリと向けられた。
ぎり、と歯を食いしばった龍は風に紛れて姿を消す。
守美子が申し訳無さ気に、しかし無表情に口を開いた。
「すみません。私、昔から他人の感情とやらが全く読めないもので。」
『…参考までに言っておくと、相当怒っていたよ。』
「そうですか。…無理強いしたのが良く無かったのですかね…。」
無表情に言った守美子に黒凪がため息を吐く。
近場の建物に守美子を降ろした黒凪は彼女に背を向けた。
守美子が微かに笑顔を見せて口を開いた。
眼だけはやはり笑わない。
「流石、頭が上がりませんわ。私はこれでしばらく動けませんから…」
『申し訳ない、思っていたよりも多く力を奪ってしまって。』
「いいえ。…もしよければ、その力を正守に渡しておいてください。」
『…!』
「あの子、良守に対しての劣等感がすごいんです。…少しでもあなた様のおかげでそれが楽になるなら、嬉しい。」
守美子がそう言って無機質に微笑む。
名前はそんな守美子に小さく笑って、再び結界で足場を作り夜行本部の方へ歩き出す。
すると途中で戻って来ていたのか、蜈蚣が黒凪を見つけると手を大きく振った。
ムカデの上には正守が目を覚ました状態で座っており「乗って行けよ」と微笑んで黒凪に声を掛ける。
「ちなみに本部の方は大丈夫そうだから、このまま俺たちで烏森に送るよ。」
『本当? ありがとう。限のことが心配だったんだ。』
素直に応じた黒凪はムカデに乗って正守と共に烏森へ向かい始める。
「…さっきはありがとう」
『うん。怪我は大丈夫?』
「大丈夫。…俺さ、」
ぽつりと呟く様に切り出した正守に黒凪は目を向ける。
その横顔はやはり先程会った女性によく似ていて。
黒凪は思わず笑みを浮かべ目を細めた。
「今まで無道さんの言う通り良守に劣等感を持ってたんだと思う。どうやったってあいつの様にはなれないって。」
『うん』
「でもちょっと考えが変わった。正当継承者として表で戦えないなら裏に居よう…。誰にも選ばれないなら、俺も誰も選ばない。そう思ってた。けど…」
そんなふうにひねくれず、頼るときは頼るべきだろうね。
誰か信頼できる、頼れる人にさ。
例えば…君とか。
正守が笑顔を黒凪に向ける。
「じゃないと俺、無道さんみたいに力だけを追い求めちゃいそうだし。」
『…うん。私も正守君に頼られたら凄く嬉しいし、それに全力で応えたい。あなたは私の数少ない共鳴者だから。』
「…誰かに選ばれたのなんて初めてだ。」
やっぱり俺は選ばれなかった方だからさ。
右手の手のひらを見て言った正守。
そんな正守を見て黒凪は膝を抱えて空を見上げた。
『選ばれなくたっていいんだよ。私だって選ばれなかった側だし。』
「…そう言う訳にも、な」
『開き直れば良い。良守君の様になる必要なんて無いんだから。』
そのままでいれば良い。
暗い所で戦ったって良い。拒絶したっていい。
だってその代りに貴方は強い力を手に入れた。仲間も手に入れた。
それで良いよ。
『それでもし、無道さんの様に暗がりに足を踏み入れそうになっても…絶対に私が止める。君を独りにはしない。』
「…うん、ありがとう。」
「…あの、着きました」
太陽が昇り始めていた。
見えた烏森にムカデから身を乗り出すと屋上に立つ人影が見える。
その人物が誰だかわかった黒凪は彼の足場となる様に結界を5個程作りあげた。
すぐさまそれを足場にムカデに乗り込んだのは…
『ただいま限。待ってたの?』
「あぁ」
「健気だなぁ。」
「!…頭領…」
ぽかーんとした様子で正守を見る限。
黒凪はそんな限に手を伸ばし、限はその手を取ると黒凪を抱き上げる。
日が昇って来ている、そろそろ帰らないとまずい。
しかし黒凪は耳に届いた微かな声に烏森を見た。
『…限、帰る前に屋上に寄ってくれる?』
「…分かった」
限がムカデから飛び降り、黒凪を抱えたまま屋上に着地する。
すると烏森からズン、と力が溢れだした。
その力に気付いた正守と蜈蚣はばっと烏森を覗き込む。
限も怪訝な顔をしながら黒凪を屋上に降ろした。
『(…ただいま)』
「姉上」「帰って来た」「お帰り」「姉上」
『(悪いけど、少し力をくれるかな。大分外に出してしまったから。)』
「いいよ」「構わない」「どれぐらい」「沢山あげようか」
黒凪は普通で良いよ、と呟く様に言うと目を閉じた。
ムカデは人の目に付きやすい、そろそろ人が動き始める…
このままここに留まっていては未確認生命体だなんだと騒がれてしまう。
小さく頷いた正守は後ろ髪をひかれる思いで烏森を後にする。
選ばれなかった方
(何故自分が選ばれなかったのかと、苦悩した。)
(自分より才能ある弟を憎んだこともあった。)
(そうして家を出て、自分なりに色々と試した。)
(だけどやっぱりあの劣等感は消えなくて。)
(ああ俺は、きっとこれからもずっとこれを抱えて生きていく。)
(そう、思っていた。)
(俺を選んだ変わり者と出会うまでは。)
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