世界は君を救えるか【 結界師長編 】
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裏界への一歩
一方、裏会総本部の中にある異界…覇久魔の最深部。
時音は既に何時間も走り回り、まほらを探し続けていた。
外の様子や時間はもはや分からないが、良守たちも既に宙心丸の封印の大詰めへと進み始めているはず。
それなのに、自分がまほらを説得できなければ何もかもストップしてしまう。
そんなプレッシャーの中、時音がついに動かし続けていた足を止め、痛む喉から声を絞り出す。
「…まほら様ぁ…!」
すると、ついにその声に反応が初めて帰ってきた。
しかしその言葉は時音が予想したどの言葉とも違っていて。
【――呼べ。】
「っ?」
【俺と話しをしたくば…あの娘を呼んで来い。】
あの娘…?
聞き返した時音に声が静かに答えた。
その名に目を見開いた時音ははっと胸元に入っている式神に手を伸ばす。
【――…間、黒凪。】
「え…」
【何百年も昔に…一度眠りを妨げられた事がある…。】
あの娘はお前よりよほど此方に近しい奴よ…。
その言葉を聞いて時音が迷わず胸元にある式神を握りしめ、そちらに向かって口を開いた。
「黒凪ちゃん――!」
『!』
黒凪がぴく、と肩を揺らし顔を上げる。
そんな黒凪に隣に立っていた正守が彼女の顔を覗き込んだ。
「黒凪?」
『…時音ちゃんが呼んでる。』
薄く光る式神を胸元から取り出し、黒凪が空を見上げる。
すでに竜姫と七郎が巻き起こしているこの嵐はゆうに5時間ほどこの裏会総本部付近に停滞している。
恐らく警報が既に出され、周辺に住む人々はここら一体を離れていることだろう。
「行きなよ、黒凪。時音ちゃんが君を呼ぶってことは、覇久魔の主の説得に難航してるんだろ?」
『…すぐに戻るからね。』
「うん。」
途端にまばゆい光を起こし、黒凪の式神が彼女を包み込んだ。
そうして姿を消した黒凪を見送り正守が先ほどの彼女と同じように空を見上げる。
もう日が落ちかけていた。
『――来たよ、時音ちゃん。』
「黒凪ちゃん…!」
黒凪が時音の顔を見て眉を下げる。
額には汗がにじんでいた。
随分と走り回ったことが見て取れる。
【――…あぁ、来たな】
そして耳に届いたその不思議な声に2人が振り返ると、そこには髪の長い美しい少女の様な姿をした存在が浮かんでいた。
「(この人が…まほら様…? 美少年というよりは、美少女って感じだけど…)」
『お久しぶりです。…そろそろ起きるべきでは?』
【…いや…まだだ…】
まだ俺が手を下すには早過ぎる。
淡々と言った目の前の存在に黒凪が目を伏せた。
【――覚悟は?】
『出来ています。』
【…なら良い。お前が現れたと言う事はその女が言っている事も強ち間違いではないのだろう…。】
恐らく封印のことを言っているのだろう、黒凪が小さく頷いた。
【結局随分と時間を費やしたな…。】
『…ええ。』
眉を下げてそう応えた黒凪が時音をその場に座らせ、その頭をぽんと撫でる。
そんな黒凪達には目も向けず、そこに浮かぶ存在が上の方に目を向けながら口を開いた。
【… "上" の鎮圧に行け。】
この真っ暗な空間に響き渡るような不思議な声。
そんな声でそうとだけ言い黒凪に目を向けた存在は次に時音に目を向け、黒凪をこの空間から吐き出すように彼女の背後に入り口を作り、彼女を押し出した。
【俺はそこの女ともう少し様子を見る。】
『…はい。』
そうして黒凪がこの異界から吐き出され、時音が改めてそこに浮かぶ存在に目を向ける。
黒凪とその存在が交わしていた会話の意味を考えながら――。た。
「全く…! 零号も遥も、水月まで何処へ行った…!」
苛立った様子で屋敷の中を歩き回る日永。
そんな彼が通り過ぎた廊下に吐き出された黒凪は振り返った日永の視線から逃れるように壁に隠れる。
そうして何も言わずに去っていった日永に息を吐き、黒凪が徐に正守に電話をかけた。
≪っ、もしもし?≫
電話口から破壊音のような音が聞こえてくる。
やはり既に開戦したらしい。
『異界への入り口は見つかった?』
≪いや、まだ…≫
『複数ある建物の内、中央に立つ建物の中に宝物殿がある。その天井画が異界の入り口だから。』
≪っ、わかった。黒凪は今どこに?≫
『もう異界の中だよ。早くおいで。』
黒凪の言葉に「わかった」と返して正守が通話を切る。
そして携帯を仕舞い、壁を通り抜けながら日永が探していた水月たちを探しまわる。
そうして黒凪は日永よりも先に彼女らの居場所を見つけ出した。
黒凪がその部屋に入り込んだ途端に怯えた記録室特有の瞳が黒凪を映し、奥のベッドで眠っている遥を護るように立ち上がる水月。
そんな水月に黒凪が眉を下げた。
『…水月様。』
「っ、」
水月と遥に近付こうとすると、水月が目を見開き一気に邪気が溢れ出す。
黒凪を近付けまいとしているのだ。
その様子に目を細め、黒凪が足を止める。
『…水月様、外に出ましょう。』
「…え」
『そろそろ日永殿の命も尽きる頃です。…貴方はあの人の側に居なければならない。』
「…そう、貴方はあの人から本当に全てを教えて貰ったのね…。」
眉を下げ、泣きそうな顔で言った彼女に黒凪が微かに目を見開いた。
…思い出されたんですか。
黒凪の言葉に水月が小さく頷いた。
「なんて惨いことを、私はあの方にしてきていたのかしら。」
『…貴方のお人柄は、それとなく分かっているつもりです。今回日永殿から離れたのは彼を助けるためですね。』
「…ええ。…月久様に言われてこの部屋に。」
月久。その名前に黒凪が目を見開く。
「月久様は零号を乗っ取っています。恐らく零号が月久様の前の憑代の体を破壊した時…」
『(あの時に…?)』
全く気づけなかった。
やはりあの人はあれでも相当上位の術者…生き延びていたのか。
『来てください、水月様。』
「でも私は…」
『日永殿は月久殿が生きていることに気づいていない。』
このままでは。
苦い顔をして言う黒凪に水月が目を見開く。
そして2人で遥を連れて部屋から出た途端、ざわ、と呪力が何処からともなく溢れ始めた。
「この力…」
『遅かったか…』
黒凪が眉を寄せ、水月の手を取って走り出す。
そしてもう片方の手を屋敷の壁に這わせ、この異界の中の状況を把握するように黒凪の気配が広がっていった。
『(日永殿は…、!)』
方向を変え、血を流して倒れている彼の元へと向かう。
零号…嫌、月久が零号の力を使って剣を具現化させ、日永に向けているのが見えた。
「あの…!」
『月久殿が日永殿に致命傷を負わせたようです。』
「そ、そんな…」
『でも…相打ちが妥当かな。』
え。と水月の言葉が止まる。
ザワ、と巨大な呪力が日永から溢れ出した。
日永殿が月久殿に黙ってやられるなんて…その力の差が許さない。
『私は先に行きます。水月殿も急いでください。』
「あ…」
水月が今まで目の前を走っていた少女に捕まれていた、己の手首に目を落とす。
きっと壁をすり抜けた方が早いと、…まだ迷う私を足手まといだと、判断したのでしょうね。
そしてもそ、と動いた腕の中の遥に目を向け、目覚めた遥に泣きそうな笑顔を向けた。
『――日永殿…!』
「…黒凪」
背中に大きな風穴を空け、項垂れている日永。
そんな彼の傍には同じほどの致命傷を受けた零号、いや、月久が倒れている。
日永はそんな月久を前に徐にその力を彼の方へと向かわせていった。
「…私を…殺すのは少し待て…。月久から、記憶を取り戻す…までは…。」
「――な、」
聞こえた声にはっと目を見開いて振り返れば、そこには先ほど教えた異界への入り口を抜けてきたのだろう、唖然と目を見開いて日永と月久を見る正守が居た。
当然の反応だろう。倒そうと意気揚々と乗り込んだものの、その対象は既に戦闘不能とは…。
正守は目元を片手で覆い深いため息を吐いた。
「…なんだよ、結局こんな役回りか。」
「…あぁ、お前は墨村の…」
お前も私を殺しに来たんだな。
衰弱した様子で言った日永に「…一応、ね」と墨村が困った様に言った。
放っておいても死ぬ様な傷だ、胸を張って殺しに来ましたと言える様な状況でもない。
「もう少しだけ待ってくれないか、…月久の記憶を探っている最中だ」
「…そいつはあんたの部下だろ?…まさか逢海月久が乗っ取ったのか?」
「まあ、そんなところだ。此処まで気づけないとは…我ながら情けない…。」
その言葉を聞いて眉を寄せた正守が静かに日永に近付いた。
やはり今までそんな風に他人の身体を乗っ取って生きて来たんだな。
正守の言葉に日永が目を伏せる。
それを見て正守が続けた。
「お前達のくだらない兄弟喧嘩の所為で何人犠牲になったと思ってる。」
「…。」
「…黙るなよ。お前等の所為で…!」
「お前は自分の異能をどう思う?」
唐突に返された質問に正守が言葉を止めた。
ゆっくりと起き上がる日永の背に手を添える黒凪。
――お前は、自分の運命を呪った事があるか。
再び問う言葉に正守が眉を寄せ、黙り込んだ。質問の意図を思案するように。
「私は嫌いだったんだよ。自分の異能が嫌いだった。…自分の運命を呪った。全てが…全てのものが気に食わなくて。」
淡々と紡がれた日永のその言葉は虚しく消えてゆく。
「人の心など覗いても何もない。…ただ、人を信じられなくなるだけで。」
ぽつり、ぽつりと懺悔だろうか。
それとも過去を思い返しているのだろうか。
感情の読めない表情のまま日永が口を動かす。
「それでも自制が効かず心を覗いてしまう自分が嫌で、…長年自己嫌悪に陥っていた。」
…そんな時、天女の話を風の噂で聞いた。
天女は不思議な力を持ち…願いを叶えてくれると言う。
そしてあの時の私は…藁にも縋る思いで天女の居る地、龍仙境へと向かった。
「! (龍仙境って確か、竜姫さんの出身地…)」
「まあ、人の噂など信ぴょう性のないものばかり。結局天女はいなかったんだがな。…だが、天女の様な女には出会った。」
あれほど美しい女がいるのかと驚いてな。…力を使えば早かったものを、必死に口説いて妻にした。
薄く笑いながら言う日永に正守は何も言えずただ立ち竦んでいるだけだった。
黒凪も何も言わず日永の背に手を添えて支えるだけで。
「あの時の私は初めて生きる気力というものを発揮していたんだろう。…多分、だが。」
「…多分?」
「もう覚えていないんだ。これは水月…妻の奥底に眠っていた記憶を私が読んで理解したものでな。」
「(待て、水月? それって確か記録係の目を持った女のはず…。彼女を黒凪は月久の妻、と。)」
ちらりと黒凪を見て、そして彼女の表情を見て。
ああ、これを彼女は言いたくなかったのか。
そう思った。そしてこれだけではなく、もっと話を聞かないと。
そこにはきっと、彼女がそうしたいと思うような理由が秘められているはずだと。そう、思った。
「それから龍仙境で一生を過ごしても良いと思っていたが…水月が外の世界を見たいと言ったのでな。…共に全国を旅して回る事にした。」
それが間違いだったのだろうな。
嘲笑を浮かべ、日永が続ける。
「やがてとある土地で異能者達の怪しげな宴に遭遇してしまった。…それを仕切っていたのが月久だった。」
「…待て、どういう事だ? アンタ達は兄弟なんじゃないのか?」
私はずっと騙されていたんだ。
…記憶を消され、書き換えられ。
私とあいつは兄弟でもなんでもなかったのに。
その言葉に正守が愕然とした様に目を見開いた。
「偶然似た能力を持っていて、あの時には奴の方が俺よりも力が強かった。…ただそれだけだ。」
正守が息を飲む。
そんな、まさか…。
いや、そうだとしたなら。
「お前にも兄弟が居るだろう。兄弟だから許せない事、許せる事。沢山あるんじゃないか?」
黒凪が眉を下げる。まるで日永の悲しみを、怒りをかみしめるように。
…その前提条件が崩れてみろ。
そう続けた日永の言葉を聞きながら、ゆっくりと正守がその目を黒凪に向ける。
―――全て許せなくなるぞ。
「何も知らずに400年も兄としてあいつに尽くし…挙句の果てにあれ程愛した妻をも奪われた…!!」
びりびりと日永の言葉が響く。
…ああ、これか。これを俺に聞かせたくなかったのか。正直これは、俺にはきつい。
これを聞けば俺は…きっと彼女の様に、この人を手にかけられなくなるだろう。
弟が居るから分かる事。自分が上の立場であるからこそ分かる屈辱。
それは俺も、黒凪もよくわかっていることで。
「…私にはもう、あいつと出会う以前の記憶など残ってはいない。…でもあいつの記憶には残っている筈なんだ。最期にそれぐらい確認しても罰は当たらないだろう…?」
零号の耳から日永の力である海蛇が抜け、そうして日永の元へ戻って来るとその記憶を主人に受け渡した。
途端に日永の目が微かに見開かれ、諦めの籠った笑みを零す。
「…やはり何も残っていない、か。」
え、と正守が思わず声を漏らす。
その声に説明するように日永が続けた。
「私達は他人の体を乗っ取り、生きながらえることができるが…乗り換えを繰り返す度に己の記憶が変質してしまうデメリットがある。」
まあ、ある種それは当たり前のことかもしれないがな。
確かだった筈のものさえ年月が過ぎれば消え、歪んでいくものだから。
大切な事も、忘れてはいけない筈の事も。…いつかは全て消えてしまう。
ドガンッと正守の背後の建物が爆発音を上げた。
ばっと振り返ると爆発した建物の中から巨大な黒龍が姿を現し、こちらに降りて蜷局を巻く。
そして煙が起こるとそこには何も纏っていない水月が立ち、日永の元へとゆっくりと歩き出した。
「…水月…」
『…、離しますよ』
水月を見た黒凪が日永を支えていた手を離し、徐に正守の元へと歩いていく。
そして正守が纏う絶界の中へ入り込み、静かに見下ろしてきた正守に黒凪が顔を伏せたまま口を開いた。
『…ごめんね』
「いや、…全部分かってるよ。」
ありがとう。
そう目を伏せて言った正守に黒凪は眉を下げ、徐に水月と日永に目を向けた。
「月久様を葬られたのですね。」
「あぁ」
「…気はお済みになりましたか」
「…何故最後に裏切った? お前が身を隠したのは月久に頼まれた為だろう。」
貴方を止める為です。
即答した水月に自虐気味に日永が笑った。
そして次に飛び出した日永の言葉に水月の顔は泣きそうな程に歪んだ。
「お前は私などより、あいつの妻として生きた年月の方が遥かに長いからな。」
「っ、私はこうして戻って来たではありませんか!!」
「!」
「私は月久様への復讐だけなら最後まで付き合おうと思っていたのです、なのに貴方は…!」
日永が珍しく声を荒げる水月に目を見開いて固まった。
私が裏切る事が怖いなら、信じられないと言うのならこんな生殺しの様にして苦しめるよりいっそその力で支配してしまえば良かったではありませんか!
栓が抜かれた様に捲し立てる水月の言葉は止まらない。
私をこんな状態で放っておくから、貴方は…!
眉を寄せて俯いた水月に日永の表情が変わる。
「…私は…お前が途中で逃げ出すならそこで復讐など止めようと思っていた。」
「え、」
「お前の事は、…お前の意志では無いとは言っても許しきれない。だが月久のお前への仕打ちはそれ以上に酷いものだ。」
体を改造までさせて、散々利用して…。
自信がなさげに震える声で言う日永に徐々に水月が目を見開いて行く。
そして日永以上に不安定な声を水月が発した。
「…まさか、貴方の復讐は私の為に…?」
何も言わない日永に水月の目に涙が浮かんだ。
馬鹿な人…!
悲鳴の様に吐き出された言葉に正守が目を伏せ己の羽織りに手を伸ばした。
日永本人から記憶を見せられた黒凪は知っていたのだろう。
彼が己の大事な人の為だけに動いていた事など、全てを。
「(俺だって、良守がもしも本当の弟じゃなかったら…)」
いや、考えるのを止めよう。
そう自分に言い聞かせて正守が羽織を水月に投げて寄越した。
バサッと肩に掛けられた羽織に水月が振り返り日永が小さく笑う。
「ありがとう。」
そんな日永のお礼を聞き、小さく頭を下げる正守。
そして先ほど水月が現れた方向から微かな足音がこちらへ向かっているのが分かった。
「お兄ちゃん!」
たたた、と幼い少女が走り寄ってくる。それは日永が憑代としている遠(えん)の妹である遥(はるか)だった。
遥は日永の胸元の傷を見るとその目に涙を浮かべ、彼の腕に抱き着いた。
「元に戻るよね…、そうだよね?」
譫言の様に遥が言った途端に日永の体の傷が塞がり始め、それを見て正守が目を細めた。
「成程、この子が神佑地狩りの力すべてを蓄えている魂蔵持ちの…」
『あぁ。あの子の中にはまだかなりの力が蓄えられている。』
人が持つべき力の量じゃない。
呟く様に言った黒凪に目を伏せ、正守が一歩踏み出した。
「総本部へ連行する。そこで審判を受けろ。…良いな。」
静かに言った正守に目を向けず日永が「審判、か」と呟いた。
するとその言葉の意味をそれとなく理解した様子の遥の目から大粒の涙が零れ出す。
「やだよ、お兄ちゃん何処かへ行っちゃうの…?」
「…遥、」
「…いやだ。…いやだあ…!!」
ざわ、と日永が己の身体に駆け抜けた悪感に目を見開いた。
途端に今までとは比にならないほどの速度で塞がり始める傷口と、それから狂ったように暴れ始める日永の力…海蛇達。
ざわざわと海蛇達は日永の意志とは関係なく、一斉に正守と黒凪へと向かっていく。
「遥、待て――」
小さく舌を打って遥に向かって黒凪が走り出し、彼女へ手を伸ばす。
そんな彼女の掌が遥に届く一寸前。ひゅん、と軽やかな音を立てて黒凪の目の前を何かが通り抜けた。
そしてその影が止まった上空に目を向ければ、遥を持った ”なにか” が時音を背に乗せたまま暴れる遥に目を向けている。
【…人間にしては随分と持ってたな。】
途端にその胸元に手を伸ばし、そこから光り…というよりも、遥が蓄えていた力を引っこ抜いた。
遥の体から力が抜け、ぐったりとした彼女に一部始終を見ていた時音が焦ったように “なにか” に声をかける。
「ちょ、まほら様…!?」
【よくもこれだけ盗めたものだ…】
この理解しがたい状況に正守や日永…水月も言葉が出ない。
そんな中、日永が時音の言葉を聞いて納得したように目を細めて言った。
「まほら、と言う事は覇久魔の主か。」
そして徐にそちらへと向き直り、静かに頭を下げる。
そんな日永をまほらと呼ばれた “なにか” がぎょろりと目を向けた。
「神佑地狩りを行ったのは私です。その子は利用したに過ぎず…何も悪くない。…どうかその命、お返しください。」
【…お前等の事情など知らん。】
「代わりに私の命を差し出しますから…!」
続けて放たれた日永の言葉に目を細め、呆れたように “なにか” が言う。
【勘違いするなよ。お前ごときの命1つで取引が成立するのはせいぜい人間相手が良い所…。お前の様なチンケな存在が俺と取引出来ると思うな。】
失せろ。
情も無く放たれた言葉に何も言えず俯く日永。
そしてその “なにか” は遥の亡骸を捨てるように放り投げ、それを受け止めた水月が顔を上げた。
「では私の命を…この子の代わりに。」
その言葉を聞いてまたぎょろりと視線が水月に移動する。
そして暫し水月を眺めていた “なにか” が水月の元へ近づき、その頭を掴んだ。
【ほう、お前…。】
「水月…!」
焦って立ち上がる日永だったが、水月の目を見てその動きを止める。
そして彼女が本気だと理解したのだろう…彼の表情が歪んだ。
【やはりそうか。生き物としては高位の力を持つ上に格別記録を溜め込んでいる。…良いだろう。その記録ごと俺に食われろ。】
俺は目覚めるごとに世界の変容を眺める必要がある。
静かに言った存在に水月が小さく頷いた。
「…遥ちゃんの命を返して下さるのなら。」
それを聞いた存在はちらりと黒凪に目を向けた。
【この力、お前にやる】
『え』
【この世界を平定しようと奮闘した結果…力を大分逃がした様だからな…。】
ぽい、と遥の中から奪い取った力の塊を黒凪に投げ、そしてもごもごと口元を動かし始める。
そしてぷっと唾を吐くようにして小さな生命を吐きだし、それはまっすぐに遥の胸元へと入っていった。
途端にけほ、と息を吹き返した遥に水月が笑顔を見せた時、大きな地震が起きたように異界全体が揺れる。
その衝撃を受けて黒凪が顔を上げ、目を細めた。
『…入り口を教えてあったのに、宙心丸がごねたかな。異界を突き破って入ってくるなんて。』
【来たな…1番の力の塊…。】
眉を下げ、先ほど受け取った力を黒凪が呑み込んだ。
そして立ち上がった黒凪を見て日永がぼそりと言う。
行くのか、…と。
その声に振り返った黒凪は水月と日永の元へ近付いた。
『もう少し私が早く生まれていれば良かったのに。』
「「!」」
『そうすれば…もう少し違った道があったかもしれない。』
「…どうしようもない事だ。」
どうも出来なかった。
…私にも、水月にも。…お前にも。
そう言った日永に困った様に黒凪が笑うと、徐に日永が1匹の海蛇を月久の元に寄越した。
その様子を何も言わずに見る水月と黒凪。
海蛇は零号の体の中から1匹のクモヒトデを引っこ抜き、日永の元へと戻っていく。
そのクモヒトデを見て水月が「月久様…」と呟いた。
おそらくこのクモヒトデこそが、もはや体を持たない逢海月久そのものなのだろう。
「…奪われたお前との記憶を探ってみたんだ。」
「……。」
水月が日永に目を向ける。
その視線を受けて日永が眉を下げて続けた。
「やはり何も覚えてなどいなかったよ。…しかもあいつ、私の事を本当の兄だと思っていたんだ。」
本当に馬鹿げた奴だ。…本当に。
何処か悲しげに紡がれるその言葉に水月が眉を下げた。
「今になって疑問に思うよ。…初めて自分本来の身体を捨てた時…俺や月久は何を思ったんだろうと。」
私もあいつも人と言う枠を抜け、随分と出過ぎた事を仕出かした…。
今更それを悔やんでも意味がないほどの年月の中を。
日永が徐に立ち上がり、正守の元へと歩いていき、その絶界の手前で足を止めた。
「墨村、この子達を頼みたい。」
「…。審判を受けるんだ。」
「もう良い、私を人間扱いするな。自分がどれだけ矮小なのか思い知った。」
今だってお前達の前に立っている事が恥ずかしくて堪らない。
絞り出す様に言った日永に正守がため息を吐き、その様子に日永が小さく笑う。
「ありがとう。…此処に来たのがお前で良かった。」
そして次に彼が目を向けたのは水月。
彼女の元へと歩いていき、その前に座った。
そんな日永を水月が泣きそうな顔で見つめる中、日永は静かに頭を下げた。
「そもそもお前を妻に望んだ事から私には出過ぎた事だったのだろう。…すまない、こんな事になるとは思わなかったんだ。」
「謝らないで! …貴方を選んだのは私なんですから…!」
そう言って眉を寄せ、涙をこらえる水月。
そんな彼女の頬にゆっくりと日永の手が向かった。
しかしその手は彼女の頬に触れることなく、引っ込んでいく。
「最初からお前を殺すつもりなんてなかったよ。」
「、待って…!」
ズルッと遠の身体から抜け出した日永の本体である海蛇が月久を連れて正守の絶界へ飛び込んでいく。
彼らは正守の絶界に触れた瞬間に一瞬で塵の様に消滅していった。
日永が抜けて倒れかかった遠の身体を黒凪が受け止め、絶界を解いた正守に目を向ける。
『(なんて呆気ない。また昔なじみがいなくなった。…まあ、それも)』
巨大な邪気が丁度黒凪達のいる上空で止まり、全員の目が其方に向かった。
そこでとぐろを巻く黒曜の上には良守と宙心丸、守美子、繁守、そして時子。そして限、閃、火黒が居た。
【因果なものを生み出したな。】
そう呆れた様に言った “なにか” は嫌なものでも見る様に宙心丸を睨んでいた。
そして同じように宙心丸を見た時音がはっと目を見開いて口を開く。
「もしかしてまほら様なら宙心丸君の力をどうにか出来るんじゃ…!?」
『それは駄目だよ。…この世界に存在するものは皆…自分でしでかしたことの落とし前を付けないとね。』
【人間風情の尻拭いをする義理は無い。】
それにその人間から力のみを抜き出すなど無理な話だ。そいつは存在自体が異質だからな。
…だが、
ぐいと “なにか” が宙心丸に近付いてニヤリと笑う。
【その存在ごと俺が飲み込む事は出来る。その方がお前達には都合が良いんじゃないのか?】
その言葉に皆息を飲む。
それに反論したのは当の本人である宙心丸だった。
「そ、それは承知しかねる…!」
泣きそうな声が響き全員の目がぷるぷると震えながら涙を流す宙心丸に向いた。
わしは亡き父上と母上の為、烏森の名に恥じぬ立派な人間にならねばならないのだ!
姉上にばかりさせている様な危険な事も、いつかはわしが請け負うつもりでいる…!
黒凪が微かに目を見開いた。
「だがわしはまだ立派ではないから…!」
【……】
「…外に出るのは諦める! わしはこれからも強き男になる為に生きねばならぬ…! だから、」
『――もう良いでしょう。まほら様を出してください、眺める者。』
黒凪の言葉に皆が一様に目を見開いた。
にやりと笑った “眺める者” はぽんと宙心丸の頭を一度撫でると「まほらー!」と叫ぶ。
すると巨大な木の中から現れたミノムシの様な存在。
それは一瞬で黒凪と眺める者の間に移動した。
【領地の鞍替えだってさ、まほら。】
こく、と頷く存在…この覇久魔の主であるまほら。
微かに覗くその顔は眺める者と全く同じ顔をしていた。
『…それじゃあ私は封印の方へ。』
そう言って背を向けた黒凪をまほらがじーっと見る。
それに気付いた黒凪は小さく笑ってまほらの顔を覗き込んだ。
『大丈夫です。分家ではありますが確かな力を持った者達ですから。』
【……。】
またまほらが小さく頷いた。
その様子を見た眺める者は徐に水月に目を向け、口を開く。
【…さて、お前ももう良いだろう。俺に食われろ。】
「…はい。」
水月がゆっくりと立ち上がり龍に変化し、迷わず眺める者に突っ込んでいった。
そのまま彼女は眺める者に飲み込まれ、彼女の巨大な邪気が消え失せる。
そしてふうと息を吐いた眺める者が徐に宙心丸の方へと向かっていく黒凪に目を向け、まほらに向かって口を開いた。
【まほら、先に行っていてくれ。俺は少しあいつを見ていたい。】
【…】
「では参りましょうか、まほら様。」
黒凪と入れ替えになるように降りてきた時子の言葉に頷き、繁守だけが残った黒曜の方へと彼女と共に向かっていく。
黒曜はまほらが乗ったことを確認するとゆるりと空を進んでいった。
それを横目に黒凪の隣に一瞬で移動し、眺める者が黒凪に目を向けてにやりと笑う。
『何か?』
【お前の最期が見たい。】
『…悪趣味ですねえ。』
【良いじゃないか。】
感情の読めない笑顔でそう言った眺める者にため息を吐いてその場で足を止める。
少し離れたところには良守と守美子も宙心丸を連れて異界の中心で足を止めてこちらに目を向けていた。
黒凪を見て限達も足を止め、そして遅れてやってきた正守に目を向ける。
現れた正守に良守の目がそちらに向いた。
「修行は完成したのか?」
「まあ…。」
「そうか。…迷うなよ。」
「うん。」
無想状態の良守は正守の言葉に淡々と返していく。
限達は集中している様子の良守に声を掛けようとはしなかった。
此方に向かうまでの間に言いたい事は全て言ったのかもしれない。
良守を見て小さく微笑んだ正守が去ろうとした時、良守がその手を掴んだ。
「その子供、誰かに預けてさ。此処に居てくれねーか?」
「え?」
「あと、扇七郎って何処に居んの?」
「あ、ああ…何処だろう。聞いてみるけど…。」
無想状態の良守の考えなど正守が読めるはずもなく、正守が徐に無線の電源を付ける。
一方の黒凪は少し離れた位置で封印の準備をするように崩れた異界の修復をしていた。
その傍を護るように限達は離れようとしない。
「――いやあ、異界に大きな穴が開いていたから来れましたけど…こんなところまで来るように言うなんて、どうしたんです?」
「良かった。だから異界に穴を開けたんだ。」
「おい、いい加減に教えてくれてもいいんじゃないか? どうしたんだよ。」
式神に遠と遥を預けた正守がやってきた七郎を隣に良守にそう声をかけると、良守がちらりと黒凪に目を向けて口を開く。
「…もう志々尾達には話したんだけどさ、黒凪多分…此処で死ぬつもりだと思うんだ。」
正守の動きが止まる。
しかしそんな彼の隣で七郎は分かっていたように眉を下げ、口を開いた。
「そう、だろうね…。」
そんな七郎の言葉に正守が目を向ける。
良守も同じようにしながら続けた。
「多分、時守も黒凪も罪滅ぼしのつもりでいるんだと思う。」
「…だからって、何も死ぬことは…」
今まで縛られ続けて、やっと自由になれるのに。
そう呟くように言った正守に七郎が目を伏せて口を開く。
「きっと僕らには理解できない何かがあるんでしょうね。何百年もの間、あれだけ巨大な力を持ちながら生きてきた彼女にしか分からない何かが。」
そりゃあそうだろう。
400年間も、この瞬間の為だけに生きてきたんだ。
たくさんの人の死を経験して、ひたすらに気の遠くなるような日々を。
「俺はあいつに死んでほしくない。それに死ぬべきでもないと思う。」
まっすぐな良守の言葉に正守が顔を上げる。
しかし七郎は良守に反論するように口を開いた。
「それは僕も同意見だけど、彼女の意志もあるし…。僕は邪魔をするべきではないと思うけどね。」
「…お前はそれで後悔しねえの?」
「!」
七郎が言葉を止める。
また彼の天秤が微かに揺れる音がした。
「俺だって今まで理不尽なことを沢山見てきたし、経験してきた。…けど、諦めることだけはしたくない。」
だって黒凪は俺の大事な友達だから。諦めたくねーんだ。
七郎が眉を寄せ、拳を握る。
「(だけど、それでダメだったら? 俺だって、兄たちを諦めたくはなかった。だけどこの世にはどうしようもないことだってある。…あの人を、止められるか?)」
「俺達が止めれば、黒凪を止められると思う。」
「っ、何を根拠に…!」
「だってあいつ、兄貴のこともあんたのことも大好きだろ。」
七郎が動きを止め、その瞳が揺れる。
正守も驚いたような表情で一瞬固まり、そして小さく笑った。
「志々尾も、影宮も、火黒のこともあいつ、大好きだしさ。…生きるには十分じゃね?」
だから大丈夫だろ。
自信満々に言った良守に正守が笑みを浮かべたままで一言、
「良守、…ありがとな。」
そう言った。
そんな言葉に表情こそ変わらないものの少し驚いた様子の良守は「ああもう、」と呟いた七郎に目を向ける。
「分かったよ。…自分なりにやってみる。」
確かにその方が後悔しないだろうしね。
そう七郎が言った時、異界の修復を終えた黒凪が振り返った。
『――良守君、始めよう。』
「…あぁ。」
ふと、黒凪の視線が七郎と正守に向かう。
そして彼女は静かに微笑んだ。
『あんた達も居てくれるの? ありがとうね。』
ひどく優しいその言葉に、背中が冷える。
――ああ、この人は本当に此処で終わらせるつもりなんだ。
良守が構え、それを見た正守と七郎が少し距離を取る。
途端に巨大な力が良守から溢れ出し、瞬きをした瞬間、辺り一面は真っ白な結界に包まれていた。
さて――お別れだ。
(思えば、私も宙心丸もこの世界には拒まれてばかりだった。)
(逸脱した力を持って生まれてしまった私には)
(…世界を手放す事に、恐怖は無い)
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