世界は君を救えるか【 結界師長編 】
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裏界への一歩
『――!』
「おや、早速だな。」
『(…いや、でもちょっと待って。)』
今までと規模が違う。
突然血相を変えて外に目を向けた黒凪と、うすら笑みを浮かべて同じようにした時守。
良守も何かを感じ取ったのだろう、無想を解き怪訝に2人を振り返る。
「さて。良守君、君の出番だ。」
「は?」
「なんだ!? 先ほど言っていた戦か!?」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて言った宙心丸に時守の笑顔が向けられる。
ぱああ、と顔を輝かせた宙心丸は良守の背中に飛びついた。
行くぞ良守! そう意気揚々と言った宙心丸を見てもう一度2人を見る良守。
時守は笑顔を彼に向け、黒凪は未だ外を睨んでいる。
『(…おかしい。…もしかして、神佑地の力を奪うことが目的ではない…?)』
かすかに良守が目を見開く。
修行のおかげだろうか、以前彼女が烏森にいた時よりも、彼女の気配を精密に探知できるようになっている。
彼女の意識はまっすぐに南の方向を向いて伸ばされている。
「” 姫様 ”。」
『!』
時守の声に黒凪が振り返る。
そしてその目を見て、伸ばしていた気配を引っ込めた。
「何か気になることでも?」
『…いや。』
いくぞ良守ー!
そう叫びながら良守の手を引いて外に飛び出していく宙心丸の後を守美子が静かに追う。
それを横目に時守が再び黒凪に向かって口を開いた。
「覚悟を決めなさい黒凪。もはやここまでくれば…日永を切り捨てざる負えないよ。」
私たちには使命があるのだから、忘れないように。
そう静かに言って時守が壁を通り抜けて外へと出ていく。
黒凪はため息を吐き、目を閉じた。
『(…駄目だ。落ち着け、私…。)』
そう、落ち着け。
天秤を揺らすんじゃない。心を、閉ざせ。
外に出ると騒ぎを聞きつけた限達も既に良守たちと共に黒曜の背中に乗っていた。
閃が屋敷から出てきた黒凪に気づき、足早に黒曜から降りて黒凪を抱え、また同じ場所に戻る。
それを見計らったように黒曜が尾を持ち上げ、嵐座木神社へと向かった。
「――なんだ? 仲間割れ…か?」
閃の言葉に全員で黒曜の背から下に視線を落とす。
嵐座木神社の傍にある扇家本家。そこにいる異能者たちのほとんどが黒いスーツを着ているところを見ても、皆扇一族の人間なのだと思うのだが…。
いかんせん、彼らが攻撃を仕掛けているのはそれまた扇一族の屋敷や建物であって、行動と風貌が一致していない。
閃が邪気を放ち、不審な動きを繰り返す異能者たちにその意識を伸ばした。
「…頭の中に…蛇?」
『(やっぱり…感じた日永殿の呪力が今までとはけた違いだと思った。)』
「成程、この数全員を洗脳したか…。これは現当主も危ないやもしれないね。」
『私、二蔵のことを探してくる。』
黒凪が限に目を向け、小さく頷いた限が黒凪を抱えて屋敷の方へと降りていく。
その様子を良守は黙って見ていた。
「(なんだ? なんて言うかアイツ…迷ってる?)」
そして良守が顔を上げ、閃や火黒に目を向ける。
彼らの変わらない様子に小首を傾げ、気のせいか…と一人納得してはしゃぐ宙心丸に目を向けた。
「…おい、本当にこの中か?」
すでに沢山の扉を開け放っては襲ってくる扇家の人間を気絶させ、次の扉を開けては戦い…
それを暫く繰り返して扉を開いたとき、パチン、と扇子を閉じる音が限の耳に飛び込んだ。
そして反射的に戦闘態勢に入った彼の手に限の背中に乗っていた黒凪が手を重ね、こちらを睨む人物に笑顔を向ける。
『そう睨まないでおくれ二蔵。私が操られるようなたまではないことは分かっている筈だよ。』
「…。それもそうだな。」
二蔵が扇子を下ろし、黒凪と限がそれを見て床に倒れている死体を避けて彼の元へと近づいていく。
すると二蔵が微かに目を見開き、窓から外に目を向けた。
黒凪と限もそれに続くと、そこには大量の扇一族の人間達がうつろな目をして一斉に嵐座木神社へと向かっている。
『…。二蔵、動ける? 嵐座木神社に向かった方がよさそうだ。』
「あぁ。」
ふわりと車椅子が風に乗って浮き上がり、同時に二蔵がくいと指を折り曲げ黒凪と限も風で持ち上げた。
そうして嵐座木神社にほど近い場所へと辿り着いた時、甲高い女性の声が耳に飛び込んでくる。
【さっさと土地を荒らすお前の部下たちを殺せ!】
「ですが、彼らは操られているだけで…」
【私の命令を無視するか、この小僧が!】
土地を荒らされた繭香が怒りのままに七郎に怒号を浴びせていて、それを七郎は必死になだめている様だった。
しかしそんな事をしているうちにも扇一族の人間たちはどんどん土地に傷をつけていく。
七郎は今すぐにでも部下たちを止めるための手立てを打ちたいに違いない。
だが繭香がそれを許すはずもなく…と、そんな悪循環の中焦る我が子を見て二蔵がため息を吐いた。
「全く、あいつはどうも甘い…」
『それが良い所だよ。』
「っ、こうなれば嵐座木神社のてっぺんだけを切り離します! そうなればこの土地の核から操られている部下たちを引きはがせる…」
【そんな辱めを私に受けろと言うのか⁉】
ですが…!
そう焦る七郎の頭にぽん、と黒凪が手を置いた。
その手に肩を大きく跳ねさせて振り返る七郎、そして睨みつける繭香。
途端に良守から力が溢れ出し、白い結界が嵐座木神社を包み込む。
そしてそれと同時に日永の力のイメージである黒い無数の海蛇が浮かび上がり、じゅわ、と解けるように消えていった。
「! 今のは…」
『危ないところだったね。敵の術がこちらまで迫ってきていたらしい。』
「あの蛇が…総帥の力だと?」
『うん。君が操られていなくてよかった。』
黒凪のその言葉に再び七郎が彼女に目を向ける。
しかし彼女の目は七郎ではなく、良守の背に乗っている宙心丸に向いていた。
その視線を追って良守と宙心丸を目に移した七郎が続けて放たれた繭香の言葉にその目を見開く。
【…あやつ、そうか…烏森…】
「…え」
改めて宙心丸を見て、その黒凪と瓜二つな風貌を見て…七郎から殺気が溢れだす。
そんな七郎に繭香も黒凪も限も、そして二蔵も目を向ける。
「(僕は…直接彼女に何を聞いたわけではないですが、彼女を理解している。そんな気がしている。)」
そんな七郎はあの結界師の背中に乗る子供が彼女を傷つけ、縛り付ける存在だと直感していた。
そしてこうも思っていた。
あの子供さえ居なければ、彼女はきっと。…きっと。
『七郎君。』
「!」
七郎の風が止まり、彼の目がゆっくりと黒凪を移す。
そして、その表情を見てその表情を歪めた。
『…あの子の為に、沢山の人が犠牲になってきた。それは紛れもない事実。』
あの子のために、沢山の人間が…結界師が手を汚し、力を追い求めてきた。
あの子のために沢山の人や、術者や妖がその命を落としてきた。
『私やあの子はね、七郎君』
積み上げられた、その数えきれないほどの哀れな屍たちの上に立っている。
それらを踏みしだきながら私達だけがこの流れから逃れるわけにはいかないんだよ。
「…」
そんな事は僕だって痛いほど分かっている。
だけど、…だけど。
「誰もそんなこと、望んでなんていない…」
そんな2人をも真界で包み、ただ一人彼らの会話を耳にしていた良守が七郎の静かなつぶやきに振り返る。
そして黒凪が眉を下げて微笑む様を見て微かに目を見開いた。
しかし真界から逃げるようにして後ずさる、日永に操られた扇一族の人間たちに目を向けると徐に息を一度吐いて、それから再び構えた。
「よし、このままこの蛇みたいなのを送ってきている奴ごと――」
「いや。」
しかし時守がその良守の右手に手を添えた。
「やめておこう。」
「え。」
「君ももう限界だ。それに…」
時守の目が海蛇たちに向くと、それらはじりじりと良守の真界におびえるように後退していく。
それらに良守の目が向いたとき、七郎の傍に立っていたまじない師の男が口を開いた。
「まじないが――まじないが発動しました!」
その言葉に全員で顔を上げると、上空に巨大なまじないによって作り出された穴のようなものが出来上がっていた。
そしてその穴はまるで呑み込むように操られた扇一族の人間たちを吸い込んでいく。
「…成程。狙いは土地じゃなく人間の方か。」
『今後起こる戦争の為、か。』
時守に続いて黒凪もそう呟き、徐に良守の元へと近づいていく。
そして彼の肩に手を置くと、良守が真界を解いてその場に尻もちをついた。
『大丈夫?』
「お、おう…」
「ふむ…術の発動は問題ないが、いかんせん体力が持たないらしいな。」
「でももう少し踏ん張ってれば、敵ごと倒せて…あんなにたくさん連れていかれることもなかったんじゃ…」
そう言った良守に時守の冷たい目がつい、と向けられた。
その目を見た良守が微かに目を見開く。
「何か勘違いしているらしい。今回僕たちは君の試運転でここに来ていたんだ、彼らの為ではない。」
「な、はあっ⁉」
そんなことをわざわざ扇一族の前で言わなくとも、
そんな顔をして七郎たちを見た良守だったが、その予想に反して彼らは特に驚いた様子もない。
「…とりあえず土地は護られました。後始末は僕が早急にやっておきます。」
【…解った。私はもう眠る。】
消えて行った繭香を七郎と二蔵が見送り、そして徐に七郎の直属の部下である紫島に目を向ける。
彼は耳に押し当てていた携帯を離し、口を開いた。
「町の方に配備していた部下達は無事だそうです。全体数で見ると、おおよそ3分の1は残っているかと…。」
「…それだけ残っていれば立て直す事は容易い。連れ去られた部下達の名は全て除名しておけ。」
紫島の報告にそう返した二蔵に七郎が目を向ける。
「…見捨てるんですか、部下を。」
「他所でうちの者がおかしな事をすると面子が持たんからな。」
その言葉に七郎がむっと眉を寄せる。
そんな七郎を見た二蔵は表情を変えずに言った。
「気に入らないのなら自分でケリを付けろ。」
その言葉に七郎が背を向ける。
「言われなくともそうします。」
「勘違いするなよ。お前1人でだ。」
「…はい。」
二蔵の周りに風が巻き起こり去っていく。
それを見送った七郎の目は次に良守を捉えたが、そんな彼が睨む相手につい、と目を向ける。
「封印の為だけに此処に来たのか? …ってことは関係無かったら無視してたのかよ!?」
「その通りだ。…とりあえずこれから先は君の修行に集中していく。もう少し精度を上げないと…。」
「だったらこの件はどうなるんだよ! 裏会は、…兄貴は!」
なあ、黒凪だって…!
そう言って振り返った良守が、はたと動きを止める。
彼女が良守を見ようとしないためだ。
「とにかく君は自分の事に集中するんだ。…君の疲労ぶりを見ている限り、他の事に干渉している暇はない。」
『…裏会の件は私がやっておく。良守君は気にしないでいいから。』
「――いえ、姫様。」
黒凪の言葉に納得しかけていた良守、話を蚊帳の外から聞いていた七郎…そして黒凪や限達が時守に目を向ける。
時守の目は以前冷たい。
「貴方も我々と共に居てください。」
その言葉に黒凪が微かに目を見開いた。
『…どうして?』
「封印の為に姫様の力が必要ですから。」
『…私ならどちらもそつなくこなせる。』
「無茶をおっしゃらないでください。…お変わりになられましたね。少し頭を冷やされてはどうでしょうか。」
時守の言葉にギリッと黒凪が拳を握りしめる。
怒りを露わにした様子の黒凪に遠目に様子を見ている限達も目を見開いた。
宙心丸は黒凪の顔を見て少し固まると、怖いのだろう、そそくさと良守の足元に走っていく。
『――時守。』
「はい。」
『今回ばかりは私のやりたいようにやらせてもらう。』
「…しかし。」
食い下がろうとした時守に良守の足元から顔を出した宙心丸が「時守っ」と彼の名前を呼んだ。
その声に時守が振り返る。
「き、貴様従者のくせに姉上に逆らうとは無礼な! 姉上を怒らせるでないっ!」
「殿…」
七郎が唖然と目の前で繰り広げられている奇妙なやり取りを見て、そして黒凪に目を向ける。
良守も眉を寄せて黒凪を見て、そして時守を睨んだ。
「時守、あんた黒凪のこと押さえつけすぎだぞ。黒凪なら両立出来ると思う。…俺には、無理みたいだけど…。」
「…。分かりました。ただ…」
時守の目が再び黒凪に向き、黒凪がその視線から目を逸らす。
「どうも、優先順位がずれてきているような気がしましてね。」
そしてその視線がつい、と限達…そして七郎に向けられた。
そんな時守に黒凪が自虐的に微笑む。
『何を今更。』
「…なら良いですがね。」
そう言い合いながら顔を見合わせる2人を見て、閃と限がぞくりとする。
黒凪の顔が、雰囲気が…今までにないほどに冷たく冷え切っていて、それはまるで…全てを破壊することを決めた、日永の様で。
そして七郎も彼らと同じことを考えていた。今目の前に立つ黒凪は…何処か自身の兄に似ている、と。
それから良守さえも、彼女がどこか…過去の正守に似ている。そんな風に。
…さて、どうしたものか。
宙心丸が閃たちと遊ぶのを横目に、屋敷の上に座って考える。
つい先ほどには、早速操った扇一族の人間たちを使って裏会を落としたと連絡が入っていた。
昨日の今日という短時間での裏会滑落は…正直、日永殿が相手だと妥当だと言える。
『(これからは正守たちと協力して裏会を取り戻して…、扇一族の人間たちの命も極力奪わず取り戻す。それから、裏会総本部がある覇久魔へと…)』
「…黒凪」
『うん?』
顔を上げれば、そこには何処か険しい顔をした良守が立っている。
そうだ、この子にも色々と話してあげないと。
なんたって、この子も紛れもなく私たちが巻き込んだ被害者の一人なのだから。
「あの、さ。…大体の事のあらましは時守から聞いた。けど…黒凪からも聞いておきたくてさ。」
正直、俺は時守よりもお前の方が信用になると思ってるし。
それに…お前の気持ちも聞いておきたいって言うか。
そこまで言った良守に黒凪が微笑み、口を開く。
『君には、本当に沢山迷惑をかけた。それに見合う価値があるか分からないけれど、聞いてくれる?』
小さく頷いた良守に黒凪の視線がつい、と宙心丸に向かう。
風が吹いて、宙心丸の白髪と黒凪の白髪が揺れて太陽の光に充てられてキラキラと光った。
『――あの頃の父様は、誰の目にも明らかなほどに狂っていたそうだ。』
その言葉に良守が微かに目を見開く。
私がこの世に生まれ落ちた時…いや、その前から。
父に教わったことはただ1つ。
…この世界を、恨め。だ。
私たちが生まれたのは真夜中の事で、私が最初に生まれ落ち…そしてそのすぐ後に弟が生まれ落ちた。
その瞬間だったと聞く。巨大な邪気が溢れ出し、烏森家の屋敷にいた人間全員が一瞬のうちにその命を奪い取られたのは。
それは母である月影も例外ではなく…偶然にも任務で外に出ていた父、間時守が辿り着いたときには月影は霊体となっていた。
「…月影? これは一体…」
【我が子たちを抱いてあげて下さい…。】
「…我が子、たち?」
時守が赤子を包む布を開くと、確かにそこには2人の赤子が横たわっている。
しかし赤子たちを見る時守の表情は決して歓喜のものではない。
むしろ、表情を凍り付かせていた。
【…そちらの、顔が見えている方が姉です。こちらは弟…。】
そう、顔が見えている方が私で。
ものすごい濃度の邪気に顔を覆われているのが、弟の宙心丸だった。
「…力を、奪い合っているのか…?」
時守がゆっくりと邪気に覆われた我が子、のちの宙心丸を持ち上げた。
そこで理解する。この子はこの城の者全員の生気を吸い取り、…姉はそれに抗う様にその子から力を奪っていた。
そして力を奪い、それが蓄積されるごとに姉の方はその体を成長させていっている。
まるで、弟から逃げる術を身に着けるかのように。
【もうその子達を抱く事が出来るのは貴方だけです。時守様。】
「!…月影、」
【我が子と共に生きる力が無い事が…とても苦しゅうございます。】
「待て、姿が…」
月影が姉、のちの黒凪の頭をゆっくりと撫でる間にも彼女の姿が薄まり、声が遠のいで行った。
それに比例するように時守の表情が焦りと恐怖と、悲しみと…色々な感情で歪んでいく。
【…後は頼みます。】
「駄目だ月影! 独りにせんでくれ…!」
【貴方にはこの子達がおりまする。】
機嫌が良いとよく笑うのですよ。
月影の姿が消えていき、ついには何も見えなくなった。
【――時守様? 】
と、外に待機していた筈の斑尾の声が聞こえた。
振り返れば、そんな斑尾の背後には時守が連れている妖達全員が集まっている。
【凄く良い匂いがするもんだから全員来ちまったんだけど…】
「…外に出るぞ。」
父親が来て安心したのだろうか、眠ってしまった双子を抱えて黒曜達と共に城の外へ。
それからも父と…私は随分と苦労した。宙心丸の力を抑え、他人を巻き込まないために。
「おぎゃあ、おぎゃあ…」
「ん…、よし、宙心丸…」
『良いよ、父様。そのままで。』
「…え」
宙心丸を城から連れ出し、妖達を交えて育てること…わずか1週間。
黒凪は既に3歳ほどの姿になり、言葉を流ちょうに話し…宙心丸の力を退ける術を持っていた。
時守が驚いたように斑尾や白尾に目を向ける。彼らから見ても、宙心丸だけでなく…黒凪も十分に奇妙な人間だった。
「(いや、この子は…この2人は、人間なのか?)」
『…安心して、私の魂蔵はこの子の様に命は吸い取らない。それに、無意識に力を放出することもない。』
ただ、力がある土地から吸い取るだけ。
でもそれを無意識のうちにやってしまうのも今日まで。
腕の中でぐずる宙心丸を見下ろし、黒凪が徐にその、邪気に包まれた顔に手を伸ばし――雲を払うようにして邪気を取り払った。
「!」
「う…?」
『この子の目は父様だね…。』
そう言って、黒凪は月影と同じ黒い瞳を時守に向けた。
ただ一つ月影の目と違うことと言えば、その冷たさだろうか。
そこの見えない真っ黒な穴の底をその目に宿したような、そんな暗い瞳。
――時守は、のちに斑尾に聞いた。偶然にも時守が眠っている間…彼だけは見ていたらしい。
黒凪がどのようにして1週間のうちにそれほどまでに成長したのか。
【時守様…あれはもはや、人とは言えない代物だとアタシは思うねえ。】
土地の力を吸い取って、ミシミシ音を立てて体を成長させてさあ。
それに加えて、言葉や経験…世界のこと。全てをその体に蓄えていた。
「――その時のこと、覚えてるのか?」
『うん。とにかく私は宙心丸に殺されてしまうと怯えていたから。だから必死に1週間の時をかけて力を集め、自分に使った。』
言葉を覚えて父とコミュニケーションを取る方法を学び、世界の情報を受け取り…。
そして父が纏う絶界を読み取り、宙心丸の力から自身を護るための膜の作り方を学んだ。
そうして父と共に宙心丸を順当に育てていたある日…事件は起こった。
「――姉上! 時守が街に出るそうだ! 共に行こう!」
今でも覚えている。
この何も知らない子供は、私が何を知っているのか…何を考えているのか。
そんなことを知ろうともせずただ無邪気に笑って。
私がどれだけこの世界を恨んでいるのか、知りもせず。
しかしそんな宙心丸が自身がこの世界には存在してはいけない存在なのだと、それに始めて感づいたのはなんでもない昼下がりだった。
「だから箱から出てはならぬと言ったのです!!」
この時、時守はすでに宙心丸に父親として接することを辞めていた。
それを見て黒凪もそれとなく父の考えを読み取り、それに従っていた。
黒凪は水分を抜かれたように枯れ果て倒れた人間の間を縫い、時守と宙心丸の元へと向かう。
時守はそんな黒凪を見ると、焦ったようにその手を掴み引き寄せた。
「姫様、早く…!」
『…。』
力強く握られた自身の手首を見下ろし、その手を振り払って黒凪が宙心丸の頭に手を乗せる。
そして宙心丸の力を吸い取れば、目に見えて溢れ出していた宙心丸の力が収まった。
黒凪が手を離せば、それを掴んで宙心丸が黒凪と時守に目を向ける。
「や、やはりわしの所為か…?」
「っ!」
「わしの所為で皆死んだのか?」
「ち…違います! これは、…これは病です! 原因不明の病が流行っており、殿が怖がってはいけないと…!」
この時にはすでに分かっていた。
時守は宙心丸を護りたいだけなのだと。
私はその手助けをする為だけの存在で、宙心丸を彼と共に生涯守り続けていかなければならない存在で。
それが、私なのだと。
「――…っ」
『良守君?』
「そんなの、理不尽だ…!」
宙心丸も、お前も! 全部…何もかも、周りにあるのは理不尽なことばかりだ。
そう言って目に涙を浮かべる良守に黒凪が微かに目を見開く。
『…いや、そんなに思いつめるほどの事じゃあ…』
「思いつめることほどのことだよ!」
『でも、もう辛さなんて覚えていないんだ。昔からだし…』
「それがおかしいんだって!」
お前、時守に心を殺されてる。
そう声を震わせて言った良守に黒凪が目を見開いて固まった。
そんな中、時守が音もたてずに降り立ち、それを見た良守が拳を振り上げる。
しかし霊体の彼にその拳が届くはずもなく、時守は自身の顔元を通り過ぎた拳に目を向けるだけ。
「お前、いい加減にしろよ…!」
「僕に怒りをぶつける君の気持ちは痛いほど分かっている。だけどどうか分かってくれ。此処で止まるわけにはいかない。」
「なんで今なんだ⁉ どうせ、母さんが家にロクに帰ってこなかったのもあんたが関係してるんだろ⁉」
良守の言葉に時守が小さく頷いた。
「確かに、守美子さんには早い内から協力をお願いしていた。だから君の元にもロクに帰ることができなかっただろう。なにせ、何年も黒凪を探すために全国を走り回っていて貰ったからね。」
私は…我々はずっとこの時を待っていたんだよ。良守君。
その言葉に良守の鋭い眼光が時守を貫いた。
「400年もの間、君ほどあの子に気に入られる術者…共鳴者を。そして黒凪にそぐわないほどの才ある術者を。」
黒凪、守美子さん。この2人の技術と、宙心丸の力を存分に引き出せる共鳴者の良守君。
この3人が居れば…あの子の完全封印はきっと上手くいく。
「確かに宙心丸の封印が大切なのは分かる。世界の為にも…あんたの為にも。けど、あまりに犠牲を生み出しすぎじゃないのか。」
こんな方印なんてシステムつくって、今まで何人の結界師が兄貴みたいに負い目を感じて居場所を失ったと思ってる⁉
母さんがいなくて、利守だって、父さんだってずっと寂しかったんだ!
時音だって烏森を護るために毎晩駆り出されて、怪我だってして…!
「分かっている。あまりにもたくさんの人に迷惑をかけてきたことは。」
「…っ、」
良守が強く拳を握り、時守に背を向けて言った。
「…俺が絶対に宙心丸を完全に封印する。…もうこんなのは、俺の代で終わりだ。」
「――姉上ー! あーねーうーえー!」
『…はいはい。』
宙心丸の元へと黒凪が向かっていく。
…だから。
そんな黒凪を横目に続けて良守が時守に向かって言う。
「完全に封印を終わらせたら…黒凪を解放しろ。」
「…。それはどうだろうね。」
「あ?」
「私は常々分からないんだ。…黒凪は宙心丸ほどの異常性を抱えてはいないが、逸脱していることに変わりはない。…あの子もこの世界には居てはいけない忌み子なのかもしれない、と。」
そう言った時守に良守が固まった。
「…まさか。」
「ま、とにかく…もしも黒凪を救いたいと願うなら修行に集中することだ。いいね。」
「…上等だ。やってやるよ。」
時守が小さく微笑み、宙心丸の元へと向かっていく。
良守は屋敷の屋根の上からそんな時守と黒凪を見下ろし、息を吐く。
そして覚悟を決めたように空を見上げた。